災神を祀るってのは、仏教よりも神道の考え方。
この頃から、古来からある神道の系統と仏教が混ざり始めて神仏習合の根っこが出来始めた頃だから、厄神に「祀りますので、荒ぶらないで下さい」って願いを込めて。
ただ、法隆寺の件に関しては〝封印〟というニュアンスが多分にある。
何故封印のかって考えてたら頭が痛くなって辞めたんだよな。
当時のセオリー的には、大々的に祀る。それこそ盛大に徹底的に。
で、シュレ猫は、何を語るのか?
作者からの返信
いつもコメントありがとうございます。
こちらもとても刺激を受けます。
神道のひとつの目的に、怨霊となった
優れた人の霊魂を祀ることがあり、それは
人々に対してオープンなわけです。
しかし、聖徳太子の場合は隠された
陰謀のため一族が滅亡したため、
それが明らかにされることを藤原氏が
恐れたと考えられます。
日本に伝わった大乗仏教が影響を受けて
いた別の宗教に、シェレネコの秘密が
隠されています。今、それを調べて書いて
いるところです。お楽しみに。
なんか、呪いを恐れて法隆寺に閉じ込められたようですが、面白い説ですね!!1500年も監禁って!?
どんだけ恐れてたんですか……!!
作者からの返信
コメントありがとうございます。古代は医学や科学が未発達のために
怨霊を封じるということをとても重要視したようです。
また、聖徳太子本人が超能力を有する人であったようで
私は日本にキリスト教の一部が伝達され、太子はキリストに
見立てられた可能性があると思っています。これももっと研究すると
面白い分野です。