3-2



*****



 一ヶ月のお休みはあっという間に過ぎ去っていった。

 久しぶりの学校。一番初めの行事は、なんと『海水浴』だった。

 海は危険な場所であると長年伝えられてきたが、近年、海水浴は健康及び魔力の増進にいいという研究結果が発表され、海のものの発生時期を避けた夏季期間に海の中で歩いたり泳いだりすることがすいしょうされることとなった。

 長期休暇の間ににぶった身体からだの感覚を取り戻すことを目的として、魔術学園では休み明け一発目に海水浴の行事を取り入れている、らしい。

 港町から帰って来たばかりなのに、また海に向かう蒸気機関車に乗ることになるとは。とはいえ海は海でも、私の家とは方向が逆だった。私が住んでいる港町はめ立て地ですなはまがなく、海水浴場は造られていない。

 一時間ほど汽車は走り、海水浴場のある駅にとうちゃくする。

 魔術学園が所有している海岸の小屋の中で、学校指定の水着にえる。セパレート式の水着はなかなかかわいらしい。いつもよりはだしゅつが多いのは慣れなくて恥ずかしいけど、海水浴という場においてはだんの生活のドレスコードの常識はとりはらわれるみたい。なんでも、本当ははだかで入るのが一番健康にはいいらしい。我が国にはないけど外国には男性専用ビーチ、女性専用ビーチなんてものがあってしん淑女は専用ビーチをぜんで楽しむのだとか……いくら同性同士でも全裸はいやだな、って私は思うけど、きっとそこは文化の違い、というやつだろう。水着には胸の辺りに大きなリボンがあしらわれていて、人によっては「ったい」「泳ぎにくそう」という声が聞こえてきたけど、身体のラインが出過ぎないようにデザインされていて個人的にはいいと思う。本気で泳ぎたい生徒にとったらじゃだ、というのはその通りだけど。

 私は普段下ろしている髪も泳ぎやすいようにひとつにまとめて上でい上げてこう室を出た。

 男子はひざたけのズボンのような水着を着用していた。いわゆる『海パン』というやつらしい。女子以上に露出の多い格好をしている彼らを見て一部の女子生徒たちは「きゃあ!」と黄色い声をあげる。

 私はその光景を見てハッとした。


(……殿下……。まさか、この水着にマントをつけてくるのでは……!?)


 海パン姿の男子たちを見て、水着マントの殿下をサッと想像してしまった。殿下はいつだって堂々としていて格好いい人だけどさすがに水着マントはダメな気がする。

 ハラハラした気持ちで殿下を探す。全学年合同行事だからどこかにいるはずだ。殿下は目立つからすぐに見つかるはず。別に水着マントの殿下がいたところで私に何ができるというわけでもないけど、つい、気になって探さずにはいられない。


「……何をやってるんだ、貴様は」

「はっ、でっでで、殿下!」


 背後から声をかけられ、必要以上にビクリと飛び上がってしまった。振り返ると呆れ顔の殿下と目が合う。心配していた殿下のよそおいは……水着マントではなかった。

 うすみどり色のパーカーを羽織って、瞳にはサングラスをかけている。殿下に限らず、瞳の色素が薄い生徒がサングラスを装着しているのはめずらしくはないが、その中でも殿下のスタイルはきわっておキマりになっている感じだった。


「パ、パーカーお似合いですね。殿下」

「フン、当然だ」


 そうだよね、さすがに、水着マントじゃないよね。当然だよね。私はハラハラしていた胸をホッとろす。

 殿下が腕を組み直すと、聞き慣れたジャラ、という音が聞こえた。よく見ると、パーカーのすそがずいぶん垂れ下がっている。そこに、アレがあるんだなという重みを感じさせた。


「……貴様は……」


 殿下の視線がサングラスしに向けられる。チラ、と私も殿下を見上げれば、すかさずパァンという音が夏の砂浜に響いた。


「えっ、ええと」


 またもパァンと破裂音が続く。


「そんな水着を着ていてどうする!?」

「学校指定の水着ですけど!?」


 夏の日差しのせいか赤らんだ頰の殿下ががなった。


「魅了魔法の効き目が強くなる格好をするな! これでも着てろ!」


 ばふっ、と顔にやわらかい何かが降ってきた。石けんのさわやかな匂いがする。あ、殿下の匂いだ。


「俺の予備のパーカーを貸してやる。泳ぐ時以外は着ていろ。少しはマシだ」

「は、はい。ありがとうございます……?」


 殿下サイズのパーカーは私には大きすぎた。そでから手は出てこないし、裾はおしりをすっぽりおおうどころか、ひざ上くらいまである。


「殿下、大きいからブカブカですね」

「……」


 袖から手が出てこないまま口元に手をやってフフッとはにかむ。

 するとパパパパパパァンと殿下のパーカー下から連続で破邪グッズがくだる音がした。


「なんだ!? 今の音! 花火か?」

「えっ、まだ昼間じゃん」


 近くにいた生徒たちがキョロキョロとあたりを見回す。先生が「今日は花火大会の予定はないぞー!」と声をかけていた。不思議そうに首を傾げるみんな。


「ど、どうして!?」


 とつぜんの景気の良さにきょうがくして殿下を見上げても、サングラス越しだと表情がよくわからない。どうして、ってそりゃあ、まあ、私の魅了魔法のせいなんだけど。


(わ、私、いまそんなに制御失ってた……!?)

「……今日は、あまり俺はそばにいないようにするから適当におおいに遊べ! じゃあな!」


 こんわくする私を置いて殿下はそそくさと足早になみぎわに向かっていってしまった。


「……変な殿下……」


 ……いや、でも、いつもあんな感じかな……?


「──まあ、みっともない。なんて格好をしていますの?」


 去りゆく殿下を見送って間も無く、麗しい声がかかる。


「あっ、イレーナさん」


 わあ、スタイルがいい! 同じ指定の水着なのに全然違うものを着ているみたい。出るところは出ていて、おなかは引っ込んでいて、スラリと長くて白い脚をさらしているイレーナさんについ目がくぎけになる。ライン隠しのデザインのむなもとの大きなリボンもあまりのボリューム感にちできていない。まさにゴージャス、というお姿だ。イレーナさんもサングラスをおけになっていた。イレーナさんの瞳も色素の薄い瞳だ。


「? あれ、この人は……」

「学園外での活動ですからね。念のために護衛を連れてきておりますの」


 イレーナさんの後ろにひかえてパラソルを持つ黒服の人が深々と私に礼をする。護衛……夏休み前に殿下から聞いた話を思い出す。なるほど、こうやっていつもけいかいしているのか。


(学園にいるときはいないから、学園の中ってやっぱり安全ってことなのかなあ?)


 殿下も普段はジェラルドさんを連れていないし……。私のせいで大人もみんなポンコツになっている現状を見ていると本当に学園内の安全は保障されているのか? というのはやや疑問だけど。なんでもジェラルドさんは転移魔法の使い手だから呼び出されればいつでも殿下のそばにすぐ行けるらしいけど、この護衛さんはどうなんだろう? きんきゅう時のなんにはだいかつやくだから貴族の護衛には転移魔法持ちは重宝されるという話は聞いたことがあるけれど……。


「殿下からパーカーをたまわるなんて……あなた、殿下のなんなんですの?」


 ジロリとイレーナさんはサングラス越しに私を睨む。なにと言われると……困るな。大絶賛魅了魔法でごめいわくおかけしているけれど、関係というと……うーん、、とか……?


「まさかあなた、殿下のことまでゆうわくしてらっしゃるの? 異性と見れば見境なく色目を使うはしたないご令嬢は殿下にはふさわしくありませんわよ」

(そ、それもこれも全部、魅了魔法のせいなんだよなあ)


 イレーナさんの言葉にはとげがあったけど、そういう感想を持つのはやむなしというところか。くちもっている私をイレーナさんは上から下までじっくり観察し、やがてたんそくした。


「……なんて欲をそそる格好を……ッ。本当に、心底、みっともない……ッ、おやめなさい、そんな、かわいい……くっ……! あなた、そんな格好をして自分がどう見られるかお分かり……!?」

「えっ、え、す、すみません」


 桜色のくちびるみ締め、なぜかもんの表情のイレーナさんにギンッと睨まれる。美人なだけにはくりょくがすごい。殿下と同じタイプだ、殿下もお顔立ちがいいから睨みが迫力あるんだよね。

 はあはあと何かと戦ったみたいに息をあららげているイレーナさんだったけど、しばし肩を上下させているうちに落ち着いたのか、ふうと細く息をつくと私に一歩近づいて手を差し出してきた。


「手が出ていないと危ないでしょう。あなた、海水浴は初めて? いそで転ぶと岩や貝でかれて傷口が深くなって治りがおそいんですのよ。ちゃんと腕をまくってごらんなさい」

「は、はい」


 イレーナさんの白魚のような手がテキパキと私のだぼついたパーカーの袖を捲っていく。肌にわずかにれた手のひらのかんしょくはすべすべでちょっとドキッとした。


「ありがとうございます、イレーナさん」

「ふんっ、みっともなくて見ていられなかっただけよっ!」


 イレーナさんはフンっ、とそっぽを向くとせんあおぎながら護衛を引き連れて高笑いをしてどこかに去っていってしまった。


「……ク、クラウディアさん。大丈夫? ベルクラフト公爵令嬢に絡まれていたみたいだけど……」

「あっ、はい。袖を捲っていただきました」


 イレーナさんの姿が見えなくなったらどこからともなく人がヒョコヒョコ集まってきた。私の経験則上、ヤバい予感がする。


「それだけ? 心配だなあ、彼女は結構アタリがきついって評判だからさ……ところで、よかったら俺と一緒に泳がない?」

「オイ、オレが先に声かけようと思ってたんだぞ!」


 お約束のやつだ! これ以上人が集まってくる前に逃げよう! 殿下のように『姿消し』の魔法は使えないけれど、代わりに下位かんの『気配消し』の魔法をかけて私は駆け出した。


(今度、『姿消し』の魔法も教えてもらおうかなぁ。でも、あんまり私、適性がないんだよなぁ。アレもすでにそこにいるんだってバレてると効果ないし……)


 とにかくだっごとく逃げながらうーん、と考える。


 さて、私が逃げ回っているうちに、生徒のみんなたちは海水浴を楽しむスタイルをおのおの確立していっているようだった。砂浜でボールで遊ぶ人たち、パラソルの下でゆうにドリンクを飲む人たち、波打ち際でちゃぷちゃぷ歩いている人たち、本気で泳ぎまくっている人たち。生徒たちが多く集まっている水辺からは離れた位置で一人、ぽつんとしながらみんな楽しそうだなあ、と私はそれを眺めていた。

 そんな中、ふと遠くで泳いでいる殿下の姿が目に入る。遠目でもやっぱり殿下は不思議と目立つ。どうやらご学友と遠泳対決をしているらしい。すさまじい勢いで海をかきわけて赤い旗のついたブイを目指していく。その隣のご学友もけして負けてはいないけれど、殿下のほうが少し速そうだ。

 つい夢中になって見ていると、ブイにタッチした二人がはまの方に戻ってくる。ちょっとドキドキしてきた。殿下がややリードしているものの、差はわずかだ。


(殿下、がんばれ!)


 こっそりと心の中だけでおうえんする。ほどなくして、殿下が先に浜辺にとうたつした。

 くやしそうな男子生徒といつものように不遜に笑う殿下。とても楽しそうだ。パーカーもサングラスも外している殿下は、水もしたたるいい男を地でいっていた。太陽の下できらめくれた金髪、均整の取れた体つき。遠く離れたところから見ても「カッコいいなあ」と思う。


(あ)


 ジーッと見てたら、ぐうぜんか。殿下と目が合った。殿下は目立つからともかく、殿下、よく私のこと見つけるなあ。視力もいいのかな。


(殿下、カッコよかったです!)


 そんな気持ちを込めながら大きく手を振る。殿下は私を見つめ、そしてややあってから海にたおれ込んだ。


「「「殿下ーッ!?」」」


 私の心の声と周囲のみんなの声が重なる。

 海にしずんだ殿下はなかなか出てこなかった。あれだけ泳げる人だから大丈夫だと思うけど……。

 どうしよう、駆け寄っていきたいけどこれだけ人がいると魅了魔法をき散らしている私はそばには行かないほうがいいかもしれない。でも。


(……あっ!)


 ハラハラしている私の視界にキラキラとひかかがやく魔力のかたまりの大きな光球と、それから見覚えのあるひとかげが目に入り、私はあんしてことの成り行きを見守ることに決めた。


「……いや、まっさか主人が海で溺れかけて呼ばれるとは思ってなかったっすわ……」

「溺れかけたわけではない……!」


 地をうような声を出した金色の濡れネズミは親愛なる我が主人、アルバート王太子殿下だ。すごんでもケホッケホッとき込んでいるお姿がなんともおいたわしい。

 いやしかし。護衛対象のご本人がいない間の護衛騎士が何をしているかというと、もっぱら騎士団内のこまごまとした仕事をやったり、訓練室で訓練していたり。緊急の呼び出しにいつでも行けるようにしているので、軽い仕事しか回ってこないなかなかラッキーな役職だと思っていたんだが。


「生まれて初めての主人の危機による強制しょうかんがコレとは……」

「コレとはなんだ、コレとは」


 海で泳いでいた殿下は護衛騎士であるオレの『座標』になっているどうも波打ち際から少し離れたパラソルの下に置いていた。主人の危機を察知し『転移魔法』を発動させた魔道具によって呼び出されたオレは近くに殿下がいないことを認め、周囲の学生たちのざわめきから何が起きているのかをしゅんに理解した。まあオレが迎えに行かなくてもマジで溺れることもなかったろうが、緊急呼び出しには特別手当もつくので、一応。周りの生徒さんたちは突然の殿下のなぞアクションにどう反応したらいいかわからずにオロオロしているようだったし。


「や、本気で海でなんかして溺れて呼ばれるとかはわかるんすよ? でもさあ、その溺れた理由ってのが……クラウディアちゃん?」

「この無防備な状態で魅了魔法を放たれたんだぞ! あらがうには海に沈むしかなかった!」

「そんなに弱いの!? クラウディアちゃんの魅了魔法に!?」

「まかり間違っても未来の王たる俺がアイツの魅了魔法にかかるわけにはいかんのだ……!」


 グッと殿下はこぶしを固め、戦慄かせる。……いや、一日くらい軽くかかっちゃうのぐらいはよくない? ダメかな? とちゃらんぽらんなオレなんかは思うのだが、殿下は真面目だからそれをよしとはしないんだろう。魅了魔法にはこうしょうもあるというから、一度でも魅了魔法に支配されたらアウトだ、ってことだ。一国の王になる人物としてはその判断は正しいんだが、それゆえにり出されるこうがすごい。周囲の生徒のもくげき情報によると頭から波打ち際の浅い海面に飛び込んでそのまま動かなくなったらしい。魅了魔法とできのリスクをてんびんにかけて迷わず溺死のほうを取るな。王が死ぬほうがダメだろ。

 とりあえずまあ、やることはやった。主人の危機は救った。海から引きり出して、パラソルの下で安静にさせて。うん、オッケー。


「大丈夫そうなんでオレ帰りますね。水着の生徒たくさんの砂浜に騎士服のお兄さんがいるのも浮いてるんで」

「……ああ、すまなかったな。呼び出して……」

「全然。ガチの緊急事態じゃなくてよかったっすよ」


 ふうんと鼻を鳴らして、グルリとあたりを見回す。パラソルの周りには心配そうに殿下の様子をうかがう生徒たち、あんまり気にしないでとにかくはしゃいで遊んでいる子たち。当たり前っちゃ当たり前かもだけど、殿下の天敵のあの子は多くの生徒たちが集まっているこのあたりにはいなかった。


「オレ、せっかくだからクラウディアちゃんに挨拶してから帰りますね。殿下はここでごゆっくりー」


 殿下が眉をひそめ、目を見開く。


「いやいや心配しなくてもオレ年下はナイですし。水着も学校指定のヤボいやつじゃないすか。殿下が心配するようなことないですよ」


 まあ、前科持ちだけど! あの時はずいぶん長い間そばにいちゃったせいであって、ちょっと話すくらいなら平気なはず!


「……」


 その例の前科のことを持ち出してきて引き止めてもいいところ、なぜか殿下は押し黙った。付き合いの長いオレだからわかるが、どことなく気まずそうな雰囲気から、殿下的には学校指定の色気のない水着も『アリ』だったんだろうなとさとる。付き合いが長いから余計なことは言わないけど。お兄さんは思わず、ういういしくうつむく殿下にフッと爽やかな笑みを浮かべてしまった。

 まだふらふらしている殿下をパラソルの下にかしつけて、オレは一人、ピンク髪の女の子を探しに出た。


(クラウディアちゃん……君は殿下にとっての夏の海の魔物だよ……)


 潮風にふかれながら思いをせる。

 さて、クラウディアちゃんはというと早々に発見することができた。というか、クラウディアちゃんの方から手を振って駆け寄ってきてくれた。


「ジェラルドさーん!」


 薄緑色のパーカーの裾を揺らしながら駆けてくるクラウディアちゃんの姿を認めたしゅんかん、オレはいっしゅん固まった。


(あのパーカー、殿下のやつじゃん!)


 ブカブカのオーバーすぎるサイズのパーカーの裾からのぞくひざしたの白い足。一瞬穿いてないかと驚愕したが全校行事でそんな格好をしているわけがない。大きく開いた首元から水着のひもが覗いているのを見つけてホッとした。

 殿下のパーカーを着ているってことは、殿下的にクラウディアちゃんの水着姿がヤバかったから殿下が予備のやつをクラウディアちゃんに着せたってことなんだろうけど。


(……オレの主人、バカかもしんない……)


 あの人なにやってんだろう。自分のパーカー着せて攻撃力高めさせてどうするんだ? バカなのか? 自分を追い詰めるのがしゅなのか?


「ジェラルドさん。殿下……大丈夫でしたか?」


 思考が宇宙に飛んでいきそうだったオレの意識をクラウディアちゃんのかわいらしい声が引き戻す。


「あー、うん。大丈夫だよ、さすがにちょっと水飲んだっぽくてケホケホしてたけど元気元気」

「よかった……心配だったんですけど、殿下、今日はあまりそばにいないようにするって仰ってたから……。ジェラルドさんが召喚されてくるのも見えてましたし、ここで見守ってたんです!」

「ああ……それはけんめいな判断だったね……」


 しみじみと頷く。クラウディアちゃんが殿下が心配なあまり駆け寄っていたらとうとう殿下は魅了ちしてたかもしれない。

 やっぱり緊急事態は正しく緊急事態だったのだ。オレが呼び出されたことでオレはまさしく殿下の危機をお救いしたのだ。よかった。


「まあ、今はまだちょっと休んでるからそっとしておいてあげて」

「はい!」


 素直に答えるクラウディアちゃんはかわいい。パラソルの下で休んでいる時にこの笑顔でやってこられたら多分殿下は死ぬだろう。


「今日も魅了魔法撒き散らしてる?」

「ええ、まあ……。逃げ回って今はこうして一人離れたところでみんなを見守っています……」

「いやあ、こういう行事めちゃくちゃあいしょう悪そうで大変だね」

「はい……」


 しゅん、とクラウディアちゃんは頭を下げる。かわいらしくアップスタイルでまとめた髪は全く濡れていない。かわいそうに、せっかく海に来たのにまだ全く海に近づけていないんだろう。今日に関しては殿下も役立たずだ。ちょっとでも泳げると結構気持ちいいんだけどな。


(……しかし、オレの見立てだと、クラウディアちゃんはだいぶ魅了魔法制御できるようになってると思うんだけど)


 少なくとも、オレは今現在、彼女の魅了魔法にかかりそうな気配はない。前回会った時よりも、魅了魔法ののうは薄まっているように感じられた。


(海! 水着! プラスオンだぼだぼパーカー! で効果上がっちゃってるのをかんがみるとしたら……コレくらいですんでるのはかわいいもんなんじゃないかね)


 彼女のことを遠目からぽーっとした顔でチラチラと見ている男子らを眺めながら思う。前に視察で見たときほどのねっきょうっぷりはない。以前通りなら、オレが横にいようがなんだろうが集団でとっこうしてきたことだろう。


(──やっぱ殿下、クラウディアちゃんの魅了魔法にかかりやすすぎなんだよな……)


 控えめに言っても、ちょっと気になるかわいい女の子どころじゃない、なんて思うのだが。


(……殿下、もうクラウディアちゃんのこと好きになっちゃってない?)


 そんなことを考えながら、オレは転移魔法で王宮に帰っていくのだった。



 ──そういえば私、泳いでいない!


 西日のまぶしさに目を細めた瞬間、ハッとする。


(コソコソするのに集中してて忘れてた!)


 太陽が水平線に沈みかけてようやく気がついた。今日、学校行事で海に来たのは海で泳いで心身と魔力の調子を整えるためなのに。私はというと、みんながいる白い砂浜から離れた岩場で一人ぽつんとこしけて延々と海を眺めていた。

 ジェラルドさんと別れてからも、砂浜にはなかなか近づけないままフラフラしているうちにやっと見つけたあんねいの地だ。

 寄せては返す波を見ているだけでだいぶ精神的には整った気がするけど、一応行事の目的は果たしておいた方がいいだろう。あと、じゅんすいに興味としてれいな海に入ってみたい。港町で育ってはきているけど、あそこは泳げる海じゃないから。


「よぉーし、海、入るぞーっ!」


 殿下が着せてくれてイレーナさんが袖をおりおりしてくれたパーカーをぎ、たたんで岩の上に置く。実をいうと泳いだことがない私。泳がなくても、足……こしかる程度のところでちょっと歩いてたらいいのかな。

 ワクワク半分、ビクビク半分、意気込んで海水に足を入れた、そのせつ

 ──海面からきょだいなイカが現れた。……イカ?


(違う、これは……)


 突然の目の前のきょうに対し、私は慌てて身を引いて、岩場を踏み締めた。


「ク、クラーケンだーっ!」


 海岸に悲鳴がだまする。俺は目を凝らしてかいを見つめた。きょかいの動きにじゅうりんされた波があらあらしくうずを巻く。クラーケン、海にむ魔物だ。


「こんな季節外れに……」

「生徒諸君は急いでこの場を離れて! 小屋まで避難しなさい! ここは我々で食い止める!」

「自分は戦えると思っていても逃げなさい! まともに戦う相手じゃない!」


 教員はクラーケンとたいするもの、生徒たちをゆうどうするものと素早く分かれた。

 クラーケンは本来、寒い冬の時期の魔物である。夏の陽気は彼らの生態に適しておらず、冷たい水温の深海にもぐっていてこうして砂浜に現れることはないはずなのだが。

 突然の事態に混乱しつつもそこはさすがに魔術学園に通う生徒たちだ。教員の指示に従って速やかに避難行動をとっている。

 集団をサングラス越しに目をすがめて注意深く見るが、ピンク髪が見当たらない。


(……クラウディアがいない!)


 予想通りといえばそうだった。彼女が人のいる場所を避けているだろうことは想定のはん内だったがしかし、もしかしたらという気持ちで人の波を注視していた。いないとわかれば、すぐさまにきびすを返して群衆から離れる。

 人のいる場所を避けていたとしてもあまりにも遠く離れたところにまでは行っていないだろう。身を隠しやすそうな岩場にあたりをつけて駆けつけた。


(いた!)


 思った通りの場所に彼女はいて、そしてクラーケンに囲まれていた。小さな手のひらにバチバチと火花を散らせているのが見えた。らいげきの魔法を使おうとしているらしい。すいせいの魔物には効果的な魔法だ。その判断は正しい。

 クラウディアの魔力量は多く、放たれる魔法のりょくは強い。むしろ威力を抑えようとして制御に苦戦しているのが彼女だ。クラーケンの一体や二体くらいは倒せるだろう。


(だが、数が多いな!)


 にんできるかぎり、ざっと四体の巨大モンスターに取り囲まれているがらな少女、クラウディア。

 すべる岩場をねるようにって彼女のところに向かう。ちょうど雷撃の魔法を一体にぶつけ海に沈めることに成功しているようだった。だが、そうしているうちにももう一体のクラーケンが太いしょくしゅきゃしゃな身体にたたきつけようとしていた。


「風よ! やいばとなって切り裂け!」


 このデカブツをこんすいに至らせる規模の魔法を展開するには時間がかかる。間に合わせで風の魔法で迫る触手をブツリと切り落とした。


「──殿下!」


 バッ、と振り向いたクラウディアの安堵した表情と共に彼女の魅了魔法が胸にさる。こんな時にまで魅了魔法を振りまくな。破邪の守りがひとつ割れたが、くるった波の音がその音を消した。


「無事か!」

「は、はい! なぜか突然、クラーケンの群れが!」


 魅了魔法が人間以外にも効くという話は聞いたことがないが。まさかな──とふと思う。砂浜に現れたのは二体のクラーケン。クラウディアに迫っていたのは四体。こちらのが数が多い。それはまあいい。なぜ真夏の海にクラーケンが出現したかを解明するのは学校教員らの仕事だ。いち生徒に過ぎん俺の仕事ではない。

 触手を切り落とされたクラーケンはげきこうしていた。眼前に迫る危機を振り払うのに専念するのが先だ。


「コイツらを一気に落とせる大規模魔法を使う。その間、かくらんを頼めるか」

「わかりました!」


 クラウディアの返事は心強かった。魅了魔法でトラブル続きのせいか、クラウディアはなかなかきもわっている。けているようで、機転が利くやつだ。発動の早い風魔法とかみなり魔法を使してクラーケンの攻撃をいなしてくれる。俺の望み通りの働きだ。


「神のやりよ、全てつらぬき、勝利と共に我が手にかえる槍よ」


 右手に魔力を集中させながらえいしょうする。この俺が詠唱を必要とするほどの高位魔法だ。バチバチと音を立てながら練り上げた魔力の分だけ火花が激しくみぎうでを覆っていく。

 目で合図すると、クラウディアは察したようでさっと俺の後ろに控えた。三体のクラーケンは今が好機だとばかりにいっせいに俺たちにそのきょたいを向けてくる。


「……雷撃、グングニル!」


 三体をまとめてぐように、雷の魔法で創り上げた槍をクラーケンに放った。激しいらいめいと共に、雷槍は全てを貫いた。ドォンと大きな爆発音と共に雷槍は海に沈み、凄まじい飛沫しぶきをあげた。クラーケンが巻き起こしたうず潮をかき消すほどの大きな波があがる。

 身体を貫かれたクラーケンは海に沈んでいった。かかった飛沫を手で払い、高笑いをあげる。


「フハハハハ! 俺の敵ではないわ!」

「でっ、殿下、すごい!」


 クラウディアから当然の称賛を受ける。


「貴様もよくやったな。いい働きだっ、た……」


 白い頰を赤く染め、クラーケンと対峙したきんちょうのせいか、すみれ色の大きな瞳は潤んでいた。よく見るとみず飛沫しぶきを浴びて結い上げている髪は濡れ、細い首にまとわりつくおくがどことなく色っぽく見えた。よく見なければよかったとこうかいする。


「殿下! ありがとうございます!」

「!?!?!?」


 目をそむけたその瞬間、ぎゅう、と柔らかい物体が飛びついてきた。見下ろせば、なぜかクラウディアが俺の胸の中にいた。……意外とある。いや、そうじゃない。


(ば、ばかもの!)


 なぜ抱きついてくる? 心の中でクラウディアをなじるくらいしかていこうできなかった。


「──殿下! ありがとうございます!」


 私はほとんど無意識に殿下に抱きついていた。耳元で殿下が息をむのが聞こえる。


(殿下、すごいカッコよかった……)


 さすがに突然のクラーケンの群れは怖かった。殿下が来てくれたときに心底ホッとした。頰に触れた殿下の体温がここよくてつい頰をすり寄せる。でも、安心したはずなのに胸のドキドキが収まらない。ドキドキが収まってほしくて、殿下の背に手を回し、ぎゅうとしがみつく。

 だけど、殿下の大きな手のひらが私の肩をつかんで、そっと私を引きがした。それでやっと私はハッとする。


「あ。ごめんなさい、私、つい……」


 嬉しくて、安心して、甘えてしまった。ちょっとはしたなかったな、と今更頰がる。


「……」


 殿下の顔がめちゃくちゃ怖い。え、なんでだろう。さっきまでクラーケンとバチバチやってたから? でも、つい何秒前かは気持ちよさそうに高笑いしてたのに?

 なんで、どうして。困惑していると、パァン! と聞き慣れた破裂音が聞こえてきた。


(あっ、破邪グッズだ!)


 その音が聞こえてきたことでむしろ安堵感のようなものを覚えていると、パン、パン、パンと控えめながらも連続で破邪グッズは破裂し続けていった。


「で、でんか、だいじょう……」


 大丈夫ですか? と言いかけたところで、頭上からパリィン! と新しいバリエーションの音が聞こえてきた。とっに上を向く。


「きゃあっ!?」


 殿下のキマっているサングラスが割れていた。殿下はま忌ましげに割れたサングラスを取る。さっきまで怖い顔をしていたけど、なんだか一転してすがすがしさを感じるくらいのいつもの偉そうな勝ち気な顔の殿下に戻っていた。


「そっ、それも破邪グッズだったんですか!?」

「マントに比べてコレではとうさいできる容量に限りがある! ならば可能な限りそうしょく品として破邪の守りは身につけておくべきだろう!」


 殿下はフハハハハ! と先ほどと同じような高笑いをした。


(なんか、ドキドキしてたけど……どっかいっちゃったな……)


 なんだか、本当の意味で安心したって感じがする。

 殿下はひとしきり高笑いを終えると、今度は切なげに目を伏せた。


「まさか、コレまでこわれるのは……想定外だったがな……」


 割れたサングラスのつるを手に持ちながら殿下はため息をついた。


「……もう破邪の守りはきた。……悪いが、少し離れていてくれ……」

「は、はい。殿下」


 なんだか殿下がすごいしょんぼりしている。いつも胸を張っている殿下の背が丸まっているとは。せいてんへきれき。さっきまであんなにカッコよかったのに。破邪グッズが殿下の精神安定ざいなんだろうか。


「あの! 殿下……」


 私は背を向けた殿下のパーカーの裾を摑んだ。この一言だけはちゃんと言いたくて。


「殿下、すごいカッコよかったです。……ありがとうございました」

「……」


 殿下は振り向かなくて、無言だったけど、なぜか転移魔法でジェラルドさんが呼び寄せられてきていた。


「オ、オレ、これから先こんなことばっかで呼び出されんの? マジ?」

「二度目はない。二度目は……ないはずだ……、破邪の守りをぜんめつさせられるなんて失態は……!」

「夏の海ってこわ〜い」


 二人のけいみょうなやりとりを流し聞きしながら、私は意外といい思い出になったかな、と目を細めて夕日の海を振り返った。








「風か邪ぜ?」


「そ、そうなんですぅ~」




 応接室のソファに座っていたヘンリーは訝いぶかしむように首を傾かしげた。


 貞てい淑しゅくな貴婦人に『擬ぎ態たい』したアルマは、それを見てほほ、と口元を手で隠かくす。


 だがその内心では、コンラートへの罵ば詈り雑ぞう言ごんを垂れ流していた。




(あんの『気弱閣下』ー! なんでもいいからとっとと出てきなさいよ! おかげで私一人で応対しないといけなくなったじゃないー!!)




 今朝になって、コンラートにまたも新しい『人格』が発現した。


 当人いわく――今度は『怯おびえ』の感情が人としての性格を持ったらしい。


 それはいいのだが。




「分かりました、分かりましたから! とにかく早く準備をしてください!」


「む、無理です!! だって今来てるのって、ヘンリー叔父おじさんですよね!?」


「そうですよ。何回もそう言ってるじゃないですか!」


「むむむ、無理です!! こ、断ってくださいいいい!」


「はあー!?」


『気弱閣下』はそう泣きわめくと、毛布を被かぶって再びベッドに潜もぐってしまった。


 執しつ事じ長ちょうらが手を貸してくれるも、力が強いのかびくともしない。




「いかがいたしましょうアルマ様。これ以上ヘンリー様をお待たせするのは……」


「……仕方ない。とりあえず私が出るわ」




 かくしてアルマは今いちばん会いたくない人物と、たった一人で対たい峙じする羽目になったのである。




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【書誌情報】


≪「魅了魔法を暴発させたら破邪グッズをジャラジャラさせた王太子に救われました」 試し読みはここまで!≫


お読みいただき、誠にありがとうございました♪


\新作/

2月15日発売のビーズログ文庫

「魅了魔法を暴発させたら破邪グッズをジャラジャラさせた王太子に救われました」

(三崎ちさ イラスト/天領寺セナ)


をご覧ください!!


詳しくは、ビーズログ文庫の公式サイトへ♪

(※カクヨムの公式連載ページTOPからもとべます!)

https://bslogbunko.com/product/miryoumahou/322210000993.html

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魅了魔法を暴発させたら破邪グッズをジャラジャラさせた王太子に救われました 三崎ちさ/ビーズログ文庫 @bslog

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