第2話 全てはここから始まったッ!
——五月二十日。
今までで一番幸せな時期はいつか? と聞かれたら、間違いなく「小学校に入る前まで」と答えるだろう。
勉強をしなくて良いし、宿題もない。おまけに面倒臭い人間関係にも悩まずに済む。
ニコニコしていれば可愛らしいと褒めてもらえる。あぁ、なんて素晴らしい。
年齢を重ねるにつれ、難しいことばかり考えなくてはならない。
親や親戚の顔色を伺いながら、将来の夢を言わないといけない上に個性を殺さないと厄介者扱いされてしまう。
そんな世の中に飽き飽きした俺、稲荷冬馬は自然と独りになっていった。
話しかけてくれる友達も減っていき、遂には昼食を一人で食べる人間へと成り果てていた。
しかし慣れとは怖いもので、最近では一人で食べる事に何とも思わなくなってきた。
今日も今日とて、昼休み開始のチャイムが鳴ると机に弁当を広げ黙々と食べていた。
いつも通り——いたって普通だ。
ラノベのように、空から美少女が降ってくる事もなければ、超絶美少女の幼馴染みが弁当を作ってくれて一緒に食べる事もない。
『日常とはつまらない幸せだ』
あっ、これ俺が考えた格言ね。
……と、突然教室のスピーカーからいつもの放送委員とは違う声が聞こえてきた。
「————あーテステス、聞こえているか? これ、ちゃんと全校放送になっているんだろうな?」
「なってますよ! えぇえぇ」
「よし。んんっ……私はお笑い部、部長の八百坂夏音だ。これから五分だけ話を聞いてくれ」
スピーカーから流れてくる声は、凛としていて美しかった。
「私は今、お笑い部という部活をやっているが、部員は私一人だ。この放送を聴いている諸君、お笑いが好きなら是非ウチに入ってみな——」
「八百坂氏! 先生方がすぐそこまで来ていますよ! えぇ!」
「クッ、五分も持たなかったか……。仕方ない、来てくれるのは嬉しいが冷やかしなら来ないでくれ! 私は本気で漫才をしたいんだ! 毎日、お笑いライブをやって——」
「コラァァ! またお前達か! 今すぐこの放送を切れぇ!」
「部室は旧校舎の三階にあるっ! ——ではっ! ……ブチッ」
な、何だったんだ……?
周りを見ると困惑している奴らばかりだった。
つまり夢なんかじゃなく、現実だってことだ。
昼休みが終わり、放課後になるまで生徒達の話題はあの放送の事で持ちきりだった。
あんな放送で、実際にお笑いをやろうと思うやつはいないだろう。
いたとしたら、そいつの気が知れないね。
……
…………
………………
(何でだっ!?)
今俺は、『お笑い部』と書かれた教室の前に立っていた。
自分でも、よく分からない。
放課後になり、いつも通り下駄箱へ向かっていたつもりだったが、俺の足は勝手にここへ向かっていた。
全く……お節介な足だぜ。
——と、言いたいところだが本当は分かっている。
俺はまだ、お笑いを捨て切れていないのだ。
ただ、いい子ちゃんの俺は「そんな博打みたいな事やってないで、堅実に生きなよ」と天使の格好をして囁いてくる。
だから、ここに来て決めようと思ったのだ。
あのまま帰ったら、俺の人生はつまらないものになっただろう。
普通に過ごして、真ん中くらいの成績で卒業し、普通の中小企業に就職する。
運が良ければ、彼女ができて結婚……
そんな刺激のない不完全燃焼な人生だと思う。
ただ、あの放送を聞いた時、俺の中で何かが反応した。
きっかけ……そう、一歩を踏み出すきっかけが欲しかったのだ。
あんな狂行に及ぶほど変わっていて、本気でお笑いのことを考えている人と話してみたい。
もしかしたら、あの人とコンビを組む——なんて可能性は限りなくゼロに近いが、分からない。
だから俺はここへ来たのだ。とりあえず今日は見学だけ。
「——っと聞い——れ」
「最——イエッ——始——だが、中——せなくて……」
部屋の中から、部員らしき女性が練習している声が聞こえる。
あの放送の時と同じく、耳にスッと入ってくる綺麗な声だった。
「ダメだ。もう一回……。んんっ……ど、ドウモ! 八百坂デス……あのっ! 最近、あ、暑くないですか? って何でやねん! い、いいい、今は冬やんねん! いや春やないんかい! だって——」
「いや、やっぱり夏の方が良いかも。んんっ……ど、どどど、ドウモ! や、やお、八百坂、で、デス! あの、さ、最近……あ、暑くないですか? って何でやねん! い、イマハフユヤネン! いや、いやいや、夏なん——」
——コンッコンッ——
「宗教の勧誘なら間に合ってるぞー」
誰がニコニコして幸せですか? って聞いてくる人だよ。
てか、そんな人間が学校にいる訳ねぇだろ……
「失礼します」
そうツッコミながらドアを開けると、俺の全てが止まった。
時も、心臓も、全てだ。
そこには、俺の人生の中でぶっちぎりで一番の美少女がマイクの前に立っていた。
整えられた眉毛の下には、キリッとした目がこちらを見ている。
さらに、外へ出た事がないのか? と疑いたくなるほど透き通った白い肌。
肩の下まで真っ直ぐに伸ばした艶やかな黒髪は、窓の外から差し込む夕日にあたって宝石のように輝いていた。
俺の語彙力では、そんなありきたりな美少女の説明しか出来ないが、とにかく本当に可愛い女の子がいると思ってくれ。
(あ、目があった……鼻毛出てないかな? 大丈夫だよな?)
「失礼するなら、帰ってくれ」
「……失礼しました」
そのままドアを閉めて帰ろうとすると、物凄い勢いで腕を掴まれた。
「その受け答えは、お笑いが好きじゃないと出てこない! 君を副部長兼私の相方に任命しよう!」
彼女は目をキラキラさせながら、俺の腕を引っ張り部屋に入れようとした。
ちょっ、力強っ——
ゴリラにでも引っ張られているような錯覚を覚えながら、ポツンと置かれた椅子に座らされた。
「早速だが、これに名前を書いてもらおう」
「いやいや、まだ俺は入るなんて一言も……」
「何故、入らないという選択肢がある? 君はたった今から、お笑い部の副部長であり私の相方なんだぞ? 書くよな? な!?」
あぁ、蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちだったんだ……
俺の真横には超絶美少女の格好をした、ゴリラ並みの腕力を持ち、ライオンのような威圧感のある存在がドア側に立っている。
完全に退路を立たれた……
観念して、氏名欄に名前を書く。手先が震えてうまく書けなかった。
書いてる間、ウンウンと頷きながら「やっぱり私の目に狂いはなかった」と言っている。
「明日から放課後は毎日、ここに来るように」
「何故ですか?」
「部員だから」
「強制的に書かされたのに?」
「そんな細かい事は気にするな!」
気にしますよ。……って、全然細かくねぇし。
「二つだけ質問して良いですか?」
「一個に絞れないか?」
「絞りに絞った結果、二つなんですよ」
「分かった。何でも聞いてくれ。ちなみに、好みのタイプは——」
「何で俺なんですか?」
「私の好みは興味なし、か。まぁ良いだろう。質問の答えは、勘だ」
勘で監禁されたら、堪ったもんじゃない。
「では二つ目ですけど、俺に何を望んでいるんですか?」
「それは簡単だ。私と漫才をしてくれ。現時点では、アマチュアのお笑い芸人だがな」
「お断りします」
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