3章 魅了魔法と夏の訪れ

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 国家しん殿でんでのりょうほうとくは失敗に終わってしまった。けれど、そんな私のとくしゅ事情にはお構いなしで、期末試験はやってくる。

 試験前も試験中も私と殿でんはいつもの校舎裏でりょくせいぎょ特訓にはげんでいた。

 そして、試験の結果は……。


「……学年、十五位……」


 ろうに張り出された期末試験の順位表をながめ、思わずつぶやく。

 上の方、されど他の生徒たちの名前にまぎれた場所に自分の名前が書かれている。

 今までの試験では、この紙の一番上に満点で名前があった。


「……クラウディアじょうが……こんな成績を取るなんて……」

「学園始まって以来のしゅうさいと言われていたクラウディアさんが!」


 少し遠巻きにザワザワと私への心配の声がひびいていた。


「……クラウディアさん、だいじょう? 体調が悪いんじゃ……」

「最近放課後にあまり姿を見かけなかったな。学業以外に何かいそがしかったのかな?」

「あ、ええ、いえ、大丈夫です、みなさん。ご心配ありがとうございます」


 声をかけてきてくれた男子生徒数人にニコリとほほむ。

 すると、みんなそろって顔を赤らめて、はにかんで鼻をこすったり、聞いてもいないかくしの悪態をついたりとそれぞれ反応を示した。


(私の試験結果が悪くなったのは、先生たちへの魅了魔法のえいきょううすくなったから……?)


 魔法のエキスパートである彼らなら、元々魔法のたいせいも高くて不思議はない。つまり、私の魅了魔法コントロールレッスンはではない……ということだ。

 うーん、もしかしたらこの十五位という成績もみょうなところかもしれない。完全に魅了魔法の影響が切れたらもっと低い順位かも。……かも。がんばろう……。


「……ねえ、ちょっと、クラウディアさん?」

「はい?」


 メロメロ状態の男子生徒たちが去っていき、やれやれと思っていると背中から投げかけられたのはとげとげしいかんだかい声。あわてて後ろをく。

 豊かなうすむらさき色のかみをたっぷりと巻いたごれいじょううでを組み、するどい目つきで私をにらみ上げていた。


「彼はこんやく者のいる男性ですよ。いくら平民出身とはいえ、あなたもこの学校に通っている以上、婚約者のいる男性にみだりに近づくのはよくない……程度のマナーはご存じですわよね?」


 知っている。数えきれないくらいその忠告は受けた。

 問題はその忠告後まもなくご令嬢ご本人が私にメロメロになってしまって、なんだかどうにもならなくなるということで……。


「ちょっと、真面目に聞いていらっしゃいます?」


 ……。

 ……で、なんだけど、なかなかこの薄紫の君はメロメロ状態にならない。

 …………まさか。


「……わ、私……」

「な、なんなんですの? 急にふるえだして。ああやだ、わたくし相手にまでこびを売ろうというのですか?」


 私、わたし……。

 同年代の女の子に、こんなに本気で向き合ってお話ししてもらうの、初めて……!

 いつもはここで、なんだかよくわからないまま勝手にれられてうやむやになるのに。こんなにまっすぐ私の目を見てお話ししてもらうのなんて、魅了魔法が効かない殿下以外だと、本当に、初めてだ……! 年下対象外お兄さんのジェラルドさんすら最初は効かなかったけど後半アウトだったし……。

 ちょっとなみだ出てきた。


「や、やだ、泣かないでちょうだい。フン、少しは響いたようで何よりですわ。以後、自重することね。失礼いたします」


 薄紫のうるわしのご令嬢はどっかに去っていってしまった。ああ、どうせならお名前を聞いておけばよかった……。お名前がわかっていれば今日の日のことをお名前といっしょに手帳に記しておいたのに……。

 悲しみを胸に秘めながら私はすごすごといつもの特訓場所に向かった。学年十五位という成績については殿下からは「めちゃくちゃ微妙なとこだな」とのコメントをいただいた。私もそう思う。


 ちなみに殿下の試験結果はゆうの一位だったそうだ。すごい。



*****



 その薄紫の君の名を知る機会は思いのほか早くやってきた。彼女はイレーナというらしい。あとで手帳に書いておこうと心に刻む。イレーナ・ベルクラフトこうしゃく令嬢。魅了魔法にかかってしつこく話しかけてきた高位貴族の男子生徒に聞いたら色々と教えてくれた。私よりひとつ上の二年生。成績ゆうしゅう、容姿たんれいのスーパーウーマン。そして。


「彼女、あの王太子殿下の婚約者候補筆頭という話だよ。まあ、僕は彼女みたいな絵にいた貴族令嬢って感じのおじょうさまよりも君みたいな子のほうが好みなんだけど……」

「……殿下の婚約者候補……筆頭……」


 私は思い出す。そういえば、殿下は学校におよめさん探しに来ていて、私の魅了魔法コントロールの特訓に付き合ってくれているのはそのいっかんだったのだ、と。


(あの人がそうなんだ……)


 候補、ということは他にも何人かいるのだろうか。同学年の女子生徒や、最上級生も候補にいるのかもしれない。イレーナさんとは学年も一緒だし、うわさをされるくらいだから仲もいいんだろうか。

 かつて殿下が女子生徒たちに囲まれていたときのことを思い出そうとするけれど、あまりよく覚えていない。薄紫色の髪の派手な美人、いたようないなかったような。

 期末試験の結果が張り出されたときのこと、彼女の口調は厳しかったけれど、ごてきの内容はもっともだ。それに、彼女は殿下をのぞけば初めて学園内で魅了魔法の影響なしでまっとうにやりとりができた人で、あまりにもそれがうれしくてとうとつに泣き出してしまった私にもやさしかった。あれだけキツイ口調でやってきたのに、退散するときには私をづかうようなそぶりすら見せていた。心根は優しい人なんだろう。


(公爵令嬢で、美人で、立派で……ああいう人が未来のおきさき様にふさわしいんだろうな)


 彼女と殿下がとなって派手な美形同士キラキラしながら不敵に微笑んでいる図をおもかべ、ふふとはにかむ。

 けれど、なぜかほんの少しだけモヤモヤとしたものを感じてしまった。お似合いだとそう思うのに。なぜだろう。モヤモヤ、ううん、なんだか、さびしいというか……。


「クラウディア。君とたくさん話ができて嬉しいよ。もう少しゆっくり話せる場所に行かないかい?」


 スッとかたに手を置かれて意識が目の前の現実にもどってくる。

 あ、危ない。完全にボーッとしていた。げよう。私は手を振りはらい一気にした。


 じゅつ学園は三年制で基本的には学年ごとに分かれて授業が行われるけれど、実技科目についてはタテ割りの授業のこともある。期末試験が終わった今、本日の午後の授業もタテ割りで行われる半ばレクリエーション的な授業だった。

 三学年が全員揃ってやってきたのは学園内の森林公園。広大なしきほこるそこは薬草やせきといった素材が豊富だ。人工的に植林された木々たちは長い学園の歴史の中ですっかりしげっていた。今日は魔力をめた料理を作るための素材集め。どんな魔力効果のある料理を作りたいかを検討し、それに適した素材を自分の目できわめることが課題とされている。素材集めのあとは調理も別日に行う予定らしい。


「……ではみなさん、二人一組のペアになってください」

(……!)


 な宣告に心の中でだいぜっきょうする。魔術学園に入学以来、私が一番だいきらいな言葉だ。

 ばやく『気配消し』の魔法をかけた私は集団をはなれ、ごろな木によじ登って身を隠した。


(危ない……またきょうかんになるところだった……)


 私とのペアをねらって学園中の生徒からもみくちゃにされかけたことがある。その時はもう授業に参加するのはあきらめてりょうの部屋に帰った。


(うーん、試験の結果を見る限り、先生たちはだいぶ……魅了魔法の影響は薄れてきていると思うけど……)


 余った子は先生とペアを組むことになる。でも、サバイバルで二人きり!? みたいなじょうきょうはできれば……けたい、気がする。

 どうしようかな、と思いつつ、おおかたみんなペアが決まってきたところを見計らって木から降りようとする──と、そこで甲高い悲鳴を浴びた。


「あなっ、あなたっ、ななな、なにをっ、そんなはしたないことを!」

「あっ」


 薄紫の巻きがみのご令嬢、イレーナさんだ。


「す、すみやかにそこから降りなさい! 信じられませんわ、スカートを穿いているのに木に登るしゅくじょがどこにいますの!?」

「はっ、はい! すみません!」


 イレーナさんは真っ赤な顔で戦慄わなないていた。スカートを押さえながら飛び降りる。


「……ふん、しょせんははした金でしゃくを買ったなりきんむすめということですわね。魔術学園でもマナーの授業をやるべきですわ」

「そ、そうしてもらえたらありがたいですね……。家庭教師はいましたけど、みなさんとはちがってでしたから……」

いやで言っていますの」


 イレーナさんは美しい顔をゆがめてあきれているご様子だった。


「あっ、そうだ! イレーナさん、もうペアって決まっていますか!」

「急になんですの? まだ決まっておりませんけど……」


 まだ決まっていない!? なんという天のお導き! ぐっとイレーナさんにる。


「私とペアを組んでいただけないでしょうか!?」


 学園の生徒で私の魅了魔法にかかっていないのは殿下とイレーナさんだけだ。人気者の殿下はとっくにだれかとペアを組んでいることだろう。私には、イレーナさんしかいない。イレーナさんはぎょっとあかひとみを丸くする。


「は、はあ!? 何をいごとを! あなたみたいなはしたない成金娘と誰がペアを組むものですかっ」

「ああ、その鋭い一言がいいんです!」

「本当に何をおっしゃってますの!?」


 私のゆいいつの希望、イレーナさんにすがる。私には彼女しかいないのだ。じっとしつこく見つめているうちにイレーナさんの瞳がらいできていた。


「うっ……な、なんなんですの。この胸からがる……気持ちは……!?」

「お願いします、イレーナさん。私とペアを組んでください!」

「おやめなさいっ、そんなうるんだ目と甘えた声でわたくしを呼ぶのはっ。うう……」


 イレーナさんのしなやかな指をにぎりしめる。イレーナさんはキッと私を睨むけれどその手を振り払うことはなかった。

 ……これは、イケるのでは!? 私はいっしょうけんめいイレーナさんの瞳を見つめ続けた。


「……む。なんだ、もうペアを見つけていたか」

「えっ!?」


 ガサ、と草むらをめる音とジャラ、という耳みのある音がして振り向くと殿下がいた。なぜかイレーナさんのほうが私よりもおどろいた声をあげて、目をパチパチとして殿下を見ていた。

 こちらにガサガサジャラジャラしながら近づいてくる殿下に私は声をかける。


「もう……ってことは、もしかして、殿下、私のためにペア組まずに待っていてくださったんですか?」

「フン。どうせ困り果てているだろうことは目に見えていたからな!」


 で、殿下。やっぱりこの人ものすごくいい人だな!? 腕を組んで胸を張る殿下の背後にこうが見えた。


「だが俺は不要のようだな。イレーナ、苦労をかけるがよろしくたのむぞ」

「はっ、はい、殿下……ええっ!?」

「なんだ、お前らしくもない。そんな反応をして」

「わっ、わたくし、別にクラウディアさんとペアを組むわけでは……!」

「組んでくれないんですか!?」

「だ、だから、その……愛くるしい目と声でわたくしを呼ばないでくださいませぇ〜!」

「あっ」


 イレーナさんは私の手をバッと振り払うと、茂みの中に走り去っていってしまった。

 ポカンと取り残される私。殿下はやれやれとため息をついた。


「イレーナさんどうしたんでしょう?」

「……ほっ、だな」


 殿下は茂みに消えていったイレーナさんには聞こえていないだろう声量で言った。


「発作?」

「ああ、魅了魔法を受けていた名残なごりだ。過去にしょうれいレポートを読んだことがある。魅了魔法を受けてしばらくは術者に対する好意……は残ることがあると」

「わ、私、じゃあ、あまりイレーナさんのそばにいないほうがいいってことですか?」


 魅了魔法再発……なんてことになったりして。


「まあ、問題ないだろう。イレーナにはなんなことだが……。アイツは学園内では俺に次ぐ精神かんしょう魔法の耐性があると見ている。再度魅了魔法にかかってどっぷり貴様におぼれるなんてことはもうないはずだ」


 よかった……のかな?

 せっかく魅了魔法の影響から解かれた人と知り合えたのだから、イレーナさんとは仲良くなりたい……けど……。


「アレはせいらい世話好きな女だ。しばらくは意図せぬおのれの感情にまどわされてああなっているだろうが、そのうち慣れるだろう」

「そ、そうですかね?」


 私、イレーナさんになついちゃっても、いいのかな?


「しかし、フラれたな! 貴様!」

「うう、笑わないでくださいよ」


 フハハハ、と殿下は大きく私を笑い飛ばす。私はイレーナさんというパートナーを得るために必死だったのに。イレーナさんもなにかのかっとうに必死になってたけど。


「仕方ない。元々そのつもりだったのだ。特別にこの俺が貴様と組んでやろう」

「あっ、ありがとうございます、殿下!」


 殿下と組んで行う採取活動は楽しかった。殿下はえらそうだけどいい人だからああだこうだ言いながら素材をつくろうのも楽しいし、ちくいち語られるうんちくも勉強になった。私たちは『精神安定・体力増強スープ』を作るのを目標に素材集めをすることにした。

 カゴにポイポイと地味な色をしたキノコを放りながら、ふと殿下は小さく呟かれた。


「イレーナ・ベルクラフトか」


 目をせて、殿下はふうとため息をつく。


「アレも幼いときはこうかたくなではなかったのだがな」

「……殿下、やっぱりイレーナさんのことはよくご存じなんですね」


 うーん、さすがは婚約者候補筆頭……。さっきはお二人で会話をする間がなかったけど、実際仲もいいのかも……?


「公爵家は王家と関わり深いからな。小さいころはよく会った」

「昔とは違うんですか?」

「アイツはなにかとトラブルに巻き込まれることが多くてな。元々はそういう性格ではなかったが、己を高圧的に見せて人を遠ざけるようになったな」

「ううん……やっぱり、高位貴族だと、色々あるんですね……?」


 私の言葉に殿下は呆れたようにまゆを寄せた。どうもだいぶとぼけたことを言ったらしい。


「ベルクラフト家の血統が持つ特殊魔法を知らんのか?」

「ベルクラフト……あっ」

「貴様とて名前は知っているだろう。ベルクラフトりょう院」


 コクコクとうなずく。国内最大規模の治療院の名だ。


「魔法というものはすべての魔法が学べば身につくというものではない。生まれ持った血統のみによって得られる希少な魔法が世の中には存在する。……ベルクラフト、彼女の家系が持つ『いやし』の力がそれだ」

「お、お噂はかねがね……」


 ベルクラフト治療院。優秀な医者や看護師が集められておりひんの区別なく治療をほどこすと評判の治療院だ。院長……すなわち、ベルクラフト当主には『癒し』の力があると聞いていた。目を丸くしている私に、殿下は呆れたふんで鼻で笑う。


「ピン、ときていなかったくせに」

「あんまりにもドデカすぎて行き当たりませんでした……」


 そんなすごい力があるだなんて。それはたしかに王太子のお嫁さん、将来のお妃様になってもおかしくない。


「当然王家は各家系の特殊魔法についてはあくしているが、基本的には特殊魔法はとくされている。希少さゆえにその家に生まれた幼い子がさらわれる事例があったりしたからな」


 殿下は小さくかぶりを振る。


「だが彼女の家系はその能力ゆえに秘匿することができなかった。『癒し』の力はあまりにも有能すぎる。治療院を設立したベルクラフトのかつての当主は己の力を秘匿することは選ばなかった。自らに危険があろうと己の力で救えるものがいるならば救いたいと。そしてその理念は今代の当主にまでがれている」

「ご立派な方なんですね……」


 ゆくゆくはイレーナさんもその跡を継ぐんだろうか?


「……あの、ということは、イレーナさんって幼い頃に、色々……あったと……?」

ゆうかいすいは何度かあったな。実行まで移されなくても付け狙われる事態は多かった」

「うう、よくぞご無事で……」

「公爵令嬢だぞ。周りがそう簡単に誘拐なんかさせるか」


 なるほど、それで……厳しく振るわれるようになったのか……。となんだか合点してしまう。もしかしたら私の魅了魔法の名残でちょっと変な感じになっている時の方が素なのかもしれない。……いや、さすがにそれはないか。


「貴様のその魅了魔法も、血統……遺伝によるものではないかと俺は考えている」

「ええっ!? でも、父も母も魅了魔法どころか魔力もないんですよ?」


 急に話題が私のことになって、ぎょうてんする。この話の流れで私?


「先祖返り、というものがある。何代も前にたまたま魅了魔法の使い手が先祖にいて、貴様がいきなり魅了魔法の資質だけ引き継いだのかもしれん」

「そういうことってあるんですか?」

「ある。特殊魔法ではないが、両親ともに平民のはずの子どもが一度も習っていないのに二歳にしてえんあやつれた、なんて話はザラだな。隔世遺伝による資質のみでの魔法習得例報告は多い」

「うーん……な、なるほど?」


 まあ、それ以外のくつでなんで私が魅了魔法を使えるか、っていうとそれくらいでしか説明もつかないか……。


「俺が持つじゃの守りも血統によるものだ。王家の人間には『破邪』の力を持つ魔力が流れている。この俺の魔力をこめることで、この破邪の守りは真価を発揮するのだ」

「だ、だから、破邪の守りをみなさんにお配りしてもどうにもならないと……」


 そういえばそんなことを、殿下と特訓を開始したてのときに言っていたかもしれない。


「もしかして、王家のみなさんはみんなその破邪グッズを持っているんですか?」

「そうだ。そして、魔力のこもった破邪の守りをどれほど持ち得ることができるかは己の力のつながる。実際多ければ多いほど保険にもなるしな。みなきそい合うように多くの破邪の守りを持ち歩いているぞ」


 それは……。


「きっと、王家のみなさんがお集まりになったら、それはそれはそうごんなのでしょうね……」

「ああ。貴様のとぼしい想像力ではおよばないほどにな!」


 めちゃくちゃ、ジャラジャラしてるんだろうな……。


「だから殿下はそんなにたくさんジャラジャラしてるんですね」

「そうだ、俺は王家歴代でもまれにみる力の持ち主だからな」


 殿下はいつになく誇らしげだった。そういう価値観で育ったからだろう。殿下のジャラジャラにそんな理由? があったなんて。なっとくできたような、そうでもないような。殿下がジャラジャラしているのが当たり前すぎてもはや、なんで殿下はジャラジャラしているのか? と疑問をいだいたことすらなかった自分に気づく。

 そして、私はハッとなって殿下に聞いた。


「でも殿下、肩りませんか?」

「肩は凝る」

「ですよね」


 よかった、殿下もつうの人なんだ……とちょっと安心した。マント重そうだもんね。いつか機会があったら殿下の肩をんであげよう。


 そして、後日行われた調理実習にて私は毎秒ごとに殿下から「根菜と葉っぱを同時になべに入れるやつがあるか!」「全部を強火ですませるな!」「なんで真っ先にソースを入れてめようとする!?」といったしっを受けることになるのだった。あれ。なんで元平民成金娘の私より殿下の方が手際がいいんだ……?

(ほとんど)殿下が作ってくれた料理は美味おいしかった。また食べたい。



*****



「──クラウディアさん! あなた、何度言われたら理解できるの? いつもそうやって人の婚約者に色目を使って」

「ああ、トマスが優しいのにかこつけてあなたったら……。平民ってみんなあなたみたいに分別がないのかしら?」

「成績も落ちましたし。そろそろみっともない男あさりはおやめになったら?」


 中庭の一角、あずまの下で一人きり。さっきまで、またあるご令嬢にからまれていた私だけど、なんとか逃げてこられた。

 ご令嬢単体に絡まれているだけならいいんだけど、そこに婚約者さんがいらっしゃるとしゅみがヤバいのよね。

 以前と違い、最近は私の立ち振る舞いを本気で注意しているご令嬢と「あまりクラウディアに厳しいことを言うな!」っていうご婚約者の男性という構図だから、よりいっそうめんどうになるのだ。だからなるべくご令嬢単体のときにさっさと逃げてしまうのがコツだ。

 それにしても、しかし。


「女子生徒のあたりが強くなってきている気がする……」

「あたりが強くなってきた、で済む話か?」


 ジャラ、と金属がぶつかり合う音。

 ハッ、このジャラジャラ音は……。ちがいない、殿下だ。

 今日も絶好調のきれいなきんぱつうらやましいほどツヤツヤのキラキラだ。歩く時の効果音はジャラジャラなのに。


「貴様の魅了魔法の制御も少しはマシになってきた、ということだな」


 殿下は少し離れた位置に、長いあしを組んでふんぞりかえるように座り込む。

 殿下の言葉に「やっぱりそう?」と私はついほおゆるんだ。

 魅了魔法の影響が薄くなってきたのは学校の先生たちだけじゃない。真っ先に魅了魔法が切れたイレーナさんに続いて女子生徒たちへの影響も薄くなってきていたのだ。

 期末試験後のレクリエーション的な授業も終わり、振り返りの科目が終わって初めての長期きゅうである夏休みを目前とした今、ようやく。魔術学園一年生二学期のしゅうりょうせまってきた今、やっと。


「そっか……。ちょっとずつ、私、ちゃんとできてきてるんだ……」


 つい、しみじみと口をついて出てしまう。

 それに対して殿下はげんそうにかたまゆを上げた。


「嬉しそうだな」

「はい! ちゃんと、特訓の成果が出てきているんだ、って!」

「貴様の存在は本来ならば、多くの女子生徒には目の上のたんこぶだったことだろう。それが今までは魅了魔法のおかげでそいつらからもチヤホヤされていた。……今の状況がつらくはならんのか?」

「はい。魅了魔法がないと、こういう感じなんだ……ってしんせんさの方が強いです!」


 なおな気持ちを伝えると、殿下は青い瞳をわずかに細めた。


「魅了魔法はどうしても異性に対しての方が影響力が強いからな。じきに男どもも貴様を魅了魔法の影響なしにあつかうようになるだろう」

「楽しみですね!」


 ニコニコと全力のみで答えると、殿下はますます不思議そうな目を私に向けてきた。


「不安には思わんのか? お前の人生、ずっと甘やかされてきたんだろう。何をしてもしなくてもチヤホヤされてきたのに、もうどう甘えても教室そうもゴミ捨ても代わってもらえんぞ?」

「もうっ。私、そんなこと頼もうとしたことありませんよ!」


 教室掃除とゴミ捨てをチョイスしてくるの、何? 殿下、案外発想がしょみん的すぎる。


「今までの人生とギャップが大きすぎると、それをしんでまた無意識に魅了魔法を強めてしまうおそれがある。お前が思うよりも、世間の人間どもは他人には冷たいぞ」

「……心配してくださっているんですか?」

「貴様の心配ではない。貴様の特訓が無に帰すのをしている」


 青い瞳が私の目をぐにのぞきこんでいた。……うん。こんなにちゃんと、真っ直ぐに人と目と目を合わせることなんて、私の人生、今までなかったなあ。一方的に迫られて至近きょでガン見されたことはいく知れずだけど。

 私とこうやって向き合ってくれた初めての人、殿下。整ったお顔を間近で見つめていると、なんだかむねの奥からあたたかいものがポワポワと浮かんでくるような不思議な感覚になる。


「殿下には私の魅了魔法、効いていないんですよね?」

「当然だ。何をいまさら


 殿下は腕を組み、そんに私を見下ろしながら鼻を鳴らす。そんな態度を取られても、どうしてか私の口元は緩んでしまう。あ、殿下ってよく見ると髪の毛、結構猫っ毛だな。


「へへ、だったら、心配いらないですね」

「……何がだ?」


 きれいな眉が怪訝そうにつりあげられる。げんそうな顔にも見えるけど、殿下のそういうお顔も今はもうこわくない。最初ちょっと怖かったけど。


「魅了魔法なんてなくたって、殿下は十分お優しいですもん」

「…………」

「そりゃあ、意地悪な人もいると思いますけど。……殿下みたいに優しい人がたくさんいるはずです。だから私、大丈夫です」


 ニコ、と私は自然と顔をほころばせていた。

 殿下はとても真面目な顔で、私のちょっとずかしい言葉を聞いてくれていて……。

 ──パパパパパパァン!!

 そして、破邪グッズが唐突に大量れつした。


「きゃ─────!!」


 派手なばくはつすなぼこりが舞う。この規模の爆発は初めてだ。いつもはささやかにひとつだけがパァンとぜる程度なのに。


さけぶな! うるさい!」

「なっ、なんで!? どうしてそんなに爆ぜたんですかっ!?」

「貴様の魅了魔法のせいだッ! ええい、せっかく特訓の成果を評価したというのに! 貴様は!! やっぱりしゅぎょう不足だッ! もっとがんばれ!!」

「ええーん!」


 なんかちょっといい感じだった雰囲気は文字通りばくさんし、私たちはいつも通り特訓に励むのだった。



*****



 二学期の振り返りの科目も終わり。魔術学園の生徒たちはこれから一ヶ月の長期休暇をむかえる。きゅうちゅうも学園寮は開いているが、私は久しぶりに実家に帰ることにした。


「お嬢様、おかえりなさいませ!」

「ただいま、みんな変わりない?」


 蒸気機関車の駅に迎えに来てくれたじょと再会を喜び合う。

 駅のホームに降り立ったたん、潮のにおいで胸がいっぱいになる。ホームからは遠くに青い海が見えていた。

 侍女に荷物を持ってもらいながら、家に向かう。

 私の家は港町にある。高台に建てられたおしきは町で一番大きい。建てたのは私が十歳の頃だったから、まだまだピカピカの新しい建物だ。


だん様も今日はお仕事を早く終えて戻ってくると仰っておりましたよ」

「わあ! うれしい、早くお父さんに会いたい」

「奥様もサロンの集まりが終わったら大急ぎで帰ると意気込んでおりました」


 侍女にがおで返しつつ、私は胸のざわめきを抑え込んだ。

 ……実は少し、心配している。

 私の無意識の魅了魔法は、父のきゃくにも働きかけていたはずだ。私がいるとどんなに難しいものでも商談がうまくいくのだと父が喜んでくれるから、嬉しかった。今にして思えば、父がミスをしてり込んできたような顧客も私があいさつするとコロリとげんを直すことがたびたびあったりした。

 学園に通い出して半年間。魅了魔法の効果は永続ではないらしい。私の魅了魔法の力で父の顧客となっていたみなさまが、みんないなくなってしまっていたらどうしよう。なんていうことを考えてしまっていた。


(でも、使用人のみんなたちに変わった様子はないものね……?)


 使用人たちの表情はこの家を出た時の明るいものと変わりない。だから、きっと大事にはなっていないとは思うが。

 荷物の整理をして、ゆっくりとお茶を楽しんでいるうちにやがて父と母が揃って帰ってきて、居間のソファに座っていた私に飛びつくようにハグしてきた。


「クラウディア! ああっ、いとしの我が娘! 無事に帰ってきてくれてよかったわ!」

「学生寮は一人で寂しくないかい? 夜はねむれているかな?」

「お父さん、お母さん! 久しぶりに会えてうれしい! 私は元気よ!」


 久しぶりに見た両親の姿、そして懐かしい声を聞いて思わず胸が熱くなる。

 時間もちょうどよかったから、さっそくディナーのたくをしてもらうことになった。父も母も学園でのことをたくさん聞いてくれた。学園にいる間も何回か手紙を送ったけれど、それでも心配してくれているみたいで嬉しかった。さすがに魅了魔法のせいでなんかおかしいことになっている毎日です、とは言えなかったけど……。


(最近は殿下のおかげで楽しいことも増えてきたもんね)


 殿下のお名前こそ出さないけど、「てきな友人ができて、いつも放課後に魔法の練習をしているよ」と話している。殿下との毎日の特訓が楽しいのは、本当だ。

 雑談を楽しんで、最後の口直しのお茶が出てきたところで、私はぽつりと切り出した。


「……ねえ、お仕事の調子はどう?」

「うん? ああ、お前はよく商談に付きってくれていたものな。気になるかい?」

「う、うん。まあ」


 どきりとしながら私は頷く。父はあごひげに手をやりながらうーん、と首をひねった。


「そうだな……。実はお前がいなくなってからしばらくはなかなか新規のけいやくが取れなくなって業績がなやんでいたんだよ」

「そ、そうなの!?」


 ああ、やっぱり魅了魔法のせいだ。私がいなくなって父が商売に苦戦している……。


「お前はうちのがみ様だからなあ、わたしもお前がいなくてさびしくて調子がでなかったのかな? とか話してたんだが」


 父はハハ、とおどけた風に笑う。魅了魔法のせいだ、とは言えず私は紅茶をぐいと飲んで自分の口をした。

 どうしよう。このまま我が家がぼつらくしていったら。なんとか魔術学園は卒業させてもらって、私が高給取りの仕事をしてみんなを養うしかない。父の商売のためとはいえきんである魅了魔法を使うわけにはいかない。私のために毎日特訓に付き合ってくれている殿下のためにも。


(ジェ、ジェラルドさんに……お城のの仕事……しょうかいしてもらおうかな……!)


 私は魔力量が多くてこうげき魔法が得意だし。コントロールの方は目下練習中だけど……王族女性の護衛騎士、案外いいかもしれない。ジェラルドさんいわく、お城の敷地内に騎士の寮があって、ご飯も食べ放題らしいし!


「だけどな、最近また業績が伸びてきたんだよ」


 将来のことを考えて頭をグルグルさせていた私に、父は顔を綻ばせながら言った。きょとんと父の目を見つめると、父はいっそう優しげに目を細める。


「うちで長く契約してくれている馴染みのみなさんはずっとごひいにしてくれているしね。お前が心配することはないよ。お前はたしかにわたしの商売の女神様だったけれど、わたしはこれでも商売ひとつで成り上がってきた男だからね。うちのことは心配せずに、学園生活を楽しみなさい」

「……うん、ありがとう。お父さん」


 父の優しい声が私の胸にみ込んでいく。

 よかった。きっかけは私の魅了魔法だったかもしれないけど、でも、父は自らの力でお客様の心を得ていたんだ。父は立派で素敵な商人なのに、娘の私がそれを信じられなかったなんて。


「お前はいつもわたしのことを見守ってくれていたからね。心配してくれていたのか。本当にやさしい子だね、クラウディア」


 ニコ、と微笑む父。だけど、ややあってからううむと首をかしげてしまう。


「しかし、不思議だなあ。いくらお前が小さいときからずうっとかわいい女の子だったとは言っても、娘さんがかわいいから、なんて理由だけで契約してくれるほどお客さんという生き物はやさしくはないはずだが」

「アハハ……」


 ギクリとして私は空笑いをする。


「まあ、だからわたしはお前のことを『女神様』なんだと思ったんだけどね。商売はんじょうの守り神、不思議な不思議な、我が家の大切な女神様だよ」

「……ありがとう、お父さん」


 愛情にあふれたまなしの父に私も表情を緩ませた。

 そんな父娘おやこのやりとりをあたたかく見守っていた母が唐突に「うふふ」と笑いだす。


「──ところで、クラウディア。しばらく会わないうちにますますかわいくなったわね。好きな人でもできた?」

「えっ!? ま、まさか!」

「あらあら。でもきっとクラウディアのことを気になる男の子はいっぱいいるはずよ。素敵な出会いがあるといいわねえ」


 母は白い頰を赤らめてうっとりと目を細めた。対して、となりに座る父は難しい顔をする。


「むむ……。まあ、あそこは別名『貴族学園』とも呼ばれているところだからな。名だたる貴族子女たちの集まりだ。そのぅ、間違いなどはないと思うが……」

「まあまあまあまあ。みなさん貴族ばかりでしょう? ちょっとくらいそういうことがあってもそれがごえんになるならそれもいいんじゃないかしら」

「な、なんてことを言うんだ、母さん!?」


 父が裏返った声で悲鳴をあげる。母は楽しげにきゃっきゃとすずを転がしたような声でじゃに笑った。


たま輿こしもロマンがあって素敵よねえ。ねっ、クラウディア」

「そ、そう?」


 どうかなあ、と思って首を傾げる。ゆめごこな瞳をした母は止まらない。


「お母さんはお父さんとにんさんきゃくがんってきて、それも楽しかったけど……白馬の王子様に迎えにきてもらうのもいいわよねえ。ふふ、さすがに王子様はないでしょうけど」


 うん、まあ、王子様も学園にいるにはいるけど……。私の白馬の王子様になってくれるかは全然別の話だな……。


(殿下、元気かな)


 まず間違いなくお元気だろう。私の頭の中には自信満々の勝ち気な笑みで腕を組んでややふんぞりかえって「フハハハハ!」と笑う殿下の姿しかない。


(うーん、殿下。お嫁さん探しどうするんだろうなあ)


 私の魅了魔法の影響も女子生徒からはだんだんと消えていっている。そろそろお嫁さん探しもはかどってくるだろうか?


 懐かしい家、懐かしい町で私は久しぶりにおだやかな時間を過ごす。

 父と母は私をとってもわいがってくれていたけど、これも魅了魔法のせいで、もしかしたら態度が変わったりしたらどうしようかと、実はほんのちょっとだけ思ったりもしたけど、それもゆうだったみたいだ。父と母の愛情は変わらなかった。使用人のみんなたちも変わらず優しい。……安心した。

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