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「えっと、それじゃあね、シャワーを浴びたいんだけど……いいかな?」


あせでじっとりとしていて気持ち悪く感じていたのだ。図々しいと思いつつも、今一番したいと思ったことをなおに言ってみたが、マティアスは複雑そうな表情を浮かべたので、あぁダメそうだなとフィオナは一瞬諦めた。


「そんなことならもちろん構わない。だが条件があってな……君を鎖から解き放っている間は、俺かルークのどちらかができるだけ近くで待機していないとダメなんだ。つまりだな、君がシャワーを浴びている間、俺はこの部屋で待機することになる。不快に思うだろうが我慢してもらえるか」

「うん。それは当たり前だと思うし、そうだと思っていたから大丈夫だよ」

「そうか。えはそこの引き出しに入っていると思うのだが……」


コンコンッ


「入ってもいいかしら?」


 話している途中で不意にノックの音がひびき、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。


「どうぞ」


 フィオナのりょうしょうを聞き届けてすぐに部屋に入ってきたのは、くりいろのボブヘアーの女性。

 深緑色のローブを身に着けた、大人の色気がただよう二十代後半ほどに見える魔術師だ。


「目を覚ましたって聞いたから来ちゃった。こんにちは金の魔術師さん」


 女性は赤い口紅であざやかにいろどられた口元に軽く笑みを浮かべ、フィオナに話しかけた。


「こんにちは。お姉さんとは何度か会ったことがありますね」


 ゆっくりとあいさつを返すと、女性は不自然すぎるほどの美しい笑みを顔にり付ける。


「ふふふ、そうよ。いつもあなたにこっぴどくやられて散々だった、第一魔術師団、団長のレイラよ、よろしくね」


 優しげな声なのに、言葉のはしばしに棘を感じる。

 やっぱりそうか、そうだと思ったと、フィオナはちょっとだけ気まずくなった。

 だけどここは敵国なのだから、自分は嫌われていて当然だ。それは仕方ないことだとすぐに気持ちを切り替え、いつものようにのんびりした口調のまま自己紹介をする。


「その節はごめいわくをおかけしてすみませんでした。私はフィオナって言います」


 そう言ってペコリと頭を下げると、レイラの顔からは笑みが消える。レイラはマティアスの腕をぐいっと引っ張り、フィオナに背を向けてヒソヒソと話をしだした。


「ねぇ、なにこの子。思っていたイメージと全然違うんだけど。いつものりんとした姿のけらもないじゃないの」

「あぁ、これが素のようだ」

「そうなのね……日頃の恨みをこれでもかとぶつけてやるつもりだったのに、気ががれちゃったわ。どうしてくれるのよ」

「知らん」


 フィオナは二人があれこれ言い合っている後ろ姿を見ながら、ここの人たちはみんないいんだなぁと、また羨ましく思った。


「あら、シャワーを浴びるところだったのね。着替えはここに入れてあるはずよ」


 レイラはマティアスに不満をぶつけることをやめ、チェストの前に移動して引き出しを開けて、中をゴソゴソしだした。


「はい、これ使って。タオルはだつじょにあるからね」

「ありがとう、レイラさん」


 フィオナは着替え一式を受け取るとふんわりと微笑み、脱衣所へと向かった。


「……何とも言えない空気感を持った子ね」


 レイラはポツリと呟いた。

 フィオナは脱衣所のタオルを確認すると、服をぎ髪をほどいて浴室に入った。

 せきめ込まれたじゃぐちをひねると、温かいお湯のシャワーが出てきたので存分にたんのうする。浴室に置いてあるせっけんは使っていいのだろうと判断し、ありがたく使わせてもらった。髪と体をあわでしっかりと洗い、シャワーでスッキリと流し終える。

 長い髪の水分をぎゅっぎゅっとしぼり、浴室から出てタオルで体をきながらふと思った。

 この髪、邪魔だなぁ、と。

 先ほど受け取った着替えである下着と半袖のひざたけワンピースを着ると、タオルで髪の水分を拭き取りながら部屋に戻る。

 マティアスの前までやって来ると、フィオナは髪を後ろで高く持ち上げながら言った。


「ねぇマティアス、お願いがあるの。ここからバッサリと切り落としてくれないかな」

「……は?」


 マティアスは色っぽいうなじに一時釘付けになったが、コホンとせきばらいを一つし、気を取り直して言葉を返した。


「なぜ切り落とすんだ?」

「邪魔だから。今は魔力を使えないからさっとかわかせないし、もともと皇子の命令でばしていただけだから、もう必要ないの」

「いや、しかし……」


 眉間にシワを寄せて言いよどむマティアスに、レイラは反対の意を感じ取った。

 いつもなら相手のことなどお構いなしに、言いたいことをズバズバ言うくせに、何だその煮え切らない返事は。イラッとしながら割って入ることにした。


「何言ってんの。勿体ないでしょ」


 マティアスをぐいっと押し退けると、レイラはフィオナの髪に両手で触れ、髪全体を優しい風でふんわりと包みこむ。そうして数秒でしっかりと乾かし終えた。


「自分で乾かせないなら魔道具を使えばいいだけでしょ。後で持ってきてあげるから。ほらマティアス、あなたも言いたいことがあるならはっきりと言いなさい」


 レイラは青い目をつり上げて、マティアスの顔を下から覗き込む。


「……そうだな」


 マティアスはフィオナに向き合った。いつも後ろで編み込まれていた空色の髪をさらりと下ろす姿に一瞬見とれたが、すぐに気持ちを切り替えて少しぶっきらぼうに告げる。


「綺麗だから勿体ないと思う。だから切るのはなしだ」

「……そう」


 フィオナは少しだけ胸がどきっとした。帝国の皇子以外の男性からめられたのは初めての経験だ。皇子から容姿を褒められても、不快感しか抱いたことがなかったのに、今はすごく嬉しいというしんせんな感情を抱いている。

 だけどすぐにあることに思い至った。


「でもどうせ処刑されるんだし、バッサリ切ってすっきりしてもいいよね……」

「「はぁ?」」


 マティアスとレイラは同時に声をあげて、眉をひそめた。


「処刑って何の話だ?」

「え。何って私の話だよ。処刑されるんでしょ」

「何でそうなる?」

「何でって……」


 敵国の人間なのだから、それが普通なのでは。首を傾げて淡々と問いかける。


「……ねぇ、あなたまだ何も説明していないの?」

「あー……目が覚めたらすぐに、納得してもらえるまで説明するつもりでいたのだが」


 予想外のぼんやり具合と可愛さに言葉を失い、ようやく名前を知れて感動し、食事を提供したり彼女の話を聞いたり、シャワーを浴びてもらったり。

 何だかんだで、まだ何も説明していないことを思い出した。

 フィオナからもそういった質問はなかったので、完全に忘れていたのだが、彼女は自分が処刑されるものだと考えているなんて、思いもしなかった。

 レイラにだけ聞こえるように耳打ちすると、彼女は呆れて眉をつり上げた。


「あなた、きちんと説明しておきなさいよ!」


 何度か念押しして、彼女は部屋を出ていった。

 口うるさい人間が去り静かになった。

 彼はじゃっかん疲れた顔をして長い溜め息を一つ吐く。そしてフィオナをソファーに座らせ、自身は椅子にこしかけて今の状況を説明し始めた。


「君は処刑されない。しょばつもされない。これは確実だ」

「そうなんだ……すごいね」


 帝国では、ちょっとした失敗でもすぐに罰を与えられ、皇帝や皇子のげんを大きくそこねて処刑されるのは当たり前。最近あの人見ないなぁ、なんて思うことなどしょっちゅうだったので、フィオナは少しおどろいた。

 マティアスは説明を続ける。この国では敵国の人間をらえることはまずないのだが、強大な敵であるフィオナが目の前で倒れたため、今後のことを考えていったん連れ帰ることにしたのだと。

 彼女は敵として幾度となく攻撃をけてきたが、誰一人として殺していない。この国では快楽殺人や大量殺人でもおかさない限り、処刑されることはまずない。

 そして彼女は貴重な神器の使い手である。処罰したり、腕輪を奪って帝国に帰したりす

るよりも、彼女ごと国に取り込む方が有意義だと判断された。

 そのためには、この国を裏切らないという忠誠心を示さないといけない。一旦魔力を封じ行動を制限し、彼女を今後どのように扱うかはこれからしんしていくところだと言う。


「帝国に未練がないのなら、この国の魔術師になってほしい」

「えっと、つまりこの国の魔術師として生きていくには、私はまた誰かと呪印による契約を結ばないといけないってことだよね……」


 忠誠心なんて上辺だけならどうとでも取りつくろえるのだから、呪印で縛るのが一番手っ取り早くて確実だ。彼女は敵だったのだから、そうなるのは確実だろう。


(どうしよう。また誰かの支配下に置かれて縛られるのは嫌だな)


 それならもう生きていけなくていいやと思ってしまった。

 しかし彼女の言葉は、マティアスによってバッサリと否定される。


「そう言い出したやつもいたが俺がきゃっした。しばらくはルークが呪印を施したかせの装着だけで済むよう話を進めている。というかそう決定させた。まだウダウダ言うやつも出てくるだろうが、全てねじせるから問題ない」

「ねじ伏せ……あのさ、マティアスって、もしかしてすごくえらい人?」


 そんな話し合いの場なんて、お偉いさんばかりが集まっているイメージだ。それをねじ伏せるだなんて、よっぽどの権力者でないと無理ではなかろうか。


「そうだな。血筋的には高位の方だ。その上神器の使い手でもあるから、王に次ぐ権力が与えられている。だからまぁ、偉いといえば偉い」


 何てことだ。目の前の男は、国をべる者の次に偉い権力者だと判明した。

 彼女はいまさらながら態度を改めることにし、背筋をピンと伸ばした。


「そうでしたか……えっと、マティアス様って呼んだ方がいいですか?」


 フィオナが急にかしこまりだしたので、彼は顔をしかめて不快感をあらわにする。


「やめてくれ。ルークたちの態度を見たら分かるだろう。俺はたいして敬われていない」

「……そういえばそうだね」


 ルークの態度は、フィオナに対してもマティアスに対しても変わりなかった。

 レイラなんて、むしろ彼女の方が偉い立場にあるのかなと思ったほどだ。

 フィオナはかしこまるのを秒でやめた。


「君がこの国に害を及ぼす存在でないと認められるまでは、自由は与えてやれないが、できるだけ早く認めさせるつもりではいる。それまでは気楽に過ごしてくれて構わない」


 目の前の男は、強い権力を持っているとは思えないほど自分に気を遣ってくる。

 なぜだろう。彼女は不思議に思い、そしておかしくなってきた。

 口に手を当ててクスクスと笑う様子にマティアスは表情を和らげ、しばらくだまったままいとしそうに眺めていた。


「さてと、何か望みはあるか。何でも言ってくれ」

「それならもうさっき聞いてもらったよ」


 シャワーを浴びさせてもらい、さっぱりすっきりした。その前は美味しい食事をいただいたから、お腹も満たされている。


「あんなのは望みの内に入らない」

「えー……そう言われても……」


 きょうしゅくすぎてこれ以上望みなんて言えない。なぜこんなにも良くしてくれるのだろう。


(……あ、そっか。同情してくれてるんだ)


 帝国で受けていた扱いに同情してくれたから、彼は唐突に望みはないかと聞いてくれたのだと思い至る。

 フィオナは困ってしまった。正直言って、欲しいものや行きたいところ、やりたいことなどはいくらでもある。ずっとらくのない生活を送ってきたから。

 だけど自分は捕虜という立場。素直に願望を伝えるのはさすがに気が引けてしまう。


「何もないよ。こんなに素敵な部屋で過ごさせてもらって、美味しい食事をいただいて。みんなやさしくしてくれるし。すっごく満足してるから、これ以上望みなんてないよ」


 半分うそだけど半分本当のことだ。望みなんて聞いてもらわなくても、もう十分なのだ。


「そうか。それなら食事の好みを聞かせてもらおうか」

「え? ……えっとね、何でも好きだよ。食べたことがないものは分かんないけど」

「好き嫌いはないのか?」

「ないよ」


 フィオナはきっぱりと言い放つ。だけどこれは噓だ。

 本当のことを言ったら、この人は対応してくれるのだろうなと思ったから、あえて言わないことにした。これ以上手をわずらわせたくはないのだ。

 マティアスは腕を組みながら考え込んだ。


(遠慮してるよな……)


 フィオナと口をいたのは今日が初めてで、まだ彼女の人となりははっきりとは分からない。だけど人を傷付けることを嫌い、他人をづかえる心根の優しい女性ということは以前から知っている。

 敵国につかまった割にはどこまでもぼんやりとしていて、全く動じずマイペースなのに、気を遣って遠慮がちになっている様子が感じ取れる。

 しつこく聞いたところで、彼女は望みを言わないだろうと彼は判断した。


「分かった。それでは俺はこれから用事があるから失礼する。鎖を繫がせてもらえるか」

「うん」


 すぐに両手をスッと前に出すと、彼は『すまない』と一言言って枷と鎖を繫ぎ、ガチャンと錠をかける。そして部屋から出ていった。


「……優しい人だな」


 部屋で一人になったフィオナは、ぼそっと呟いた。

 一年ほど前から戦場で顔を合わせるようになり、幾度となく戦ってきた相手なのに、なぜ優しくしてくれるのだろう。

 彼はいつも眉間にシワを寄せていて、少しでも気をいたら真っ二つにられそうな威圧感があって怖かった。だけど話してみると少しも怖くなくて。ただひたすらに優しい。


「よく分かんないけど、皆いい人ばかりだな……」


 ほんわかした温かい気持ちに包まれる。自国で受けていた扱いとの差にまどいながらも、今日だけで一生分の優しさに触れたような気分になった。

 自分に優しくしてくれたのなんて、両親だけだったから。


「お母さん……」


 もう一生会うことのできない、おくの中の母を思い浮かべる。


『フィオナ、ちゃんと食べてんの? 辛かったら言うのよ。母さんが皇帝にガツンと言ってあげるからね』


 ちょっと口うるさいけれど、会うたびに自分を気にかけてくれた。

 辛いだなんて本当のことを言えるはずもなく、皇帝にそんなこと言ったら殺されちゃうよ、辛くないから大丈夫だよって笑ってしたら、少しさびしそうな顔をした。

 父は無口だけれど、そんな母のとなりでいつも優しく微笑んでいた。


「お父さん……」


 大好きな二人はもういない。二度と会うことはできない。そう思うと悲しくて苦しくて、なみだが溢れてくる。

 帝国では二人の死に向き合う時間すらまともにもらえなかった。

 二人と過ごした日々を思い出しながら、とめどなく流れる涙をぬぐうこともせず、しばらくの間静かに泣いていた。

 ぽっかりと穴のあいた胸が寂しくなって、すぐ横にあったクッションを手に取り、ぎゅっと抱きしめる。可愛らしいばながらですべすべした上質な手触り。何だかお高そうなクッションに思える。


「……」


 こんなのを涙でらしてしまうのは気が引けて、そっと横に置き直した。

 本当になぜこんなに無駄にいい部屋に自分はいるのだろうか。謎すぎる状況に悲しい気持ちが少しうすれてきて、ひざかかえて丸くなる。

 少し経ってから気分てんかんしようと、部屋の窓を開けて外を眺めることにした。

 窓からは自然豊かな広い庭がわたせて、レンガの小道やベンチ、だん、ガゼボなどがある。青空には少しだけ雲が浮かんでいて、穏やかな風がそよそよといている。

 そんな中、ベンチに座って休憩中の深緑色のローブをまとった魔術師たちや、歩いているこんいろの騎士服を着た人の姿がちらほら。その様子から、今いる場所は彼らのほんきょか宿舎辺りなのだとうかがえる。

 真下を覗きこんで窓を一つ二つと数えていったところ、ここは建物の五階のようだ。

 少し離れたところには、王城らしき立派な白い建物がそびえ立っている。

 この国の王様はどんな人だろうか。

 争いごとが嫌いで平和主義者といううわさしか知らないけれど、きっとすごく良い人なんだろうなと思った。敵であった自分の今の扱いからして、それは確実だろう。


(この国の魔術師になってほしい……かぁ)


 マティアスの言葉を思い出す。もし自分がこの国に生まれていたら、どんな人生だったのかな。彼らと共に戦いながらも、休日は穏やかに過ごしたりして、楽しい日々を送っていたのだろうか。

 しばらくまどわくにもたれて外を眺めながら、ぼんやり考える。

 それから部屋の中を見て回ることにした。

 部屋の中の物は好きに使っていいとマティアスが言っていたので、何があるのだろうと確かめることにする。

 まずはすぐ横に置いてある、小さなドレッサーの引き出しを開けてみた。


「わ、なにこれ」


 引き出しの中には宝石箱があり、手に取ってふたを開けると、中にはぎっしりとアクセサリーが入っていた。

 ……なぜ? 初っぱなから自分に全く必要のないものが出てきて首を傾げる。だけどどれもキラキラとしていて綺麗で、しばらくじっと眺めていた。

 いつかはこんなのを着けて町に出かけられる日が来るのだろうか。そんなあわい期待を抱きながら、そっと引き出しにった。

 五段になっているチェストには服が入っていた。何日分あるのだろうというくらいにぎっしりと。そしてどれもお高そうに見える。

 今着ているものも、恐らく高価なものだろう。シンプルなワンピースだけど、はだざわりとごこばつぐんなのだ。

 ほんだなにはぎっしりと本が並ぶ。専門書から小説、かんまで種類豊富で、誰でも必ずしゅに合った本を見つけられるようなしなぞろえだ。

 帝国では魔術に関する本しか与えてもらえなかったので、わくわくが止まらない。

 本当にどれでも好きに読んで良いのだろうか。部屋の中の物は好きに使って良いと確かにマティアスは言ってくれたのだから、良いはず。


(わぁぁ……)


 瞳を輝かせながらどれにしようかとなやみに悩み、一冊の本を選んだ。

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