第二章「尊厳殺し」
第五話 首塚十一朗 (くびづか・じゅういちろう)
「仕留めたって……」僕は愕然とした。
「獄門くんのことを殺したの? リサちゃんが?」
リサは目を細めて、小さく息をついた。そしていつものように部屋の隅に座って、ジャンプの山に手をかける。でも、読みはしなかった。
「私が殺すのは人間じゃない。だから、厳密には『人殺し』じゃない。あした、獄門路九郎に会ってみればいい。彼は生きているし、元気だから、だから、大丈夫」
「……そういう問題、なの?」
「殺人鬼組合も彼のフォローに動きはじめている」
リサは僕の問いには答えず、眠たそうに言った。時刻は夜の七時を回っていた。リサは学校を早退してから今の今まで一体何をやっていたというのだろう。彼女の伸びた前髪も、襟足も、現実のものとしてそこにあるのに、彼女の言葉だけ、僕の現実を上滑りしていく。つるつると。
「私の殺人は殺人障害を治癒させるものではない。だから、彼がまた殺しを行う可能性は、ゼロじゃない。可能性を限りなくゼロに近づけるのが、私たちの仕事。……私の、仕事なんだよ、知介」
「でも、殺人はよくない、よ。……僕みたいに倒れるかもしれないんだろ」
「うん、よくない。でも仕事なの」
リサは瞼を下ろした。僕はそんなリサに畳みかけた。
「殺人以外に方法はないの。殺人障害と、殺人鬼を何とかする方法はないの? 例えばその、組合とかがあるんでしょ。組合を通して話をして、殺人をしないようにしてもらうとかさ」
僕は必死に考えて言葉にした。「例えば、殺人をしないよう約束してもらうとか、代替案は」
「そんな方法はない」
リサの目が開く。のぞき込む僕をまっすぐに見つめる。
「ないよ」
僕はその視線に黙らされてしまう。リサは「私の仕事」と言った。ということは、これまでも、そしてこれからも、彼女は――きっと。僕の知らないどこかで、僕の知らないいつかも、こうやって人の「なにか」を殺してきたんだ。僕はその「なにか」すらしらないわけだけれど……
「リサちゃんは、殺人鬼、つづけるつもり」
「もちろん、仕事だから」
「僕は、いやだな」
僕にそんなことをいう権利はないのはわかってる。でもどうしてもいやだった。リサちゃんが、自分の意志で、自分の手で、誰かに手を掛けるのが我慢ならなかった。僕にリサちゃんの全てがわかってるわけじゃない。仕事とか、組合とか殺人鬼とか、聞きかじったばかりの、嘘か本当かわからないような話を、全部信じたわけでもない。でも。
「リサちゃんに殺人なんかしてほしくない」
リサは微笑で答えた。
「殺人鬼でごめんね、知介」
それはあきらめにも似た表情だった。
その時、玄関でチャイムが鳴った。母親が出たらしく、階下で物音が聞こえてくる。何事か話す声がきこえたあと、「しろうすけー!」と呼ぶ妹の声が響き渡った。
「う、うるせー、なんだよ
「警察来てるよ。知介に用があるって。いったい何やったの? 万引き? 万引き? それとも万引き?」
なんで万引き一択なんだ。ぐちゃぐちゃにまくしたてたあと、我が妹十一朗はリサの存在に気づいて態度をころっと変える。
「あ、リサちゃんこんばんは。なんか食べていく? 今日カレーなの」
「家でも夕飯作ってるから大丈夫だよ、ありがとう、十一朗ちゃん」
なんだか知らないがこの二人は仲がいい。僕のあずかり知らないところでちゃっかり距離を詰めている十一朗。ああ、十一朗。その社会性を僕にも分けろ。
十一朗が僕の部屋に押し入って、リサとなごやかに話し始めたあたりで、僕は階下へ降りていった。
玄関先には二人の警察がいて、一人は若かった。僕はその若い警察官が、事故の時に切符を切っていたことを思い出す。もう一人は、どっしりとした体格の年かさの刑事に見えた。眉が濃い。
「ひょっとして、交通事故のことですか?」
「ああ、話が早い」
年かさの刑事が答えた。若い警官は黙ったまま、困惑したように立ち尽くしている。彼らは母や十一朗にそうしたように、僕にも警察手帳を見せた。警察手帳見せられるのなんか人生初かもしれない。
「で、交通事故のことでなにか……?」
「……覚えていますか?」若い警官が口を開いた。
「君と接触事故を起こした、人物の顔を、覚えていますか?」
「あっ」
僕は口元を覆った。ぐるぐるする頭の中を整理していく。あの時、女性は免許を持っていなくて。身分証明書も持っていなくて、あの時、あの女性は……。
「女の人でした。若かったような……」
「そう、そうですよね」と若い警官が頷く。「太っていたとか痩せていたとか、髪の毛が長かったとか何色だったとか、何色の服着てたとか、覚えていますか? 情けない話なんですが、俺、全然思い出せなくて……」
「こいつ、ずっとこの調子なんですよ」と年かさの刑事がため息をついた。
「自分の担当した案件の容疑者の顔を忘れるなんて」
「すみません……」若い警察は小さくなっている。切符を切っていた時の態度とは別人みたいだ。
なるほど、手がかりを求めて、僕のところに来たわけか。でも、無駄足だったみたいだ。
「えっと。すみません、僕もわかりません」
「本当に?」
刑事が疑るような目をむける。僕は頷いた。「何一つ思い出せません」
本当だった。女性だったこと、若かったこと、それ以外の記憶がない。――髪の毛は長かったか、短かったか? 太っていたか痩せていたか? 髪の色は? 何一つ覚えていなかった。
「女性だったことしか。あと若かった気がします」
「……うそをついても、何もいいことないぜ、坊ちゃん」刑事が腕組をした。しかし僕は首を横に振るのみだった。
「本当に覚えていません」
刑事がため息をつき――ふと、僕の後ろをみた。そして声を上げる。
「あ、きみは、
僕も振り向いた。そこには、十一朗のヘアピンで前髪を留めたリサが立っていた。
「その案件、組合で預からせてもらっても構いませんか。ちょうど明日、エリアマネージャーがこちらへ来る予定があるので、共有させていただいても?」
刑事は横柄な態度を引っ込めて頷いた。リサもうなずいた。リサは最高にクールだった。
若い警察だけが目を白黒させている。リサは彼にも言った。
「近いうち、係りの者が聞き取りに伺いますので、その時はよろしくお願いいたします」
「は、はい」
「とりあえず」
リサは手を打った。全員がそちらをみた。
「夕飯の時間です。夕飯のあとは勉強に予習。中学生はとにかく忙しいのです。……また日を改めましょう」
忘れかけてたカレーの匂いがしてきた。僕のおなかはぐうと鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます