第50話 蠢く三勢力(前編)


---三人称視点---



 夜の街を灯すカンテラの灯が揺れながら、

 帝都ガルネスを綺麗に照らしていた。

 皇帝ナバールは、その光景をベルティーヌ宮殿のバルコニーから、鳶色の瞳を輝かせ静かに見守っていた。ベルティーヌ宮殿は、機能性と美しさを共有させた灰白色の石造建築で、むろん現在の宰相ファレイラスは当然として、皇帝ナバールが皇帝に即位する前から存在した。


 彼等が政権に就く前、いわゆる旧ガースノイド王国時代では、

 数多あまたの王族や大貴族がこの建物の奥深くに座し、

 国王自ら、あるいはその代理人たる宰相が、

 この宮殿でガースノイド全土におよぶ行政権を行使した。


 皇帝ナバールは、最初、旧王朝の象徴の一つであったこの宮殿を閉鎖、

 撤去しようとも考慮したが、その際に当って、玉座についたばかりの皇帝に、

 進言した人物が、現帝国宰相のファレイラスと噂されている。

 ファレイラス曰く――


「その旧王朝時代の象徴を我々の手中におさめることによって、旧王族・貴族および

 国民に我等が新たなる支配者ということを示すことができるのでしょう……

 また閉鎖及び撤去するにしても、費用と時間の浪費になるでしょう……

 以上の点からしてもベルティーヌ宮殿は現状維持のままでいいと思われます」


 との言葉に後押しされたかは、わからないが皇帝はこの進言を受け入れた。

 若き皇帝は政務に関しては、この帝国宰相ファレイラスの進言を評価していた。

 帝国宰相ファレイラスは、非常に勤勉な男であり、

 皇帝と同等にあるいは、それ以上に、この帝国の繁栄を願う男であった。

 だが腹のうちは中々見せない狡猾な男であった。


 ラング将軍のような単純な人間は、支配者としては、非常に扱いやすい。

 またハーン将軍やシュバルツ元帥にしても、

 皇帝の意のままに操るといった芸当は無理であったが、

 彼等は、自分達の地位と領分を超えるような真似は、

 一切しなかったので、その辺は、安心していた。


 しかしこの帝国宰相は、ナバール自身の手にも余るといった感じが強かった。

 帝国の繁栄の為には、ありとあらゆる手段をつくし、

 時には、皇帝に対しても面と向かって批判的な意見を投げかける。


 とはいえ宰相の申し出、意見は非常に的確であり、

 かつ正論であったので、皇帝としても無碍に却下するわけにもいかなかった。

 だが皇帝もわかっていた、宰相は、非の打ち所のない正論を盾に取って、

 自身の立場と発言力を確立していることを……それがわかっていても、

 結局は、宰相の申し出を受諾するような状況に持っていかされる。


 ナバールが、帝国宰相に対してあまり好印象を持ってない理由は、

 まさにその事に関してであった。

 皇帝は、覇業への階段を登り出した頃から、

 人に屈服することを、特に人に操られることを何よりも嫌っていた。


 帝国の支配者となった今でもその気持ちは、変わることない。

 だがこの宰相と居ると、時折、自分は、宰相の意に誘導されているのでは?

 といった錯覚に陥る。にもかかわらず皇帝ナバールは、この帝国宰相の進言を、

 他の文官の進言より多くの受諾してきた。


 そしてまたこの瞬間も、宰相は、一対一での面会を皇帝に求めてきた。

 宰相と顔を会わす前から、言わずとしても面会の理由と交わされる会話の内容も想像できる。だが皇帝自身、宰相の助言と見解を欲していたので、

 皇居に戻ることなく、このベルティーヌ宮殿にわざわざ出向いてきたわけだ。


 煌びやかな建物のなかを、一人の不敵な表情の中年男性が歩いている。

 優雅な歩調で、黒を基調とした豪奢な礼服に、国印が印された濃い蒼いマントを

 背にして、その足で一直線に、執務室へと赴いた。


 不敵な表情の中年男性並びに帝国宰相ヴェルムード・ファレイラスが執務室の前に立つと、皇帝親衛隊の衛兵が敬礼し、うやうやしく扉を開いた。

 形式的な敬礼を交わし、広い室内にはいった宰相は、主君である皇帝の姿を求めて視線を動かした。


 このガースノイド帝国の支配者であり、建国の父である中年男性は、

 窓際にたたずんで外を眺めていたが、

 帝国宰相ファレイラスの到着がわかると、その黒髪を揺らして振り返った。


「宰相待っていたぞ。無駄話はいらぬ、単刀直入に今回の面会の趣旨を伝えてもらおう!」


「では陛下、面会の理由は、申し上げるまでもありません、連合軍との戦いに関する話です」


 やはりな……と思いながら顔には出さず、

 その腰を黒革ソファーに降ろすナバール。

 宰相は、直立不動したまま、皇帝に対して見下ろす形で、会話を切り出した。


「陛下、連合軍との戦いはまだ始まったばかりですが、

 実際問題として、陛下は何処までサーラ教会およびその近隣諸国と事を構えるおつもりですか?」


「宰相、卿の言い分を聞いていると、

 卿はまるで今回の戦いに反対しているように思えるぞ?」


「いえ、戦い自体には、反対しておりません……」


「では、何に対して異論があるというのだ?」


 宰相は、皇帝の鋭い視線を物ともせず率直に、ありのままの意見を述べた。

 宰相のこういった面は、相変わらず好きになれなかったが、

 発せられた言葉には、興味が惹かれた。


「異論と言うには語弊がありますね、ただ陛下自身、どのような戦略と構想を持って、このエレムダール大陸全土に影響力を持つサーラ教会と事を構えるおつもりなのか個人的に、興味がありますので、是非……聞かせてもらいたいのです」


「どうも奥歯に物が挟まったような言いようだな、構わん、ハッキリ申してみよ」


「では、ハッキリ申し上げさせていただきます、陛下、サーラ教会を我が帝国に、

 完全併呑させるといった真似はまず無理です」


「……してその根拠は?」と少し不機嫌になる皇帝ナバール。


「……陛下、本当にお分かりにならないのですか?」


 宰相の言いようには、ナバールも立腹して、頭に血を登らせた。

 何だ、この言いようは……これではまるで俺が能無しみたいではないか。

 と内心思いながらも激情することは避け、不快感を抑えながら、宰相の言葉に返答する。


「……分かっている、教会あるいは宗教という物を侮るなということだろ?

 軍事力のみによって、教会および信徒共を意のままにできると思うな……

 と卿は申したいのだろ?言われなくても私もそれくらいの事は分かっておる」


「左様です、陛下……ですが私の言いたいことは少し違います。

 単純に戦争という事柄だけ見れば、我が帝国が連合軍に勝つ可能性は高いでしょう。ですが戦争に勝利することと、統治、支配することはまた別問題となります。

 だから我々帝国は、あくまで戦争に勝つだけで良いのですよ」


「戦争に勝つだけで良い?興味深い話だな、詳しく聞かせてみろ……」


 皇帝は、ソファーから身を乗り出しながら、そう命じた。

 宰相は、形式的に頭を下げてから、またその口から言葉を発する。


「今更、声を大にして言うことでもありませんが、教会の信徒にとっては

 最早、宗教は……思想という枠を超え、生活習慣の一部となっております。

 彼等にとって宗教とは、最早欠かすことの出来ない空気のような物です。

 無論、いざ帝国が教会領の新たな統治者、支配者となれば、自ら進んで

 帝国色に染まる事を望む者も、必然的に多く出現するでしょう。

 ですが最後まで断固として、帝国の支配を拒む者達も多々と存在します。

 陛下……貴方はそういった者達を処断および徹底排除するお覚悟があるのですか?」


「……不愉快な例えだが、卿の言うことは実に的をえている」


「陛下、この問題が現実となったら、その不快感は、更に増大するのですよ」


「……分かっている、私とて考えなかったわけではない。

 ……で?前置きはもう良い。 結局、宰相は何を言いたいのだ?」


 帝国の頭脳と呼ばれる帝国宰相は、小さく咳払いした。


「要するに教会を完全に支配することは無理ですが……

 戦争に勝つことによって、我が帝国は……教会に対して有利な

 講和および条約を結ぶことができるでしょう」


 ナバールは鳶色の瞳を宰相に向けた。


「つまり卿は、帝国としては……教会を完全崩壊、併呑しても利益より不利益の方が多い。だが軍事力を持ってサーラ教会に揺さぶりをかけて、

 サーラ教会の生臭坊主共に譲歩させるように持っていけ、

 とこう云いたいわけだな?教会という強大な存在に勝つことにより、

 帝国の基盤は、更に強固な物になる……と」


「左様です、重要なのは教会を滅ぼすことではありません。

 教会に勝つ、勝った。この過程の方が重視されるべきなのです。

 これが現実の物となれば、教会領の近隣諸国も、自ずと帝国に

 擦り寄ってくるでしょう、その際に、多額の賠償金を要求するなり

 膨大な交易権等を確保するなり、支配する場合よりも効率的に外側

 から教会領近隣諸国を支配することも可能でしょう……」


 宰相らしい言いようだ……皇帝ナバールは顎に指を当てそう思った。

 この男の言葉は……いつもながら正論かつ、現実を直視している。


 単純な軍事的支配だけでなく、

 経済面からの支配も視野に入れている辺りは

 流石と言うべきだろう。


 こういった意見は、やはり生粋の軍人からは、なかなか得られないものだ。

 皇帝はある種の満足感を得ながら、ソファに深く腰掛けた。

 

「うむ、卿との今回の対話は有意義であった。

 私も――余も満足している」


「……恐縮です」


「しかし今の連合軍をあまり侮らない方がいいかもしれんな。

 既に我が軍はベルナドットとネイラールを失った。

 これ以上の犠牲は出したくない」


「それは私も同感です、ですが……」


「ですが、何だ?」


「……噂によりますと連合軍には、戦乙女ヴァルキュリアが居るみたいです」


 宰相の言葉を聞くなり、皇帝も眉間に皺を寄せた。


戦乙女ヴァルキュリアか、確かに厄介な存在だな。

 敵を調子づかせん為にも早い段階で潰す必要があるな」


「ええ、私もそう思います」


「うむ、それはさておきペリゾンテ王国とラマナフ大魔帝国だいまていこくの動きも気になるな」


「ペリゾンテ王国はともかくラマナフ大魔帝国だいまていこくの動きは無視して良いでしょう。デーモン族はこの数百年、争いらしい争いを起こしておりません。

 我が帝国が危機に瀕すれば、奴等も動き出すべでしょうが

 現状では目の前の連合軍との戦いに集中すべきです」


「そうだな、どのみち我が帝国は戦う事でしか生き残れない。

 良かろう、まずは目の前の敵を叩き潰す事に専念するか。

 うむ、宰相。 もう下がって良いぞ」


「御意、それでは失礼いたします」


 宰相ファレイラスは一礼して、

 皇帝に背を向け、静かに退出していった。

 広い執務室内で、一人になったナバールは、しばらく夜の帝都を眺めていた。


 かつてはガースノイド共和国軍の司令官として戦い、

「時代の寵児」ともてはやされたが、

 彼が戦争に勝つ度に、国内の権力者達は彼を恐れた。


 そして権力者達は結託して、ナバールを排除しようとした。

 だが既に多くの部下やシンパを従えていたナバールは、

 権力者達と戦い、そして勝った。


 それから彼は第一統領となり、軍務だけでなく政務も執ることになった。

 そして幸か不幸か、ナバールは政治家としても優れていた。

 国民達もナバールの軍人及び政治家としての能力を認め、

 国民投票の結果、ナバールは終身頭領となった。


 数年後。

 それだけでは飽き足らず、

 国民は再び国民投票を行いナバールを皇帝の座に就けた。

 

 「共和国出身の皇帝」。

 その歪な存在に国民の全てが納得した訳ではなかったが、

 彼を、皇帝ナバールを支持する者は多い。


 だが皇帝になった事により、

 ナバールは国の為ではなく、自身の権力を護る為に戦う事となった。

 でももう過去には戻れないし、戻りたいとも思わない。

 俺はこの帝国の支配者、皇帝なのだから……。


 そしてナバールは自分が皇帝であるという事実を再認識してから、

 親衛隊長ザイドを引き連れて、ベルティーヌ宮殿を後にした。

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