第12話 国外逃亡(二回目)

「さあ、急いで着替えませんと」

「ちょっと待って。せっかくマインが贈ってくれたドレスなんだから、破いちゃやだよ」

「追われている身だと本当に自覚なさっておいでですか!?」

「分かってるけどさあ、」


 二階大広間のバルコニーから地上へ逃れたはずのアンジェリーナは、侍女に扮したオーロラと一緒に何故か三階の自室に戻ってきていた。

 実は彼女はそもそも逃げていなかったのだ。何故なら、最初にこの城に来た時の旅装に着替えるためである。さすがにドレス姿では逃げるどころか身体を動かすのにも支障が出るため、着替えてから改めて逃げ出す算段である。



 婚約破棄を宣言して派手に騒ぎを起こして、嘲笑うかのように逃げ出したアンジェリーナは、決して彼のことが嫌いだからそうしたわけではなかった。彼のもとで暮らすと自分の心にまた蓋をすることになる、だから彼女はそれから逃げた・・・・・・・だけ。

 うちに秘めた恋心と、自らに誓った想いとを天秤バランスにかけて、重かった方を選び取っただけなのだ。


 だから彼への気持ちは、彼からの気持ちは寸毫すんごうたりともおろそかにしたくはなかった。たとえそれで逃亡が困難になったとしても、彼女は微塵も諦めるつもりはない。

 なぜならばそれもまた、彼女の心が望んだことだったのだから。


「全くもう。甘々しさに反吐が出る勢いでしたわお嬢様」

「ちょ、言い方酷くない!?」

「あんな手酷いイチャイチャを延々と見せつけられるこちらの身にもなって下さい」


 傍目にはどう見ても真剣で本気の喧嘩にしか見えなかったはずなのだが、どうもオーロラにはイチャついているようにしか思えなかったらしい。


 階下からは騎士団や兵士たちが慌ただしく追手を組織する気配が漂ってくる。気配というか怒号が聞こえてきて、マインラートの怒り狂った姿が目に浮かぶようだ。

 そのことがアンジェリーナの心に悲しみを催させる。愛する人をあんな風に貶めるのは、決して彼女の本意ではなかった。


 だが、やれるだけのことはやったと胸を張れる。今夜のことは全てアンジェリーナの我儘が引き起こしたことであり、マインラートは婚約者から手酷い裏切りを食らった可哀想な男として、それ以上の瑕疵はつかないだろう。であれば、彼にはこれからまた良い出会いがあるはずだ。

 一方でアンジェリーナの方は、身勝手に一方的に婚約を破棄した我儘令嬢として名が広まることだろう。この先結婚など望むべくもなかろうが、それはそれで自分の心が招いたことなのだから、逍遥しょうようと受け入れるしかない。

 彼が幸せになれるのなら、自分の不幸など些細なことだ。だってそれが、それこそが私の望んだことなのだから。

 それこそが、私の、望んだ………


「…………お嬢様?」


 オーロラが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。


「ううん、何でもない」


 アンジェリーナは努めて明るい声を出した。



 しばらく悪戦苦闘して、ようやく彼女はドレスを脱ぎ終えた。本来は侍女数人がかりで着脱を手伝う正式なドレスだ。それをオーロラひとりでやらせたのだから、ふたりともよく頑張ったと胸を張っていいだろう。

 そうして休む間もなくアンジェリーナは旅装を着込み、片手剣ショートソードを手に取った。あの時マインが買って渡してくれた、これも大事な思い出の一品だ。

 そして仕上げに、ドレスを綺麗に畳んでベッドの上にそっと置いた。これは持ち去るよりも、彼の手元に残しておきたい。


 人目がないことを確認しながら、夜闇の城内を駆ける。城門には当然近寄れないから、なるべく門から離れた城壁の、見張り塔の死角になる位置を選んで素早く駆け寄った。およそ3ニフ4.8m程もある高い城壁を、よじ登って越えようというのだ。


 だが今の彼女には造作もないことである。大広間で発動させたサーヤ謹製のアンジェリーナオリジナル魔術は術式名を[全身強化フルドーピング]という。全身の筋肉、骨格、神経、腱を圧倒的に強化し、のみならず五感や脳の処理能力さえも超強化してしまえる、いわば反則チートの術式だ。これをもってすれば、この程度の城壁など笑いながら駆け上ることだって不可能ではない。

 そしてそんな魔術を用いていないオーロラにもそれは造作もないことである。彼女は元々東方世界に古くから伝わる“シノビ”の一族の出身で、それこそ物心つく前から命の危険を伴うような厳しい訓練を積んできている。単純な身体能力だけで言えば勇者すら凌駕して、人類最高レベルに手が届くところまで到達していても不思議はない。

 まあそんな彼女は、ある時任務中にうっかりして頭部に大怪我を負い、記憶を失くして数年彷徨った挙げ句に奴隷として西方世界まで売られてきたのだが。そしてそれを去年とある偶然からアンジェリーナに発見され買い取られ、これまた試行錯誤の偶然から記憶を取り戻すことに成功し、それで今に至っている。


 そんなことはさておいて、難なく城壁を乗り越えたふたりは一路南を目指す。きっと追手は彼女たちが船を奪って北岸から外洋に逃れると踏んでいるだろうし、南へ向かうことは追手の裏をかくだけでなく、本来の予定目的地だったエトルリアやスラヴィアに向かうことにもなる。


「あ、でも路銀どうしよう」


 なにしろ追手はブロイスの皇弟である。その気になればブロイス国内の金融ギルドの口座凍結くらいはやりかねない。


「そんなこともあろうかと、ここに」


 オーロラが懐から重たそうな小袋を取り出した。今の彼女はどこから調達したのか、普通に武器と鎧を装備した冒険者の身なりである。その胸当てブレストの隙間から彼女は小袋を取り出したのだ。

 あっこのくそう、人よりちょっと谷間が深いからってこれみよがしにそんなとこにしまい込みやがって!チキショウ!羨ましくなんかないやい!


 ともあれこれで当面の懸念は解消された。あとは手配が回りきる前に、速やかにブロイス国境を越えればそれで終わりである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「うわああああああん」


 深い森の中、オーロラにおぶわれたアンジェリーナが人目も憚らず大泣きしている。

 とはいえ、人の気配などない森の中だから誰に見られる心配もないが。


「いい加減泣きやんで下さいお嬢様」

「む〜り〜!もうやだぁおうちかえる〜!わああん」

「…………ああもう。だから[全身強化フルドーピング]は厄介なんですよ……」


 どんな魔術にも持続時間というものがある。それを過ぎれば術式の効果は消え去り元に戻ってしまう。術式によっては元の状態よりも酷くなることもしばしばだ。

 そして、術式の効果が高ければ高いほどそれは顕著になるもので、ややもすれば手酷いデメリットを伴うことさえある。リスクを負わねば高い効果など得られるべくもないのだから当然だ。


 というわけで[全身強化]の場合、術式の効果時間が終了すると、その瞬間から効果時間と同じ時間分だけ効果が反転・・・・・する。つまり全身も五感も脳も全てが著しく弱体化するわけだ。元よりこの術式は、全身の全ての機能を無理やり数倍にまで引き上げる強烈な術式である。当然、その反動も並みの術式の比ではなかった。

 だから今のアンジェリーナは実質5歳児に等しい。知らない土地が怖くて、全身が痛くて、頼れるおとうさまもおかあさまもおにいさまも誰もいなくて、それで辛くて心細くて泣いている。


 [全身強化]のデメリットを身をもって・・・・・知っ・・ている・・・オーロラは、背中で泣き続ける彼女をあやしながらため息をつく。せめて彼女が復活するまで、追手に見つかりませんように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る