第6話
どこにあってもおかしくない個人病院のような、小さくて清潔感がある外観の建物に、まるで似つかわしくない奇妙な看板が取り付けられていた。
思わずつぶやき、足が止まる。
藤宮と当たり障りのないコミュニケーションをとる中で忘却してしまっていた、いまの自分が持つ違和感の元凶を思い出した。
性奉仕係。
性欲処理奉仕係。
そんな、成人向けの漫画雑誌だとかアダルトビデオだとか、そういった物の中にしか存在してはいけないはずの、公序良俗に真正面から反している頭のおかしい概念が、再び目の前に姿を現したのだった。
「……柏城くん?」
夢を見ているのではないか、と錯覚する。
あんなものが往来にあっていい理由などない。
そう考える俺の倫理観は間違いなく正しいはずだ。
何故あんなものが目の前に鎮座していて、世界がそれを認めているのかが分からない。
元気だったはずの家族が入院していたり、あったら気がつくはずの巨大なロボットの展示物を昨晩まで知らなかったりと、あれらの不可解な事象は『最初から自分がおかしい思い込みをしていた』と言われても、不本意ながら納得はできる。
だが、アレは。
眼前にある、バグった日本語の看板を立てているあの存在だけは、それは違うと確信が持てる。
この常識的なはずの思考が間違いだと揶揄されるのであれば、もはや今いるこの場所は俺の知らない別の世界だ。
頭のおかしな妄想でもなんでもなく、アレがある限りここは前提が異なる別の世界線だ。
そうでなければ、あの概念を”変”だと認識できる俺がどうして存在するのか分からなくなる。
確実に、絶対に、目の前の異変は正しく異変であるはずなのだ。
「──奉仕制度、きらい?」
違和感に強く懊悩する最中、隣にいた藤宮が目の前の建物を眺めながら、そう問うてきた。
唐突だったが、答えは決まっていた。
「……あんなものが存在するなんて、絶対におかしいって。……それだけは分かるんだ」
田中の時のようにまた呆れられてしまうかもしれない。
常識知らずだとバカにされてしまうかもしれない。
だが、それでも譲れない一線というものがある。
これまでの人生で培ってきた自分の中の倫理を肯定するために、俺はアレを心の底から否定しなければならないのだ。
だから言葉にする。
アレはおかしいと、声に出して告げる。
例えそれがこの世界では間違いだったとしても。
「──うん。アタシも、そう思う」
彼女が発したその言葉の意味を、俺は一瞬理解することができなかった。
目をぱちくりさせ、思わず口を噤んで逡巡する。
いま、藤宮はなんと言ったのか。
「……えっ?」
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