第6話 彼の正体は

 衣装合わせを終えて平服に戻ったアンジェリーナは、することもないのでぶらぶらと城内を探索することにした。幸いというか軟禁されているわけではなく、城内ならば出歩くのは自由だったため、単純に初めて訪れた場所への興味もあって彼女は時間の許す限りあちこちへと足を運んだ。


 厨房では多くの料理人たちがせっせと下拵えに精を出していたし、広い庭のそこかしこには庭師の働く姿も見える。厩舎には様々な種類の脚竜や馬が何頭も繋養されていたし、馬車も脚竜車も何台もあった。

 廊下を歩けばすれ違う使用人や従僕たちはみな脇へ避けて頭を下げてくるので、何だかちょっと自分が偉くなったみたいだ。ていうかこの反応は、この人たち全員が私が誰で何のためにここにいるのか知ってる、ってことよね。私だけが解ってないのって、なんかちょっと不公平じゃない!?


「ねえ」


 廊下の隅で頭を垂れる歳若いメイドに声をかけてみる。


「は、ひゃい!?」


 声をかけられると思ってなかったようで驚かれた。


「マインってさ、あなた達にとっていいご主人様?」


 一瞬、何を問われたのか分からないようにボケッとしていたメイドは、問いかけを理解するとしどろもどろになって答えはじめた。


「あ、はい、その、殿下・・はとっても素晴らしい御方で……」


(ほほう。アイツ、殿下なんて呼ばれるご身分なのね)


 アンジェリーナは頭の中で素早く貴族名鑑と照合する。彼女の脳内には西方世界各国の主要な貴族の名前と爵位がバッチリ記憶されている。

 殿下というくらいだから皇族だろう。ブロイス皇族で年齢の合いそうな人物は数人いるが、その中に名前がそっくりな人物がひとりだけいる。それは最初に会った時に思い浮かべた名前で、いやいやそんな安直な、それはナイ、と候補から除外した名前だった。

 ていうか正体隠す気あんのかアイツは!まあ人のこと言えないけどさ!


「私どものような下々の者にまで親しくお声がけ頂いて、大変良くして下さる素晴らしい御方でございます!」


 最初は私への心象を良くするためにアピールさせてるのかと思ったけど、どうやら彼女は本心から言っているらしい。メイド娘のうっとりした顔からアンジェリーナはそう判断した。

 彼の性格がいいのは今までの付き合いで分かっていたことだが、どうやらそれは作ったものではないと分かって何故かホッとする。少なくともストーン侯爵のように権力を傘に着て傍若無人な振る舞いをするような男でないのは評価点だ。


「ここってさ、訓練場とかある?」

「あ、はい。中庭から裏庭に抜ける通路がございまして、ここから向かうにはそちらをお通りになるのが近いかと存じます。表の方からでしたら厩舎の前からも行けますけど」

「ん、分かった。ありがとう」


 アンジェリーナはそう言ってメイドと別れた。どうやら彼女は最後までご主人様の本名のヒントを洩らしてしまったことに気付かなかったようだ。



 メイドに教えられた通りに中庭へ出て、そこから裏庭へと回る。少し行くと城壁に囲われた何もない広い敷地に出た。どうやら訓練時間ではないようで、そこには誰もいなかった。

 チッ。上手く行けばアイツが部隊と一緒に訓練してるかと思ったけど、そうは問屋が卸さないか。


 誰もいないなら用はないので、再び建物内に戻る。外へ出てみて分かったが、花季はるだというのに随分と肌寒い。そういうところも彼女の中でこの城の位置把握の確証のひとつになった。

 そう言えば厨房では岩芋ジャガイモの皮むきがやけに多かったな。それに麦酒ビールの匂いが強かった。

 うん。間違いないね!ブロイス北部の古都ハノヴェルね!そしてここはブロイス皇族の離宮として名の知れたハノヴェル城!


 いやーそっかぁ、私とんでもないお方に目をつけられたもんだわ…………。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 夜、与えられた自室で静かにお茶を飲みながら過ごしていると、慣れた気配が部屋の隅からかすかに漂ってくる。

 来るかな、と思って人を遠ざけておいて良かった。


「いいわよ、出てらっしゃい」


 私がかけた声に応じて姿を現したのは、案の定オーロラだった。


「よく忍び込めたわね、ここブロイス皇族のお城なのに」

「さすがに造作もなく、とは参りませんが、お嬢様のおわす所には万難を排して参上する所存でございます」

「さっすが私のオーロラ。頼りになるわ」


 私が笑顔になって、それを受けて彼女もかすかに微笑む。

 んーまだ笑顔が硬いなあ。まあ無理もないか、去年まで奴隷だったんだし。


「しかしさすがお嬢様。もう下調べはお済みでしたか」

「まあね。城内は自由に歩けたから、手掛かりなんていくらでも手に入ったし」


 厩舎の馬車や脚竜車の車体に見えた家紋、厨房から見える食生活の様子、無駄なものが一切ない訓練場。使用人たちはみなブロイス公用語の北部ゲール語を話していて、北部特有の寒冷な気候、そして何より主であるマインが殿下と呼ばれている事実。さらには彼が皇族の離宮を我が物のように使っているという現実。

 それだけ揃えば、そしてブロイス貴族が把握できていれば誰でも分かる。


 マインラート・フォン・フォーエンツェルン・ブロイス。それが彼の本名だ。ブロイス帝国の先代皇帝フリードリヒ四世の第三皇子にして現皇帝ヴィルヘルム三世の義弟、いわゆる「皇弟」として皇位継承権を持つれっきとした皇族だ。

 そして彼は〈賢者の学院〉669年度“力の塔”の卒塔生。席次は確か15席だったかな。つまり先輩だ。

 私の入塔の前年卒だから、私が見たことがなくて当然だった。もっと歳が近いかと思ってたけど4歳差だったのね。


「それでお嬢様、いかがなさいますか?」

「そうねぇ……」


 正直な話、オーロラがいれば逃げ出すのは簡単だ。仕込んだ私が言うのもなんだけど、体術にかけてはこの子は私より強いから。

 でも、ただ逃げただけでは彼はきっと諦めないだろう。やるなら徹底的に、これはもう無理だと思わせないと逃げ切れない。

 でもそれはそれとして、このまま彼の妻になるのもアリと言えばアリ。だってそうすればブロイスの内情は私を通してダイアナ陛下に筒抜けになるわけだし、陛下のことだからきっとそれを望んでるような気もするし。


 ただまあ、ね。

 なんというか、ね。


「しばらくは様子見ですか」

「う〜ん、まだちょっと決めかねてるわ」

「畏まりました。ではオーロラは引き続きお傍におりますゆえ」

「うん。私が仕掛ける・・・・ときは合図するわ」

「御意。お心のままに」


 オーロラはそう言って、現れた時と同じく音もなく消えた。

 本当に、何回見てもどうやってるのかサッパリ分からん。東方由来の“シノビ”の技だってのは分かるんだけど…………今度教えてもらおうかなあ?

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