Malva sylvestris Ⅱ

「ねぇ、陽くん。そんなに食べて、本当に大丈夫なの?」

「へーきへーき! こんなの、全然余裕だって」

 本当に、陽くんはバカなんだから。

 テーブルを挟んで、向かい側。ぼくは陽くんに気づかれないように、小さくはぁとため息をつく。

 だってさ。いくらお腹が空いたからって、某有名なファストフード店で、ハンバーガーのLセットを頼むなんて。さっきまで熱中症で倒れていたくせに、どうして油っこいものが食べられるんだろう。

「ほら。これ、おまえの分」

 Sサイズのドリンク、百二十円。残念ながら、さっき奢った分の値段に足りていない。

 ……まぁ、こういう適当なところも、陽くんらしいけど。ぼくはありがたく、それを貰うことにした。

「やっぱり、ここのポテトは美味いよな! 俺、この細いのが一番好きだわ!」

「ぼくはどっちかって言うと、太いやつの方が好きかな」

「あー、おまえはそっち派かぁ」

 すぐ隣のテーブルには、受験生の四人組が座っている。参考書を広げるだけ広げて、ずっとわいわい大騒ぎ。

 数学が何だとか、Englishがどうだとか。陽くんはそれを聞いて、あからさまに嫌そうな顔をした。

「あーあ、受験かぁ。俺はもう、受験なんかしたくねぇよ」

「陽くん、勉強苦手だもんね」

 陽くんはただのバカじゃなくて、勉強もできないタイプのバカだ。クラスでは有名な赤点常習犯で、しょっちゅう補習に呼び出されている。

 ぼくは不思議だ。だって、全教科赤点だなんて、逆にどうやったら取れるんだろう。

 きっとこれも、陽くんにしかできないことだ。

「いいよなぁ、おまえは頭が良くて。てか、そもそも高校受験だって、もっといい所受かったんじゃねぇの?」

「まぁ……、大学受験のときに、推薦が取りたかったからね」

 ――こんなの、口から出まかせだ。咄嗟に思いついた割には、中々に良い嘘だと思う。

「なるほど、推薦かぁ! 推薦が取れれば、勉強しなくていいもんなぁ!」

「……言っておくけど。陽くんの成績じゃ、無理だと思うよ?」

「わ、分かってるよ! うっせぇなぁ!」

 ちらりと映った窓の外には、散歩中の女性がいた。手首には、ピンク色のリード。足元には、可愛らしいトイプードル。

 真っ白な、トイプードル。

 千切れそうなほど、尻尾を振って。

 飼い主のことを、真っ直ぐ見つめて。

「……ん? どうした、葉月?」

 そんな姿を、見ていたら。ぼくは自ら、こんな話をし始めた。

「ねぇ」

 陽くんが、ぼくを見る。ポテトを片手に持ったまま。

「陽くんは、自分の前世について、考えたことある?」

 陽くんは、ぽかんとしていた。店内放送のBGMが、やたらと耳の中に残る。

「ぼくは、知ってるよ。陽くんの、前世」

 ロゴの入った紙カップに、透明な雫が伝う。ぼくはそれを、つぅとなぞった。

「前世、君は犬だった。真っ白な毛並みの、スタンダードプードル」

 もこもことした、前世の陽くん。黒い瞳を輝かせて、いつも走り回っていた。

「名前はNelke。いつも尻尾をぶんぶん振って、主の帰りを待っていた」

 陽くんは、口だけをもぐもぐと動かしている。ぼくのことを、じっと見たまま。

「西ドイツの小さな町で、君は主に愛された。毎日いっぱいエサを食べて、よく遊んで、よく眠った」

 ぼくは思い出す。

 エサを食べる、Nelkeの姿。

 ボールを追いかける、Nelkeの手足。

 すやすやと眠る、Nelkeの顔。

「でもね。君は、好奇心が旺盛過ぎた。だから、ある日庭を飛び出して、車に轢かれて死んでしまった」

 ぼくは悲しくなった。血だらけになったNelkeのことは、昨日のことのように覚えている。

「主は、嘆き悲しんだ。そして、数日と経たない内に、君の後を追って死んだ」


 ――陽くんとぼくの間は、しんと静まり返っていた。

 陽くんは何も言わなかったし、ぼくも話を終えてしまった。


「……な、何だよ、それ! 葉月って、意外と冗談とか、そういうこと言うんだな!」

 しばらくして、陽くんは「ははは……!」と笑った。何かを弾き飛ばすように。

「だ、大体、何で葉月が、俺の前世を知ってるんだよ! 普通に考えて、おかしいだろ!」

 ――そんなの、決まっているだろ? だって……。

 ぼくは、何も言わなかった。代わりに、にっこりとほほ笑んだ。

「そうかな。ちょっと、おかしいかな」

「ちょっとどころじゃなくて、大分おかしいぞ? まぁ、冗談としては、面白かったけどな!」

 むしゃむしゃと、ポテトを食べる陽くん。

 ぼくはそれを、じぃっと見た。

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