1-3
「その鎖は今は必要ないから外そう」
彼女に近づきながらポケットから
「え? ちょ、マティアスさん、それってまだ許可が……」
「大丈夫だ。問題ない」
マティアスは
「……あー、はいはい。もう好きにしてください」
ルークは
彼女は害のない人間にしか見えない。そしてもし害を
マティアスはそっと彼女の手を取り、枷から鎖をガチャリと外す。
急に自由になった自身の手首を
「繫いでおかなくていいの?」
「今はな。俺とルークのどちらかが近くにいる時は問題ない。君がよからぬ行動を起こそうとしても、すぐに対処できるからな」
「そうそう。その腕輪、魔力を封じてるだけじゃないっすからね。何かしようとしても、
「うん、分かった」
こくりと
「あのね、トイレに行くくらいは自由にしてもいいのかな?」
「……もちろんだ。そこの茶色の扉の先にある」
「ありがとう」
フィオナはゆっくりと立ち上がり、マティアスが指差した扉へと向かって中に入った。
部屋から彼女がいなくなると、しばしの
「何すかあの子。めっちゃ
「ああ。何かしらの枷を背負っているとは思っていたが、あんな扱いを受けていたとは……」
「帝国アホっすね。神器の使い手を何だと思ってるんだか」
一国に一人いるかいないかという神器の使い手は、本来ならば丁重に扱われるべき存在だ。神器が有する不思議な力は
「陛下に伝えないとな。話を聞く限りでは、彼女は帝国に忠誠心はなさそうだ」
「皇子のことは心の底から嫌ってる感じっすしね。バカだのクズだの散々な言いようっすから」
ルークはけらけらと楽しそうに笑い、マティアスも口元に少しだけ
彼女が皇子の相手を断ったこと、
彼はフィオナが目の前で倒れていなくても、ここに連れてくるつもりでいたからだ。
トイレを済ませたフィオナは部屋に戻り、ベッドにちょこんと腰かけた。
「それじゃオレは仕事に戻るっす」
ルークはついでに片付けてくるからと、空いた食器を載せたトレーを持ち、部屋から出ていった。
「さて、君のことをもう少し
ずっと立っていたマティアスはベッド横の
「なにを話せばいいの?」
「そうだな。君が神器に選ばれたところから聞かせてもらおうか」
「それだと十二年前からだから、話長くなっちゃうよ」
「長くてかまわないから、聞かせてもらえるか」
「うん、分かった」
フィオナは六歳の
彼女の生まれた国、ガルジュード帝国は三つの神器を所持している。
その中の一つが、装着した人間の魔力量を
神器とは古来存在し、神々が造り出したものだと言われている。
世界中に散らばっており、各国それぞれ数個は所持しているが、どの国も国家機密として情報を
神器は存在自体が
使い手は滅多に存在せず、金色の腕輪も二百年以上使い手がいなかった。
帝国では年に一度、国中の六歳の子どもが中央
フィオナも六歳になった年に両親に連れられて神殿に
さっと触れた者からすぐに帰れる簡単な儀式だ。
長時間待ち、ようやく自分の順番が回ってきた。
やっと遊びに行けると軽い気持ちで、
本当は
フィオナは嫌だった。
生理的に受け付けなかった。それならまだ皇帝の方がマシなのに。しかし高貴な人間からの申し出を断れるはずもなく、
その日から
無尽蔵の魔力があれば、魔力量の多い者ですら一日に一度が限界の特大魔術を際限なく放てるようになる。彼女は一つの軍を一人で相手にできるほどの力を手に入れてしまったのだ。
しかし魔術を自在に扱えなくては話にならない。大量の魔術書の暗記を言い渡され、講師に厳しく指導されながら魔力操作の訓練をすることになった。
宮殿の片隅にある、古いベッドと最低限の家具しかない部屋に一人で住むことになり、家族とは
月に一度の両親との面会だけを楽しみに、フィオナは魔術を学び続ける。
外に自由に出ることさえ許されず、朝から晩まで魔術の習得に
貴重な
いつも綺麗な女性に囲まれているのに、なぜ自分を呼ぶのだろうと疑問に思ったが、皇子の命令は絶対なので渋々応じていた。
高貴な人間は
すぐに
部屋で学ぶか苦手な皇子の話し相手をするかという、辛くてつまらない毎日を送る。
何となく苦手に思っていた皇子のことを、心の底から嫌いになるのにそう日数はかからなかった。
意地悪。大嫌い。心の中で悪態をつくと、腹部の呪印から強い痛みが襲ってきた。
嫌いなのに心の中で嫌いだと呟けない。心を
数年
だけどせっかくの無尽蔵の魔力、使わなければ
彼女が扱う特大の魔術は重宝され、毎日毎日どこかしらに駆り出されていった。
彼女の身に刻まれた呪印の主君は皇子だが、任務を言い渡すのは国の最高権力者である皇帝だった。
皇子はなかなか自分の相手に飽きてくれない。もしかしたら庶民に嫌がらせをするという遊びを楽しんでいるのかもしれないと思うようになった。
休憩時間に毎回来るようにと命じられて、仕方なく皇子の部屋に足を運んでいるのに、女性とお楽しみ中だったなんてことはしょっちゅうだから。
こんなの嫌がらせ以外の何物でもない。いつまでこんな
……最低。エロ皇子、大嫌い。
幾度となく情事を
しかし十六歳のとある日の夜、ついに彼女は皇子の
こんな男に
倒れて命が尽きる寸前にまで
皇子は焦って命令を取り消し、
フィオナは体が
そして翌日から、嫌がらせのように粗末な食事しか与えられなくなったのだ。
数少ない日々の楽しみがなくなってしまった。
エロ皇子のばか。意地悪、人でなし、全部大っ嫌い。心の中で呟くだけで襲ってくる痛みにもうんざりだ。
月に一度会える両親との一時だけを心の支えにして過ごした。
十七歳になると、ある日を境に急に国外での任務を言い渡されるようになった。
他国の資源を
『敵は全て
そんなことは絶対にするもんかと反発する。
呪いが発動し体に激痛が走っても、口から血を吐いても、首を縦に振ることはしなかった。床に大きな
またしてもフィオナの命は尽きる寸前まで陥る。
『なぜ命令を聞かない。死にたくないだろう』と言われ、『人殺しになるくらいなら死んだ方がマシです』と淡々と答えた。
諦めた皇子は渋々、『敵は全て退けろ』という命令に変えたので、それにはおとなしく従うことにした。
十八歳を目前にしたある日、彼女は
両親が宮殿に向かう
心にぽっかりと穴が空いた。それでも毎日与えられた務めを果たす。
自分は何のために生きているのだろう。なぜ戦っているのだろう。
生きるために命令を聞いているけれど、なぜ生きているのだろう。分からない。
分からないけれど何日もずっと寝不足で、考える気力すらなくて。もういろいろと疲れてしまい、何もかもがどうでもいい。
だけど皇子の『敵を全て退けてこい。任務を終えたら必ず帰ってくるんだ』という命令を受けて、いつものように戦場に降り立った。
そこでマティアスが立ちはだかり、もういいや、楽になりたいと願い、生きることを諦めたのだ。
「その場で真っ二つにしてもらおうと思ってたのに、こうしてまだ生きてて、あなたとこうやって話をしているなんて不思議な気分なの」
「……そうか」
静かに話を聞き続けていたマティアスの眉間には、かつてないほどの深いシワが寄っている。 険しい表情をしながらも、彼は優しく問いかける。
「何か望みはあるか? 行動に制限はつくが、ある程度のことなら聞こう」
「望み?」
「ああ、今したいことでもいい」
なぜか唐突に望みを聞かれて、フィオナは顎に手を当てて考える。捕虜に望みを聞くだなんて、この人は聖人か何かだろうか。先ほどからひたすら優しいし。
よく分からない状況だが、せっかくの申し出なので望みを言ってみることにした。
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