応援コメント

第70話 日本史最大の闇 (6)ー蘇我入鹿の最期」への応援コメント


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    歴史資料の見えざる狭間に現れる七百。いろんな意味での観測者であり、記録者でもある。

    人の世は 淵より出る 業の性

    この先の収束方向を思いながら楽しみにしています。

    ちょっとした無駄知識と世界が違ってもなぜかにかよる不思議なお話。

    どの時代も税の基礎は何故か稲科。
    小麦然り、米然り、生きる上では豆類、芋類の方が適しているのに、、、、
    何故か稲科の作物が基準になっている。理由?それはね、、、、、

    チコちゃん的に言うと、「面倒が少ないからぁ〜」

    そして、身体尺と言われる、西洋のヤード、ポンドと日本の尺貫法に不思議な類似点があるってのもご存知でしょうか?

    日本で言うところの〝立って半畳、寝て一畳〟は、1by2yard。どちらも大きさはおおよそ900×1800。
    成人一人当たりの穀物量は、西洋では1人1ポンド、日本では一人3合。何方もおおよそ450g。
    一尺は1フィート、おおよそ300ミリ、そのお陰か、鉄道敷設の際にフィートは尺でって説明でほぼイギリス人技師の書いた図面通りに敷設できたと言う。






    作者からの返信

    そうそう、私には米国の留学体験があり、その時
    気付いたのが尺貫法と英米のインチ、フィート、
    ポンド法の類似でした。六尺の巨漢といえば
    Six feet の巨漢に等しいですよね。

    この小説における七百猫は物語の推進役、
    引き回し役です。
    敢えて猫にしたのは、猫は不思議な魔性があり、
    時代の超越を語るのに都合がいいと思ったからです。

    そして、仰っているように、このあと聖徳太子の
    お話は西洋へと繋がります。そこで登場するのが
    オーストリアの量子力学物理学者、
    シュレディンガー博士の飼い猫
    シュレネコです。

    聖徳太子と西洋のある方とはかなりの
    一致点があるのですよ、
    驚くベキです。お楽しみに。