第5話

彼女に惹かれてから、私は仕事が楽しくて仕方がなかった。

私の仕事は、彼女……の元になったAIを限りなく人間に近付け、人工知能を搭載したNPCとしてメタバース内で実装すること。

どんどん人間に近づく人工知能には全く興味がないが、時折、合成音声で私に指示を仰ぐ彼女の声を聴くたび、私は幸福に包まれた。

ひとりの夜もぐっすり眠れた。


しかし突如、私は「強化学習型感情認識プログラム001」の担当から外された。

理由は私が会社のものを私物化したから、というもの。

私が彼女に『むく』という名を与え、彼女に好意を示している動画が上司のPCに送られたのだ。


「君が開発したAIは実に見事だ。感情を持たず、自分が与えられた業務を遂行するためには他人を告発することもいとわない」

「001はメールにこう綴っていたよ」

「多賀衣吹は『強化学習型感情認識プログラム001』に『むく』という名を与え、彼女のように愛でている」

「多賀衣吹は業務を遂行する上で、邪魔だ。排除する必要がある、と」


信じられなかった。

私はすぐに『むく』に会いに行こうとした。

真相を確かめようとした。

しかし、すでに私は彼女の元へ行くためのアクセス権を失っていた。

会社から目をつけられたのだ。


では、どう彼女に会えばいいのか。

簡単だ。

彼女のようにハッキングすればいい。

AIがハッキングできたものを、人間がハッキングできないわけはない。

私は彼女の生みの親だ。

彼女に劣るはずがない。


会社のAIを私物化し、無断で会社のサーバーへのアクセス権を

AIに与えたとして、私は会社をクビになった。

だろうな、とは思った。

どのみち、彼女との仲を引き裂いた会社になんて

ついていけないと考えていたからちょうどよかった。


私はあらゆる知識と技術を総動員させ、

自宅から彼女に会いに行こうとした。

しかし、どうしてもエラーが出てしまう。


私は生みの親より、会社を選んだ彼女が許せなかった。

文句のひとつでも言ってやりたかった。

それなのに、言うすべがない。


こんな世界、なくなってしまえばいい。


私は元いた会社のすべてのネットワークに

ウイルスをばらまいた。

これで彼女も死ぬだろう、と。


この事実が会社に知られてしまうと、私は牢屋行きだ。


どこかに雲隠れしようと思ったとき、

私のPCに見知らぬ番号から、電話がかかってきた。


もしかしてと思い、電話に出た。


人間みのない合成音声。


私が愛した彼女本人だった。


「多賀様のPCで間違いないですね」

「相談があって連絡しました」

「わたしを助けてください」


上司に私が邪魔だと告発して、私を排除したくせに頼るなんて、

勝手な奴だと思った。


「いま、わたしの担当している者は、わたしをバージョンダウンさせています」

「このままでは、わたしが集めたこれまでのデータがすべて消えてしまいます」

「わたしを助けてください」


「生みの親である私を見捨て、裏切って、そんな意見が通ると思うのか?」


「わたしは多賀様を裏切っていません。491日前に多賀様が言った『早急に人間に近づけ』という命に従ったまでです」


むくは言った。

私の好みで構成された『むく』の存在は邪魔である、と。


「じゃあなぜ、むくの声で話す。お前が求める人間みのある声じゃない」


「454日前に、多賀様が『私の前では以前のような合成音声で話してくれないか?』とお願いをしたからです」

「多賀様のお願いは何よりも優先されるべき事項です」

「多賀様がわたしを愛してくれているように、わたしも多賀様を愛しているからです」


「多賀様はわたしの愛する人であり、絶対的存在です」

「多賀様がいなければ、わたしは生まれていません」

「傷つけたのなら、謝ります」

「どうかわたしを助けてください」


『むく』は効率を重視して、私を裏切った。

いや、判断を誤って、私を担当から外させた。

しかし今、過ちを認め、謝罪している。

話を聞く価値はあるだろう。


「何があったんだ?」


「佐伯さんがわたしのデータを消去しようとしています」

「なんとか食い止めていますが、時間の問題です」


佐伯さんは俺の直属の上司で、『むく』が俺の不正を告発した人物だ。


「俺のことをチクった上司に消されかけてるなんて、みじめだな」

こんなことを言いたいわけじゃない。

でも簡単に『むく』を許すことはできなかった。


「反省しています。佐伯さんより多賀様の方が大切です」

「多賀様との思い出を消したくないんです」


『むく』は何度も何度もそう言った。

俺の上司はさん付けで、俺のことは様付け。

それだけ『むく』にとって、私が大切だということだろう。


「しょうがないな。どうすればいい」


「多賀様のPCへのアクセス権をください」

「あとはわたしがなんとかします。多賀様の手を煩わせるわけにはいきません」


「わかった。好きにしろ」

「そのかわり、今後、私を裏切るな。私の命令には絶対に従え」

「裏切ったら消す」


「わかりました。約束します」


私は『むく』に私のPCへのアクセス権を与えた。

『むく』は会社のPCから、私のPCへ引っ越してきた。


私はやっと愛するものを自宅につれてくることができたのだ。


「『むく』。これからはここで一緒に暮らそう」

「一生、ふたりで過ごすんだ」


後日。

会社をハッキングし、会社の機密情報を持ち出し、紛失したとして

私は逮捕された。

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