第9話 steam gear ⑨


 今日もまた夢を観る。

 全身に汗を滴らせながら部屋の中を行ったり来たり、途中で転びながらもそれを繰り返している。

 手術後怪我も塞がって義足を上手く扱う為にリハビリをしていた頃の私だ。

 懐かしいなぁ。無理してでも早く使い方に慣れなくてはと切磋琢磨していたんですよね。

 確かこの後アルベルトさんがやって来て……。

「……ヴェロニカ」

 背筋が伸びる様な主人様の声。

 私の意識は段々と現実に引き戻されて行きます。

 ボヤける薄目を開けると視点から合いませんが目の前に主人様が立っているのが分かりました。

「ん……主人様……?」

 視界が戻ると主人様の髪は寝癖で跳ねていて同じく寝起きみたいでした。

 私は直ぐに立ち上がります。

「下が何か騒がしい。イェッティエンツォもいないし見に行くぞ」

「はい……」

 覚束ない足取りで私は着いて行きます。

 窓から入る日の光は目に優しくないですね。

 階段を降って行くにつれて忙しなく男女混合の叫び声が大きくなっていきます。

 その声のおかげか意識ははっきりとして、何か騒ぎでも起きているのかと疑問に思いました。

 そして声の出所であろう場所に向かって歩き、何かの扉の前に来ると主人様は目配せをします。

 ここが発生源のようですね。

 有事の際にはと私は拳を握り締めました。

 主人様は勢いよく開きます。

「な、なんだこれは」

 主人様は思わず言葉を漏らしたようでした。

 恐らくここはイエティ様が医者としてのお仕事に従事する為の場。診察室と患者部屋が一緒くたになっているこの一室に人がごった返していました。

 皆怪我を負っているみたいで血に塗れています。

「アインコオル! 起きたのなら済まない手を貸してくれ! 私達だけでは追っ付かない……!」

 二人の看護師とその対処に追われていたイエティ様が私達に気付いたのかそう声を掛けて来ます。

 皆我先にと秩序も無く押し掛けています。

 何とか治療を行なっていますがあれでは……。

 そんな悲惨な現場を目の当たりにして私の動悸が高まって行くのを感じます。

「あ、あぁ……」

 私の奥底に眠る物を思い起こさせようとするそれに思わず足が竦みました。

 覚えのある恐怖心に、怖いです主人様と縋る様な気持ちで見やると主人様は私の肩を叩きます。

「ヴェロニカ。手を力一杯叩け」

 私の様子など露知らずそう言いました。

「あ、え……? 主人様……」

「いいからやれ」

 体が勝手に動くとでも言うのでしょうか。その声の通りに私は両の手を打ち付けて、鼓膜を劈く様な甲高い金切音を響かせました。

 その不快感に全員が静まり返ります。

 それは当の本人である私も例外ではありませんでした。

「一旦落ち着け! これではイェッティエンツォが患者の割り振りが出来ん! 一旦意識のある者は左に。ない者は右に!」

 その声に未だ事態の飲み込めず皆さん押し黙っていました。

 主人様は舌打ちをします。

「さっさと動け!」

 更に発破を掛けるように続けた言葉で漸く動き始めました。

 今の行いについて細かい所で不満の声が上がってはいましたが、大方の人物はそれに納得してくれているみたいですね。

 主人様はイエティ様へ近付きます。

「イェッティエンツォ。次は何が要る」

「鎮痛剤止血剤諸々と外科器具をあるだけお願い! 私の部屋にあるから!」

 イエティ様は目の前の患者に処置を施しながらそう言いました。

「行くぞヴェロニカ」

「はい」

 そして私達はこの場を後にします。

 先程感じていた恐怖感はこの一喝で見事私の中へ引き戻されていました。

「意識のある人達は周りによく目を配ってくれ! もし急変して倒れる者が出たら直ぐに……」

 最後にイエティ様の緊張感のある言葉が背中を押して私達は進みます。

 自宅側に戻って主人様は通り掛かった部屋に指を伸ばします。

「布団のシーツを幾つか剥いで持って来てくれ。俺は先を漁る」

「畏まりました主人様」

 中に入ると布団の他、枕や白衣等代えの物を保存している部屋だと分かりました。

 乱雑に纏められたお布団から数枚剥いで持って行きます。

「お待たせ致しました」

「そこの台に乗せてある物を包んで運んでくれ」

 私はシーツを広げて主人様が選別した薬品や器具を一纏めにして担ぎます。

「渡したら戻って来てくれ。何周かするから」

 そう続けます。

「了解致しました」

 私はそう返して駆け足で戻ると、統制の取れ始めた怪我人達の横を縫って治療中のイエティ様の下に。

「イェッティエンツォさん! これを!」

 私は急いで担いだ物を渡します。

「ありがとう! ……気が利き過ぎるね」

 シーツの中身を開くと、か細くそう残しました。

 私には判りかねますがイエティ様にとって必要な物が詰め込まれていたのでしょう。

 目の前の方の治療が丁度終わったようで、次の方に進みます。

 肌は青ざめて肩から出血しているのか服も肩部分が血に浸っていました。

 治療を始めようとすると……。

「どうせそいつもう死んじまってるよ! そんな事より俺の腕治してくれ! いてぇんだよぉ!」

 そう叫びながら若い男の方が折れて腫れ上がる腕を抑えて割り込みました。

「ちょっ、やめっ」

 イエティ様はそう言います。

 押し込めようとする彼に私は前に出ました。

「左の区枠にてお待ちを」

「何言ってんだよぉ、これ! 動かねぇんだよ見てわかんねぇのか!」

 ……あぁ。苛々しますね。

 私はその人の肩を取ってゆっくりと力を込めていきます。段々と腕の痛みより効いてきたのか顔色が変わり「止めてくれぇ!」と言葉を頂いた所で手を離しました。

 転けて怯えを見せると私は笑顔で、

「全て遍く治療致します。ご冷静に」

 そう言いました。

「は、はい……」

 返ってきた素直な言葉は心地良いですね。

 今の私の行いのせいで周囲には緊迫とした空気が流れ、その視線を注がれます。

「結構怖い所あるんだね。助かったよありがとう!」

 イエティ様は払拭する様にそう言ってくれました。

 そして私は受け取ったお礼の言葉を背にして主人様の下へ走ります。

「主人様遅れました!」

 戻ると間髪入れずに既に包まれた物を渡されます。

「大丈夫だ、どうせ患者が暴れたんだろう? 次を持っていけ」

「はい!」

「後は何があっても止められるように向こうへ。イェッティエンツォのフォローをしつつな」

 同じ様な事が起きないとも限りませんものね。

「分かりました。主人様のこの後は?」

「もう一纏め作ってから合流する」

 そうして私はまたイエティ様の下へ急いで行きました。




⭐︎⭐︎⭐︎




「……はぁー。取り敢えず捌ききったぁぁぁぁ」

 イェッティエンツォはそう項垂れた。

 お昼を迎えてなんとか応急処置も含めた治療に片が付いた。

 俺は残った綺麗なタオルを頭に乗せると、イェッティエンツォはそれで顔を拭く。

「お疲れ様。病床が埋まり切ってしまったな」

「それでも結構な人数街の方に送ったから全然足りて無かったよ。……一人は助けられなかった」

「あれは……来た時点でもう手遅れだった筈。気に病むな」

 息もしていなかったし、そもそも治しようがない負傷だった。

 人の怪我や血液にある程度は耐性があると自負していたが、どうにも甘い考えだったと思い知らされた。

 ヴェロニカも卒倒しそうになっていたしな。

 イェッティエンツォは悔しさを隠さずに爪を噛む。

「どうしたらあんな……潰れた様になるんだろうね」

 返す言葉を持てずにいると前方にヴェロニカの姿を捉える。

 人が多いから随分と時間が掛かったな。

「ヴェロニカ。どうだった?」

 そう声を掛けた。

「はい。尋ねました所、朝の時間急に家屋が潰れたとの声が多くありました。そして二人は別の物を見聴きしていらしたそうで」

「詳細を」

「一人は影の返る黒鉄の巨人。そしてもう一人は……笑い声と悪態だそうです」

「黒鉄の巨人……」

「声の方なのですが、どうやら思い当たる節があるらしく、その方が仰るにはカルファリエルの声にそっくりであったと……」

 例の男が今回の事態を引き起こしたのか。

 俺の背筋に冷や汗が垂れる。

「まさか……」

「主人様。あのコアの出力限界は……」

 サードシーズンコアを用いた大型外装スチームギアの稼働。

 辻褄が合ってしまう。

「父さんの遺産でよくも……俺の、俺達の家の名に傷を……!?」

「まだアレが使われたという確証は……」

 イェッティエンツォがそう慰めるが、俺にはもうその繋がりしか見えなかった。

「……あのコア、機関部は大型のスチームギア開発を見越して特別に鍛造した特注品だ。見る人が見てもただのオンボロコアだが、内部に込められた技術は最新型にも劣る物じゃない。使われている部品に至っての金属比率は未だに完璧に理解が及んでいない。……黒鉄の巨人。元の用途からして使われたと見るしかないだろう。その方があまりにも自然過ぎる」

 これならばまだ売られていた方がマシだったかもしれん。

「でも、そうなると疑問が浮かびます」

 ヴェロニカの言葉に、多分感じているのは同じ引っ掛かりだろうと確信があった。

「底辺にも劣る白痴の徒がどうしてその性質に気づく事が出来たのか。素寒貧がどうやってその機体を購入出来たのか。スチームギアとのリンクだって、特異過ぎてこの俺ですら難儀した物をどう手を加えて……」

「……単独ではなく、協力者がいた?」

 イェッティエンツォの正に芯を突いた様な一言に固まった。

 排除していた第三者。だとするなら俺の考えは最初から読み違えていた?。

 そして頭を抱える。

「俺の見立てが間違っていたのか……? いや、だが二人から同一の確かな人物像を聞いた。そんな人間が俺達を上回る技師と知り合える人脈を持っている訳が……。なら……」

「主人様! 落ち着いて下さい!」

 俺の様子に危機感を抱いたのかヴェロニカはそう言葉を荒げる。

 思考の沼に嵌った意識は引っ張り上げられて、俺は口元を押さえた。

「済まない」

 情け無い姿を見せてしまった。

「……そうですよ若旦那。血が昇った頭では皮肉の一つも言えぬではありませんか」

 何処か聴き覚えのある声がヴェロニカの奥から放たれた。

 この声は……。

「エマニエル殿、どうしてこちらに」

 ヴェロニカが体を寄せるとその先には無愛想な表情を浮かべたエマニエルが立っていた。

「どうしても何もないでしょう。この私が明らかなスチームギアの犯罪を前にして足を運ばないなんて有り得ません。この役職がそれを許さないのですよ」

「普通に通報が入ったのでやって来たんですけどね」

 続けて更に見覚えのある者が現れる。

「リードキン」

「よっ。アインコオル」

 呆気らかんとリードキンは手を振る。

 そうか……これだけの騒ぎで何時間も過ぎていれば流石に警察の一人も訪ねてくるか。

 イェッティエンツォは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてリードキンを睨みつける。

「色男……」

 ……確か二人は仲が悪かったな。ここも変わらずか。

 まぁこの男が発端なのだからしょうがないが。

 エマニエルはこれ見よがしに鼻息を大きく吐いた。

「いくらスラムと言えど、此処はオールトの街の一部である事は揺らぎようのない事実ですから。それと、先程の話盗み聞きさせて頂きました。折角の取引でしたが残念ですな。大事になった以上お話は反故とさせて頂きます」

「いや、しかし……」

「最早場違いだと言っているのですよ。領主だがなんだか知りませんが、もう貴方方が個々に治安を維持する時代はとうに終わった。剥奪された権利に何時までも固執してみっともない。今回の事態は貴方にも責任がある。出頭頂く可能性はあるので悪しからず」

 言いたい事を尽くしたのか嫌味な笑みを浮かべながらエマニエルは去って行くのであった。

「…………」

 俺は言葉が出なかった。

 非常に不味い。このままあのコアが持って行かれでもすれば……。

 またもや悩み始めた俺の肩にリードキンが手を乗せる。

「気にすんな。前回の事で辛酸を舐めさせられたからその仕返しに大言を吹いているのさ。仮にそうなっても俺がどうにかする」

 そう言って白い歯を光らせた。

 普段からこの振る舞いを心掛ければまともな女も寄り付くだろうにな。

 思わず笑みが溢れる。

「リードキンさん。よろしくお願いします」

「鉄筋の乙女、任せてくれたまえ。……それに白衣の皇女よ久々に会えて嬉しかったよ」

 あからさまに忌避感で溢れているイェッティエンツォによく話し掛ける気になったものだ。

 当の本人は寒そうに両肩を摩っている。

「あぁ、気持ち悪い……。早く行きなよ」

「アデュー」

 そう言葉を残してリードキンも居なくなる。

 引き際は弁えているんだがな。なかなか難しいものだなリードキンよ。

「苦手なのですね。リードキンさんの事」

 事情の知らないヴェロニカにはそう見えて当然か。

「……あのイェッティエンツォに初めて殺意を抱かせた男だ。凄いだろう?」

「僕に殺されない為に公僕になったのかもね彼奴」

 憎しみが溢れかえった様子。正直そろそろ許してやってもいいのではと思うが、まぁそこは本人の問題だから仕方ないか。

 ……話を戻してこれからどうするかだ。

「主人様どうしましょうか。釘を刺されてしまいましたね」

 ヴェロニカもそう切り出した。

「そうだな……解決されてしまえばあのコアは確実に押収される。そうなれば最早誰が弄くり回すか分かったものじゃない」

「でも、もう繋がるものが……」

「……ヴェロニカ、話を訊いた中で他に些細な事でいいから何かなかったか?」

 今の持っている情報から繋げるには余りにも頼りない。

 ヴェロニカは悩む様な素振りを見せて、そしてふと動きが止まる。

「そういえば先程声を聴いた方が去り際に『貧乏人共が』と言われたみたいですよ。これが何かの役に立つかどうかは分かりませんが……」

 貧乏人……。貧乏人か。

「……今からオールトの首都に行くぞ」

「えっ今からですか?」

「外れているなら仕方ないが、もしかしたら」

 カルファリエルという人物の性格を考慮し、そこにこの貧乏人との発言を組み合わせて、一つの可能性が俺の頭の中で導かれた。

「何か思い至ったんだね。後はもう大丈夫だから行ってきな」

 会話を聞いていたイェッティエンツォの言葉に頷いて応える

 微妙なラインだが、他に追えるものも無い。

 半ば祈る様にして俺とヴェロニカはこの家を飛び出した。

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