第一章 敵国に捕まったのに、なぜか優しくされている

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 ……ここはどこだろう。

 目を覚ましたフィオナは、ぼんやりと上をながめる。目の前にある青みがかったグレーのてんじょうは自室の天井ではない。

 頭がすっきりとする。ここ最近ずっとそくが続いて、頭は常にずーんと重かったから、よく寝たなぁという久々の感覚だ。

 むくりと上半身を起こすと、ジャラリと金属の音がした。自身の両手がこうそくされていることに気付き、あぁこの音かとなっとくする。特に動じることはない。

 両手首に取り付けられている白銀のかせには、黒いもんようえがかれている。

 これは呪印。何らかの制約で人をしばけるものだ。

 呪印はごくわずかしかいない、素質のある者にしかあつかえない。彼女には素質はなく、知識もないので、描かれた紋様からどのような効力を持つものなのかはあくできない。

 だけどおそらくは自分の力をふうじるものだろうと推測する。

 確かめようと指先からほのおを出そうとしたが、ろうそく程度の小さな炎すら出ない。


 やはりりょくを封じる呪印がほどこされた枷のようだと納得する。

 枷にはくさりが付いていて、ベッドの下まで続いていた。

 今いる部屋の中なら、はしから端まで自由に行き来できそうなほどの長さだ。

 下をのぞき込むと、鎖はベッドの足にがっちりと巻き付いてじょうで固定されている。簡単には外せそうにない。

 服はえさせられたようで、め付けのない黒いズボンと白いはんそでのチュニックを着ていた。かみゆるい編み込みのままだ。

 自分は今、どういうじょうきょうなのだろうと彼女は考える。

 ここはエルシダ王国で、戦場で意識を手放した自分は王国のりょになった。

 それはちがいないと思うのだが、それにしてはやたらとい部屋にいるのだ。

 大きなベッドは分厚いマットレスでふかふかで、シーツもはだけもやわらかく気持ち良いざわりだ。ベッドの上にはまくらの他に可愛かわいいクッションが数個置いてある。

 たなやチェスト、テーブルなどのいくつかの家具は何だかお高そうで、大きな布張りのソファーにはクマのぬいぐるみがちょこんと置いてあって可愛い。

 まどぎわのステンドグラスのようなびんには色とりどりのれいな花がかざってあり、ほのかな甘い香りを放つ。

 どう見ても捕虜にはいな部屋で、なぜ自分はこんなところにいるのだろうという疑問しかわいてこない。

 捕虜用の部屋が空いていなかったのだろうか。そもそも捕虜なんてろうの冷たいゆかに転がされているイメージしかない。自国の皇子なら間違いなくそうしている。


「何でだろ……」


 かんばかりの状況だけれど、考えたところで自分の置かれた立場は分からない。

 いっしゅんで楽になれるかなと期待していたのに、それはかなわなかったということしか分からない。

 ぼんやり座っていると、部屋のとびらが開いた。

 入ってきたのは、黒いズボンに灰色のシャツというラフな格好をした金色の髪の男だ。

 こしにはあおさやに収めたけんたずさえている。

 この人がいるということは、やはりここは王国のようだ。

 男はフィオナと目が合うと、足をピタリと止めた。


「……すまない。起きていると思わなかったからノックもせず入ってしまった」


 男は開口一番、謝罪を口にした。

 彼女はこの男と敵対しいくとなく戦ってきたが、声を聞いたのは今が初めてだ。会話をしたことはなかったから。

 初めて聞いた声は聞きごこのよい低く色気のある声で、見た目から想像していた以上にてきな声だなぁなんて、そんな風にぼんやりと思った。

 そして彼女も彼に初めて話しかける。


「えっとね、そんなこと気にしないからだいじょうだよ。そもそも敵に気をつかう必要はないと思うの」


 フィオナはりんとしたすずし気な容姿からは想像がつかないような、のんびりゆっくりとした口調でおだやかに話した。

 基本的にせんとう以外はいつもぼんやりとしており、きんちょうすることもめっにない。たいていの人は違和感を覚えるほどののんびり具合なので、目の前の男も一瞬ポカンと口を開けた。


「そうか、それなら良かった。少し不自由な思いをさせているがまんしてほしい。女性を鎖でつなぐなんて本当はしたくなかったのだが、今はそうするしかないんだ。すまないな」


 男はまた謝罪を口にした。なぜ捕虜にこんなにも気を遣うのだろう。フィオナはおかしくなって、口に手を当ててクスッと笑った。


「どうした? 何かおかしかったか?」

「うん、だって私のこともっと雑に扱っていいはずなのに、すっごくていねいだからおかしくて」

「そうか……」


 おかしいけれど、何だかくすぐったくなる初めての経験だ。自国ではこんなに大切に扱われたことがなかったから。

 ていこくの皇子は、女は自分の世話を焼き、欲を満たすだけの存在としか思っていない。

 彼女はまだギリギリ手を出されていないけれど、クズ皇子のせいで散々な人生だった。

 それなのに、捕虜になってからこんなにていちょうな扱いを受けるだなんて思いもしなかった。自分はそのうちしょけいされるはずなのに。罪の重さからそれはまぬがれないだろう。

 帝国では、人が処刑されることはごくありふれた身近なことだったので、彼女はもう自分が処刑されることを当然のこととして受け入れている。

 この丁重な扱いは、死にゆく者へのせめてもの情けだろうか……?

 フィオナは少し考えて、恐らくそうだろうという結論に至った。だってそれ以外に理由は考えられないから。


(どうやって殺されるんだろう……痛いかな。痛いのはいやだな)


 嫌だけれど、この国に対して自身が行ってきたことを考えたら、それも仕方ない。

 あきらめの気持ちと共に、げんきょうである皇子へのにくしみはつのる。


(皇子のばか。人でなし。だいきらい)


 しみじみとうらんだところではたと気付く。心の中で悪態をついたのに、呪印による痛みがおそってこないのはなぜだろう。

 疑問に思ったフィオナは服をめくり上げ、腹部にあるはずの制約の呪印をかくにんした。


「んなっ」


 いきなり目の前で何の躊躇ためらいもなくはだあらわにする行動にぎょっとし、男はとっさに目をらした。そんな男を少しも気にすることなく、彼女は自身の腹部をじっと見ながら静かにたんたんと語りかける。


「ねぇ、ここにあった呪印知らない? 黒いの模様みたいなやつだったんだけど」


 男は目を逸らしながらも質問に答える。


「それならうちのじゅいんに解かせたぞ。どんな効力を持つものかは分からなかったが、君にとって良いものではなさそうだったからな」

「……そうなんだ」


 ねむっている間に、自身の心と体を縛り付けていたものがなくなっていた。大嫌いな皇子に縛り付けられていた、死ぬまで解けないはずののろいだったのに。

 まさか敵国で解いてもらえるだなんて思いもせず、じわじわと喜びがあふれてくる。


「ありがとう、蒼い神器のけんさん」


 彼女は心から感謝して、ふんわりと微笑ほほえみながらお礼を言った。

 どうせ処刑するのだから、敵の呪印を消すだなんて、そんななことをする必要なんてないのに。

 この国の人間はおひとしだなと思いながらも、うれしくてたまらない。


「気にするな。ところで君の名を聞かせてもらえるだろうか。俺はマティアスだ」

「私はフィオナよ」

「フィオナ……フィオナか。良い名だ」


 彼は少しだけ目元をやわらげた。

 戦場ではいつもけんにシワを寄せていた男の柔らかな表情に、フィオナはキョトンとした。


「何だその顔は」

「えっとね、あなたも笑うんだなって思ったの」

「失礼だな君は」

「ごめんなさい。だって私、あなたのこわい顔しか見たことなかったし」


 そう言われ、マティアスは眉間にシワを寄せながら、自身のほおをむにっとつかんだ。


(怖い顔か……)


 表情が豊かな方ではないとの自覚はあるが、怖い顔と思われていたとは心外だった。そして彼女もあまり人のことを言えた義理ではない。


「そういう君だって―― 」


 いつも涼しげな無表情だっただろう。そうマティアスが言いかけたところで、部屋の扉がガチャリと開いた。


「あっれー? 起きてたんすね。ノックもせずに失礼したっす」


 白いローブを身に着けた男が陽気に笑いながら部屋に入ってきた。

 長い赤髪を後ろでひとまとめにし、少し垂れぎみの茶色のひとみやさしげなこの男は、フィオナが戦場で意識を手放す直前、マティアスと共にいた人物だ。


「金のじゅつさん元気になったっすか?」


 男はほがらかに話しかけてきた。捕虜の体調を気にする必要なんてないのになぁとぼんやりと思いながらも、フィオナは返事をする。


「うん、いっぱい寝たから元気だよ。ありがとう」


 敵意はいっさい感じられない、のんびりゆっくりした口調で穏やかに話しかけられた男は、目を大きく見開いた。


「あれれ? おかしいっす。ここは『気安く話しかけないでもらえるかしら』って虫けらを見るような目で見るか、フッと冷めたように笑って無視されるかのどっちかだと思ってたのに。びっくりっすよ。あ、オレはルークっていうっす」

「そう。私はフィオナっていうの」


 彼女は前半の主張は全て無視し、のんびりゆっくりと自己しょうかいをする。

 ルークはキョトンとした後、マティアスにって彼のかたをがしっと組み、彼女に背中を向けた。


「マティアスさん、なんすかあの子。イメージとちがうっすよ。クールで格好いいイメージが一瞬で消え去ったっす。ほわっほわでこれはこれで可愛いっすけど。むしろキュンとなっちゃってこの気持ちどうすればいいっすかね」


 ヒソヒソと小さな声で、ばやにマティアスの耳元にうったえかける。


「あぁ、俺も同じことを思っていたところだ。だがお前はその気持ちは捨てろ」

「そんなぁ~ひどいっすよ」

うるさい」


 二人は小声でなんやかんやと話していて、フィオナはそんな二人の背中を、仲が良いなぁなんてうらやましく眺める。自分には友人と呼べる人間なんていないからだ。

 死ぬ前に一人くらい友達がしかったのになと、元凶である憎き皇子の悪口を心の中でひたすらつぶやくことにした。

 しばらくしてから、マティアスはフィオナに向き合った。


「体は大丈夫か? 医者が言うにはどこも悪くはないようだが、なかなか目を覚まさないから心配したぞ」

「えっとね、いっぱい寝てすっきりした感じかな」


 マティアスの話によると、フィオナはたおれてから丸一日寝ていたようだ。ルークからわたされた水を飲んでいたらおなかいてきた。


 さすがにずうずうしいので自分からは言えないが、食事はもらえるのだろうかとぼんやりとうすで考える。


「食事できそうか?」

「しょくじ……」


 今まさにほっしていた言葉に、彼女のお腹はきゅるるると鳴り空腹を告げた。

 ほんのちょっとずかしいが、本当にほんのちょっとだけなので動じない。


「お腹は空いているみたいだな。目が覚めたらすぐに食べられるように用意はさせているが、つうの食事はとれそうか?」

「えっとね、元気だから何でも食べられるよ。ありがとうマティアス」


 フィオナは前のめりになり、瞳をかがやかせた。


「……では取りに行ってくる」


 そう言いながらすぐにマティアスは部屋を出た。


「うんわ、マティアスさんがあんな表情するなんてびっくりっすよ」

「……?」

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