2-1


 さあへいへいぼんぼんたる学園生活にとつじょまばゆいこと太陽のごとき王太子殿下の隣に赤髪長身のさわやかな王立騎士団の騎士が現れるとどうなるか!

 ──女子生徒たちが色めき立つ。


(すごい! 殿下とジェラルドさんの吸引力によって、女子生徒たちの私への注目度が……減っている!)


 私は感激していた。殿下の隣にえのいい護衛騎士のジェラルドさんがいることで、ただでさえ人の目線をうば伊達だて男の殿下のりょくがさらにアップされるだなんて。おかげで男子生徒からは相変わらずかべドンされたりとつぜん廊下告白とか突然私をめぐる戦いみたいなのがぼっぱつしているけれど、そこにご令嬢が交ざってこんとんとすることがなくなった。より混沌としているほうが逃げやすい場面もあるからしではあるんだけど……。

 しかし、なるほど。魅了魔法の影響よりもさらに強い存在がいるとそっちの方に意識がいくのだと、そういうことなんだろう。

 うーん、あとは、まあ、殿下のご助力あって私の地道な魔力制御トレーニングの成果も……ちょっと、あるのかな。どうだろう。まだ特訓成果の実感は得られていない。

 なにしろ、毎日追いかけられているのは変わりない。今日も今日とて、私はいつものように逃げるのだった。


「……クラウディアちゃん、今日もすごいねー」


 放課後、毎日殿下と特訓をしている第二校舎裏。私の数少ない学園内での安らぎの場所だ。殿下が来るまで自主トレをしていると、校舎のかげからジェラルドさんがひょっこり顔を出した。


「はい! これ、殿下が作ってくださったんですけど、魔力コントロールの要となる体幹と集中力を同時に養えるというすんごい訓練器具なんです!」


 殿下お手製のバランス台をピンポン球を落とさないように歩く。見た目はシンプル極まりないが、これがなかなか集中力を要するのだ。

 殿下は手先が器用で特訓用にいくつもアイテムを作ってくれていた。王太子なんて身分なら上げぜんえ膳だろうに、殿下は大抵のことはなんでもお一人でできる。すごい。


「いやいや、そっちじゃなくて。追っかけだよ」

「お、追っかけ?」


 魅了魔法にやられた人たちのことか。私はハハ、と苦笑いする。

 ジェラルドさんが学園にやってきて、早いものでもう一週間だ。放課後は殿下と一緒に私の特訓に付き合ってくれている。学年が違うから授業の終わりの時間が違ったり、委員会の仕事なんかがあるときは殿下が来るのがおくれることがままあるのだけど、そういう時はジェラルドさんが一人少し早めに来て私のトレーニングを見てくれるようになった。

 ジェラルドさんはひょうひょうとはしているけれど、講師としては指摘が的確でたんてきなのでわかりやすかった。殿下とは違う性格の指導を受けられるのはありがたい。


「おっと、危ない!」


 バランス台から落ちそうになった私をジェラルドさんが支える。こういうミスをして意識がそっちにもっていかれると、私は魅了魔法の制御を失ってしまい、殿下の破邪グッズをパァンさせるのだけど、ジェラルドさんはケロッとした顔で私をかかえていた。


「ジェラルドさんは私のこと、平気なんですね?」

「魅了魔法って術者への好感度によって威力が変わるんだよ。オレ、年下対象外だから。ごめんね?」


 私を地に下ろすとジェラルドさんは両手を合わせて、片目をつぶり苦笑を浮かべた。


(なんでフラれた感じになってるんだろう……)


 私は複雑な気持ちになった。


「クラウディアちゃんも別に意識的に魔法を使ってはいないでしょ? 意識的にオレのこと支配するつもりで魅了魔法を使われたり、ずーっとそばにいたらダメだと思うけど、これくらいなら平気だよ。警戒してるし」

「うーん、そういうものなんですね。学園の先生たちもみんな魅了魔法にかかっちゃってるみたいだから、ジェラルドさんも……って心配してたんですけど」


 学園の先生たちも基本的に『年下NG』の人たちのはずだから、ジェラルドさん論でいえば魅了魔法のかかりは悪いはずなのに。


「本当は学園の教員どもも平気なはずなんだけどねぇ? まさか魅了魔法を使える生徒がいるとは思ってないにしても。長い時間かけてじわじわとせんされてったんだろうね」

「お、おせん」


 私、さいきんかなにかなんだろうか。思わずおうむ返ししてしまった。


 その数日後、ジェラルドさんは第二校舎裏にあるちょうどいい感じの切り株に突っしていた。ちなみに、殿下は委員会の仕事があるそうで今日は遅れるとれんらくが入っている。


「ヤバい……オレも魅了魔法かかるかもしんない……」

「ええっ!?」

「いや、なんかめちゃくちゃ君のことかわいく見えてきた……いや別に今までもかわいくないと思ってたわけじゃないんだけど……」


 この間、まあ君は対象外だしオレはすごいやつだから平気平気〜なんて言っていたばかりなのに!


「オレ、年下守備はん外なのに〜、なるほど、そりゃあ学園教師じんも魅了堕ちするか〜」

「は、はあ。すみません……」


 ジェラルドさんは独り言のようにぼやく。


(なんで私が悪い感じになってるんだろう……)


 いや、実際に私の魅了魔法がわるさしているわけだけど……。

 突っ伏してぐったりしてるジェラルドさんをしりに殿下が来るまで自主トレーニングにはげもうと、校舎の壁にかけてある殿下お手製のバランス台を取りに向かう。

 そこでヌッとかげがかぶさってきて、私は振り返る。すぐ目の前に、突っ伏していたはずのジェラルドさんがいた。茶色の垂れ目がいつもよりとろんとしているように見えるのは気のせいだろうか。


「……クラウディアちゃんてさあ、殿下のことどう思ってる?」

「えっ!?」


 なんでいきなり、殿下。


「い、いい人だと思います。態度は尊大で、なんというか、そんかたまりみたいな人ですけど、ちゃんと、こう、げんもあって」


 どう思っていると聞かれるとすぐには答えられなくてしどろもどろになる。とにかくいい人だと思っていることだけは伝える。気持ちがあせったせいかなぜか話しているうちにほおがカッカとしてきた。

 ジェラルドさんは私の回答にはさして興味なさそうに目をすがめていた。


「ふーん……。ねえ、クラウディアちゃん」


 私はハッとする。

 この流れは、アレだ。


「──殿下やめて、オレにしない?」

(きたっ、壁ドン!)


 私の顔にい影が落ちる。壁に手をついたジェラルドさんはめぐまれた体格によって私のことをすっぽりとおおい込んでいた。

 ちがいない。ジェラルドさんが魅了に堕ちた。年下は対象外だったのでは!?

 ジェラルドさんのゴツゴツとしたかたい男性らしい指が私のあごをクイッと上げる。流れるような一連の動作だ。手慣れている感じがする。魅了魔法にかかったらお決まりの一連なれど、人によって細部に個性が出る。やっぱり、慣れている人、慣れていないんだろうなあという人がいる。ジェラルドさんはかなり手練れな気がした。


(私、なんでこんな壁ドンソムリエみたいになっているんだろう)


 ぼんやりと意識を飛ばしている私の耳に、ジャララララ! とここよい金属質な音が響いた。


「何をやってるんだ、貴様は!」

「ぐへっ」


 殿下のドロップキックが飛んできた。ジェラルドさんの大きな体が派手に地面にすべちる。


「あ、殿下。おつかさまです」


 委員会の仕事終わったんだ。ちなみに、殿下は風紀委員だ。校則的には殿下のジャラジャラは『有り』らしい。わりとこの学園って校則はゆるい気がする。みんな制服の上に好きなローブを自由に羽織ったり殿下みたいにマントつけてたりするし。


「貴様は貴様で何をケロッとしてるんだ」

「いやあ……慣れちゃって、壁ドン」

「こんなガタイのいい男に覆いかぶさられたら本能的に怖いだろう。思い出せ、野性を」

「うう……私の本能……」


 なんだか動物みたいな言われ方してるけど、人間の本能にも、そういうものはたしかにあるはず。野性、取り戻さないと……。

 私が失った本能を取り戻そうと苦心しているうちに地面にしていたジェラルドさんはフラフラと立ち上がったようだった。


「はあ……殿下の愛でちょっと頭が晴れました……」

「まだポンコツのようだな」

「いやいやマジで、あの勢いでキックされんのは愛でしょ」


 殿下は白けた目でジェラルドさんを見ていた。私もちょっと言っている意味がわからない。


「申し訳ない、クラウディアちゃん。なんかオレ、おかしくなってたみたい」

「は、はい。そうみたいですね」


 まだ少しおかしい気がするけど、どうだろう?


「君の魔力、すごく濃いんだよ。これ、無警戒で食らってたらそりゃヤバいや」

「はあ……」


 かんばしくない私の反応にジェラルドさんはいやいや、と手を振った。


「あんま嬉しくないだろうけど、めてるよ。こんなに強い魔力持ちそういないって。卒業したら君、すごい出世できると思うよ」


 無自覚だからなんとも。出世、というのもピンとこない。


「オレも実は平民出でさ。成り上がりで王族の護衛騎士になったんだよ。クラウディアちゃんもどう? 女性騎士、結構じゅようあるよ」

「きっ、騎士ですか!? 私、けんにぎったことないですが……」

「ハハッ、騎士っつっても剣使うばっかじゃないよ! 強い魔法使えるなら問題なし!」


 うーん、たしかに、需要があるんだろうなというのはわかる。いかにくっきょうな騎士でも異性を護衛するときにはどうしてもえない場面が出てくる。おえのときとか。そういうときには同性の女性騎士ならば常にそばにいられて都合いいんだろう。


「殿下も悪くないんじゃない? クラウディアちゃんが王宮仕えの騎士になったら♡」

「どう考えてもコイツに騎士の適性はないだろう。もう少しまともな職場をすすめろ」


 殿下はバッサリと切り捨てる。……まあ、私も自分には向いてないな! と思うからそんなにショックではない。


(でも、学園卒業しても殿下の近くで働けたら楽しそうだなあ)


 ふふ、とそんなもうそうだけして私は一人笑った。



*****



 ──あの子は危険すぎる。

 殿下の護衛騎士であるオレはそう結論づけた。学園に来てもういくにちだろうか。すっかり長居をしてしまったが、そろそろ見切りをつける時期だ。

 クラウディアちゃんの魅了魔法はあまりにも強力だ。彼女が望めばゆうで国をとせるだろう。

 少なくとも、殿下が対応にあたるべきではない。殿下は破邪の守りを常にふんだんに装備している。クラウディアちゃん自身も魔力制御の技術かくとくには意欲的だ。……だけど、危険だ。身をもって彼女の魅了魔法の餌食となったオレが言うのだから間違いない。

 彼女にまどわされずゆいいつ対応できる人間──となると、破邪の守りを持っている殿下しか適任者がいないのはそうなのだが。

 ふう、とオレはどうしたもんかね、とため息をつく。


(あの子がいい子なのはわかるよ。そりゃあね)


 あんなふうに毎日毎日誰かから告白されたり、しつように追いかけ回されて。普通ならもっと頭がおかしくなるだろう。それがあんな感じにぼんやりさんでいられるんだからたいしたものだ。

 図太いとかおおらかとか、そんな言葉で片付けていいもんか? とすら思う。

 オレは殿下とは別行動で、一人でクラウディアちゃんを眺めていた。さて、ちゅうのクラウディアちゃんはというと、今も中庭の一角に追い込まれて壁ドンされていた。しかし、目はいっさい相手を見ておらず、覆いかぶさってくる身体からだごしに隙をさぐっているようだった。きもが据わり過ぎてる。

 まあ、こないだ自分もこの子に壁ドンしてしまったわけですが……。


きん指定されるようになってからも魅了魔法の使い手は現れてきた。多くは無自覚で普通よりも少しモテるとか、に活用してるとか、そんなもんだったけど……)


 クラウディアちゃんの魅了魔法はそんなささやかな規模じゃない。彼女自身にあやつろうとする意志がないから追いかけ回されているだけだけど、クラウディアちゃんがその気になれば、この学園の生徒教員技能員さんその他職員一同全員いいなりにだってなるだろう。


(そんなの、ヤバすぎなんだよな)


 何より、今の状況はクラウディアちゃん自身がかわいそうだ。それなら国の保護のもとかん……っていうと物々しいが、保護してやったほうがいいんじゃ? とも思う。

 殿下もクラウディアちゃんも頑張っているけど、特訓の成果もそう出ていないようだし。壁ドンを眺めながらそう思う。

 やがて、壁ドン男のこんやく者を名乗る女子生徒がやってきて、クラウディアちゃんを巡っての修羅場が始まった。その隙にクラウディアちゃんが逃げ出そうとする──のだが。


(やべっ)


 げきこうした女子生徒が弱めの出力ではあるものの男子生徒に向かって火の魔法をり出した。さすがにこの距離じゃ自分の足でも間に合わない。

 と、そこで女子生徒のえん球が横から弾かれた。


(クラウディアちゃん!)


 逃げ出そうと駆け出していたはずのクラウディアちゃんが火球に風魔法をぶつけて助けたようだった。迫り来る火炎にあおめていた男はそれに気がつくと再びクラウディアちゃんに迫った。


「僕の危機を助けてくれた!? これは……りょうおもいだね、クラウディアさん!」

「えっ、い、いや、そういうわけじゃ……」

「ああああ、ま忌ましい! クラウディア様に助けてもらうなんて、どういうつもり……。やっぱ貴方あなたなんか、灰になっちゃえばいいのよ……ッ」


 うわ、女の子の方がもっとヤバいことになってる。

 でも今のタイミングならサッと助けに行けるなー、とものかげから出て行こうとしたとき、オレよりも先に金髪のあの人が現場に参上した。


「そこの女子! 緊急の自衛や救助目的以外での人に向けてのこうげき魔法は犯罪こうだ! 多くの学生のいこいの場である中庭でのそうどうはっ! 俺と一緒に職員室までついてこい! ……そっちの壁ドン男もだ!」

「で、殿下……!」


 殿下の登場に男の子も女の子も青褪める。クラウディアちゃんだけがさささっと要領よく殿下の背中に隠れた。妙なこなれ感が今まで何度もこういう現場があったんだろうな、と思わせる。


「殿下、あの……私も……?」

「貴様は今はいい。さきほどのとっさの行動はよかったぞ。生徒代表でしょうさんを送ろう。コイツらの聞き取りの中で貴様の行動も報告しておく、ないしんが上がるぞ。よかったな」

「あ、ありがとうございます!」


 クラウディアちゃんはホッとした様子で破顔する。二人の生徒を引き連れて職員室に向かうらしい殿下の背でジャラジャラ揺れるマントの下から破裂音がした。このタイミングで? 多分殿下、クラウディアちゃんのな笑顔に弱いんだろうな。

 オレはというと、この一連の出来事を見てボリボリと頭をかいていた。


「……自分のことよりも、他人の危機をとっに優先する、か……」


 さて、この日の夜。オレは殿下の自室で殿下とたいしていた。殿下も視察はそろそろ潮時かと察していらしたようで、なんとなく緊張感がただよっている。


「オレの判断としては、やっぱりあの子は危険です。で、殿下はどうしたいですか?」

「……俺はこのままアイツへの魔力制御トレーニングの指導を続けていくべきだと考える。まだ周囲への影響は表面化してはいないが……びしろはある。アイツが魅了魔法を悪用しようとする気配があれば、責任を持って俺がかんとくする」

「はーい、わかりました。じゃあそうしましょう」

「……いいのか?」


 あっさり笑顔で引き下がったオレに殿下は怪訝な表情を浮かべる。


「あー。積極的に今の状況をおうえんするわけじゃないですけど、情状しゃくりょうというか」

「……引き続き経過観察、か」

「ですね。殿下、あなたのしんらいめんじて、ってところです」


 オレはニッと笑ってみせる。


「クラウディアちゃんがいい子で真面目で、殿下ともいい関係築いてるってのは見ててわかったし。まあ、いい感じに報告しときますよ」

「……そうか」


 大きく表情を変えたわけではないが、殿下の引き締めた眉がじゃっかん緩んだ。ホッとしたという様子の主人にオレも目を細める。そして「ところで」と切り出した。


「殿下。オレ、見てて思ったんすけど、殿下ってあの子の魅了魔法……むしろ、他の人らと比べてもかかりやすいんじゃないっすか?」


 破邪の守りがあるおかげで殿下は魅了魔法にはかからない。だが、皮肉にも破邪の守りがあるせいで、殿下が魅了魔法にかかりかけたタイミングは非常にわかりやすい。パンパンパンと軽快に弾けていくのは、それだけあの子の魅了魔法がヒットしているからだ。

 クラウディアちゃんはたしかに常時魅了魔法を撒き散らしっぱなしだが、それでも魅了魔法がかかるタイミング、というものがある。彼女が近くにやって来たとか、声を聞いたとか、姿を目にしたとか、きっかけは色々なわけだが。だから授業中なんかは大体の生徒の意識は教員とかに向いているおかげでクラウディアちゃんにとってはわりとへいおんな時間なわけで。

 視察に来て以来、様子を見ていると、殿下はクラウディアちゃんと話をしているときに最低でも三回以上は破邪の守りを爆散させている。破邪の守り一個でも壊れたら本来おおごとなのに、三回はめちゃくちゃ多い回数だ。

 殿下はご自分でも仰るとおりハイスペックなお方だ。素の魔力たいせいも高いし、オレと同じように彼女の魅了魔法を警戒しているのであれば魅了魔法がかかりそうになることはそうない、はずなのに。


「…………」

「あ、図星?」


 いつも堂々としている主人の年相応のわいげがある反応にオレはつい口元が緩む。オレ以外ならのがしてたろうが、今一瞬だけ眉がピクってなって目をらした。


「いやー、殿下、ああいう感じの子がタイプ……オレももうちょっと若かったらまあアレですけどね〜、かわいいっすけどね〜」

「うるさい」


 容姿が好み……ってだけじゃないんじゃない? とか思うが、そこまではみ込まないでおく。そこはお兄さん的には思春期のせんさいな気持ちを尊重しよう。

 眉根を寄せた殿下にオレは目を眇めた。


(あの魅了魔法がある限り、クラウディアちゃんが殿下の嫁候補になることはない)


 殿下が彼女の特訓に付き添うことになったのは、彼女の魅了魔法のせいで女子生徒らもみんなクラウディアちゃんに夢中になっていて嫁探しのさまたげになるからだ。どうにか彼女に魅了魔法を制御できるようになってもらわなくちゃ、ってなわけだが……。これはなかなか、なんというか。


(ミイラ取りがミイラ、じゃないけど、もしかしたら目的はすり替わるかもねぇ)


 ──クラウディアちゃんを王太子である自分の嫁にするために、彼女に魅了魔法を制御できるようになってもらう。目的がそっちの方になるかもしれない。……なんてことを外野の自分などはおもしろはんぶんに考えてしまう。


「ま、なんかあったらいつでも呼んでくださいね」


 殿下のマントの下にひそどうを顎でしゃくってさし示す。護衛騎士であるオレと殿下を結ぶ王家伝来の貴重な魔道具だ。これがあれば転移魔法の使い手であるオレは殿下の危機にいつでも殿下のもとに参上することができる。


「──しっかし、アレだけのダダれっぷりだと気の遠い話ですよねえ」

「そうだな……あらりょうも検討している」


 オレのぼやきに近いつぶやきを殿下は真面目な顔で拾い上げた。


「ん? と、いいますと?」

「……あえて、魅了魔法を自覚的に使えるようにしてみる、とかだな」

 そう言って殿下は眉をつりあげた。



*****



「今日は魅了魔法を使ってみよう」

「えっ?」


 早いもので、殿下とのトレーニングを開始して一ヶ月半ほど。私はなべふっとうさせない火加減はすでにお手のものになっていた。

 なかなか優等生なのではなかろうかと、フフンとこっそり鼻をふくらませていたところの一言。魅了魔法をなんとかするために頑張っているのに、それを使おう、とは一体どういうご提案なのだろう?


「自分は魅了魔法を使っているのだ……と自覚せんことにはコントロールは難しい。あえて意識して使うことで、魅了魔法が発動しているときの感覚をつかめ。そうして、だんから魅了魔法を使わないように気をつけるようにしてみろ」

「な、なるほど!? わ、わかりました!」


 真顔でそれらしいことをおっしゃる殿下に勢いで返事をしたものの、私は直後、こうちょくする。


「……でも、魅了魔法って……どうやって使うんですか?」

「本来ならば禁忌魔法だからな。……だが」


 簡単に使ってみるとは言っても、どう使えばいいのやら。殿下は私の質問は想定済みだ、と落ち着きはらって頷いてみせた。


「国家しん殿でんふういんされている魅了魔法の術式を解けば、使えるようになるだろう」

「はあ……なるほど?」

「だから、国家神殿に行くぞ」


 国家神殿。いっぱんには開放されていない、王族と最高位の神官のみに入室が許されているという我が国有数の文化遺産とも言える場所だ。


「……えっ」

「事情はすでに国王陛下にお話しし、神官長からも許可をいただいている。学校に外出届も提出済みだ」


 ──手早い!

 私は狼狽うろたえたまま、あれよあれよと国家神殿へと連れていかれるのだった。


「ようこそ。私は神官長ジルバです。我が王、並びに殿下の願いにより、クラウディア様、あなたの入室を特別に許可いたします」

「あ、ありがとうございます……」


 なりきん令嬢の私でも乗ったことがないような最新式最高級の馬車に乗せられて、あっという間にとうちゃくした国家神殿。おごそかな門の前で我々をむかえたのは神官長を名乗るしらの老しんだった。お顔にしわは多いけれど、背筋は曲がっておらずしゃんとされていた。


「魅了魔法をあつかうことは禁忌とされています。……が、しかし、あなたはすでに魅了魔法を体得してしまっている。その制御に役に立つのであればと今回許可されるに至りました。けして、悪用されることはありませんよう、ゆめゆめ心がけくださいませ」

「は、はいっ! もちろんです!」


 やさしそうな方だけどその声と表情は厳しく、私はごくりとつばを飲む。私の返事に「よろしい」と頷き、ジルバ様は背を向けて神殿内部へと足を進める。

 それを追いかける私。ジャラ、と聞き慣れた音が後ろに続く。


「殿下も一緒に行くんですか?」

「無論だ。俺は貴様の監視役もねているからな」


 フッとキザに笑った殿下がマントをひるがえすと今日もジャラジャラと破邪グッズが音を立てた。不思議なもので、このジャラジャラが聞こえるとちょっと安心する。

 国内最大規模の神殿はとてつもなく大きい。魅了魔法以外にも、いろんな禁忌魔法がここにふうじられているらしい。迷子になりそうな内部をスイスイ歩いていく神官長のあとをはぐれないようについていく。

 やがて、少しひらけた行き止まりに到着した。私たちの背よりもはるかに大きい扉がそこにはあった。とうてい、人の力で開けることはかなわなそうな石の扉だった。扉には意味ありげなもんようと、その中心に丸いくぼみがある。


「この扉の向こうが、魅了魔法を封じているエリアとなります」


 ジルバ様が扉にられた窪みに深いあいいろの宝玉をめ込むと、重々しい石の扉が開く。

 この先に、魅了魔法が封印されている……。


「……魅了魔法を封印している最奥部までは何重にもわなけております。どうか、くれぐれも私よりも前は歩かれませんよう」


 ジルバ様が重々しい口調で言った。罠。ものすごくエグいトラバサミとか、壁から無数に放たれる矢とか、そういったものを想像した私はあおめながらコクコクと頷く。殿下はそんな私を半眼でやれやれと言いたげに見ていた。


「言っておくが、どうせ貴様、くししになってギャアー! 的なかいな罠ばっかり考えているんだろうが、そんなもんじゃないからな」

「えっ!?」


 ──なぜわかった!? そして、そんなもんじゃない、とは!?

 もっと恐ろしいものがこの先に……待ち受けているというの……?

 さっき飲んだばかりの唾を、もう一度私はごくりと飲み下してしまった。



*****



「第一の罠、げんえいの間でございます。一歩足を踏み入れますと、部屋中にげんかく効果のある魔力きりふんしゃされます。幻覚によって、侵入者をここで引き返させるのですな」

「……」


 幻覚……それならぶっそうじゃなくていい。神殿だもの、なまぐさいことはそりゃあ積極的にはしないよね……。

 神官長のジルバ様は魔力霧を無効化する結界を私たちに張ってくださった。


「第二の罠、なげきの間でございます。こちらには人の心理的不安をぞうふくさせるやみ魔法がかけられたタイルがゆかき詰められております、けして私が踏んだタイル以外は踏みませんように。かつてあった悲しみやにくしみなど、たとえささやかなちっぽけなものでも膨れあがって嘆きの感情に心がとらわれてしまいます」

「と、囚われる」


 ジルバ様が闇魔法を感知する探査型の魔法を発動させると部屋に敷き詰められたタイルが黒く輝き始めた。そして、そのうちの光らない安全なタイルだけを選んで軽快なステップで進んでいくジルバ様に置いていかれないように必死にあとに続く。一歩でも踏み間違えたら……ダメ……ダメ、なんだろうなあ……。


「第三の罠……裏切りの間でございます。侵入者が二人以上であった場合には自分以外の他人が全て憎い存在に見えます。まあ、どうちというのを狙ったやつですな」

「わ、わりとダイレクトに物騒」


 よく見たら床とか壁になんだか赤黒いシミがある……ような。

 ジルバ様は私たちにまやかしを打ち破るという防護メガネを渡してくださって事なきを得た。


「第四の罠、らくるいの間でございます」

「落涙……。なんでしょう、ど、毒ガス……とか……?」

「いえ。至る所に落とし穴があります。穴の底にはビッシリとたけやりが。……身を落とし、やりつらぬかれ血が流れる姿を落涙とたとえているのですな」

「殿下ーッ! 結構直球で串刺し罠でギャアー! ですよ!」

「うるさい! そういう罠もあるだろう! なんだおにの首でも取ったつもりか!?」

「ほっほっほ。お二人は仲がよろしいのですなあ」


 なぜかジルバ様はほっこりとしたご様子でぎゃあぎゃあ言い合う私たちを眺めた。


「罠はさきほどの部屋で最後です。……ここは魅了魔法の封印の間。さあ、どうぞお進みください」

「……ここが……」


 とてもせいれんな気配が漂う小部屋だった。部屋の中央には台座があり、小さな石の箱が載っている。


「この箱の中に魅了魔法の扱い方が封印されています。じゅもんの唱え方、魔力の巡らせ方……魅了魔法のその全てがここにねむっています」

「……ほ、本当に開けていいんですか!?」

「くどい。王家からも神殿からも許可は得ている。貴様はすでに無意識下で魅了魔法を使っているのだ。貴様は特別だ」

「は、はいっ」


 殿下とジルバ様は少しはなれたところで待機することとなった。

 私は一人、台座と向き合い、恐る恐る箱に手を伸ばした。


「……!」


 箱を開けようとする。けれど、重い。

 石で作られているから、というだけではなく、とにかく重い。


「ぐ、ぐぎぎぎ……」


 指先が真っ白になるほど力を入れても箱は開かない。

 必死で頑張るけれど、どうにも箱が開いてくれる様子は無く。私ははあはあと肩を上下させ、ほうに暮れて箱をにらむ。


「……ちょっとそれ、貸してみろ」

「で、でんか」


 離れた位置にいた殿下がカツカツと歩み寄ってきて、私が苦戦している箱をひょいとつまみ上げた。

 そして、しばし眺めたり、軽くふたさわったりとしたのちに、スッと目を細める。


「……なるほどな。この箱自体がとうくつ者をはばむ最後の仕掛けとなっているのか」

「と、いいますと?」

「力任せに開けようとしてもこの箱は一生開かない。この箱が要求する通りに魔力を魔力回路に決められた出力、速度、順番で流すことで箱が開く仕組みになっているようだ」

「……な……」

「求められるのは……魔力のかいせき力、制御力。そんじょそこらの魔術師では開けることは叶わんだろう。我が校の教員共でも厳しいだろう。開けられるのは国が認定した特級魔術師レベルだろうな」

「そん……」


 いや、それ……私、それ、無理じゃない?

 ジルバ様もあちゃー、という感じで額に手を当て、きつく目を瞑っているご様子だった。


「罠はもうないって言ってたのに……」

「これは罠ではなく、仕掛けだ」

「うう……ジルバ様はこの封印の仕掛け……ご存じだったんですか?」

「いえ。この道中の罠を考案したのは私ですが、箱の仕掛けを考えたのは別の者です。担当者を分けることで盗掘者に罠や仕掛けがバレてしまうリスクを分散したのですな」


 罠の数々、ジルバ様の先導のおかげでとっできたけれど、結構──大変だった。特に最後の串刺しの罠は大変だった。ジルバ様の通ったルートを寸分間違いなく通って行かなくてはならなくて、つま先立ちでしんちょうに慎重にいかないといけなかったのだけど、何度かついうっかりで落ちかけて、それはもう──大変だった。やっぱり、物理的かつ原始的な罠が一番怖い。

 私は震える指先で己を指差して殿下に問うた。

 魅了魔法が封印された、この箱を開けるなんて──。


「そんなの、無理じゃないですか……?」

「俺もこうして箱を手に取るまではこうなっているとは知らなかった。まあ、無理だな」


 殿下が大きく首を横に振ると、つられて揺れたマントからジャラ、と音が鳴った。

 その音を聞きながら私は拳を戦慄わななかせる。そして、ダンッと床に拳をたたきつけ、さけんだ。


「徒労ーっ!」

「ほう、意外とが豊かじゃないか!」

「謝罪! 謝罪を要求します!」

「すまなかった」

「えーん、素直すぎて張り合いがなくて感情のむけどころがない〜ッ!!」


 魅了魔法。さすがは国が禁忌と認定し、神殿のさいおう部に封印しているだけのことはある。

 ジルバ様に導かれて突破した、あの数々の罠。

 並の魔術師では到底解けない箱の仕掛け。

 闇堕ちしたそこらの魔術師がいくら頑張ったところで、これらをかいくぐって魅了魔法の封印は解けやしないだろう。ばんぜんの守りだ。きっとこの魅了魔法が悪用されることはない! はず! 多分! 国の力って、すごい!

 私は地にした。ここまでやって来たのに。


「……徒労……」

「まあ、やむを得んな」


 殿下は小さく首を振って、コン、と小箱の頭をこうで叩く。


「この箱の仕掛けを解けるほど魔力のコントロールができるのであれば、無自覚の魅了魔法でも制御ができるようになっているだろうな」


 逆説的に言うならば、この箱が開けられるほどの能力があるのならば魅了魔法の制御もすでに完璧になっているはずだ、と。

 フ、と殿下がシニカルに笑う。私も笑い返す。そして引きった口元のままぼやいた。


「……楽はできない、ってことですね……」

「地道な努力をする目標ができたな、よかったな」

「うううう、徒労!!」

「それしか言えんのか。なんだその語彙のかたよりは。次はぼねとでも言ってみろ」

「むだぼね〜!」


 かくして、ひたすら努力でとにかく魔力制御の腕をみがきに磨いて無自覚にばら撒いている魅了魔法を何とかするぞという方針が定まったのであった。

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