第15話 挫折、そして復活
帰宅し、自分の部屋に戻ると、しばらく撮ったプリクラを眺めていた。
——みたらし団子! 一心同体! ——
そう描かれた写真に写る部長は、綺麗だった。
それに引き換え俺はといえば、いかにも何も考えずに服着ましたって感じでカッコ悪い。
もっと、オシャレして行けば良かった。
でも、そんな余裕なんて無かったし……
「冬馬ぁ! ご飯よ!」
下から母さんの呼ぶ声が聞こえる。
テーブルには、父さんが既に座っておりニュース番組を眺めていた。
「さっ、食べましょう」
いつも通りと言えばいつも通りだが、やはり今日も俺たち家族に会話はない。
ほぼ母さん一人で喋っているのも同然だった。
「まさかとは思うが——」
突然、父さんが口を開いた。
「まだ、お笑い芸人になりたいとか思ってないだろうな」
父さんの一言で、体の芯が冷えていくのを感じた。
でも、なんで急にそんな事を?
「沢子とお前が何かやっていたのは知っているんだぞ! 本当はアイツとお前を会わせたく無かったんだ。お前に悪影響を与えるからな」
俺は、叔母さんの事を悪く言う父さんを許せなかった。
「俺が誰と会おうと、俺の勝手だろ」
「元はと言えば、アイツがお笑い芸人なんか目指すと言い出した時に止めていれ
ばよかったんだ。父さんは今でも後悔している。お前には、アイツみたいに失敗して欲しくないんだ」
「何で、父さんが俺の人生に口出しするんだよ! 俺が誰と会って、何を目指そうが父さんには関係ないだろ!」
「お前を今まで育ててきたのは誰だと思っているんだ!」
父さんはテーブルを叩き、大声を出したせいで隣に座っていた母さんが、ビクッとした。
「俺は育ててくれ、なんて頼んでねぇ!」
「何だとっ!」
父さんは俺の襟を掴むと、思いっきりぶん殴った。
(痛ぇ……。血の味って本当に不味いな)
そんな事を考えながら、俺も父さんの右頬に拳を叩き込んだ。
「てめぇ、父親を殴りやがって!」
「うるせぇ! 叔母さんの事を悪く言うな!」
「二人もやめなさいっ!! もうっ! 辞めてってば! ——キャッ」
俺たちを止めようとした母さんが倒れ込んだ。
どちらの拳が当たったのか分からない。
「もう嫌っ! 何で楽しくご飯も食べられないの! 毎日毎日、ギスギスしてせっかくご飯を作っても味なんか分からないじゃない! もう好き勝手やって頂戴! 私は知りません!!」
母さんは泣きながら自分の部屋に走って行き、リビングには俺たちが突っ立っていた。
冷静になると同時に、殴られた箇所がズキズキと痛みだしてきた。
こんな開くだけで痛い口じゃ、何も食べられない。
食事を片付けると、俺も部屋に帰りベッドに突っ伏した。
何で、お笑いを悪者にするんだ。
人を笑わせることって、そんなに悪いことなのか?
もう、何が何だか分からない。
俺の頬から、温かいものが一滴、一滴と流れ落ちる。
「何でお笑いを好きになったんだっけ……」
俺の問いに答えてくれる人は誰もおらず、声は天井に吸い取られていった。
次の日、学校に行くと案の定、みんな俺の腫れ上がった顔をジロジロ見てきた。
そして、勇雄に関しては腹を抱えて笑いやがった。
「何やねん、その顔。ププッ……何があったん?」
「ちょっとした親子喧嘩だよ」
「そ、そうか……」
俺としては、顔のことなんかどうでも良かった。
昨日の事が、頭の中に残って余計に分からなくなったのだ。
俺以外のみんなは笑ってお笑いをやっているのに、俺だけが素直に笑えない。
そして、自分がお笑いをする意味も分からない俺は、段々と部室に行く回数が減っていった。
あの息抜きが効いたのか、一つネタが書けた。
正直、面白くはない。それでも、今までの俺からしたら大事な一歩だ。
しかし、意気揚々と部室に行ったのが不味かった……
「——キャバクラとか——たいんや」
「——が!? 鴨が——」
「それ水や——! もうええわ——してくれ」
「——になりま——」
「安——わ! って被っと——」
部室の中から、兄弟の漫才が聞こえてきた。
恐らく、次の漫才でやるネタだろう。
勇雄がツッコむ度に、部長が笑う声が聞こえてくる。
ドアに手を掛けたまま、兄弟のネタに聞き入ってしまった。
「「有難うございましたー」」
——面白かった。
それも、この前施設で披露したネタより。
(何やってんだろ……)
二人があんな面白いネタを作ってるのに、俺はこんな駄作で喜んで……
恥ずかしくなり、ドアから手を離す。
そして、そのまま家へ帰った。
あれ以上に面白いものを書かないと——
そんな脅迫めいた考えが頭の中を侵食していく。
(たった一作書けたくらいで、調子に乗りやがって! 違うだろ! 俺は——)
下駄箱に着くまで泣くのは我慢しようと思っていたが、無理だった。
勝手にライバルだと思っていた奴に置いていかれ、最高の相方に対しては一方的に距離を置いて……
(俺は初めっから、ただの凡人だっただろ……)
こんな自分が嫌になる。
部長と楽しく部活をしていた頃を思い出す。
基礎も何も出来ていなかったが、自分と同じ熱量を持った人と語り合ってた頃が一番楽しかった。
俺もネタがどんどん湧いてきて、自分のことを天才だと信じて疑っていなかった。
だが、蓋を開けてみるとどうだ? 納得できるネタ、一つすら作れない凡人だったのだ。
これで、あの人とプロに、なんて笑っちまうよな。
「ちょっと冬馬!? どうしたの!?」
家に帰ると母さんが驚いていたが、反応する余裕すらなかった。
そのまま部屋に入り、俺はベッドに突っ伏した。
「クソッ クソッ クソオオオオオオオオオオォォォォォォォッ!!」
涙や鼻水で顔がクシャクシャになっていたが関係ない。
俺は赤ん坊のように、泣きじゃくった。
枕に何度も拳を叩きつけ、声が枯れるまで腹の底から叫び続けた。
「クソったれが……!」
次の日から、俺は部室に完全に行かなくなった。
部長が教室に迎えに来てくれても、何かと言い訳をして帰る。
そんな生活が続き、〈次の漫才は轟兄弟が代わりにやることになった〉とだけ連絡がきた。
言い訳ばかりで何もしない自分に嫌気が差していた。
それに、どんだけネタを書いても途中で面白くないと思って破り捨ててしまう。
地獄にいるようだった。
(……やっぱり、俺にお笑いはムリだったのか)
そんな事を考えてしまうほど、頭の中はグチャグチャに混乱していた。
時計を見ると、夜の八時。
出てくれないとは思いつつ、俺は叔母さんに電話をかけた。藁にもすがる思いだった。
叔母さん以外、頼れる人がいない。
——トゥルルルットゥルルルットゥルルルッ……ガチャッ——
「もしもし冬馬、どないしたんやー」
叔母さんの声を聞いただけで、鼻の先がツーンとしてきた。
「今、時間……ある?」
「あるで。何かあったんか?」
「ちょっと、話を聞いて欲しくてさ」
「ええよ。可愛い甥っ子の話や。聞いたる。話してみ」
受話器の向こうから聞こえてくる声は、いつもの戯けたものではなく、優しく頼り甲斐のあるしっかりとした声だった。
「俺さ、今、ネタが書けないんだ」
「ふむふむ。スランプってやつか?」
「と言うより、野球のイップスに近いと思う。ネタをどうやって書いてたか分からないんだ。それに、面白いってどんなのかも」
「きっかけとかあったんか?」
「うーん……うん、あったと思う」
「言うてみ」
「俺たちの他に、轟兄弟っていう二人組がいるんだけど、そいつらの漫才を見たんだ。面白くって皆腹を抱えて笑ってた。初めて人前で漫才を披露したのに、だよ? 俺たちは誰一人笑ってくれなかったのに。勇雄って奴がネタを考えてるんだけど、凄く差があるように思えてメチャクチャ凹んだ」
「冬馬たちも二回目は笑ってもらったんやろ?」
「うん」
「まぁ、でも悔しいわな。アンタの気持ちは、よう分かるわ。ウチも初めての舞台の時、駄々滑りしてな。その後の同期たちがドッカンドッカン会場沸かせとるん見て、舞台袖で泣いたりしたもんや」
「それが一番の原因……だと思う」
「他にもありそうやな」
「うん。一つは部長のこと」
「夏音ちゃんのこと? 喧嘩でもしたん?」
「ううん、俺が一方的に距離おいてるだけ。何て言えば良いのかな……俺、部長の事は好きだけど異性として好きって訳じゃないと思うんだ。自分でもまだ分かってないけどね」
「ほうほう」
「部長の事は尊敬してるし、今までも助けられた事だって何度もある。でも、付き合いたい方の好きか? って聞かれたら分からないって答えると思う……って言っておいてアレだけど、部長を他の男に取られたくないっていう気持ちもあって。それがラブなのかライクなのか分からない。俺はライクだと思っているけど、そしたらこの気持ちの説明がつかなくて……」
「それの何が問題なん?」
「さっき話した勇雄が転校してきた時、部長に自分と漫才しませんか? そんな男とはやらずに、自分とやった方が面白いですよ! って言ってきたんだ。そしたら、部長が私は彼とやりたいんだ! って言ってくれてさ。すごい嬉しかった。俺をこんなに必要としてくれる人は、今までいなかったから」
「あの子らしいなぁ」
「でも、今の俺はネタが書けない——ただのお笑い好きな人間で……」
「申し訳なくなったんやな」
叔母さんは俺の心でも読めるのだろうか?
「……そう」
「ほなら、ウチから聞きたいんやけど——夏音ちゃんの事を異性として好きじゃなかったら、何があかんの?」
「え?」
「あの子の事をまだ異性として見れてへんのやろ? でも、一人の人間としては好きやし、尊敬しとるんやろ?」
「う、うん」
「それで何か問題でもあるん? 相方のことが嫌いじゃないんやったら、それでええんやない?」
……確かに。
何がダメだと悩んでいたんだろう……?
混乱しすぎて、悩みをすり替えてたのか?
「神様が、ラブの方の好きやないとアカン! って言うた訳やあらへんのやし、今のままでええと思うで。冬馬はどうなんや? 電話かけてくる前と、今とで変わったんやない?」
「うん。正直、前までは部長にただ付き従ってるだけだった。でも今は——」
(本当にそれが本心か——? お笑いを辞めて、安定した日常に戻れる最後のチャンスだぞ? その言葉を口にしたら、もう引き返せないぞ)
もう一人の俺がそう囁いてくる。
部長と出会う前の生活が、懐かしくないと言えば嘘になる。
だが、今なら自身を持って言える。
「あの人と、お笑いのテッペン取りたい!」
「もう夏音ちゃんの事は大丈夫そうやな」
「うん!」
「それと、ウチが思うに……アンタ自身が相方として相応しいのか悩んどる事が今回のイップスに繋がっとんのやと思うけどな。二回目の漫才で、お客さんウケたんやろ? 勿論、あの子の努力のおかげっちゅう部分もあるとは思うで? でも、ネタを考えたんは冬馬、あんた自身や。アンタには、お笑いの才能が間違いなくある。ウチよりもや。才能ない人間は、何回やってもウケへんで?」
「そうなのかな?」
「せやで。それにや……相方に相応しいかどうかなんて、答え出とるやん」
「え?」
「あの子が、アンタとじゃないと嫌やって言うてくれたんやろ? 最高やん。それ、最上級の褒め言葉やで。考えても見てみい。自分の相方に相応しくないって思うとる人間が、そんな事言うか?」
言わないな。
俺なら、別の人から誘われたらそっちに行ってしまう。
「アンタが悩んどることは、全部答え出とるんやで。何を悩む必要があるんや。まぁ、それでも不安なら、本人と腹割って話してみい。本音で話して初めて分かることもあるやろうし、ぶつかる事は悪い事やないで」
この人に電話して正解だったな。
叔母さんの話を聞いているうちに、頭の中のモヤがスーッと晴れていくのが分かった。
何も悩む必要なんてなかったんだ。
「部長に謝らないと——」
「せや。一方的に壁作っとったんやからな。もうウチが言わんでも分かるな?」
「うん! ありがとう!」
「ええよええよ。また、何かあったらいつでも電話してええからな」
「うん。夜遅くまでありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
明日、部長に謝ろう。
許してくれないかも知れないが、悪いのはこっちなんだから土下座でも何でもして、これからも一緒にやらせてくれとお願いしよう。
安心した俺は、突如やってきた眠気に身を任せて眠りについた。
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