第十三章 復讐の野蛮人(バーバリアン)

第106話 悪戦苦闘(前編)


---三人称視点---



 翌日の10月4日。

 北エレムダール海戦での帝国艦隊の圧倒的な敗北の報告を聞かされた時、

 皇帝ナバールは渋面になり、激しい声で怒りを露わにする。


「何ということだ……これで連合軍に制海権を抑えられた。

 このままだと帝国の北部エリアから敵の増援部隊が次々と上陸する。

 フーベルク、親衛隊長のザイドに帝都防衛隊を率いさせて、

 北部エリアの防衛に向かわせよ」


「……御意」


「糞っ、ミストラルめ。 とんだ失態を犯してくれたもんだ。

 戦力に余裕などないのに、無駄な戦力が割かれた。

 この状況はまずい、実にまずい!」


「……陛下、これで我々の勝利の機会が失われたわけではありません。

 終わった事を嘆くより、今出来る事で戦局を打開すべきと思います」


 皇帝ナバールは激しい勢いで総参謀長フーベルグの方に振り向いた。

 ナバールの鳶色の瞳の中で激しい怒りの炎が燃えていた。


「総参謀長、貴公の云う事は理解できる。

 だがこれで我が軍の行動が制約された。

 それも自分の失態でなく、味方の失態でだ。

 これで我慢しろと云うのか!!」


「はい、総指揮権を取る者は、如何いかなる時も冷静でなくてはなりません!」


「……それを我慢、耐えるのが真の皇帝ということなのか?」


「……そうです。納得できない出来事を正面から受け止めて、

 それを己の器量で抑える事が出来て、

 人は初めて己自身と困難を乗り越えられるのです」


 皇帝ナバールは何か云おうとしたが、寸前で言葉を呑みこんだ。

 握りしめた拳をふるふると震わせていたが、次第にその震えが止まる。

 総参謀長は小さく溜息をついて、

 いたわるような視線で皇帝を見つめた。


「……そうだな。過ぎた事を悔やんでも仕方ないな。わかった。

 余は余の出来る範囲で現実と向き合い、やれるべき事を行ってみせよう」


「ええ、それがこの戦いで勝利を掴む最低条件です」


「しかし制海権を握られたとなると、

 戦線を伸ばす事に不安を感じるな。

 どうにも今回の連合軍は消極的というか、守勢に回って、

 こちらの行動線を伸ばすように、戦っている気がする。

 これが相手の意思によって作為的に仕組まれているのであれば……」


「恐らく意図的ですね、でもそれでも我が軍は、

 この戦いに勝ちに行かなくてはなりません。

 補給線に厳重な護衛部隊をつけて敵に補給路を断たれないように

 すべきでしょうね。ここで補給線まで瓦解すると我が軍の苦戦は必死です」


 皇帝ナバールは暫しの間、微動だにしなかったが、

 大きな吐息と共に全身から力を抜いて、リラックスした。

 だがそんな皇帝の思いとは裏腹に、戦局は悪い方へと傾く。


「申し上げます! ハーン将軍率いる第四軍が

 ロスジャイト東方で敗北したとの報せでございます!」


「申し上げます! タファレル将軍率いる第五軍が

 帝国南部エリアに退却しました!」


「も、申し上げます。

 シュバルツ元帥率いる第二軍がアスカンブルグ高原から

 都市ハージャロックへ退却中との事でございます!」


「何っ!? シュバルツ元帥までもが!?」


 予想外の事態に皇帝ナバールも驚きの声を上げた。

 その皇帝の傍らで総参謀長フーベルクが冷静に現状を分析する。


「敵は西方軍、南方軍、東方軍の三部隊に分散しながら、

 迅速な動きで我が軍を翻弄しておりますな。

 陛下自らが指揮する本隊がいくら勝利を掴んでも、

 このように他の軍が苦戦を強いられると、

 いたずらに兵力を消耗するばかりでございます」


「……」


 非常な現実にナバールも言葉を失う。

 

 ――何かが違う、これまでと違う。

 ――一体何が原因なのだ?

 ――私が指揮する本隊は勝っているのだ。


 ――もしかしたら敵は気付いているのか?

 ――我が帝国軍は余に依存しすぎているという事実に。

 ――だが仮にそうだとしても、今更戦略は変えられない。


「陛下、ここは全軍を一旦後退させましょう。

 戦場を帝国領の国境線ではなく、

 帝国領土内の都市や要塞で敵を迎撃すべきです」


 総参謀長フーベルクが皇帝にそう上申する。


「分かった、ここは総参謀長の意見を容れ、

 戦場を帝国領土内に移そう」


 そして帝国軍は全軍に後退命令を下した。

 だが皇帝ナバールは知らなかった。

 いや知っていて知ろうとしなかったのであった。


 既に戦いの流れは連合軍にあり、

 帝国軍は徐々に追い詰められているという事実を。


 その一方で連合軍の総司令官ラミネス王太子は、

 周囲の参謀や副官、将兵達に凜とした声で宣言する。


「いいか! 当初の計画通り、

 ナバール自身との決戦は極力避けるのだ!

 敵の中にナバールの姿を見つけたら、

 兎に角逃げろ、その代わり部下の将軍達の軍は

 徹底的に叩け! そうやって帝国軍を右往左往させて

 疲労の極致に追い込むのだ、そうすればこの戦いは勝てる!」


「おおっ!!」


 自然と連合軍の士気が高まる。

 一方の帝国軍は全軍の後退を決意したが、

 連合軍の執拗な攻撃によって、各部隊が徐々に損害を受けていた。


 そんな中、皇帝ナバールは自身が率いる第一軍。

 シュバルツ元帥率いる第二軍を都市ラスペラーガに向けた。

 帝国軍にとって、この都市ラスペラーガは、

 エスベル河とブライク河の合流する地点に位置する

 重要拠点であり、ここを最終防衛線として戦うつもりであった。


 だがその為には誰かが敵の進軍を食い止める必要があった。

 そこで皇帝ナバールは非常な決断を下した。

 皇帝ナバールは本陣にラング将軍を呼びつける。

 ラング将軍は皇帝の前で片膝をついて頭を垂れた。


「ラング、卿に大役を命じる。

 我が第一軍と第二軍は都市ラスペラーガまで退却する。

 その際の殿しんがりを卿の軍に任せたいと思う」


「ははっ、その大役、謹んでお受け致します」


「正直厳しい戦いになるであろう。

 だから本当に危険な時は卿等の部隊も退却せよ!」


 だがラングは皇帝の言葉に首を左右に振った。


「いいえ、私も武人の端くれ。

 それ故にこの大役の意味も理解しております。

 そして私は見も心も皇帝陛下と帝国に捧げております。

 ですのでこの身が果てるまで戦います」


「……そうか」


「はい」


「……卿のその気持ちは何よりも有り難い。

 だが卿にはまだまだ余のもとで働いて欲しい。

 だからラングよ、死ぬな。 生きて余に尽せ!」


「……はい、私も生きて元帥の称号が欲しいです」


「嗚呼、余もそれを望んでいる。

 既存の兵力だけでは少し厳しかろう。

 余の本隊の魔導師と回復役ヒーラー達を

 三百人程、卿の部隊に同行させよう」


「お心遣い感謝します。

 ……それでは早速任務にあたります」


「嗚呼、頼んだぞ」


 だがナバールもラングも心の何処かでは分かっていた。

 恐らくこれが今生こんじょうの別れになるであろう、という事を。

 そして帝国軍の第一軍と第二軍が後退するなか、

 ラング率いる『帝国鉄騎兵団ていこくてっきへいだん』とその随伴部隊の第三郡は、

 味方を退却させる為に、都市ハージャロックに留まり、

 連合軍の主力部隊を迎え撃とうとしていた。


「さあ貴様等、ここが正念場だ。

 ここで敵を食い止めて、味方部隊を無事に退却させるぞ。

 大丈夫だ、『帝国鉄騎兵団ていこくてっきへいだん』の力を持ってすれば、

 それも充分可能である。 だから私と共に戦うのだ!」


 一部の兵士達は「おお」と歓声を上げたが、

 半数近くの兵士はこの状況が絶望的という事も理解していた。

 だから兵士達の士気はラングが想像していた以上に低かった。


 ラングもそれを何処かで感じていたが、

 今は自分の役割を果たすために、虚勢を張って大声で怒鳴った。


「兎に角、ここで勝つか、負けるかで帝国軍の運命が分かれる。

 だから何としても敵の進軍を防ぐのだぁっ!!」


 こうしてラング率いる殿部隊と連合軍の主力部隊が衝突しようとしていた。

 徐々に追い詰められる帝国軍。

 徐々に帝国を追い詰める連合軍。

 そして勝敗の流れを決定する戦いが始まろうとしていた。


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