第13話 『たったひとつ』の別れ道
「ようやく見つけましたよ」
そう言って微笑むオスカーは、騎士鎧に騎士剣を佩いて泰然自若に佇んでいる。
「まさか追いつかれるとは思わなかったわ」
対するアンジェリーナもまた、自然に力を抜いて立っている。
互いに程よく脱力し、いつでもどうにでも動ける態勢を崩していない。
「そちらこそ、まさか南へ逃げるとは思いませんでした」
「だって私、元々エトルリアに行くつもりだったのだもの。わざわざ海から遠回りするくらいなら最短距離を選ぶでしょう?」
「なるほど、確かにそうですね」
場所はブロイス南部の平原地帯。
ここはかつて、天から神罰の光が降ったとされ、長らく生物の棲めない荒野だった場所だ。だがそんな土地にも人類は住処を求め、何世代も苦心しながら入植を進めて、今ではそれなりに人の住む街が出来上がっていた。
ここからさらに南へ進めばブロイスの南部国境、そしてアウストリー公国とエトルリア連邦との国境地帯へと至ることができる。
つまり、アンジェリーナとオーロラはあと少しで逃げ切れる、というところで追いつかれてしまったわけだ。
とはいえアンジェリーナは、ちょっとだけ喜んでいる自分を自覚していた。だって目の前には。
「今一度問うぞ。大人しく戻ってくるつもりはないんだな?」
オスカーの隣に立っているマインラートが低い声で問うた。
彼の目には未だに怒りが宿っていて、だがあれからやや日数が経っているせいか、それなりに理性を取り戻しているようだ。
「今さら戻ったら、あの日のあれは何だったんだと悪い噂が立つでしょうね」
ていうかあの時あれだけハッキリと突きつけてやったのに、まだ私のこと縛り付けるつもりなのねこの人は。
「何度だって言うけど、私は誰にも縛られるつもりはないの」
もうこうなれば、全てを明かしてしまおうか。
アンジェリーナの脳裏にそんな自暴自棄とも思える気持ちがよぎる。前世で他人に縛られた挙げ句に心を病んで自殺したのだと聞かせれば、彼も少しは躊躇ってくれるかも知れない。
だが、それを信じてもらえるかは分からない。この世界で“前世の記憶”を話す者が稀にいることは知られてはいるが、そういう人たちが語る内容はただのひとつも真実だと確かめられたものがない。つまり、「信じるか信じないかは、あなた次第」というわけだ。
「私の一体どこが、お前を縛り付けるというのだ」
「だって『何もせず傍にいろ』って言ったじゃないの」
「それの何がおかしい?」
「分かんないの?自由にのびのび過ごしたい人間に、じっとしていろ動くなと言ったも同然よ?そんなの我慢できる訳ないでしょう?」
例えて言うなら、猫に首輪と紐をつけて庭に繋ぐのと同じことだ。それが犬ならば何ともないだろうが、猫にはそれは拷問に等しいストレスになるのだ。
つまり愛し方も繋ぎ止める方法も、
それだけはアンジェリーナには我慢がならない。他の全てが満点でも、そのたった一点のみが受け入れられないから彼女は彼のもとから逃げたのだ。
「俺を愛していると言ったのは嘘なのか」
マインラートの表情が不意に歪んだ。
「あ、それは本当」
「ならばその程度、何故我慢できぬのだ!」
「どれだけ好きでも、耐えられないことってあるのよ」
マインラートは応えない。
きっと彼の中では、手の内に包んで身動きも取れないほど束縛するのが『愛している』ということなのだろう。
でも、それではアンジェリーナは満足できない。
それだけは受け入れられない。
「愛しているわ、マインラート」
満面の笑みで、彼女はそう言った。
「たとえこの先、私たちが殺し合うことになったとしても、あなたが私を愛して、私があなたを愛した事実は変わらないわ。それだけは『真実』だもの」
「そんなもの、何になる!手に入れられない『真実の愛』など……!」
「手に入れられなかったものほど、強く美しく輝かしくなるのよ」
それはあたかも前世であれほど渇望した
あたかも今世で熱望する自由のように。
「…………ハッ。それが真実の愛とやらの『真実』か」
「んー、それはどうか私にもちょっと分かんないけど」
「お嬢様、そこは嘘でも肯定すべきと思いますが」
頬に指を当てて小首を傾げたアンジェリーナに、それまで後方に控えて黙っていたオーロラのツッコミがすかさず入った。
「いいのよそんなの。知ったかぶりしたって始まんないし」
「お嬢様はもう少し上手に嘘をつくことを覚えるべきですね」
そうすればここでこんな不毛な問答をせずとも逃げ切れただろうし、そもそも彼に拉致されることもなかっただろうに。そう溜め息をつくオーロラであった。
でもまあ、そんなのはもはやお嬢様ではない気もしますけれど。
「と、いうわけで」
アンジェリーナが両手をパン、と叩いた。
「改めて私たちは逃げるから。お見送りありがとうね!」
「何を……逃がすわけがないだろう!」
てっきり彼女が踵を返して逃げ去ると思ったマインラートは、自身の最速の反応をもって足を踏み出した。
否、踏み出そうとした。
だがその動きは、不意に胸の中に飛び込んできた質量を持った何かに物理的に止められてたたらを踏む。何かが胴に巻き付きギュッと締め上げられるその感覚に驚いて見下ろすと、そこには自分の胸に顔を埋めたアンジェリーナの姿があった。
「お、おい……」
「愛してるわ、マインラート」
「何を言って……」
「本当よ、大好き」
「だから、何を……!」
「愛してるって言って?」
上目遣いに懇願され彼は鼻白む。
「それとも、もう愛してない?」
琥珀色の瞳が悲しみを帯びる。
それが彼の心をギュッと絞り上げ、言い表しようのない苦しさを味あわせた。
「そんなわけが、愛してないわけがないだろう!」
「ホント?」
「当たり前だ!でなければわざわざこんなところまで追ってきたりするものか!」
「じゃ、一緒に逃げて」
「……………………何だと?」
「一緒に逃げればいいじゃない。
私は何よりも自由が欲しい。あなたは何よりも私との愛が欲しい。ならそのふたつを両立させるために、あなたも一緒に逃げればいいのよ」
「………………。」
「地位も権力も富貴も名声も、責任も義務も将来も、何もかも捨てて愛だけ選べばいいのよ。
そうしてふたりで冒険者を続けながら、世界中を旅するの。きっと楽しくて幸せな日々になるわ。あなたもそう思わない?」
抱きついたまま、胸元から真剣な目で見上げてそんなことを言う彼女に対して、マインラートは応えることが出来なかった。
そうしたい気持ちは無いでもない。だが彼には背負うものがあまりにも多すぎた。
「…………無理だ」
「でしょうね」
お互いに、たったひと言。
だがそれだけで、何故彼女が自分の元から逃げたのか、それを彼が理解するに余りある説得力を備えていた。
全てを捨ててでも『たったひとつ』を選べる彼女と。
全てを捨てられずに『たったひとつ』も選べない彼。
そんなふたりが一緒になれるはずなど、そもそも最初からなかったのだ。
「無理、なのか」
「無理ね」
彼女がスッと身を離す。
彼の腕は、それを引き止めることができなかった。
不意に、彼女が腕を回して彼の首に抱きついた。
彼の唇に、優しく柔らかいものがそっと触れ、そして離れていった。
そして、彼女は彼の前から
『さよなら、愛しい人』とひと言だけを残して。
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