第16話

 先生が不在なのをいいことに彼女を勝手にベッドまで運び、周囲を確認してからカーテンを閉じ、椅子にドカッと腰を下ろしてようやく一息つく。

 とても、とても、疲れた。

 肉体的にではなく精神的に。

 不安要素の多い作戦を成功させることができたのは幸いだったが、心臓に悪いことこの上ない。 

 出来れば二度としたくないところだが、きっと明日には藤宮を独り占めして剰えめちゃくちゃに遊び倒したカスとして、最悪な噂が伝播されるに違いないので、ここはもういっそ開き直ったほうがいいのかもしれない。


「──ふふっ。……あはは」

「藤宮……?」


 疲弊しきってうなだれていると、不意にベッドの上で藤宮が笑い出した。

 顔を見ると、彼女は本当に楽しそうな表情で腹を抱えている。

 

「はははっ……ハァ。あー、すごい面白かった。まさか本当に上手くいくなんて」

「し、失敗すると思ってたのか?」

「だって柏城くん、あんなっ、すごい、棒読みで……ぷっ、ふふっ」

「そんな笑うことないだろ!?」


 俺だって結構がんばってたのに!


「ごめっ、はっ、アハハ」

「オイお前な」

「あぁー……あぁ、いや、うん。──でも、ありがとう」


 ひとしきり笑い終えた藤宮は、明るい空気のままベッドの上で正座になって改めて俺に向き直った。

 そこに昨日のような諦観しきった雰囲気はなく、彼女の表情は極めて自然で柔らかいものだ。

 少し気が早いかもしれないが、俺は藤宮のこういう顔が見たかったが為に、こうして無茶で無謀な行動に出ることができたのかもしれない。


「柏城くんが来てくれなかったら、きっと今頃……だから、本当に感謝してる」

「……パンクの修理分は返せたか」

「うん、そりゃあもう、おつりが出るくらい」


 そうか。

 それは良かった。

 本当に、よかった。


 ──性処理係という単語を耳にしたあのときから、ずっと困惑の只中にいた。

 友人は知らない常識を語り、世界には勇者というあり得ないルールが存在しており、しまいには唯一の家族が病院にいてクラスには知らない女子が在籍していた。

 正直に言えば初めからずっと恐怖を感じていた。

 自分の居場所が消えたような気がして。

 突然知らない場所に放り込まれて、右も左も分からなくなっていた。

 けれど、そんな状況でも手を差し伸べてくれる人はいて、しかもその人は自分と同じく世界の歪みを認識してくれていた。

 だから。

 理不尽なルールに押し潰されようとしているその姿を、見過ごせる理由など俺にはなくて。

 例え自分に酷いしっぺ返しが来るとしても、やはり動かざるを得なかった。

 もう分かっている。 

 きっと、いま目の前にいる彼女を守ることこそが、この誤謬にまみれたディストピアで、俺がやるべき使命なのだ。

 また明日も奉仕を回避するために、様々な苦難を乗り越えなければならないのだろうが、守るべきものを定めた今の俺ならきっと──



「──ッ!?」



 ガクン、と。

 突如として、大きな揺れ。


「わわっ」

「藤宮!」


 ベッドから転げ落ちそうになった藤宮を抱きかかえるも、そこから二度、三度と銅鑼のようなけたたましい地響きが体を揺らす。

 地震だ。

 間違いなく地震だが、何かがおかしかった。

 余震は無く、またスマホの緊急アラームも作動しなかった。

 ともかく揺れが収まるまで、と藤宮を連れてベッドの下へ潜り込む。

 ズシン、ズシン──大きな物音とほぼ同時に揺れが発生する。

 このまま建物中にいていいのか、窓から飛び出してでも屋外へ逃げるべきではないのか、と様々思考が交錯する最中、ふと藤宮が俺の腕の中で小さく呟いた。


「……柏城くん。これ、もしかしたら地震じゃないかも」


 この揺れが地震じゃなかったら何なんだ、と抗議する間もなく、今度は藤宮がベッドを抜け出て窓を開け、俺を誘導した。

 促されるまま校庭に出て──そこで、ようやくこの揺れの正体をこの目で視認した。

 いや、




「…………か、怪獣?」




 そう。

 まるで、怪獣。

 外に出て俺の視界に飛び込んできたのは、高層ビルと同程度という規格外な巨体を誇る、二足歩行の獣であった。


「……なんだ、あれ」


 意味が分からない。

 地震を警戒して外に出たら、学校から見える距離の市街地で、まるでかの怪獣王の如く暴れ狂うモンスターが出現していたのだ。

 これこそ夢ではないのか。

 頬をつねると、しかしどうして痛かった。

 それは目の前にある特撮怪獣映画みたいな光景が、現実であるという何よりの証拠で。

 破壊されるビルも、燃え盛る街も、逃げ惑う人々も、あの意味不明な巨大なバケモノでさえも本物だと告げていて。

 ──さすがに思考が止まった。


「……うわー、怪獣」


 藤宮が何か言ってる。


「うわー怪獣、ってお前」

「いや、だって怪獣じゃん。避難訓練通り、早く逃げないと」

「待って待って、ちょっとまって」


 おかしくない?

 そのリアクションは変じゃない?

 急に現実を否定するような、まるで空想から飛び出してきたような絵面が目と鼻の先にあるっていうのに、なんでそんな落ち着いてんの?

 てか怪獣が出現した場合の避難訓練ってなに……?


「三年前も来たでしょ、宇宙怪獣」


 知らねえ。どこの世界の歴史語ってるんだ。

 もしかしてウルトラマンの話とかしてるんですか。


「……まさかとは思うけど、柏城くん……もしかして知らない?」


 はい。


「そんなことあるんだ……もしかして、海外に住んでた?」

「あ、あのそんなことより……いやっ、何であんなのがいんの!?」


 ちょっとあなた冷静すぎませんか! 初めて怪獣とやらを目撃した一般人の気持ちにもなって!!

 宇宙怪獣ってなんだよ急にSFか怪獣映画始まってるんですけど!?

 ここって理不尽で強大な一人の人間が世界を支配してるディストピアとか、そんな感じの世界観じゃなかった……!?

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