応援コメント

第76話  隠された十字架の意味 (3)」への応援コメント

  • まぁ、仏教の中に一神教の一柱が紛れ込んでも多神教の中に於いては八百万の一柱。混ざって希釈分散して混ざり込んだって考えられる。
    更にそこで指導者的立場の人の思想と思いが加わりいそんな宗派が生まれ広まった。日本へは単一の宗派だけでなくいろんな宗派の経典が持ち込まれたので混ざってさらに日本古来からあるアミニズムと混ざり合った結果が今の日本の仏教だと自分は考えています。

    多神教がベースにある日本で基督教が普及しなかったのも一神教が馴染まなかったとも言える。そこには集団主義と個人主義と言う思想の壁もある。一神教が広く普及してる場所は個人主義が多い。逆に多神教が広く普及してる所は、社会的カーストも含め集団主義が多い。
    まぁ、基督教が広まらなかった決定的な理由が、先祖が救われないって言う理由で宣教師が日本に布教は無理だって愚痴ってる報告書もあるようで、、、
    まぁ、戦国時代でも庶民でさえ識字率は欧米の値を超えていたと言う話もあるぐらい。江戸の天明期になるとお経を覚えるために文字が読めない人向けに絵文字による当て字まであったから仏教の普及率は高かったようです。

    まぁ、現代のごちゃ混ぜぶりは日本教らしいかなぁって。

    日本人は千年をゆうに超える昔から変態だったって理解しても良いかもなぁ。
    気になりましたら、「千年変態」で検索してみてください。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    聖徳太子という人は、仏教の聖人の中ではかなり異色です。最澄、空海、親鸞、法然、このような聖人は全て教団を率いて集団によって仏教を布教したからです。

    聖徳太子のように、皇子として在家にあって衆生を救うというのは、異色ですよね。キリストも弟子は持ちましたが、それまでのユダヤ教寺院に属さず、衆生の中へ降りていった点で共通しています。

    イエスもそうでしたが、特にこのように個人としてスーパースターになりにくいのが日本の風土です。彼が輝くほど彼の出自である蘇我氏の反対勢力に煙たがれたことは否めません。次回のエピソードでは当時の国際情勢も含めて解説します。

    お楽しみにしてくださいね。