第二話 獄門路九郎 (ごくもん・ろくろう)
一日かかって病院を出た僕は家に帰るなり、窓をあけて隣家の窓をノックし、「事故に遭った」とリサに告げた。今日もかわいいリサは部屋から顔を出し、眉を吊り上げて、僕の部屋に飛び移るとそのまま首を絞めんばかりのいきおいで僕の胸倉をつかんだ。
「それで学校を休んだわけね。何があったか手短に話して」
僕はことのあらましを話した。ジェーン・ドゥ
「僕が車に乗ってたら十割僕が悪いような事故だったね」そう締めくくって、リサの顔を見上げると、彼女は常になく険しい顔をしていた。そしていつも通り、僕が知りようもない質問を繰り出してくる――
「知らない誰かと目を合わせた?」
「いや、わからない」
「影を踏まれたり」
「いやもっとわからないって」
「変わったことはなかった? 誰か新しい人と知り合ったとか、そういうのは?」
「……なんでそんなこと聞くの?……妬いてるの?」
「真面目に!」リサの目は
「手を握り合ったとか、身体に触ったとか、自転車に触られたとか、何か……何かないの?」
僕は真剣に彼女の放った言葉ひとつひとつに対応しようとした。だけど、そんな細かいことまで覚えているほど僕は周りに注意を払っていなかった。今日、朝に家を出てから接触したのは、ダイエット中とかいって徒歩通学を頑張っている
「ああ、……隣のクラスの
リサは再び考え込んだ。僕はそんなリサの、お人形みたいに綺麗な肌を見ていた。
「その獄門君に何かされた?」
「おはようって言われた。ただそれだけだよ」
リサはそれを聞いてようやく僕の胸倉を解放した。両手をぎゅっと握り合わせて、何か葛藤をしているようだった。
「知介。獄門くんと遇わないようにして。できればしばらく自転車に乗らないで。乗るな」
「……えーと、嫉妬?」
「真面目に」リサはきっと僕を見据えた。「次は、死ぬかもよ」
翌朝の僕は仕方なく、徒歩で中学校に向かうことにする。自転車はあちこちが曲がってしまって修理に出してしまっているし、何より最愛のリサにそこまで言われて、従わない僕ではない。
福岡県
僕は普段ならチャリで駆け下りる坂を、教科書とかノートをぱんぱんに詰め込んだ指定鞄を背負って、えっちらおっちら歩きながら、本当なら気にかける間もなく過ぎ去る終田ベッドタウンのありさまを一望する。背伸びしてみると遠くに福岡の町並みが見えた。ここらは学区の境目で、
――次は、死ぬかもよ。
リサはそう言っていた。でも、今日の僕はチャリに乗ってない。大丈夫だろう。
「おはよう、獄門くん」
「お、は、おはよ、首塚くん」
彼はにじむ汗を首にかけたタオルでぬぐいながら、えくぼのある顔でため息をついた。
「首塚くんは、足、速いねえ」「そうかな?」
追い抜きざまにそう言われて、何となしに言葉を返す。獄門路九郎はかつてのクラスメイトだ。クラスの中でも地味な方に分類される生徒だが、かといっていじめられているということもなく、カースト上位のやつにも可愛がられる程度の「なごみキャラ」だったように思う。今はどうなんだろう。僕も彼とは交流があった。週刊誌の次の展開について、予想を披露しあったりだとか。
かつての僕と獄門の思い出に思いを馳せている間に、目の前がくらっとゆがんだ気がした。鏡のような水面に石を投げ入れたかのような違和感が視界をジャックする。けれどもそれは一瞬で、違和感として消えてなくなった。
「……あれ?」
獄門はとっくにはるか遠くでもがいていた。僕は信号を待つために立ち止まった。歩行者用信号は赤。
あ、か。
あか、赤いのに、足がふらつく。斜めに体がかしぎ、点字ブロックの軒をこえる。視線を感じるのに止められない。足が止まらない。バランスが取れない。
そんな僕の手首を、誰かが掴んだ。
「知介。あたしにつかまって。間違っても道路に飛び出すんじゃないよ」
ああ、僕の最終兵器。僕の愛しのリサ。僕は彼女の手を掴む。命綱みたいに、つかむ。理想の形じゃないけど、僕はリサと手をつないでいる。
信号が青になった。けれど僕らは動かなかった。動けない僕に合わせて、リサは突っ立っていた。
「あのね」
ごく近くでささやかれる言葉に、僕はただ、呆然とするしかなかった。
「……あんたは殺されたの。獄門路九郎に」
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