第3話
「よっす柏城。シケた面してんな、どした? ……おいおい、無視かい」
今日の登校も変わったことはほとんどなかった。
知らない作品の等身大ロボットが街頭の広場に展示されていることを除けば、いたって普通の街並みだった。
異なるのは朝、明るく見送ってくれる存在が家にいないこと。
もう一つは相も変わらずこの学校に存在する、性奉仕係という不可解な制度だ。
「あっ、いおっち! おはよ~!」
「ん。おはよ」
朝から甲高い女子たちの声で思考が遮られそうになったが、なんとか耐えつつ逡巡する。
俺が知り得ない前提が存在している別の世界に、いつの間にか移動している──だなんて、あまりにも馬鹿げた仮設を立てる勇気はまだない。
むしろ『自分がおかしくなった』といった可能性のほうが大いにあり得るのだ。
実は千鶴さんとの二人暮らしは、一人で生活するのが寂しいあまり自分で生み出した幻影でした、だとか。
性奉仕係のことも世間知らず過ぎただけだった、とか。
そう考えたほうがずっと楽で、簡単だ。
昨日は頭が混乱して疲れてしまい、ソファに倒れこんでそのまま朝まで眠ってしまったため、やろうと考えていた調べ物ができなかった。
ので、今日こそ休み時間の合間にスマホでいろいろと──
「おぉ? きょう藤宮きてんじゃん。珍しいな」
黙ったまま考え事をしている俺に構わず話しかけ続けていたクラスメイトの男子こと田中が、教室の前方付近を眺めながらそう呟いた。
釣られてそちらを見てみると見覚えのない人物を発見した。
「……藤宮?」
首を傾げた。
それもそのはず。
二年生に上がってクラス替えをしたばかりとはいえ、そろそろ一ヵ月が立とうとしているのだ。
話したことはなくとも、同じクラスの同級生の顔ぶれくらいは把握している。
知らないやつはいない。
特に、あんないろんな人間から声をかけられるような目立つ人物など、分からないはずがない。
だというのに──俺は彼女を知らなかった。
誰だ、あの亜麻色の長い髪の女子は。
「そういや今日から席替えじゃん。はぁー、藤宮の近くにならねぇかな……」
「……なに。あいつのこと好きなの?」
「は。……え、いや。ほら、藤宮って有名人じゃん。普通にお近づきになりたくね?」
「有名人なんだ、あいつ」
そう呟くと、田中はため息をついた。
「……なぁ、柏城。昨日からやってるその無知アピールは何なんだよ。アニメのキャラにでも憧れたか?」
そんなことを言われても、知らないものは知らない。
俺からすればあの見覚えのない女子を、当たり前のように受け入れているクラスのみんなのほうが不可解だ。
「あいつインスタでめっちゃ有名じゃん。モデルやってるし、この前なんてゲスト出演のドラマでスゲぇ演技みせてバズってたろ」
「……マジだ。検索かけたらすぐ出てきた」
「だろ? 知らないわけねーって」
現に知らないからこうして調べたのだが──ともかく出てきた情報からして、かなりの知名度を誇る女子だということは分かった。
芸名も本名そのままで、下の名前だけイオリとカタカナで通しているようだ。
SNSや検索エンジンを使っても、イオリと打てば大体彼女のことが出てくる。
まさにいま日本中で話題の女子高生だ。
だが。
しかし、だ。
そんな女はウチのクラスにはいなかった。
誰もが知っている有名人が同じ学級に存在するなど、そんなドラマかアニメのような事実はなかったはずだ。
俺が在籍しているこの二年五組は、いたって普通のクラスだった。
こんな、一人の女子が登校しただけでわかりやすく沸くような場所ではなく、ただみんなダラダラと日常を過ごす、特筆すべき点など何もない一高校の一クラスに過ぎなかったはずなのだ。
一昨日もその前も、まず二年に上がってこの五組になった始業式の日からずっと、あんな有名人な美少女など露ほども知らなかった。
昨日彼女が休んでいたからその存在を認識できなかっただけで、既に一日前の午前中から俺の周囲では奇妙な変化が発生していたのかもしれない。
「全員席替えのクジ引いたな。じゃあ黒板見て、番号の席に移動してくれ」
あまりにも身に覚えのないことが多すぎる。
ゆえに昨夜考えた”もしも”が脳裏に過ってしまった。
俺の知らない世界。
自分がいた場所とは別の、前提が異なる他の世界線。
そんな、まるでゲームのような、思い込みの激しい中二病ぐらいしか考えなさそうな、あり得るはずのない仮説が顔を出してきた。
「隣だね。よろしく」
胸中で言い知れぬ違和感と不安が燻り続けている。
この感情は、俗にいうところの恐怖というやつかもしれない。
席替えという学生らしいイベントに、クラスメイト達が一喜一憂するなかで、おそらく自分だけがありもしないおかしな"もしも"のことを考えていた。
「……ねぇ。えっと……柏城くんだっけ」
「えっ? ──あっ、俺?」
「なんか顔色悪そうだけど……だいじょうぶ?」
改めて声をかけられ、ようやくそこで気がついた。
俺の左隣の席にいる人物が、違和感の理由の一つでもある、藤宮依織だったということに。
彼女が窓側の席の最後尾で、その隣が自分だった。
「だ、大丈夫。ちょっと寝不足だったから、元気ないだけ」
「そっか」
嘘だ。本当は十二時間以上ソファの上で眠りこけていた。眠気など欠片もない。
「またいつ席替えやるかわかんないけど、それまでよろしくね。柏城くん」
「……あぁ、うん。よろしく、藤宮さん」
若干ダウナー気味というか、落ち着き払っている藤宮に気圧されながらも、なんとか返事を返した。
彼女を囲って騒ぎ立てる周囲とは裏腹に、本人は鷹揚で物静かな人物だったようだ。
ちなみに入り口付近の最前列という、藤宮とは正反対の場所の席になった田中は、不貞腐れて机に突っ伏していた。
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