第5話
藤宮が暮らす一軒家に案内され、ガレージにパンクした自転車を置くと、彼女はテキパキと手際よくタイヤの修繕を済ませてしまった。
あまりにも慣れた動作を目の当たりにして怪訝な表情をしている俺に気づき、藤宮は小さく笑う。
「うちのお父さん、昔は自転車屋さんだったんだ。だからちっちゃい頃からこういうのよく触らせてもらってて」
「……パンクの修理めちゃくちゃ早かったよ。すごいな」
「あはは。これくらいなら、まぁ」
近寄りがたい有名人というイメージを勝手に抱いていた自分が恥ずかしい。
想像以上に藤宮は親しみやすく、また隣の席という程度の接点しかない相手でも、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるほどの心優しい女子だった。
何かお礼を、と言ってもしっかり遠慮するあたり、内面的にも成熟しきっている。
俺と同じただの高校生だ、とは口が裂けても言えない相手だ。
芸能界で大人たちに囲まれながら生活を送っていることも、彼女の大人としての側面に一役買っているのかもしれない。
「自転車、わざわざ直してくれてありがとう。……それで、やっぱり何かお礼をさせてほしいんだけど」
「別に気にしなくても。……まぁ、でもそこまで言うなら」
ふーむ、と顎に手を添えて考えこむ藤宮。
モデルやら役者やらをこなしていることもあってか、動作がいちいち様になっている。
平たく言うと、かわいい。
中学生時代の感性をそのまま持って成長していたら、きっと助けてくれたことを理由に『コイツ俺のこと好きなんじゃね?』とひどい勘違いをして告白してフラれてるところだった。あぶない。
「じゃあ、明日お昼いっしょに食べない?」
コイツ俺のこと好きなんじゃね……?
「購買のメロンパンを一個買ってくれたら、それでいいから」
「あ、あぁ……うん、わかった」
パンク修理とメロンパン一個で釣り合いが取れているのかは不明だが、彼女がいいと納得しているなら、きっとそれでいいのだろう。
直してもらった自転車を押してガレージを出ると、近くのコンビニまでいくと言って、藤宮がついてきてくれた。
学校ではどこを歩いても周囲の視線を集めがちな彼女も、勝手知ったる自宅付近では一介の女子高生として認識されているようで、近所のおばさんや犬の散歩をしている子供なんかも、普通に挨拶をして通り過ぎていく。
「柏城くん、意外そうな顔してる」
「いや、なんつーか……ここら辺の人、みんな藤宮さんを見ても驚かないなって。田中が藤宮さんのこと凄い有名人だって言ってたから、不思議で」
俺の隣を歩きながら、藤宮は前を向いて話を続ける。
「まあ、小学生の頃からの地元だから。ドラマに出たときは少しだけ声かけられたけど、基本的にはただの近所の高校生って思われてるみたい。他の場所だとそうはいかないから、アタシとしてはありがたいかな」
「そっか。大変だな」
「んー」
割と緊張しながら話しているせいで、つい適当に聞こえる返事が口から漏れ出てしまったが、藤宮は気にする様子もなく平静だ。スルースキルも備えていたらしい。
「──あっ」
至って普通に、ただ高校のクラスメイトと帰路についていた、そのとき。
普通の中で唯一普通ではない、日常の中に存在するはずのない歪みが、俺の目に飛び込んできた。
性欲処理奉仕センター。
眼前の建物に、そう書かれていた。
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