03 ほっと一息


「キアレスったら、レディをあんな風に扱うだなんて信じられないわ」


 今朝の出来事を思い出しながら、リリスティアはミルクがたっぷりと入ったコーヒーを口に含んだ。


「あんな風って……、お姫様抱っこのことっすよね?


 いいっすねぇ。自分もいつかされてみたいっす」


 メリルがスプーンでカップをかき混ぜながらそんなことを言うものだから、吹き出しそうになるのを堪えて、即座に否定する。


「なっ!?あ、あれはその……違うわ!誤解よ!!」


 必死に弁明しようとするも、「あんなに目立っておいて、その言い訳は見苦しいっすよ?」と言われては何も言えない。


 そもそもの話、全部キアレスが悪いのだ。

 騒がないでと言うリリスティアの言葉を聞き入れずに、医務室まで横抱きにしたままの全力疾走。当然自分は振り落とされないようにしがみつくのが精一杯で、周囲の反応なんて気にしている余裕はなかった。


 その後メリルに「リリス様もやるっすねぇ」と言われて何のことだかわからないでいると、騒動を見ていた生徒たちから『人目も気にせず自分たちの世界に入り込んでいるオヒメサマとオウジサマ』と噂されていたリリスティアの心境といったら。……察してほしい。


 だから今もこうして、メリルの部屋で行われる楽しいお茶会の時間だというのに愚痴をこぼしているのだ。しかも何故か微笑ましげに見られるだけで、共感はしてもらえない。


「だからあれは目立ちたかったわけじゃなくて、キアレスが私の話を聞いてくれなかっただけなの」


 ちらりとメリルの顔を伺うと、ニヤァと三日月型に口を歪ませていた。なんだか嫌な予感がする、とリリスティアの頬がヒクヒクと引きつる。


「ふぅん。へぇ……そうなんすねぇ」

「……なによその含みのある言い方は」

「リリス様って普段は優雅でかっこいいっすけど、たまぁに超絶かわいくなる時があるっすよねぇ。

 ……今とかまさにそうっすけど」


 その言葉にリリスティアの顔がポンッ!と赤く染まった。


「こりゃあ見事な赤い花が咲きましたねぇ」

「っ〜〜〜〜!!」


(メリルったら、私が前にからかった時の意表返しね……!)


 リリスティアは自分がからかう分には楽しくやるのだが、自分がからかわれることには慣れていなかった。最近はキアレスがちょくちょくからかってくるため慣れた気でいたが、この路線で攻められるのは初めてだったため、耐性が赤ん坊並みのクソ雑魚だったのだ。


「……メリルも言うようになったわね」


「この間のお返しっす」


 本当にその通りのため、リリスティアは何も言い返せず、押し黙ることしかできなかった。



***


「それで?リリス様はそのキアレスって人のことを、どう思ってるんすか?」


「え…………?」


 突然のことに、プリンを口の中に入れようとした寸前のところで固まる。


「何すかその"全く考えていなかった"、みたいな反応は」

「いえ、だってその……」

「まさかほんとに眼中になかったんすか!!?」


「うっ!だ、だって……」


 口に入れ損なったスプーンをそのまま皿の上に戻して、リリスティアはうっ、と短い悲鳴を上げた。


 キアレス。キアレス・ロートレット。

 よく人をからかってくる真意のわからない男で、ヒロインの手助けをするサポートキャラ。 


 攻略対象以外にも男はごまんといると言いながら、その・・可能性を失念していた。

 

「リリス様の話を聞く限り、少なくとも好意はあるっすよね?……もしかして、一目惚れされたとかじゃないっすか?向こうから声をかけてきたんでしょう?」


 わくわくと期待の眼差しで見つめてくるメリルには悪いが、その可能性がないことはリリスティアが一番よく理解している。


「……あれは違うわよ。商売相手を探していただけ」


 「なんだつまんないっす」と言って、あからさまにがっかりした様子を見せるメリルに、リリスティアは曖昧に微笑む。


「キアレスは他の女の子相手でもああいう態度なのよ。別に私が特別とか、そういうのではないの」


 「そういうもんすかねぇ」とまだ納得していないメリルに「そういうものよ」と苦笑いした。

 

 そう、だから勘違いしてはいけないのだ。 

 リリスティアがここですべきなのは恋愛ではなく、ヒロインの妨害だ。色恋に現を抜かしている暇などない。

 自分が心身共に百戦錬磨の妖艶な美女であればそれもありえたが、リリスティアはそうではない。己の領分は弁えている。自分のできる範囲で戦うのみだ。



 リリスティアは残りのコーヒーをぐびっと飲み干すと、にこやかな笑顔でメリルと向き合った。


「…………それよりメリル?私は貴女の話が聞きたいわ」


「げ」

 メリルが後ずさる。

 しかし、それを逃すほど自分は甘くはない。


「聞かせて。ね?」



***





「エリクってば酷いんすよぉ〜!?自分とはまともに目も合わせてくれないのに、どこの馬の骨とも知らない女の子たちに熱ぅい視線を貰っちゃって!!この間なんて直接贈り物なんかされてました!!


 そりゃあ自分にはあんな色気はないっすけど、せめて話しかけた瞬間に秒で立ち去るとかはやめてくれてもいいじゃないすかぁ!??やっぱ『まだ許してない』とか言ったのが悪かったんすかねぇ?でも言っちゃったものはどうしようもないじゃないすかぁ!!??」


 

 「自分のお粗末な紅茶をリリス様にお出しするのは気が引けるので、コーヒーこっちで勝負することにしました!」と胸を張っていたメリルだったが、今はそのコーヒーによりカフェイン酔いを起こしていた。


「め、メリル?おちついて……」


 恐る恐るなだめようとするが、酒を飲んでいるわけでもないのに泣き上戸になっていて安易に近づけない。


(というかこうなるんだったら、どうしてコーヒーを入れようとしたのかしら……?)


 そう疑問に思ったものの、メリルだものね……で解決してしまい、現実逃避にすらならなかった。



「確かに自分はエリクにとってただのその辺の妹と同じ扱いなんでしょうけど、

 それでも特に最近は目に余るっす!」


 うわぁ〜ん!とノートを振り回しながら、メリルは慎ましくも暴れている。被害は出ていないため、止めなくても大丈夫だろうが、このまま続けば暴れ疲れて眠ってしまいそうな勢いだ。


「なんなんすか!最近殿下やエリクの周りにいる女子生徒は!!?距離が近すぎるっす!!


 エリクもエリクっすよ!なぁにその距離まで近づくことを許容してるんすか!?

 王子相手だろうと嫌なものは嫌と言う人間でしょうがあんたは!!

 それとも満更でもないってことっすかぁ!??」



(女子生徒って……きっとセーラのことだわ)


 やはりセーラと遭遇できないのは自分だけだということがこれでほぼ確定した。 

 それと同時に、エリクがかなり攻略されているということも──。




「メリル、その女子生徒について、もう少し詳しく教えてくれないかしら?」


 ほぇ?と間の抜けた返事をするメリルは、おそらく泣き過ぎてカフェインが飛んだのだろう。


 ようやく落ち着いたのか、「その女子生徒に関しては外国からやって来たってことくらいしか……。でも、その子のせいで最近はアメリア様にもあらぬ噂が立ってるんすよ」と悲しそうに言った。


(今は、婚約者の周りをうろつく女がいて、それを本人が許してるっていう状況よね?

 この間も人前で咎めていたし、噂が立つのも当然……というか、皆してアメリア公女とニコラス王子の手のひらの上で転がされているってわけね)


 この分だと乙女ゲーム恒例の婚約破棄イベントが起こりそうな勢いだわ。とリリスティアは静かに唸った。


 そんなリリスティアをメリルは、「リリス様も、どうしてそんな話が聞きたいんすか?」と首を傾げている。


「ま、まさか──!?

 リリス様も殿下の隣を狙って──!??」


「違うわよ!!!」


 誤解されてはたまらない!と、衝撃のあまり頭が割れてしまったメリルに向かって声を張り上げた。


「……その、そういう情報を知りたがってる人がいるの」


 だから誤解しないでほしいとメリルの顔を見ると、ぱふぁっと頭が復活して、おひさまの色へと変わっていた。


「なーんだ。結局そのキアレスって人に戻るんすね」

「だから違うの!!!」


 体に合わせてゆらゆらと揺れるメリルの頭を眺めながら、カフェイン酔いをしているメリルにはきっと届いてはいないわね……とカフェインを恨めしく思った。



***


「今日は私のためにありがとう。楽しかったわ」


 コーヒーといいプリンといい、慣れないながらもメリルなりに頑張ってくれていたのが伝わって、とても嬉しかった。


「ふふ、仕方がないわね」


 騒ぎ疲れたのか、ウトウトし始めたメリルにブランケットをかけて、リリスティアは部屋に帰る準備を始める。 

 

 あれだけ疲れていたというのに、お茶会をしたことにより、それも全て吹っ飛んでしまった。すごい効果だわ、とリリスティアはメリルの頭を撫でる。


「私、メリルのためにも頑張るわ」


 メリルの目元にかかった髪を横に流し、いい加減に帰ろうと背を向けたところ、

「……?よくわかんないすけど、リリス様が元気になったみたいで自分も嬉しいっす」

 という寝ぼけた声が聞こえた。


 ゆっくりと振り返り、メリルの顔を確認する。


「……すぅ、すぅ、すぅ」


 無防備に晒された花丸満点のふにゃりとした笑顔に、リリスティアの心は癒やされたのだった。


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