第5話 一難去ってまた一難

「…………………………あのさあ。」


 不機嫌な表情を隠そうともせずに、アンジェラは部屋に入ってきた騎士服姿のオスカーを睨みつけた。


「なんで私、ドレスこんなもの着せられてるわけ?」


 彼女の今の姿は豪奢なイブニングドレスである。胸元は純白、それが足元に下りるに従って鮮やかな朱色に変わる見事なグラデーションのエンパイアラインのドレスで、腰回りや裾はドレープやリボンで飾られ精緻な金刺繍が施され、その中に散りばめられた様々な宝石類が煌めいている。肩と背中は大胆に露出していて、腕は純白の長手袋に覆われている。

 ドレスも手袋も、素材は東方世界から輸入されたと思しき本絹の手織りだ。表地だけでなく裏地までそうで、ドレスの胴の部分は柔らかな綿裏地がさらに縫い付けられている。しかもサイズが測ったようにピッタリだ。測られた憶えもないのに。

 どう見てもオーダーメイドの一点物で、しかも最上質の仕立てである。製作にいくらかかったのか想像もつかない。とてもではないが、しがない伯爵家令嬢が着ていい代物ではないはずだ。


 髪型はハーフアップにまとめられ、ふんわりと背中側に流されていてネットをかけられ、そこにも色とりどりの宝石類が散りばめられている。

 アンジェラは髪を襟足の所までで短くカットしていたので長さが足らず、だから今の彼女の頭はウィッグで水増しされていた。本来は黒髪だが、黒のウィッグはなかったらしく褐色ブルネットのウィッグを当てられていて、だからぱっと見は茶髪に染めてから時間の経った黒髪のように見える。

 それを周りで甲斐甲斐しく動き回る侍女たちにせっせと飾り付けられ、口々に「お似合いですわよ」「とっても素敵」「お美しいですわ」などと囃し立てられたって、置かれた状況に納得がいかないままでは気分が上がるわけもない。


「まあそう仰らないで下さい。アンジェリーナ様のお披露目の夜会のために仕立てられたドレスですので、主役を着飾らせないわけにはいかないのです」


 申し訳なさそうにオスカーが言う。


「だから!私の“お披露目”って一体なんなの!?」


 実際、アンジェリーナには訳が分からなかった。これではまるで、婚約披露みたいな雰囲気ではないか。



 アンジェリーナ、いやアンジェラはマインとオスカーとともに夜通し駆けて、夜が明ける頃には海岸線にたどり着いた。そこには港はなく、ただ一隻の船があるだけだった。

 寝ていないのでだいぶ疲れていたし、思考能力も若干落ちていたかも知れない。予想以上に大きな立派な船で、思った以上に多くの船員が乗り込んでいたのをさすがに訝しんだのだが、マインに「この船は俺の仲間だ。心配いらないからまずは食事でもして、それから一眠りするといい」と言われて船室を宛てがわれて、まあ彼の仲間ならそこまで警戒することもないか、と深く考えることもなく出された食事を平らげて眠りについたのだった。

 起きたときには陽神たいようはすでに中天に差し掛かっていて、船窓からは遠くに陸地が見えていた。食事を持ってきたマインに「あれが目的地だ」と言われ、空腹に負けて食事をパクついているうちに港へ入ったらしく、彼に連れられて船を降りた。


 降りた先には何故か豪奢な脚竜車が待っていて、訳もわからないうちにそれに乗せられ、気がつけば尖塔をいくつも備えた立派な古城に連れ込まれていたのだ。

 マインに問い質しても言を左右に誤魔化すばかりでまともに教えてもらえず、オスカーも苦笑するばかりで、彼女はすっかり疑心暗鬼になっていた。拉致されかけたところを助けてもらったのかと思いきや、別の拉致に遭ったとしか思えない。こんな事ならさっさと逃げておけば良かった。



 とはいえ、アンジェリーナも年頃の女子である。綺麗なドレスには純粋に心が踊ったし、それを着せてもらえると知って「まあそれくらいは」とも思ったし、出される食事は上質で美味なご馳走ばかりだし、浴室も広くて豪勢で見たこともない香油が好きなだけ使えて、そういった明らかに普段の生活水準より上の体験ができる状況を、ちょっと楽しんでる自分がいることも自覚していた。

 それに冒険者としても個人としても信用の置けるマインが連れてきた場所なのだし、差し当たって敵意や危険も感じなかった。むしろ城の侍女たちや使用人たちから何やら温かい目で歓迎されて、面映ゆくすらあった。

 そんなこんなで気付けば何日も逗留してしまっていた。何となく逃げるタイミングを逃してしまったとも言える。



 その結果、何故かお披露目とやらの夜会に出席させられる羽目になったわけである。今着ているこのドレスもそれはそれは心が踊ったものだが、よく考えればマインの瞳の色だし、金刺繍は彼の髪色と同じだ。

 ってことは何?私、彼の婚約者扱いなの!?


「ていうか“アンジェリーナ様”ってなに!?」

「貴女がグロウスター伯爵家の次女アンジェリーナ様であることはアルヴァイオン国内にて調べをつけてございます。どうか何も仰らず、マイン様のお側に侍して頂きとうございます」

「…………ねえ、薄々分かってた事なんだけど、やっぱりマインはどこぞのお貴族様で、オスカーさんはその従者か護衛、ってことで合ってる?」

「左様でございます」


 アンジェリーナは天井を見上げて嘆息した。うっかり信用したばかりに、このままでは貴族の妻にさせられてしまう。

 いやまあね?何となく分かっちゃいたけどさ。だいたいマインのやつ、言葉遣いが綺麗過ぎるのよね。顔も声も立ち居振る舞いも洗練されてたし、装備は偽装してたけどどれも仕立てのいいモノばかりだったし、なんかこう、ボンボンの匂いがしなくもなかったのよね。

 まあそのイケメンっぷりにちょっと靡いちゃって遠ざけなかった私が悪い、って言われればそうなんだけどさ。


「で?そのマインはなんで顔を見せないの?」

「マイン様はエスコートまで楽しみに取っておくと申されまして。ですので明後日の夜まではお会いになりません」

「…………………………あっそ」


 くそう、顔を見せたら絶対問い詰められると解ってて逃げてやがるな。これは夜会の当日その時間まで絶対捕まらなそうだ。

 しかも箝口令が完璧で、オスカーさんは元より侍女も従僕も使用人も誰に聞いても、彼の正体はもちろんここがどこか・・・・・・すら明かしてもらえない。さすがに話し言葉からブロイスの国内であることは分かったが、それだけだ。そして逃げようとしても立ちどころに見つかって連れ戻されるだろう。ていうか一度試して本当にアッサリ捕まったから、二度目のチャンスはきっと薄い。


「もういいわ。顔も見たくないって伝えておいて。それと貴方ももう来なくていいわ」


 不機嫌全開でソファに腰を下ろしてしまったアンジェリーナに、オスカーはまだ何か言い訳したそうだったが、これ以上はもっと怒らせるだけだと判断したのか、一礼してすごすごと引き下がっていった。

 周囲では侍女たちがスカートにシワが寄ると青ざめて騒いでいたが、アンジェリーナは全く意に介さなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る