第8話 ハノヴェル城での日々

「……………………なんで今日もいるの貴方?」


 朝食室に入ると、当たり前のようにマインラートがそこにいる。


「私は何かと忙しい。朝食の時くらいしかそなたと一緒にいられぬと申したはずだ」


 そして彼は澄ました顔で、席に着くよう私を促す。

 なんなのもう。これで3日連続なんだけど!?



 あの翌日に予定されていた“お披露目の夜会”は結局お流れになった。侍女たちは気まずそうにしながらも誰も準備しようとせず、だからアンジェリーナも何食わぬ顔でそのまま夜を過ごした。

 マインラートもオスカーも、それから城の使用人たちも警護の騎士たちも、最低限の人数を除いて見当たらなくなっていたので、きっと夜会の方へ駆り出されたのだろう。

 ま、出るつもりのなかった彼女には関係のないことである。


 そしてその翌日。

 朝食室へ足を運ぶと、そこには疲れた顔のマインラートが座っていたのだ。「これから朝食は、可能な限りそなたと共にしたい」と、そう言って。


 そりゃまあ独りで取る朝食はそこはかとなく寂しかったですけどね?だからって同席を許したつもりもないし、そもそも私まだ怒ってるんですけどね!?

 全くなんなのよもう。謝らないまま一緒の時間を増やして、それで何となくウヤムヤにしようとか、そういう魂胆なんじゃないでしょうね!?それ典型的なダメ彼氏が好んで使う手口ですからね!?


 ともあれ、どれだけ押し問答しても彼が退散する気がないのは初日でもう身に沁みている。なのでアンジェリーナも渋々と席に着く。

 互いに神教しんきょうの感謝の祝詞を口にして、それから朝食を始めた。



 彼女はあの日、やはり逃亡を選択しなかった。彼に自分のしでかしたことを突きつけるだけ突きつけておいてそのまま逃げる選択肢もあったのだが、というかオーロラはそれを勧めてきたのだが、何となくそのまま彼と今生の別れをするのが惜しいと思えてしまったのだ。

 何しろ彼女は彼のことをまだよく知らない。知っているのは公開されている情報の他は『冒険者マイン』としての姿だけだ。他に女がいるのか、帝国内での彼の立場はどうなのか、そもそもなぜ皇位継承者のひとりでありながら冒険者などやっていたのか。

 何も知らない。だから知りたいと思ってしまった。知的好奇心が旺盛で、知らないことを知りたがる彼女の悪い癖が出てしまったと言えよう。


 ま、彼女自身に言わせれば「ほら、彼には彼の事情もあるだろうし?弁明の機会も与えないっていうのはフェアじゃないっていうかさ!」だそうだ。

 それを唯一聞いたオーロラは、小声で「絆されてるじゃないですか……」と呟いたが、幸か不幸か彼女の耳には届かなかった。



 朝食を終えるとマインラートは執務室へと去っていった。どうもこの一帯の領主を任されているようで、領内の治安維持、領民からの陳情対応、社交界での応対、街道の整備や産業の振興など、細かいところまで自ら目を光らせているらしい。

 というのはアンジェリーナに付けられている侍女たちから得た情報である。例の一件以降、皇弟殿下と“婚約者さま”の間にものすごく深い認識の齟齬があることは城内の全員が知るところとなっていて、それで誰も彼もが殿下の人となりを聞くまでもなくアピールしてくるのだ。


 なんだ、愛されてるじゃんマイン。

 ていうかそれなら尚更冒険者なんてやってる暇ないじゃないの!真面目に働け!


 というわけで彼女は逃げられなくなった。あれから試しにもう一度単独で脱走を試みてみたのだが、案の定即座に発見された上に寄ってたかって「殿下をお見捨てにならないで下さい!どうかお願い申し上げます!」と懇願されて、予想外の展開に困惑したまま連れ戻されてしまったのだ。

 おかげで今、彼女は若干フラストレーションが溜まりつつある。だって彼女は自分の望むままに自由に生きたいのだ。こんなふうに誰かの思惑に縛られるなんて、それを彼女が望むはずもなかった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 鬱屈した気持ちのまま、やることもないので彼女は城内を散策する。さすがにこのハノヴェルもすっかり温かい日が続くようになって、本格的に花季はるの訪れを感じさせる。城内の木々や庭園の草花も咲き始め、あ~そろそろ学院も卒塔のシーズンだなあ、などと思ったりもする。

 今年誰が卒塔するんだっけ?サーヤちゃんは去年卒塔しちゃったから…………あ、私一年生とあんま交流してないや。まあ毎日の授業について行くので精一杯だったしね!


 訓練場では騎士たちが鍛錬に精を出していた。鍛えられたマッチョたちが上半身裸で、一糸乱れぬ統率の取れた動作で型稽古に励んでいる。

 おおう、これは何とも壮観。うちの領の領兵たちでもここまで鍛えられてなかったぞ。

 盛り上がった筋肉が躍動するたび、むわりと湯気が上がるのが遠目からでもよく分かる。暖かくなってきたとはいえそこはやはり北部のブロイス、しかもハノヴェルはブロイスでも北の方に位置する街だから、身体を動かして体温が上がれば汗とともに湯気が出るのだ。

 いやしかし、本当に鍛えられてんな。さすがは質実剛健のブロイス騎士だこと。特に前列右から3番目の優男なんて顔に似合わぬ締まった身体で……じゅるり。


 ………………はっ!?いけない、つい見惚れてしまったじゃないの!ダメよそんなはしたない、私はこう見えてもまだ男を知らぬ・・・・・・・伯爵家令嬢なんですからね!?


「訓練を見たいのか?」

「うゎひゃあ!?」


 突然、後ろから声をかけられ魂が消し飛びそうなほど驚いた。

 慌てて振り返るとすぐそこに、いつの間にかマインラートが立っている。


「でっでっででで殿下!?いいいいつからそこに!?」


 ていうか気配消してたでしょ!?暗殺者かオマエ!


「ん……?ああ、済まない。つい癖でな」

「そんな変な癖、すぐに直して下さい!」


「いや、それがそうもいかなくてな」

「なんで!?」

「“暗殺避け”だ」


 ああ〜そっちかぁ。暗殺者に居所を察知されないために気配消さなきゃなんないのか……。


「閲兵したいのならこんな所で覗き見してないで、観覧席へ行けばいいだろう」


 皇弟殿下の置かれた微妙な立場に思いを馳せていると、マインラートがそんなことを言ってきた。


「そのほうがあ奴らも気合が入ると⸺」

「いやオトコのハダカが見たいわけではありませんことよ!?」


 テンパり過ぎて言葉遣いがおかしくなってしまった。決してガチムチの肉体美に興奮していたわけではない。

 ない、はず。


「……見たいのか?」


 だがそう問われては、思わず言葉に詰まって赤面するしかない。


「見たいだけならば、夜毎にでも私が見せてやるが?」


「は?」

「見るだけでなく触れてもかまわんぞ」

「…………は!?」


 いや何言ってんのコイツ!?


「けけけ結構です!そんな不潔・・を働くわけには参りませんですことよ!?」


 自分でも何言ってるか分からないことを口走りながら、アンジェリーナは走って逃げ去って行った。その後ろ姿を見ながら、


「俺は、お前だから触って良いと言っているのだがな……」


 と呟くマインラートであった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 その後もアンジェリーナとマインラートは城内の各所で遭遇した。領主の執務で忙しいと言うわりに彼は城内のあちこちを動き回っているようで、やることもなく散策を続けるアンジェリーナと顔を合わせることが増えていた。

 もしかしてストーカーされてるのではないかしら、とアンジェリーナは思わなくもない。例の夜会の前までは彼は会わないと言っていて本当に出会わなかったのだから、今よく鉢合わせるのは彼が意図的にそうしているのだとしか思えなかった。

 そして、出くわすたびに何故か彼の雰囲気が柔らかくなってきている気がする。気付けば微笑みかけられていたり、不意に頬や髪を撫でられたり。『冒険者マイン』にはたまに見つめられることはあったが、こんな風に甘く触れられたことはなく、彼を含めて家族以外の男性とは距離の近い付き合いをしたことがない彼女は、その変化に戸惑うしかない。

 しかも前世で恋人がいた彼女には、彼のその態度が何を意味するのか解ってしまっている。


 それでも、たまに2、3日ほど会わないことがある。それとなく侍女たちに確認すると、そういう時は領内に視察に出ていて城内にいないのだという。ちゃんと仕事やってんならいいけど、と思いつつもアンジェリーナは釈然としない。

 彼のことはともかく、働きもせずにただ養われているだけの自分の現状が、どうにも彼女にはむず痒かった。

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