第2話

「……なんだ、あれ?」


 道中、大きな広場に目を引く立体物があった。

 五十メートルほどの大きさを誇るロボットが鎮座していたのだ。

 あんなお台場のガンダムみたいな展示品なんてこの街にあったっけか、と首を傾げつつ、周囲を警備員が固めていたため見学は無理だと判断し、ペダルを再び漕ぎ始めた。

 展示にしてはかなり巨大だが、アレはなんの作品のロボットなのだろうか。

 性処理係といいアレといい、急に知らないものが増えすぎている。帰ったら小一時間はネットサーフィンに明け暮れることになりそうだ。


「ただいま」


 俺の保護者でもある年上の従姉妹が待つ自宅のマンションに到着し、玄関を開ける。

 すると、明かりがついていないことに気がついた。

 

「……千鶴さん?」


 玄関に靴はあるものの、返事がこない。

 スマホを確認しても、彼女からのメッセージは届いていない。

 いつもは家にいるか、出かけるとしても一報くれるはずなのだが。

 リビングにもその姿がなかったため、自室をノックしてみた。


「千鶴さん。寝てるの?」


 またしても応答はない。

 基本的には自宅でイラストレーターの仕事に勤しんでいる彼女だが、生活リズム自体は一般的だ。

 しかもどちらかと言えば活発な方なので、この夕方の時間帯に昼寝をすることはほとんどない……というか、いつもなら夕飯を作ってくれているタイミングだ。

 

「……いねぇし。どこ行ったんだ」


 こっそり部屋を覗いても、室内には誰もいなかった。

 普段から服やら資料やらが散乱しがちな千鶴さんの部屋が、妙に整頓されている。

 というか綺麗すぎる気がした。

 必要なものが何も出されていないというか、生活感のない部屋になっている。

 ここまでの状況をまとめると、彼女は部屋の掃除だけして連絡も入れず外出した、ということになるが──靴が残っているのだ。

 それが不可解だった。

 コンビニにでも出かけていると早々に決めつけたかったが、外出の際に履く普通の靴もヒールもサンダルも、その全てが玄関に置いてあったせいで、余計わからなくなってしまっている。

 冷静に考えると自宅内にいるはずなのだ。

 だが見当たらない。自室にもリビングにもおらず、トイレも風呂場も電気はついてない。

 まさか何かあったんじゃ──そう考えたとき、ポケットの中が振動した。

 電話だ。

 スマホの画面には、件の人物の名前が表示されている。


『もしもし、晴人はると? よかった、出てくれた……』

「……? あの、千鶴さんいまどこ。遅くなるようなら俺が夕飯作るけど」


 そう告げると、電話口の向こう側から困惑の声が聞こえてきた。


『えっ?』

「……な、なに。今日って帰らない予定でも入ってたっけ。担当さんと一緒にいんの?」

『ううん、そうじゃなくて……』


 なんだか会話が噛み合わない。

 仕事の関係で会うことの多い担当の人と打ち合わせをするときは帰りが遅くなるから、きっとそれだろうと考えていたのだが、どうやらそれも違うしい。

 じゃあなんなんだ。

 メッセージがなくて靴も残ってたから心配していたのに、この俺が変なことを言っているかのような反応はどういうことなんだ。


『一人にしてごめんね、晴人。最近良くはなってきてるんだけど……まだ退院は難しいみたい』


 ──退院?


『あっ、でもね晴人。このまま安定してたら来月には一時退院できるかもって、先生が言ってたよ。そしたらまた一緒に……晴人?』


 退院する、とはつまり。

 彼女は現在入院しているということになる。

 悪いところなど一つもなかったはずの千鶴さんが、なぜそんなことになっているのか理解できない。

 しかもここ最近の話ではなく、ずっと前から治療を受けているかのような口ぶりだった。


「……ごめん。またかけ直すよ」


 通話を切り、吸い込まれるようにソファに座り込んだ。

 スマホの画面を今一度確認する。

 日付は四月の下旬。

 約一週間後が俺の誕生日であるため、その日は二人でどこかへ食べに行こうとに話をしたばかりのはずだ。

 というか、今朝も彼女は朝食にとピザトーストを用意してくれていた。

 覚えている。

 覚えていて当たり前だ。なにしろ今朝の記憶なのだから。

 いつも通り二人で朝食を済ませ、決まった通学路を進み、通い始めて二年目になる高校へ到着した──はずだったのだ。


 おかしい。

 何か妙だ。

 昼休みに”性奉仕係”という単語を耳にしたあのときから、拭いきれない違和感が延々と脳裏にまとわりついてきている。

 存在するはずのない意味不明な概念があって、当たり前のように一緒にいた家族がここにいない。

 街並みもクラスメイトも変わっていないように見えるのに、身に覚えのない過去の話や聞いたことがない常識の話をしてくる。

 これは何だ。

 どういう状況だ。

 まるで自分が知らない別の世界にいるかのような──形容しがたい違和感が脳裏に張り付いて離れなかった。

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