うーん、難しい……です。
ルターとニーチェは名前だけ知ってましたが、宗教について語ってたのですね。
作者からの返信
いつもお読みいただきありがとうございます。
ルターはキリスト教を一新したと言ってもいい宗教者ですね。
宗教にご利益を求める行為を戒めて、純粋に神様と
対峙しなさいと言った人です。
ニーチェは近代の人なので、キリスト教そのものに懐疑的に
なっているのですが、やはり彼もキリスト教を捨て去っては
いない。やはり西洋においては常にキリスト教が文化の
中止にあるわけです。
今回神道の神様にこれを援用したのは、神道そのものが
教義がとても広くて他宗教と共存しやすいことがあります。
日本の宗教の寛容性ってこんな風に説明可能かという
私なりの神道批評なのです。
神道は、自然信仰。自然それそのものを崇め敬い、その自然の中で生かされている感謝を祈るのが本質。
八百万の神を雑に表現するのなら、「万物に神は宿る」。
一神教的には相容れぬだろうことは当然だが、神道から見れば一神教の神も八百万百の一柱にすぎない。それだけ自然というものがてぇてぇのだろう。
人知の及ばぬものを司るもの、知では追えないものは神の領域。
科学という理論武装であっても理は超えられない。理を解し、知る事により理解する。
この世はなんと複雑な事か、、、、
作者からの返信
コメントありがとうございます😊
私は、どちらかというとスピノザが唱えている
神即自然 (deus sive natura)
の思想に共鳴しています。
彼は万物に神が宿るという汎神論であり
ながら、その神性には共通性があり、その精神こそが
神ではないかと説きました。これは神道の汎神論を
更に進化して、一神教ともアウフヘーベン
できる抽象化だと考えます。
アインシュタインもこの思想に共鳴していたようです。
この小説においても、このスピノザの立場を
採って書いています。