第2話 死んだ英雄
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「ひ、ひぃっ!」
声が、する。それは男のものだ。なにかに怯え、恐れ、逃げ惑う情けない声。
ザシュッ……!
直後、また別の音が響く。それは、肉を切るようであって……あまりに生々しすぎる、嫌な音だ。それが、耳に届く。聞くだけでも、耳を塞ぎたくなる音。
だけど、それは私にとってはもうどうでもいいことだ。なぜなら、その音を発生させたのは私なのだから。
今私が思うのは、そう……ただ、この胸の中のどす黒いものを、なにかにぶつけることだけだ。たとえばこれを八つ当たりと言われても、自己満足だと言われても……いい。構わない。
これは正真正銘、私の『復讐』であることには違いないのだから。
「ど、どうしてあなた、が……! ひっ……た、助けてくれ、頼む……!」
胴体から右腕を切り落とされた男が、涙ながらに私に助けを乞う。切断による痛みよりも、死にたくないという恐怖が勝っているらしく、痛いと叫ぶよりも助けを求める声を響かせる。
それを行った、私にだ。
時間帯は夜。辺りは暗闇で、これだけの騒ぎがあっても誰も駆けつけてこない。いや、わざと私が、そういう場所に誘導した。
「ひ、ひっ……ぐっ、ぁ!」
男は必死に、私から逃げるが……なにかに躓き、その場に転んでしまう。ただでさえ暗闇の空間、さらに私から逃げる恐怖に、辺りへの注意力はなくなっていたのだろう。
「いっ、つつ……ぁ、ひっ!」
自分がなにに躓いたのか、それを確認した男は、喉をつまらせて悲鳴を漏らす。そこにあったのは、倒れている人……いや、すでに死んでいる人だ。死体(それ)に躓き、転んだ。
そこにある死体だけではない。周りには、たくさんの死体が転がっている。全部私が手をかけて、殺したものだ。生き残っているのは、目の前で必死に起き上がろうとしているこの男ただ一人。
体を血で濡らし、顔は涙と汗に濡れ、失禁している姿は……なんとも情けなく、ほんの数分前までの堂々とした姿は影も形もない。
『なんだキミは、こんな時間に危ないぞ。早く帰りなさい』
ただ、なおも意識を保っているのは男の芯の強さゆえか……それとも、意識を手放せばもう目覚めることはないと本能が理解しているから、なんとか意識を繋ぎ止めているのか。
弱々しい姿……本来ならば、心が痛むであろう男のそんな姿を見ても、しかし私の心が痛むことはない。
「どうして、か……そうだよね、気になるよね。……あなた自体に、恨みはないの」
「そ、んな……な、なら、なんで、こんなことを……!」
「理不尽だって、思うよね。うん、そうだよね……でも、仕方ないんだよ」
「……! え、『英雄』となったあなたがどうし……て……!」
……男の言葉がそのあとも続くことは、なかった。なぜなら、言葉を話すための器官を切り裂き、その首を落としたからだ。私が、この手で。
男に言った通りだ。……この人自体に、私は恨みはない。だけど…………この世界に、私は恨みしかない。
「一応、謝っとくね、ごめんなさい。……『英雄』は、もう死んだの」
我ながら、冷たい人間だとは思う。ごめんなさいと謝っておきながら、彼に対しての罪悪感は、まったくといっていいほどなにも感じなかった。
この手で、人を殺しておいて……なにも。これだけの人数を殺しておいて、なにも。
「……『英雄』は、もう死んだんだよ」
先ほど男に言った言葉を、復唱するように呟く。そして、すでに生命の糸が切れもう動くことのなくなった男へと視線を移す。
あなた個人には、なんの恨みも、関係もない。けれど……とても、恨みがあるし、関係もある。矛盾している? いや、そんなことはないよ。
私が抱く、恨み……その理由は、たった一つ。あなたが、この世界の人間だから。
「だから、私はあなたたちを許せないんだ」
あなたが、この世界の人間である限り……私は、あなたを許さない。この世界の人間が、この世界の人間である限り……私は、この世界の人間を許さない。
私の日常を奪ったこの世界を、私は許さない……
私はこの世界を、許さない……!
「許せとは、言わないよ。私も、許さないから」
自分でも無意識に出た言葉は、転がる死体に言ったのか……それとも、この世界に言ったのか。私自身も、わからない。
一つだけわかっているのは……私はもう、止まれない。引き返すことは、できないっていうことだ。あの日から、あの時間から、私の世界は壊れてしまったのだから。
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