1-3


「その鎖は今は必要ないから外そう」


 彼女に近づきながらポケットからかぎを取り出す。


「え? ちょ、マティアスさん、それってまだ許可が……」

「大丈夫だ。問題ない」


 マティアスはあつめてルークをひとにらみした。


「……あー、はいはい。もう好きにしてください」


 ルークはあきがおで投げやりに言葉を放つ。呆れてはいるが、彼も鎖を外しても問題なさそうだと思っていたので、もう何も言わないことにした。

 彼女は害のない人間にしか見えない。そしてもし害をおよぼそうとしても、魔力を封じられている今の状態なら、自分たちで簡単に対処できるから。

 マティアスはそっと彼女の手を取り、枷から鎖をガチャリと外す。

 急に自由になった自身の手首をさわりながら、フィオナは首をかしげる。


「繫いでおかなくていいの?」

「今はな。俺とルークのどちらかが近くにいる時は問題ない。君がよからぬ行動を起こそうとしても、すぐに対処できるからな」

「そうそう。その腕輪、魔力を封じてるだけじゃないっすからね。何かしようとしても、しゅんに無力化させちゃうんで、そのつもりでいてほしいっす」

「うん、分かった」


 こくりとうなずいてからコップの水を一口飲んだ。そしてぶるりと体をふるわせる。


「あのね、トイレに行くくらいは自由にしてもいいのかな?」

「……もちろんだ。そこの茶色の扉の先にある」

「ありがとう」


 フィオナはゆっくりと立ち上がり、マティアスが指差した扉へと向かって中に入った。

 部屋から彼女がいなくなると、しばしのちんもくの後、二人は示し合わせたわけでもないのに同時に大きくいきいた。


「何すかあの子。めっちゃびんっす」

「ああ。何かしらの枷を背負っているとは思っていたが、あんな扱いを受けていたとは……」

「帝国アホっすね。神器の使い手を何だと思ってるんだか」


 一国に一人いるかいないかという神器の使い手は、本来ならば丁重に扱われるべき存在だ。神器が有する不思議な力はおのおの異なれど、その力は強大で国にもたらすえいきょうは計り知れない。そのため神器の使い手は、国によっては王と同程度の権力を持つほどの存在になり得る。


「陛下に伝えないとな。話を聞く限りでは、彼女は帝国に忠誠心はなさそうだ」

「皇子のことは心の底から嫌ってる感じっすしね。バカだのクズだの散々な言いようっすから」


 ルークはけらけらと楽しそうに笑い、マティアスも口元に少しだけみをかべた。

 彼女が皇子の相手を断ったこと、おもい人がいないことに心からホッとしている。

 彼はフィオナが目の前で倒れていなくても、ここに連れてくるつもりでいたからだ。

 トイレを済ませたフィオナは部屋に戻り、ベッドにちょこんと腰かけた。


「それじゃオレは仕事に戻るっす」


 ルークはついでに片付けてくるからと、空いた食器を載せたトレーを持ち、部屋から出ていった。


「さて、君のことをもう少しくわしく聞かせてもらっても良いだろうか」


 ずっと立っていたマティアスはベッド横のに座り、フィオナに向き合う。


「なにを話せばいいの?」

「そうだな。君が神器に選ばれたところから聞かせてもらおうか」

「それだと十二年前からだから、話長くなっちゃうよ」

「長くてかまわないから、聞かせてもらえるか」

「うん、分かった」


 フィオナは六歳のころからの話を始めた。

 彼女の生まれた国、ガルジュード帝国は三つの神器を所持している。

 その中の一つが、装着した人間の魔力量をじんぞうにすると言われている金色の腕輪だ。

 神器とは古来存在し、神々が造り出したものだと言われている。

 世界中に散らばっており、各国それぞれ数個は所持しているが、どの国も国家機密として情報をとくしている。

 神器は存在自体がなぞに包まれており、選ばれた人間にしか扱うことができないもの。

 使い手は滅多に存在せず、金色の腕輪も二百年以上使い手がいなかった。

 帝国では年に一度、国中の六歳の子どもが中央しん殿でんに集められる。一人ずつ順に三つの神器に触れていき、扱える者がいないかを確認するしきが行われるのだ。

 フィオナも六歳になった年に両親に連れられて神殿におもむいた。

 さっと触れた者からすぐに帰れる簡単な儀式だ。田舎いなかからていまで出てきた彼女は、これが済んだら町を観光するのだと楽しみにしていた。

 長時間待ち、ようやく自分の順番が回ってきた。こうたくのある黒い机には赤い布がかれており、その上に三つの神器が並んでいた。

 やっと遊びに行けると軽い気持ちで、しっこくたて、赤い横笛と順にそっと触れていき、最後の一つが金の腕輪だった。

 しゅんかん、腕輪は金色の光を放った。彼女を持ち主と認めたのだ。

 またたに宮殿へと連れていかれ、皇子を主君とする隷属のけいやくを結ぶこととなった。

 本当はこうていと契約を結ぶ予定だったらしいが、彼女を目にした皇子が自分が結ぶと言って聞かなかったようだ。

 フィオナは嫌だった。つややかなくろかみにルビーのような赤い瞳を持つ目の前の皇子は、見た目こそ整っているが、何だかいやらしい目をしていて気持ちが悪い。

 生理的に受け付けなかった。それならまだ皇帝の方がマシなのに。しかし高貴な人間からの申し出を断れるはずもなく、しぶしぶ彼を主君とする呪印をその身に刻んだ。

 その日からじゅつとして帝国のためにくす人生が始まった。

 無尽蔵の魔力があれば、魔力量の多い者ですら一日に一度が限界の特大魔術を際限なく放てるようになる。彼女は一つの軍を一人で相手にできるほどの力を手に入れてしまったのだ。

 しかし魔術を自在に扱えなくては話にならない。大量の魔術書の暗記を言い渡され、講師に厳しく指導されながら魔力操作の訓練をすることになった。

 宮殿の片隅にある、古いベッドと最低限の家具しかない部屋に一人で住むことになり、家族とははなされてしまった。


 月に一度の両親との面会だけを楽しみに、フィオナは魔術を学び続ける。

 外に自由に出ることさえ許されず、朝から晩まで魔術の習得にはげむ。

 貴重なきゅうけい時間はいつも皇子に呼び出され、ティータイムに付き合わされた。

 いつも綺麗な女性に囲まれているのに、なぜ自分を呼ぶのだろうと疑問に思ったが、皇子の命令は絶対なので渋々応じていた。

 高貴な人間はごろしょみんと関わることなんてないだろうから、どうせ暇つぶしだろう。

 すぐにきて呼ばれなくなるだろうと思っていたのに、それはいつまでも続いた。

 部屋で学ぶか苦手な皇子の話し相手をするかという、辛くてつまらない毎日を送る。

 どくせんよくの強い皇子は、自分は数々の女性をはべらせているくせに、フィオナには友人を作ることや若い異性と接することを禁じていた。

 何となく苦手に思っていた皇子のことを、心の底から嫌いになるのにそう日数はかからなかった。

 意地悪。大嫌い。心の中で悪態をつくと、腹部の呪印から強い痛みが襲ってきた。

 嫌いなのに心の中で嫌いだと呟けない。心をころすため、皇子とはとにかく淡々と接することに努め、ティータイムではちゃだけを楽しむことにした。

 数年ち、自由自在に魔術を扱えるようになってからは、任務を与えられるようになった。主にものとうばつだ。放っておいたらしょうから次々と生まれ、人類をおびやかす存在である魔物を討伐することが、魔術師やの主な任務だ。

 だけどせっかくの無尽蔵の魔力、使わなければもったいないと言わんばかりに、フィオナは土地のかいたくなどにも駆り出された。

 彼女が扱う特大の魔術は重宝され、毎日毎日どこかしらに駆り出されていった。

 彼女の身に刻まれた呪印の主君は皇子だが、任務を言い渡すのは国の最高権力者である皇帝だった。

 ぼうだいな量の任務をこなしながら、空いた時間は皇子のひまつぶしの相手をさせられるという辛くてつまらない毎日を送る。

 皇子はなかなか自分の相手に飽きてくれない。もしかしたら庶民に嫌がらせをするという遊びを楽しんでいるのかもしれないと思うようになった。

 休憩時間に毎回来るようにと命じられて、仕方なく皇子の部屋に足を運んでいるのに、女性とお楽しみ中だったなんてことはしょっちゅうだから。

 こんなの嫌がらせ以外の何物でもない。いつまでこんなあくしゅに付き合わされないといけないのだろうか。

 ……最低。エロ皇子、大嫌い。

 幾度となく情事をもくげきさせられ、心の中で悪態をついて強い痛みに襲われて。そんな日々はとても辛かったけれど、自分がさそわれないだけまだマシだなと思っていた。

 しかし十六歳のとある日の夜、ついに彼女は皇子のしんしつへと呼ばれてしまった。そこで体の関係を持つよう命令を受ける。

 こんな男にかれるなんてとんでもない。絶対に嫌だ。断ったフィオナは呪印によってすさまじい痛みに襲われる。それでもかたくなに断り続けていると、大量の血を吐いた。

 倒れて命が尽きる寸前にまでおちいる。

 皇子は焦って命令を取り消し、を呼んで彼女をいやさせた。

 フィオナは体がえるとふらりと立ち上がり、皇子の顔を見ることなく無言でさっさと退室し、自室に戻って寝た。

 そして翌日から、嫌がらせのように粗末な食事しか与えられなくなったのだ。

 数少ない日々の楽しみがなくなってしまった。

 エロ皇子のばか。意地悪、人でなし、全部大っ嫌い。心の中で呟くだけで襲ってくる痛みにもうんざりだ。

 月に一度会える両親との一時だけを心の支えにして過ごした。

 十七歳になると、ある日を境に急に国外での任務を言い渡されるようになった。

 他国の資源をりゃくだつするため、邪魔をしてくる騎士や魔術師を退けろという任務だ。

『敵は全てみなごろしにしろ』だなんて言われても、首を横にきょぜつした。

 そんなことは絶対にするもんかと反発する。

 呪いが発動し体に激痛が走っても、口から血を吐いても、首を縦に振ることはしなかった。床に大きなまりができたところで、皇子は命令を取り消した。

 またしてもフィオナの命は尽きる寸前まで陥る。

『なぜ命令を聞かない。死にたくないだろう』と言われ、『人殺しになるくらいなら死んだ方がマシです』と淡々と答えた。

 諦めた皇子は渋々、『敵は全て退けろ』という命令に変えたので、それにはおとなしく従うことにした。

 十八歳を目前にしたある日、彼女はとうとつに心の支えをなくしてしまう。

 両親が宮殿に向かうちゅうで暴漢に襲われ、命を落としてしまったのだ。

 心にぽっかりと穴が空いた。それでも毎日与えられた務めを果たす。

 自分は何のために生きているのだろう。なぜ戦っているのだろう。

 生きるために命令を聞いているけれど、なぜ生きているのだろう。分からない。

 分からないけれど何日もずっと寝不足で、考える気力すらなくて。もういろいろと疲れてしまい、何もかもがどうでもいい。

 だけど皇子の『敵を全て退けてこい。任務を終えたら必ず帰ってくるんだ』という命令を受けて、いつものように戦場に降り立った。

 そこでマティアスが立ちはだかり、もういいや、楽になりたいと願い、生きることを諦めたのだ。

「その場で真っ二つにしてもらおうと思ってたのに、こうしてまだ生きてて、あなたとこうやって話をしているなんて不思議な気分なの」

「……そうか」


 静かに話を聞き続けていたマティアスの眉間には、かつてないほどの深いシワが寄っている。 険しい表情をしながらも、彼は優しく問いかける。


「何か望みはあるか? 行動に制限はつくが、ある程度のことなら聞こう」

「望み?」

「ああ、今したいことでもいい」


 なぜか唐突に望みを聞かれて、フィオナは顎に手を当てて考える。捕虜に望みを聞くだなんて、この人は聖人か何かだろうか。先ほどからひたすら優しいし。

 よく分からない状況だが、せっかくの申し出なので望みを言ってみることにした。

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