第277話 人生の一端



 ……英雄、アンズ・クマガイ。そいつを殺すことが、私に課せられた依頼。それを遂行してこそ、自分の存在意義に繋がる。そう考え、常々行動している。


 呪術を駆使し、あの英雄をかなり弱らせるに至った。はずだ……なのに、しぶとい。食いついてくる。生を、諦めていない。


 奴の呪術は、妙だ。そもそも呪術というもので自体が、妙といえば妙な術なのだが……それを差し引いても、妙だ。


 私の腕を、食った変な黒い煙……それだけならまだしも、それを自らの体の一部として生やしてしまった。加えて、私の呪術をそのまま使えるのだ。腕と能力を奪い、自分のものにする……訳がわからない。


 だがまあ、それはいい。呪術とはそういうものだ、とさえわかっていれば、たいして大きな動揺はない。世の中は広いのだ。


 たとえその変な呪術があろうと、着々と英雄サマを追い詰めていた……はずだ、多分。少なくとも、力は拮抗していた。


 ……それなのに、どうして……



「久しぶりだね……ノット」



 瞬間、なにかが胸を打つような感覚。心臓が、跳ねたような……そんな、感覚。その人物を見た瞬間、だ。


 そいつに見覚えはない。タヌキのような耳に、尻尾。獣人……そんな女は、私の記憶の中にはいなかったはずだ。


 ……いや、違う。いなかったんじゃない。忘れていたんだ。自分で記憶を封じていたのか……自らの記憶に、鍵をかけていたんだ。目の前の人物のことを、知っている。



「……なんで、生きてるんだ……ローニャ」



 だからだろう……自分でも意識しないうちに、彼女の名前が出たのは。忘れていた、彼女の姿が、名前が……幼かったあの頃の記憶が、ふとよみがえってくる。


 以前、無意識のうちに昔の記憶を思い出してしまったが……まさか、それが繋がり今ここで、記憶の中の人物と会うとは思わなかった。


 それも、死んだと思っていた相手だ。



「やだなぁ、再会早々物騒だなぁ。……ま、それも仕方ないか。なんせ自分が見殺しにしたと思っていた相手が、目の前に現れたんだから」


「!」



 あれから、かなりの月日が経った……それでも、目の前の人物、ローニャは、昔のままだ。背丈や雰囲気こそ変わっていようと……昔のままだ。


 私よりも、下の……役に立たないと、切り捨てた相手。なのに、なんで……体が、動かない。まだ英雄だって、いるってのになんだって……


 恐怖……してるのか? いや、そんなわけないな。


 こんな、奴に……



「ひどいよね……私たちは友達。ううん、姉妹みたいだって、思ってたのにさ。あなたに見捨てられたあと……大変だったんだよ?」


「な……」



 頬に手が、添えられる。目の前にローニャの顔があり……吐息が触れるほど、近い。その瞳は、なにを考えてる……わからない。職業柄、他人の内面を読むのは得意なはずなのに……


 ローニャがなにを考えているのか、全然わからない。


 わからない、が……



「……私を、恨んでるのか?」



 それだけは、確かだろう。私は、助けられるこいつを見捨てたんだ。しかも、そこに私たちを売ろうとしていた男一人と残して。


 その後、どうなったのか……なにがあったのか、私は知らない。知らないが……今生きているということは、そういうことだろうな。殺されなかった代わりに、どっかへ売られて……


 売られて、こき使われて、人以下の存在として扱われて……その結果、死ぬことは免れたが代わりに、人としての尊厳を失ったってとこだろう。


 なぜそれがわかるか……それは、私だからわかる。同じ世界で生きてきた私だから。そして、人間のあらゆる面を見てきた私だから。


 ローニャの目は、もう死んでいる。なにを考えているのか読み取れないのも、ひょっとしたらそのせいかもしれない。



「……さあ、どうだと思う?」



 私を恨んでいるのか……その問いに対する答えは、逆に質問を返してくるものだった。


 どうだと思う……だと。わかっているだろう。そういう質問が出たってことは、私は……ローニャが私を、恨んでいると思っているってことだ。


 逆の立場ならどうだ。そりゃ、助けてもらえると思ってた相手から、それもそれまで姉妹のように過ごしていた相手から……見捨てられれば、私なら恨みを抱くだろう。


 ……それなのに。



「私は別に、ノットを恨んでないよ」



 と、言ってきた。その言葉が果たして本当か、それとも嘘か……私には、わからない。言葉の裏も、読めない。



「全部、私が弱いのがいけないんだもんね。私が、役立たずなのが、いけないんだもんね」


「……!」



 なぜだか、その言葉の一つ一つが、私の神経を撫でるような感覚がある。私を恨んでいないというその言葉を、素直に受け止められない。


 それは、私が相手の言葉をまっすぐに受け止められないほどに歪んでしまったからか……それとも、それがローニャの本音だと思っていないからか。



「聞いたよね、なんで生きてるかって……あれから大変だったんだよ? 逃げ出すこともできずに結局、売られて……金持ちの豚どものいいおもちゃにされてさ。買われた私には抵抗する権利も、力もないし……ずーぅっと、気が済むまで殴られ蹴られ雑用させられ犯されて……男でも女でも関係ないの。それも、何人も何人も、売られてはそこでいいようにされて、また売られて。ノットと一緒だった生活が天国に感じるくらい、だったよ。けどね、何度も繰り返すうちに……世渡りっていうの、覚えたんだ。だからほら、最初はガリガリだった体も、今はいいもの食べさせてもらってるからちょうどいいでしょ。スタイルも維持して、相手に気持ちよくなってもらう方法だって覚えたの。ね、気持ちよくなってもらえれば、相手の機嫌をとれば、お腹いっぱいに食べさせてもらえるの。あの頃はたった一欠片のパンを盗んで、食いつないできたでしょ。でもそんな生活とはもうおさらばなの」


「ろ、ローニャ……?」


「だからね、ノット……私今、幸せなんだよ?」



 まるで、壊れたように次々と、自身が過ごしてきた人生の一端を離すローニャは……私でさえ、恐怖を感じてしまうほどだった。


 恨んでいないと、幸せだと話すローニャの言葉は……まるで硬い鎖のように、私の体を拘束し、動きを……いや、動こうとする気力を、奪っていく。

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