第4話

屋上にて夜空観測同好会の入部が決まった日から、葵は次の週の金曜日は、部室に通うようにした。

部室にいくと蓮見が先にいて、スマホをいじっていた。

「おつかれ」

はいおつかれ、と蓮見はそのまま返事をした。

先週のように蓮見と向き合うように座った。

「先週は本当にすごかったよ」

「そりゃあの天体望遠鏡で見たんだから凄いでしょ」

蓮見は自分の所有物を自慢するかのように、そう言った。

「あれ、いくらしたの?」

さりげなく葵は聞いた。

「星を見るのに値段を聞くなんて野暮な人だなぁ」

そう言った蓮見は、いつの間にかスマホをいじるのをやめていた。

「というか、なんで星が好きなの?」

葵の問いに、蓮見は少し考える素振りを見せた。

「あ、いや別に言いたくなかったらいいけど」

「いやまぁ、一応部員の篠崎には言ってもいいかな」

そう言って蓮見はまっすぐに葵を見つめてきた。

蓮見の目の茶色までがよく見えて、葵は思わず目を逸らした。

「絶対、言わない?」

葵の目をジッと見ながら蓮見は言った。

葵はそっぽを見たまま、絶対言わない、と返した。

よし、と蓮見は言って一呼吸をした。

「僕のクラスの中のイメージってどんな感じ?」

唐突にそんなことを言うもんだから、葵も少し考えた。

実際のところ、先週の金曜日に話してから今まで、葵と蓮見はクラスで会話することはなかった。

蓮見は友達があんまりいないのか、よく一人でいた。

葵も、2、3人の友達と一緒に行動するばかりで、蓮見に話しかけるのは躊躇っていた。

「よく一人でいるっていうイメージ。私が話しかけようとしても、話しかけるなオーラめちゃくちゃ出してるし」

葵はそう言うと、蓮見は頷いた。

「確かに。僕友達いないし。そういうオーラだしてるかも」

「え、これと星が好きな理由は関係あるの?」

「あんまりない」

蓮見はそう言い切ると、笑った。

葵も、ないんかい、とツッコミを入れて、笑った。

蓮見はそれから少し間をおいて、葵を見ながら話し始めた。

「中学生の時、別に友達とかじゃなかったんだけど、自己紹介で、星を見ることが好きですっていうクラスメイトがいてさ。その時は全くなんで星なんて好きなんだろうって思ったけど」

今じゃ蓮見君が好きじゃん、と葵も合いの手を入れる。

「そうなんだよ。でもそん時は好きじゃなかった、というより興味がなかった。けどその人、勉強はあんまりダメだったけど、星のことだったらめちゃくちゃ知っててさ」

蓮見は、葵に昔のことを思い出すように、話し続ける。

「それでさ、僕は友達もいないしその人もよく一人でいたから、なんとなく話しかけてみたら、その人の星の話がめちゃくちゃ面白くて。なんか僕までめちゃくちゃ星に詳しくなってさ」

蓮見はそういった後、それまでの懐かしむ表情から、少しだけ影を落としたような表情になった。

「でもその人、急にトラクターの巻き込まれ事故で死んじゃってさ。どうやら深夜、野原へ星を観に行く途中だったらしいんだけど」

蓮見の表情は、悲しいというものではなかったが、とても寂しそうだった。

「星の話もっと聞きたかったし、その人も星のこともっと知りたかっただろうな」

蓮見は、まぁ昔のことだけど、と続けた。

最初は合いの手も入れた葵は、適当な言葉が見つからず、黙った。

そんな葵を見て、蓮見は、ただねと語尾を強めた。

「あの夜、篠崎に星のこと話せたのは、自分がその人にやってもらえたようにすることができたから、めちゃくちゃ嬉しかった」

蓮見は照れを隠すように、笑った。

「まぁだから星が好きなのは、その人の星の話が面白くて、その人が死んだ分まで僕が星を見ようってことかな」

蓮見にそんな過去があったことは、もちろん葵は知る由もなかった。


あとはさ、そう蓮見が言いかけたところで、扉が開いた。

「お、お二人さん。やってるね」

斎藤が扉の間からひょこっと顔を出した。

「今日はさ、私日直じゃないんだ。観測はできない。ごめんね」

葵に向かって、斎藤は言った。

「じゃあ下校時間になったら適当に帰ってね。よろしく」

斎藤はそれだけ言って、また扉を閉めて行ってしまった。


「というか、篠崎はなんで斎藤先生にこの同好会の入部を誘われたの?」

斎藤先生の後姿を見送るように、蓮見は言った。

「それは」

葵は言おうとしたところで、言葉が詰まった。

まだ自分のことを言える気持ちじゃない気がした。

何も言わず黙っている葵を蓮見は、言いたくなかったら別にいいけど、とさっき葵が言ったみたいに返した。

「ごめん、今は言えないかも」

「わかった」

蓮見はそのまま飄々としていたが、葵は、蓮見に少しの罪悪感を感じた。

蓮見には自身の吐露をさせておいて、自分の内情を言わないのは、ずるいことをしていると思った。

しかし、気づけば下校時間が迫っていた。

「じゃあ私、いくね」

「ほい」

結局言えなかったまま、その日はそのまま帰る事にした。


次の週も、次の週もそうやって二人は、クラスで話すことはなくとも、金曜日の部室では下校時間まで話をして盛り上がった。

斎藤は、毎回少しの時間だけ顔を出しては、すぐにいなくなった。

屋上での天体観測も、葵が初めて行った金曜日以降できる機会はなかった。

それでも二人は部室で、同好会のこと、星のこと、宇宙の事を話していく内に、次第に世の中のニュースや学校のこと、クラスのことまで話すようになった。


そんなある日、蓮見は戸棚にあった本を持ち出して、葵に見せてきた。

「篠崎、これ知ってる?」

「なにこれ、星座占い?」

葵がふざけて言うと、蓮見はハハっと笑った。

「違うよ。ふたご座流星群」

さすがの葵も「流星群」は聞きなじみのある言葉だったが、特に興味もなかった。

「流星群って私見たことないなぁ」

いつの間にか、ここに持ち込むようになったポテトチップスをパリパリ食べながら葵はそう言った。

「それが見れるんだよ。今年」

蓮見はいかにも嬉しそうな顔で、葵に言った。

「その日はさすがに、屋上で見れるかな」

葵がそう言うと、蓮見は、そのための夜空観測同好会だ、と言い、絶対屋上で見ようと葵に笑った。

蓮見の少年みたいなその顔に、葵も、そうだねと言って笑い返した。

蓮見は少し照れた様子で手を伸ばして、小指を突き出した。

「約束だ」

蓮見の意外なアプローチに、葵はそっぽを向きながら、しょうがないなぁと言って指を結んだ。

二人は、硬く小指を結んだ。



季節はあっという間に過ぎていって、10月も残り僅かといったところになった。

その日も、葵は帰りのホームルームが終わると部室に直行しようとした。

すると友達の一人が、葵の手をスッと掴んだ。

「葵、どこ行くの?」

友達の顔をふと見れば、少し怒ったような顔をしていた。

「金曜日になると、いつも葵って旧校舎の方行くよね。なんかあるの?」

葵は、友達が自分を少し馬鹿にするような目で見ていることがわかった。

「いや、図書館に行って本読んだり勉強したりしているだけだよ」

葵は、なんとか同好会の存在がバレないようにやり過ごそうとした。


友達は、そうなんだと言ってすぐ、私達さと葵をスッと睨んだ。

「先週、葵が同じクラスの蓮見と旧校舎にいるとこ見たんだけど、なんか関係ある?」

葵の額からじんわり脂汗が浮かんだ。

「ご、ごめん。本返さなきゃいけないから」

葵は友達の手を振りほどき、この場を去ろうとした。

「私達の友情より、男の方が大事なんだね」

葵は背後でそんな声が聞こえて、振り返って必死に弁解しようとしたが、何も言葉が出なかった。


葵はそのまま下駄箱に直行した。

「明日、なんて謝ろう。許してもらえるだろうか。同好会をやめれば、また友達でいてくれるだろうか。もう一人ぼっちは嫌だ」

葵は震える指で靴を取ったが、落としてしまった。

傾きになった靴を戻そうとしたら、急に視界から手が伸びて、それが葵の靴を拾った。

グッと顔をあげると、蓮見が靴を下駄箱に入れ直していた。

「今日、金曜日だけど」

蓮見は靴を入れ直しながら言った。

「ごめん、今日用事があって」

蓮見が、本当に?と聞くと葵は黙り込んだ。

「僕、先に部室いるから」

蓮見はそれだけ言って、旧校舎の方へ歩いて行った。

葵は、もう一度靴を取って履こうとしたが、まだ震えている指のせいでまた靴を落としてしまった。

葵は悔しくなって、そのまま部室に走った。


扉を勢いよく開けたら、蓮見がいた。

「やっぱり来たじゃん」

蓮見は葵に言った。

「私、友達に嫌われたかも」

葵がそう言うと、蓮見は笑った。

「別に友達なんて、いらないでしょ」

笑う蓮見に、葵はどこか違和感を覚えた。

「友達は、大事だよ」

葵は湧き出る感情を抑えながら、なるべく冷静にした。

「いや、友達なんていなくたって生きていけるでしょ」

蓮見は、まだ笑ながらそう言った。

葵の中でさっきの違和感の正体が、蓮見に対する怒りのような感覚に思った。

「それは一人ぼっちになったことがない人が言えることだと思うけど」

それを聞いた蓮見も、少し表情が硬くなった。

「僕は教室でいつも一人だし。一人ぼっちで生きていけない人は、気持ちが弱いだけだと思うけど」

葵は、感情がブワっと漏れ出す感覚に襲われた。

「あのさ、そんなことよく言えるね。蓮見君は本当の一人ぼっちを知らないだけだよ。だからそんな酷いことも言えるんだよ」

葵は声を荒げてそう言った。

蓮見は少し葵に驚いた後、負けじと葵を睨みつけた。

「本当の一人ぼっちってなんだよ。大体篠崎には友達も家族もいるだろ。どこが一人ぼっちなんだよ」

蓮見もまた、声を荒げて言った。

葵はその言葉を聞いて、涙が溢れた。

「どっちもいなくなったんだけど」

葵がぼそっと言うと、蓮見は、え?と聞き返した。

「君のせいで、ついさっき友達がいなくなったよ」

葵が声を荒げて言った言葉は、震えてしまった。

葵自身も、蓮見は何も悪くないということはわかっていたが感情が溢れてしまっていた。

蓮見は、涙が止まらない葵を見て驚いていた。

「じゃあ、じゃあいいよ。出ていけよ。もう同好会にくるなよ」

蓮見も負け時と出した声は震えていたが、それは男性の迫力のある声で、それを全面に向けられた葵は、恐怖を抱いた。

少し怯える葵を見て、蓮見はハッとした。

「ご、ごめん」

蓮見の言葉を聞かず、葵は部室を出て走っていた。


あれから、葵は部室に行かなくなってしまった。

その変わり、金曜日は友達と一緒に帰り、もう一人ぼっちになることはなかった。

斎藤も、葵が同好会に行かなくなったことについて特に関与してくることはなかった。

放課後、カラオケやカフェを友達と巡る日々。

一緒に楽しそうにしてみたが、何かずっと心に違和感があった。


その日もまた学校から帰ると、遠くのアパート前で誰かがこちらに手を振っているような気がした。

葵は段々とアパートに近づく中で、ベージュのトレンチコートから出た手のひらが、明らかにこちらに向けて振られていることに気づいた。

「しずえさん、来てたの?」

「久しぶり葵ちゃん、学校どう?」

しずえはパッと笑って葵を見た。

しずえを家に招き入れ、葵は自家製の麦茶を出した。

「突然来てお茶まで用意させて、ごめんね」

「いえいえ、私も久しぶりにしずえさんに会えて嬉しいから」

しずえはお茶をスッと飲んで、美味しいと言った。

「葵ちゃんが元気してるかな、と思って様子見に来た」

葵は、全然元気ですよと言って笑って見せた。

しずえは、そんな葵を見て少し微笑んでから、若干表情を濁した。

「学校で、なんかあった?」

葵は、しずえに心を見透かされているような気がした。

ずっと蓋で閉めていた感情が、ふと少しだけ漏れる感覚がした。

「少し、あった」

しずえは、そっかと頷いた後、言いたくなかったら無理に言わなくていいよ、と言った。

葵は少し息をおいた。

「なんかずっと、うまくいかない」

葵がそう言うと、しずえはただ頷いた。

そんなしずえを見て、思い切って葵は夜空観測同好会のこと、蓮見と斎藤のことを話した。

しずえはただ、否定も肯定もしないまま、葵の話をずっと聞いた。

葵がひとしきり話し終えると、しずえは、なるほどねと呟いた。

「蓮見君も色々あるんだね。多分斎藤先生だって色々あるんだろうね」

しずえは、また少しだけお茶を口に含んだ後、葵の目を見つめた。

「葵は一人じゃないよ。一人ぼっちじゃない」

葵は、しずえにやっぱり全て見透かされている、と思った。

葵は、思わずしずえに抱きついた。

しずえもただ優しく葵を抱きしめた。

「しずえさん、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう」

その日、夜が更けるまで、二人はずっと色々なことを話した。


季節はそのまま、11月になった。

外はずっと冷え込み、夜は白い息が出る日々があるようになった。

11月中旬のその日、昼食の後に、体育館で全校集会があった。

葵は、ふと体育館トイレに行く途中、男子の列にいる蓮見をちらっと見た。

蓮見は、どこか浮かない顔をしていた。

全校集会では、校長の挨拶があった後、生活指導の教員が、壇上に上がった。

何を言われるんだろうか、とざわつく生徒達に、静かに、と司会がアナウンスをした。

生活指導の教員は一礼した後、生徒達を見渡すように話し始めた。

「近ごろの話です。ある同好会が、学校に無断で屋上を使用していたことが発覚しました」

葵は、急に心臓をグッと手でつかまれたような気がした。

「つきましては、その同好会の顧問の教員に、無期限内の活動停止を下しました」

葵は、きっと斎藤のことだろうと思ったが、しかし最近の斎藤に変わった様子はないように思えた。

「今回は組織による内容でしたが、個人においても、屋上を使用するのは絶対にやめて下さい」

生活指導の教員はそう言って、壇上を下りていった。

回りにまた、どよめきが広がった。


そのまま全校集会は終わった。

帰りのホームルーム、斎藤はいつもと変わらぬ様子で済ませた。

どうやら、夜空観測同好会によるものであるということは、クラスメイトは皆知らないままだった。

「葵、今日新作フラペの発売らしいから行こう」

友達はいつものように、葵を誘ってきた。

「ごめん、今日ばっかりは予定がある」

葵がそう言うと、友達は残念そうな顔で、わかった、と言って帰った。

教室が空っぽになっていく途中、いつもは真っ先に教室を出ていく蓮見が、今日は残っていることに気づいた。

そのまま皆が帰っていく中、ついに蓮見と葵だけが教室に残った。

静寂な空気、葵はすぐにこの場を立ち去りたくなるのをこらえた。

言わなきゃいけないことがあった。

謝らなきゃいけないことがあった。

そのまま、時計の針が動く音だけが教室にしていた。

蓮見はふうっと溜め込んだ息をゆっくり吐いた。

「同好会、活動止められた」

葵とは目を合わせないで、蓮見はそのまま窓辺越しのオレンジ色の空を見て言った。

「やっぱりさっきの話、うちらのことだったんだ」

葵はそのまま、あまり考えないで返した。

「篠崎は、もう同好会やめたの」

蓮見は窓から外を眺めて言った。

「私は、やめたつもりはない」

また教室は、そのまま静寂な空気が籠った。

「今日は晴れか」

蓮見は、空を見ながらそのまま呟いた。

「雨の日って観測できないの?」

「できないこともないけど、雲が覆うから星は見えない」

空はいつの間にか暗くなり始めていて、教室も、大きな影に覆われたように暗くなった。

「次は、いつ観測するの?」

「活動停止が解除されて、斎藤先生に日直が回った日」

「そんなのいつまで待ってたらいいかわからないよ」

葵は笑った。つられるように蓮見もふふっと笑った。

「今日観る?」

蓮見は今度は葵の方を向いて言った。

「本気で言ってる?」

葵が聞き返すと、蓮見は黙り込んだ。

「このあとの天気は晴れ?」

葵が聞くと蓮見は頷きながら、晴れ、と言った。

「あ、でも鍵がないんだ」

葵のワクワクとした活力は、すぐにしぼんだ。

すると蓮見は、ポケットから鍵を出して、わっかを人差し指でくるくると回した。

「これ、斎藤先生が僕らにって」

「それって屋上の鍵?」

「そう。あの人も凄いよね」

「斎藤先生、やっぱりそんな人なんだ」

二人はやっと目を合わせて笑い合った。

「この後8時、学校集合」

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