第3話 steam gear ③

 最早見慣れた小麦畑の広がるこの光景。せいぜい半日という短い時間であったのにも関わらず酷く懐かしい気分になります。

 街の方では蒸気が入り込むのを懸念して極力密閉を心掛けていましたが、やはりそれでは息が詰まるものですね。

 私は唐突に入り込む一陣の風の味を噛み締めながら自然の営みをその身に感じていました。

「やっぱり私には都会の空気は性に合いません」

 黙している主人様に私はそう声を掛けます

「それはそうだな。でも君だけじゃないだろうそう感じているのは。敢えて好むとすれば脛に傷のある者くらいだ」

 主人様は相も変わらず淡々とそう返します。

「だとしたら何故住み続けるのでしょうか」

「人が集まるからだ。集まるからこそ、その中で利益が得られるチャンスも生まれる。そして切磋琢磨しあって魅力的な物が増える。詰まる所街そのものではなく物質的な様々に引き寄せられているんだ」

「あー……確かに途中で寄ったパン屋さんも大変美味しかったですね」

「食事等は特に分かり易いだろう。味覚には努力が要らないから誰でも批評家になり得る。一大流通拠点でもあるから様々な食材も集まって多種多様な料理が生まれやすい。そしてそれを目当てに更に人が集まる」

「そういった高品質で珍しい物を求めるからこそ、皆お金を欲しがるのですね」

「その様だな。生憎と困った事がないので気持ちは分からないが」

 誤解のされやすい言い回し。ですが、これは誠意の表れでもある。

 金銭の話が頭に来て、私の次に繋がる考えは両親の言葉でした。

 『わざわざ産んでやったのに、この値段なのかい?』こびり付いて離れない決定的なまでの、私を一擲する言葉。

 愛も憎も入る余地がないこれが酷く恐ろしい。

「私は……。正直その辺りの実感は薄いものがあります。でも、少なくとも私の両親はそういった金銭に困っていたのだろうと今なら分かりますね」

 私がそう喋ると主人様のゆらゆらしていた瞳は瞳孔を開いて固まりました。

「……すまない。無粋だったな」

「いえ、お気になさらないで下さい。もう終わった事ですので」

 そう全ては過ぎ去ってしまった。だから着いてまわるけれど今に干渉させてはいけない。

 囚われ始めたら足を取られてズブズブと沈み込むしかないのですからね。

「あの、一つお聞きして良いですか?」

 私は話題を変えるべくそう言った。

「何だ?」

「ずっと頭の片隅に残っていたのですが、エマニエル様との交渉の中でモールドバンク? ルージェル商会? との言葉がありましたが、あれは……?」

「あぁ。10年ほど前にな。この二つはその当時さっき話したチャンスを求めていた者達に金を貸す事業を起こしていてな。まぁ色々とややこしいのだが……簡単にするとお互いがお互いに利子が膨れ上がった債務者をけしかけて盗みを働かせたんだ」

「ライバルを潰す為ですか?」

「普通ならそう考えるだろう。だが真実はモールドバンクとルージェル商会が結託して承知の上での事だったんだ」

「……申し訳ありません頭が追いつきません」

「保険事業という物がある。金を払って一定期間に何かの被害が起きた際に被害額を補填するというものなのだが、ようはその制度を悪用したんだ」

 私の理解し難いと言った表情を察してか、そう解説して下さいました。

 補填を悪用する……と、言う事は……。

「その補填金目当てのマッチポンプだったという事ですか?」

 主人様はにやりと笑う。

「その通りだ。結局は取り調べの中で1人が口を滑らせて露見した。拷問紛いの厳しい追求には耐えられない者は出る」

「じゃあ今回私達の領内で見つかったあれは……」

「互いに盗んだ物の保管場所を分散させたんだろう。あまり人の往来がないし曰く付きだからなウチは。そういった面で一つを隠すのには向いていると言えるからな」

「成程、合点がいきました。警察が二の足を踏んでいたのはバラけさせているからなのですね」

 分けて隠した所の意味合いは分かりますね。

 持ち逃げされるリスクの分散。最悪幾つか返って来なくとも丸々補填された金額と合わせれば収支はプラスになる。

 良く考えるものだなと思いました。

「そして保管場所の総管理を任されていたであろう者はその後に殺されている。十中八九何方かが口封じの為に行なったのだろうが馬鹿な事をしたものだ。自分達も見つけられなくなるのだからな」

「やぶれかぶれになっていたのでしょうか」

「どうせ捕まり全ての金銭が押収されるのであれば、の考えだろう。かくしてその後の足取りは途絶える事となりました。更にはこの話が広まってしまったせいでそれを狙う輩も生まれ始めた。だからエマニエル殿も上からせっつかれていたのだと思う。状況が良くなければもう少し長く話をしていた筈だ」

 あの嫌味の権化な口調を思い出すだけで、私の肩にはどっと重たい物が乗りました。

「想像するだけで疲れが溜まりますね」

「そうだな」

 主人様の言葉が切れると、タイミング良く馬車が減速を始めます。

 どうやら邸宅に着いたようです。

 やがて停止するとお馴染みの如くアルベルトさんが「到着致しました」とのお声掛けが車内に。

「面白いお話が聞けて良かったです」

「こういう事でしか取り柄がないからな」

 何を仰っているのやら。そう笑みを浮かべて外に出ると、陽の光が肌を焼きました。

「うーーん。やっと帰って来ましたね」

「取り敢えず調整だ調整。早く行こう」

 主人様は飛び降りて、そのままの早足で家に駆けて行きます。

「ベルメールさんの所には行かないのですか?」

「よくよく考えて、病人相手に忙しなく押しかけるべきではないと結論を出した。明日様子を聞いてから判断するよ」

 言葉を残して振り返る事すらなく、その姿は消えていきました。

 ……きっと主人様も隠されてはいましたがストレスが溜まっていたのでしょう。

 機械弄りこそが主人様の本分であり、それがきっと精神を安定させるから待てるものではなかったと。

 馬へ労いの言葉を掛けているアルベルトさんに顔を向けます。

「アルベルトさん……」

「後はやっておくから、その代わりに洗濯物の取り込みを頼むよ」

 私の言わんとする所を察して、変わらぬ穏やかな口調のままそう言いました。

「ありがとうございます」

 私はその言葉を残して主人様の道行きを辿るのでした。




 金属と油と薬品の匂い。

 最初こそ鼻に付いたそれも今やこの家を象徴する、そして私が私である事の証左を表す。

 元々は広く間取りが取られていたであろうこの部屋は、大小様々な金属製部品や仮止めのスチームギアが所狭しと棚に置かれていては立て掛けられている。

 そしてそれらを彩らせる中央には作業台。乱雑に並べられた器具は一転にして乱雑である。

 鉄の視線が肌を焼く此処は正に工房という他言い表せない。

 そんな主人様の自室兼私が産み出された場所で、その人は目の前の作業に没頭していた。

 その様子を眺めながら膝を撫でます。

 取り外された私の片足は膝から先がすっぽりと抜け落ちていて、外気に晒された生身の部分が温度差で気持ち良さがある。

 スチームギアはどうしても熱が籠るのでこの解放感はある種の役得という所でしょうか。

「……ゴムが少し劣化しているな。見立て通りで安心だ」

 主人様は一度手を止め、私を見据えてそう言いました。

「替えは有りましたっけ? 前残り少ないと仰っていたような」

 実際に使用する訳では無いのに、どうやって消費しているのだろうか? と疑問に思いますが、まぁ何かしらの用途があるのでしょうと自己完結します。

「研究用で考えるなら少ないと言える。個人の修復用としてなら余りある」

「そうですか。でも折角オールトへ赴いたならギア部品のお店でも覗いておけば良かったですね」

「購入店は変えないから無意味だ。父さんの頃から贔屓にしているし、万が一初期不良があると色々と面倒」

 週に一度のペースで主人様は何処かへ電話を繋いでもらっていますが、きっとその時に部品の注文を行っているのでしょうね。

 口調が柔らかくなっているので、信頼されている事は頷けます。

「信頼性ですね」

 思わず口に出ました。

「人と人との信頼は何より優先される。それがあれば下手物を渡そうとなっても手が止まるし、事情があるなら説明してくれるから。……よし、少し動かしてみてくれ」

 調整に満足が行ったのか両手で抱えた義足を私の前に。

 そして接合部を私の膝先に合わせてから、内部機関の起動を知らせる微動が裏から伝わって来ました。

 私の中のナノスチームと連結が済むと次に接触部が徐々に暖かくなってきます。

 調節の後は暫く、いつもより温度が高いので夏場は非常に苦労するのを思い出しました。

 引っ付いた足を伸ばしたり捻ったり、様々に動かして、感触は良好な事この上ありません。

「何と言いますか可動に違和がない、自然さがあります。これなら問題無さそう」

 前より動かし易いのは確かでした。

 主人様は一つ頷いてまた目線をスチームギアへ戻します。

「なら結構。外した配線を伝熱式拡充型強化機構マグナリンクに繋げる。……ついでに燃料剤もストームに入れ替えるか」

「え゛っ」

 主人様のその言葉に思わず汚い言葉が出ました。

「嫌なのか?」

「寝起きの身体が重い感じがあるじゃないですか、慣れるまであの様な怠さが……」

「慣れたらこっちの方が動きやすいだろう?」

「それはそうなのですけど」

 体内循環型ナノスチームはヘイル、レイン、ストームとありますが、一番扱い易いのは個人的にはレインであると感じています。

 普段使いには癖がないので多分私以外も好きな人は多い筈。

 ただ……有事の際に動くのを考慮するなら、やっぱりストームが稼働時間や伝達性も優れているんですよね。

 私が色々と悩んでいる間に有無を言わさず吸引機がギアに取り付けられていきます。

 確定なのですね……。

「あぁー、魂が抜けます……」

「生きてるよ」

 その言葉を合図にして私を構成する燃料達が吸われて行くのでした。

 



「これで終了。換えたては肌が荒れやすいから塗り薬を忘れないように」

 嵐が私の中に満ち満ちている……という印象は無く、まるで全身に子供が纏わりつくかの様な動き難さと四肢には鉄塊を携えた重量感が。

 いや、実際に抱えているのは鉄塊とも言って差し支え無いのですが。

 私はアルベルトさんみたいに『よっこらしょ』と掛け声を上げて立ち上がりました。

「薄皮が良く取れるんですよねぇ。主人様はこの後はいつも通りですか?」

「そうしたいのは山々だがエマニエル殿に渡す証拠物諸々を先に準備しておきたいからそっちをやるよ」

「お手伝いしましょうか?」

「説明する際の話の組み立てもしたいから1人でいい。いつも通りやる事を熟してくれ」

「分かりました。今日もありがとうございます」

 私はそう言って頭を下げました。

 他の方はお金を払ってメンテナンスやら修理等をしてもらっているのに、私は主人様の実験も兼ねていると無償で見てもらっている。

 恵まれ過ぎて、たまに失う事を想像すると酷く恐ろしい。

 主人様は迷惑そうな顔を向ける。

「いいってそういうのは。……あ、一つだけ。5時間後くらいに時報に来てくれないか」

「身体壊しますよ主人様」

「その時は取り換えるよ」

 領主式ジョークですね。

 私は主人様に会釈をして、人形の様に手足を伸ばしながら部屋を後にしました。

 廊下へ出て感じるのはやっぱり空気感。

 私とアルベルトさんが掃除には人一倍を念頭に励んでいますので、どうにも綺麗であるとの自負があります。

 電灯の上や壁、窓の裾に至るまで余念はありません。

 しかし動かすのに手一杯の今は余裕が無い。これ洗濯物畳めるかな……と一抹の不安を抱きつつ歩を前進させます。

 休み休み歩きつつ洗濯籠を途中で回収して、給仕用の狭めな扉から庭に出ました。

 ……いや、私がデカいから狭いのではなくスチームギアがデカいだけ。

 いやいや、しかしそれでは主人様が配慮なくこのギアをお作りになられているという事に……。

 二つの感情に揺さぶられました。

 そして風に靡く服達を前に、取って頬に当てます。

 私が大きいのかスチームギアが大きいのかは置いておくとして……うん、乾いてる。

「さて……やりますか」

 私は洗濯物を纏め始めるのでした。




「ヴェロニカ。此方の進捗はどんなもんだい?」

 色々と難儀しつつも勤しんでいる最中、不意に後ろから声が掛かりました。

 手を止めて振り返ると見慣れた人がそこに。

「アルベルトさん。量なんて殆ど無いのでもう直ぐ終わりますよ」

 静かに微笑むその顔は出会った当初から変わりはしない、安心を覚える姿がそこにはありました。まぁ昔と比べて白髪が増えたなーと髪を見て感想を抱きますが。

「そうかい。因みにそろそろお父さんと呼んでくれても良いと私は思うのだがね」

「今更呼び難いですよ。もうアルベルトさんで固まってしまいましたし」

 事ある毎にお父さんと呼ばせようとあれこれ策謀を巡らせていましたが、最近では観念したのか直接言ってくるようになりました。

 アルベルトさんは明らかに落胆する様子を見せます。

「残念だなぁ。……ここ最近歳のせいなのか体が重くてねぇ、肺も悪くしたのか咳も、ごほっごほっ」

「わざとらしいですよ。歩けているのですからまだまだお若いです」

 小賢しいですね。

 私は向き直して取り込みを続けます。

「お坊ちゃんと尋ねた先はどうだったんだい?」

 アルベルトさんはそう言います。

「その呼び方、主人様が怒りますよ」

「私にとってはいつまで経ってもお坊ちゃんなんだよ」

 主人様と、そしてそのお父様。先代様から付き従えて来たアルベルトさんにとってはそういった感情が生まれるのは理解出来る。

 ですが、若くして領主足らんと努力を続ける方にお坊ちゃんは私の腹が据えかねる所があります。

 ……まぁ、私の前でしかその呼び名を出さないので多少は我慢出来ますが。

 私の不愉快な様子に、アルベルトさんは小さく笑いました。

「全く……。付き従う者として振る舞いましたが、実際にそれが正しかったのかは正直分からないです。ただ、目的の為の足掛かりとして交渉事の際には私の存在が相手の反感を買ってしまう所はありました。着いて行ったのは不正解だったのでは? と思い返してみて今は思ってます」

 フルチューン然り、四肢のどれかをスチームギアに換えてしまえば、それは悪意の受け皿となる事は決められていると言っていい。

 私は精々暴言を受けたり無視をされるぐらいで済んでいますが、人に寄っては耐え難い苦痛を与えられている者もいる。

 そんな立場の私が大手を振ってあの場に向かう事は果たして正しかったのか。疑問に尽きません。

「都会は特に我々への不信感が強いからね。まぁ、しょうがない所も有るのだけど」

 アルベルトさんはそう続けました。

 私は自分の合金製の手を握ります。軋む事なく簡単に曲がるそれには、主人様が差したであろう油のおかげだと分かります。

 それだけではありません。私の成長する背丈に合わせて頂いたり、今回の様に違和を報告すればもし予定があっても繰り上げて優先される。

 この四肢と体は主人様の献身と愛で満ちる揺籠。

「……私は主人様達に貰ったこの体に感謝してます。でも世間ではフルチューンと蔑まれ恩を返したい人にとって邪魔になってしまうかもしれない。今日の出来事はそう認識せざるを得ないものでした」

「アンチノミー的な悩みの種だね。中々難しいものだ」

「アルベルトさんならどうしますか? もしこれから自分の存在が邪魔になると分かっていて」

 私の言葉に悩む様な仕草を見せると、一つ頷いて不意にまた笑顔を浮かべる。

 そして指を一つ立てた。

「私なら気にせず着いて行く。……あ、ちょっと言葉足らずだな。要するに……その行動に関しての決定権を自分には無いと思っているんだ」

「決定権?」

「そう。主人様が来いと言えば付き従い、待っていろと言われれば頑としてその場に留まる。勿論ヴェロニカの様に考える事はとても大事だよ、その憂慮が尊敬や敬愛に繋がるのだから。でも主人の命令はそのリスクも全て飲み込んだ上の事とすると、考え過ぎる事自体が失礼に当たるのではと答えに至った」

 アルベルトさんの答えは、正直私が求めているのと違うと感じました。

 そして同時にこう言っているとも聞こえました。主人様の行う事に感情を持ち込むな、と。

 勿論アルベルトさんにはその様な嫌味な気持ちは無いのでしょうが。

「……私には難しいです」

「色々と悩むのも成長だよ。何も私の考えが絶対に正しくはない。自分の答えを見つける努力をし続けなさい」

 アルベルトさんはそう締め括り、私はいつの間にか籠一杯に詰まっていた衣類を上げました。

「……お父さんみたいな事言わないで下さいよ」

 振り返って、私のその言葉にアルベルトさんは大きく笑い、

「実質お父さんだよ」

 と最後に返すのでした。

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