第5話 steam gear ⑤

「おい、待てよ! ここ出て行ったって働ける所なんて無いんだぞ!」

「うるせぇ! こんなゴミ溜め2度と来るか!」

 男が一人、錆びついて蝶番の軋む扉を勢いよく蹴り閉める。

 黒色に辺りを包み込む蒸気が月明かりを隠すかの様に広がったオールトの街の深部。呼び止める言葉を振り払い、その中を駆けた男は裏路地に入ると手頃な階段へ腰を落ち着けた。

 顔は苦悶と憤怒をすり潰したが如く混ぜ込まれ、その身に収まり切らない衝動は右足を上下に運動させる。

 最初は金属が砂を噛む音。そして慣れが生じると鉄を打つ様な甲高い鳥の音に変わる。

 その忌々しさに男は膝を叩いた。

 そして苦々しくも生身の腕は赤みを帯びる。

「クソクソ、クソが。何がお前の為に〜だよ、あんなゴミみてぇな仕事回しやがって就労所の野郎。何でこの俺が差別主義者のノーパンク共の飯をせっせと拵えなきゃいけないんだ」

 悔しさに言葉を搾り出す。

 そして押し付けるかの様に地面に溜息を吐き出した。

 これで何度目だ。そう思いながら空を仰ぎ見る。

 この街で星空が見える事はない。知っていてもその先の星空を夢想せずにはいられなかった。

 吐き出したおかげか怒りは鳴りを潜め、男は淡々と服の中に手を入れると四方形の淡く黄色を滲ませた金属部品を取り出した。

 手に余る大きさのソレに矛先は向く

「ッチ。結局こいつも売れず仕舞いだしよ。どうすんだ金もねぇ。……また盗みに入るか? でもなぁ大事になってるしなぁどうする? 次は女を狙うか? はぁ金がねぇな、ったく……」

 盗みには自信があった。

 住居のあるスラムの中では一度も問題となった事は無かったのだが、急に上手く行かなくなり耐え切れず外でやっていたのが仇となった。

 連続強盗事件として大々的に追われる事となり、ならばと外へ遠征した結果また失敗した。

 多発していると号外に組まれたのも影響が大きかった。

 暫くは誰もが警戒するだろうと想像に難くない。

 だからこそ二の足を踏んでいた。

 思わず頭を抱えると、不意に暗闇に影が差す。

「こんばんは」

 女の声。

 頭を上げると一目で高貴な者と分かる出立ち、喪服の様な装いに身を包む黒髪の女が立っていた。

 上から覗き込む様にしていた相手に、気味の悪さから一瞬固まる。

「何だあんた」

 怪訝さのまま口に出すと、能面の様な正気のない表情が崩れる。

「いえいえ通りすがりの者でして、少し興味深いお話を小耳に挟んだものですから」

 聴かれていた----。

 それからの男の行動は早かった。

 丁度良い位置にあるその顔面を蹴り上げようと渾身に振り上げる。

 だが。

「ぐあッ。いたたたたたた! 悪かった冗談だ手を離してくれ!」

 難なく横に交わされて行き場を失ったその足を下手で掴まれ捻り上げられる。

 華奢なその身に相応しくないその力に、整備の遅れている足は軋んだ。

 飄々と片手で行う女の行動に男は恐怖を感じざるを得なかった。

「そこまで強くは捻り上げてないのですけど。でも急に襲いかかって来たのは貴方なので反省して下さい。短気は行けません」

「分かった分かった!」

 その言葉を皮切りにして手が離され地面を鉄で打つ。

 付け根の痛みにも思わず震えた。

「いってぇ」

「良かったですね」

「あぁ? 何がだよ」

「痛いという事はまだ生きているという事、死んでしまっては感じられませんから。だから貴方は幸福であると思いますよ。……先程は鬱屈していらっしゃいましたが、そんなに暗くならないで下さいね」

 哀れみの視線。そして何故かその女から励ましを受けた。

 物怪か幽霊か、この世ならざる者なのではないかと。それ程までに異様であると男は思った。

「……なんなんだよお前。気持ち悪いな」

「そんなに褒めないでください、照れてしまいます……」

「はぁ?」

 会話が成り立たない。

 女はこれ見よがしに照れている。そう印象付けたいのだろうがあまりにも演技を思わせる素振りに何の為の行動なのかすら理解が及ばない。

 そして唐突に顔付きを能面へと戻す。

 ゼンマイ仕掛けを想起させる硬く上がる人差し指は男のコアへ向けられた。

「貴方の手の中で膨らんでいるソレに興味があります」

 声色だけはまるで柔らかく、例えるなら親が子供に語りかける様なそんな雰囲気を醸し出している。

 この乖離も男が警戒する要因の一つだ。

「これか? 二束三文じゃ売らねーぞ」

 下手な奴に売ってとばっちりを受けたら堪ったものじゃない。そう男は思った。

「でも貴方ではこのコア、持て余すのではないですか? まともに売ろうとすれば足が付いてしまう。私ならそれなりの値段で買取りますし、口も固いです。それか有効に使う手立てが欲しいと言うのならタダで用意して差し上げますよ」

 女の放った言葉には確かにその通りだと異論は無かった。

 スラムの中で売りに出そうとしても、足下を見られているのか真実を語っているのか分からず、結局は値段が付かないと言われたままに未だ手元に残している。

 持て余していて金も無く困っている。それは間違いが無く残酷にも正しい。

 金という魅力的な言葉は確かだったが、男は有効に使う手立てという言葉がそれよりも脳裏に引っかかった。

「手立てって何だよ」

 ただ興味からの言葉だった。

 女は頬を裂く様に大きく笑みを浮かべた。

「うふふ。興味がお有りですね。着いてきて下さい」

「あ、おい」

 呼び止めるも振り向く事なく階段を降って行く。

 行くべきか行かざるべきか迷ったが、誘引されていく体は腰を上げ歩を進めその後に続いた。

 ヤバそうだと思ったらさっさとずらかればいいか。そう都合の良い結論を出した男は自身がその女の魔力とも言うべき魅力に惹かれているのだと気付いていない。

 降りきってからまた暫く歩く。

 右へ曲がり左へ曲がり、時には後ろへ進みながら数十分程歩いた所で、何時迄着いて来させるんだとその行動に猜疑心が生まれ始めていた。

 そんな心を知ってか知らずか女は唐突に足を止め「ここです」と言葉を残す。

 一言で纏めるなら巨大な倉庫、とも言うべき家屋が目の前に広がる。男はこの地区にこんな物があったのかと中に入る女の後に続いた。

 瞳をつんざく白い明かりが襲うと、眩しさの最中でも見渡せるソレに生唾を飲む。

「な、なんだぁこりゃ」

 自分の背丈を優に超えた、大型な機械建造物。

 人間を模しているのか二手二足。頭上部にはカメラのレンズを思わせる単眼が。

 力無く膝を折り鎮座するそれは、物言わずも見る者に重圧を与える。

「特殊大型外装式スチームギア。名を屑鉄擬きプアフールと言います」

 声色高く女はそう言った。

「これがあんたの言う手立てか? こんなもので俺に何をやらせようってんだ」

「お好きにどうぞ。自由を謳歌して下さい」

 お好きにったって、この機械で出来る事なんざ限られてる。

 思い付くのは人に害を為す事。襲い奪うおどろおどろしい惨状。

 男はどうにも尻込みする思いであった。

 少なくとも今日の面識だけで託す代物でもなく、女がこれを見せる目的はなんなんだと男は頭を回す。

 だが結局結論は出ず、無駄に脳を疲らせるのみであった。

「俺にをやらせたいのは分かった。でも何でだ? どうして俺に?」

 男は女へそう投げかける。

「別に偶然ですよ。貴方の盗んできたそのコアを見た時に、この子はこれで息を吹き込まれる。そう思ったのでこうやって案内致しました」

 確かにそのプアフールにはコアが見受けられ無かった。

 全身を駆け巡るナノスチームの制御に不可欠な物だが、それでも只のついででこんな兵器を他人に見せるべきではない。

 男はまだ納得出来なかった。

「目的はなんなんだ。正気じゃねーだろこんなん」

「特に目的とかはありません。ただ嫌がらせをしたいだけなので」

「嫌がらせ……?」

「そう、嫌がらせ。したくありませんか? スクラップの山の上に築かれた仮初の塔は、維持して行くのは大変なのだと分からせたくありませんか?」

「…………」

 女のやりたい事が分かった気がした。

 所謂テロ行為。それを扇動して騒ぎを起こしたいのだと。

 それを赤の他人にさせようとしているのだ。

「別に大きな事を貴方に期待はしていませんし特別だとも申し上げません。他の方にも声を掛けていますし。……私はただただ迷惑を掛けたいのでそこに大小の区切りは無いんです。仮にコレを使わず売る選択をしようが、このまま特に何も無く立ち去ろうと、それも正直どちらでも良い。ただ悪意の種蒔きを繰り返して、1人でも多くの無関係な人々に危害が加わる事になれば私は嬉しいのですよ。それだけです」

 女は笑顔でそう語った。

 まるで地獄の道行きに手を引かれ、タップダンスを踊らされる様な。そんな力を持った彼女の言葉に考えまでもが歪められ変えられていくのではないか。

 男は恐怖とそして期待に心臓の高鳴りを感じる。

「ノーパンク共は嫌いだがよ。これは……」

 だがそれでもこれは一線であった。

 例え曖昧にし足を突っ込ませるものであっても境は確かにある。

 小悪党としては身に余るからこそそれには気付けているし、生半可な覚悟では踏み込んでいけないと分かるのだ。

「本当に? 貴方の年代から推察するに、少年兵でしたよね。相当無茶を強要されたのではないですか? 彼らの為に」

 見立てがいい。そう男は思った。

 何処から用意したか知れないこのスチームギアを見る限り、女もそれに精通しているのだという事。

 使っている両足は軍製品のまま替えておらずそれを見越したのだと。

「……家族の為にと食い扶持に釣られて参加した結果がこのザマなのは確かさ。あいつら、大人も子供も見境が無かった。こっちの方が便利だからと都合が良いから切り落とされたんだ」

 身の上話をするつもりは無かったがそれでも言葉を紡いでしまう。

 内に湧き出るのは後悔と怒りだった。

「それでも両足だけなら大分マシ。マシなんですよねぇ」

 女は相槌を打つ。

「部位や数がどうたらで扱いなんか変わりゃしねーよ。一本でも機械ならもう自分より下さ」

「なら尚更、この現状を知りもしない者に憎悪を感じませんか?」

 言われるまでも無く常に感じていた。

 何かやろうと行動しても上手くいかないのはこれが源泉として満ち満ちているからだ。

 抑えようと埋め立てようと努力はしたが、その効果はまるで無くむしろ広がるばかり。

 男はそれでも直近の盗みの記憶が脳裏に浮かぶ。

「……このコアを盗んだ時の話だ。俺は殺すつもりでそこの家主に蹴りかかった。ズタボロにしてからふと冷静になってみて、自分のやった事に心底恐怖して走って逃げたのよ。生きていると号外で知れるまでは部屋で震えていた。だからそういう類は俺にゃ向いてないって分かったのさ」

 根本的に人を害するのは向いていない。

 続いて浮かんだのは苦々しい記憶ばかりである。

 戦場から帰ってからの差別的な扱いやそれによる困窮で腹を空かせる日々。

 食い繋ぐ為には盗みに手を染める他は無かった。

 まだ戦いがあった時の方が飯に困らなかったのは皮肉も良い所だと男は思う。

 仕事を斡旋される様になったのもごく最近の話でそれまでに幾人が貧するままに命を落としていったのか。

 不満不平と、内に宿る鬱憤が湧き立ち鳴りを潜めているのは明らかである。

「兵士であったならそういう事もしたのではないですか?」

 女は疑問を投げかける。

「前線に送られる直前で終わったからな。それに銃で狙うのとじゃ訳が違う。雪玉の投げ合いで怖がる奴なんかいねーだろ?」

「雪玉……中々面白い例えをしますね」

「上官が訓練の時にな、『銃を撃つのでは無く雪玉を投げてると思え』って口酸っぱく言ってたからな。……今にして思えばガキに配慮してくれていたんだろうな」

「へぇ……是非その方にもお会いしたいですねぇ」

「……会えねぇよ。もう死んじまったからな」

「あら。これは失礼を」

「気にすんなって言っても意味は無さそうだな。言葉だけだろうし。……まぁ、あれよ。首吊っちまったんだ。フルチューンだったからなぁ、色々大変だったんだろう」

 風の噂で男はそう聞いた。

 なんでも婚約者が他の男と世帯を持っていただとか、次の職場が劣悪で人の扱いを受けなかっただとか理由は千差万別だったが最後は決まって亡くなったで締まる。

 世話にはなったが、仲が良かった訳でもねーからどうでもいいが。男はそう思った。

 雪玉という言葉に意識を、そして視線を機械に向ける。

「彼もまた、この街を構成する為の礎に成り果ててしまったのですね。と、なればこれはお使いにならないという事でよろしいですか? 買取はいかがしましょう」

「……いや、考えが変わった。やっぱりこれはくれよ」

「おや? てっきり考えは売却へ向いていると思っていたのですが」

 おそらく女は売ると言っても騙す気は無くちゃんと金を用意するだろう。

 何故ならより多くに害意を与えるという事に対して前向きであるから。

 その一点に於いては信頼出来た。

 人の悪意こそ信頼出来るものはない。男はプアフールへと歩み寄る。

「操作するには乗り込むんだよなこれ」

「? はい。そうですよ」

「なら雪玉、かもな。一回試させてくれよ。……目の前で本当に人をぶち殺せない奴かどうかをよ。もし、それが出来たのなら……二度と人の下に着かなくて済むようになる」

 コアを売って得られる端金か、もしくはこのチャンスを活かして得られる大金か。

 プアフールを使うのなら間に銃を挟むのと何ら変わらない。

 それでこの一線を超えられるのか男は試してみたくなったのだ。

 失敗すれば今度こそ捕まるのは避けられないが、しかし自分の成長と天秤に掛け傾いたこの選択に男は一つ賭けてみようと心を決める。

「成程。私としては願ったり叶ったりですよ。……頑張ってこの子を乗り熟してみて下さいね。貴方の先行きに鋼鉄の加護があらんことを」

 女はそう締め括ると同じ様にプアフールへと歩みを向ける。

 死を与える者か富を与える者か。どちらに転んでも何かが変わる。

 男は祈る面持ちのままプアフールの外装に手を触れるのだった。

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