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 あんな表情とはどんな表情なのか、フィオナには分からない。

 感謝を述べたら、マティアスはすぐに後ろを向いて出ていったから、表情は見えなかったのだ。


「ねぇルーク。私、捕虜なのにどうして牢屋にいないの? 処刑される日はもう決まってるのかな」

「ははっ何すか処刑って。そんなのしないっすよ」

「何で?」

「何でって……マティアスさんにまだ何も聞いてないんすね。後で聞くといいっすよ」


 ルークは頭の後ろで腕うでを組みながら、けらけらと笑っている。

 処刑されない。そんなわけはないだろうと彼女は思う。自分は敵国の人間なのだから。

 今まで幾度となくって、この国の者たちをこうげきしてきた。命をうばうことはしなかったけれど、酷いことを散々してきたのだ。

 この国の国王は平和主義者で争い事をきらうと聞いていたが、敵といえども処刑しないのだろうか。それとも人知れずこっそりとするのかもしれない。

 だけどここでは死ぬ直前まで人間らしく生きさせてもらえそうな感じがして、痛くて苦しくないよう楽に死なせてくれそうだと期待をいだく。さいくらいは楽にきたいのだ。

 数年間、道具のように扱われてきて、ここ数ヶ月は特に散々だったから。


「そう言えば、戦ってる最中に急に倒れてびっくりしたっすよ。何かあったんすか? マティアスさんのせいっすか?」

「えっとね、マティアスのせいではないけど、ちょっとだけマティアスのせいかな。あの時すっごく眠かったの。あと少しで帰って寝られるって思ったのに、マティアスが来ちゃったから、もう良いやって諦めたの」

「はぁ? 何すかそれ」


 何すかと言われてもフィオナは困る。事実なのだからしょうがない。

 彼女はここ最近、寝る間もなく働き続けてきたことを話した。

 皇子にボロぞうきんごとくこき使われ、夜中でも関係なしに駆り出され戦い続けてきたと。


「はぁー、帝国の皇子バカっすね。貴重な神器使いの扱いが酷いにもほどがあるっす。それで連れ去られて奪われてるんすからザマァないっすね」

「そうだよね。ばか皇子ざまぁみろって私も思うの」


 よく使える便利なこまをなくしたのだから、いまごろはくやしがっているに違いない。そう思うとフィオナの心はほっこりとなった。

 エロ皇子ざまぁみろ。ばか。だいきらい。心の中で何度も呟く。呪印による痛みが襲ってこないので、呟き放題で幸せだ。


「皇子のこと嫌いなんすね。それじゃ帝国に帰りたいって気持ちはないっすか?」

「……え?」


 帰りたい? なぜそんなことを聞くのだろう。まさか帰されるなんてことは……なくもないかもしれない。神器である金のうでさえ奪えば、自分はさほどきょうではないだろうから。そして腕輪を所持していない自分には価値はないから、どうせ帝国で殺される。そう、結果としては同じなのだ。王国はできるだけ自分たちの手をよごさなくて済むようにしたいだろう。

 帝国に帰されたら、数日にわたってこれでもかと苦痛をあたえられた上で、むごたらしく殺されるはず。死を受け入れているフィオナでも、さすがにそれだけはかんべん願いたい。


「帝国に帰されるくらいなら、この国でささっとじんそくに処刑されたいの。それでお願いできないかな」


 フィオナは少しだけ顔にあせりを見せた。


「ははっ、だから処刑なんてしないっすから。帰りたくないんすね。りょうかいっす」


 ルークは彼女が本気で死を受け入れているなんてつゆほども思わず、そんな発言をしてしまうくらい帝国のことが嫌いなのだなとかいしゃくした。

 その後はもうその話題にはれることなく、何だかんだ二人で楽しく話していると、マティアスが食事を持ってもどってきた。


「待たせたな」

「ううん、全然。ありがとう」


 マティアスは、ベッド横のテーブルに食事をせたトレーを置いた。

 トレーの上にはパン、スープ、肉と野菜のみ、果物が載っていた。スープと煮込みからはホカホカと白い湯気が立っている。


「足りなかったら追加を持ってくるから言ってくれ」


 そう声をかけるが、フィオナの耳にはマティアスの言葉は入ってこない。

 食事を前に目を輝かせ、感動しているからだ。


「わぁ、白いパンだ……スープの野菜がとおってる……ちゃんとしたお肉に果物なんていつぶりだろ……」


 ぶつぶつと呟く。

 本当にこれを食べて良いのだろうか。自分は敵国の人間なのに。

 さすがにたいぐうが良すぎて、毒やはくざいが混ざっているかもしれないとの考えも頭をよぎった。優しくして油断させて、帝国の情報を聞き出すことが目的なんてことは有り得る。

 だけどフィオナにとって、そんなことはどうでもいいことだ。美味おいしいものを食べてから死ねるなんて幸せだし、帝国への忠誠心なんてものははなから持ち合わせていないから。


「いただきます」


 まずは見た目からして柔らかそうなパンを手に取った。力を入れずともぱかりと割れてほわほわと湯気が立つ。

 すごい。簡単に割れたと感動しながら小さくちぎって口に入れた。久しぶりの柔らかなパンだ。あごつかれない。すぐに飲み込める。フィオナはじーんとした。


 その様子をマティアスはげんな顔でじっと見る。


「どういうことだ? 君は帝国一の魔術師として、それなりの地位とほうしゅうを得ていたのではないのか。今の物言いだとまるで、食べ物すら満足に与えてもらっていなかったように聞こえたぞ」


 フィオナはもぐもぐごっくんとしながら、報酬? 何だそれはと目を細める。そんなもの、彼女はお目にかかったことがない。


「報酬なんてもらったことないよ。きゅう殿でんかたすみに住んでたから最低限の衣食住は保証されてたけど、それだけ。だけど食事は一年半前からは、クズ野菜のスープや残り物のカチカチなパンとかばっかりになっちゃって。量はそれなりにあったから、お腹が空くことはなかったけど」


 そう言って、また小さくちぎったパンを口に放り込む。ほんのりと甘くてこうばしくて、いくらでも食べられそうな美味しさだ。


「はぁ? 何でそんな扱いなんすか」


 もぐもぐごっくんとして、まゆじりを下げながら心当たりを話す。


「エロ皇子の夜の相手を断ったからだと思うの。次の日からあからさまにまつな食事になったんだよ」

 

 そう言ってがねいろのスープをスプーンですくいあげ一口飲んだ。美味しくて口元が緩む。

 野菜だけでなく肉のうまもあるスープなんて久しぶりに口にしたから。


「なるほど。君は、そのだな、帝国に心を通わせた相手はいるのか?」

「そんな人いないよ。こいしてるひまがあったら寝ていたと思う」

「……そうか」


 マティアスはあからさまにホッとした表情を見せたが、彼女は目の前の煮込み料理の柔らかそうな肉のかたまりくぎけなので気付いていない。

 マティアスとルークは食事のじゃをしないよう、しばらく話しかけないことにした。

 その間、ルークは彼女が倒れたけいをマティアスに伝えた。

 二人は話をしながら、一口一口しっかりと味わうように食べるフィオナをじっと見つめる。果物まで綺麗に食べきり、水を飲んでほうっと幸せそうに息をくところまでしっかりと見届けた。


「ごちそうさまでした。すっごく美味しかった」

「足りたのか? いくらでも追加を持ってくるからえんりょなく言うんだぞ」

「ありがとうマティアス。もうお腹いっぱいだから大丈夫だよ。……そうだ、あのね、私の呪印を消してくれた人にお礼を言いたいんだけど、無理かな?」


 少し遠慮がちにたずねる。自分はここに繫がれていて動けないから、相手がここを訪ねてこないとお礼は言えないのだ。だけど来てほしいなどと図々しいことを口にするのは気が引ける。

 そう思っていたら、ルークが自身の顔の横でビシッと右手を上げた。


「それならオレっすよー。呪印士であるオレが解いたっす。もちろん見つけたのは君の服を着替えさせた女性なんで、オレが体のすみずみまでチェックしたわけじゃないっすからね。解く時も呪印があるはんしか肌を見てないっすから」


 彼はニカッと笑い、上げていた手でピースする。


「そう。ありがとうルーク、あのクズ皇子から解き放ってくれて。心おきなくあの人の悪口を呟けるようになって、本当にすがすがしい気分なの」

「何すかそれ? あの呪印はだれかにれいぞくして、命令を聞く以外の効力があったんすか?」

「えっとね……」


 フィオナは呪印について説明を始める。

 彼女の腹部に施されていた呪印の効力は、主君に絶対服従し、命令に逆らい続けると命を落とすというもの。それは行動だけでなく精神をも縛る呪いで、悪意を口にしたり心の中で呟いたりしてもいけないというてっていぶりだ。

 はんこうしんを強く抱くだけで呪いが発動し、強い痛みと共に呪いのとげが体内をしんしょくしていく。


「心の中で悪態をつくだけで襲ってくる痛みにはうんざりしてたの。だからありがとう」

「はぁー……反抗心を抱くだけで発動するなんてつらすぎっすね。そんな強力な呪いを編み出して体に直接刻むなんて、帝国の人間まじ最低っす」


 ルークはまゆをひそめた。帝国では、人を無理やり従わせるための呪印がさかんに編み出されているとは聞いていたが、心までをも縛り付けるだなんて非道にもほどがある。


「しかしそんなものを施されていたのに、よく夜の相手を断れたな。その時はまだ呪印はなかったのか?」

「ううん、あったよ。だけど死んでもいいやって思って反抗したんだ。あんな人と肌を重ねるくらいなら死んだ方がマシだもん」

「そうか……」


 マティアスは顔をしかめ、喜んでいいのかいけないのか分からない複雑な心境でいた。


「皇子は要求を取り下げたからギリギリ死ななかったの」

「さすがに欲望がまかり通らなかったからって、神器の使い手を失うような馬鹿なはしないっすよね」

「そうだね。そうじゃなかったらとっくに死んでると思う」


 フィオナは白銀の枷がはめられた自身の手首をじっと見た。本来ならば、そこには神器である金色の腕輪があったのだ。

 その様子を見ながら、マティアスはある決意を固め、そしてすぐに実行に移した。

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