1章 魅了魔法と私

1-1



「お前ほど美しく心やさしい女を俺は知らない。……クラウディア、愛している……」

「あの……オルガ様。あなたにはごこんやく者が……」

「なあに、親の決めた政略こんだ。婚約のなどいくらでもできる」


 ──かべドン。

 うすぐらい校舎裏。れん造りの校舎の壁に手をつき、私を見下ろす彼はオルガ・ツィルギリーはくしゃく子息。するどい金の目とぎんぱつが目を引く美男子で、ちょっぴりワイルドなふんりょく的! と学園内で人気のあるお方だ。

 うん。見事な壁ドンだ。逆光でかげる彼を見上げながら、私はまゆひそめる。


(……壁ドン、もう慣れちゃったな……)


 心優しいと彼に言われるようになった心当たりを探す。……だめだ、思いつかない。

 しいて言うなら、こないだ特別授業で席がとなりになった時に彼が落とした万年筆を拾ってあげたことくらいだ。

 ……そんなことで、婚約者を捨てて私にアプローチしてきてる? まさか。

 ……でも、まさかじゃないんだよなあ。


「──ちょっと! これは一体どういうことなんですの!?」


 はあ、とため息をつこうとしたところで、耳にキンキンとひびいたのはかんだかい女性の声。


「なっ……リンドマリー!?」

あきれた、クラウディア様。あなた様のおうわさはかねがねうかがっておりますわ! 婚約者のいる殿とのがたにも色目を使うふしだらななりきんれいじょうだとか! どうせたま輿こしでもねらってらっしゃるのでしょうけど!」


 ああ……しゅだ……。

 この学園に入学してから、いったい何度目のことだろう。

 でもこのおかげでオルガ様からの壁ドンからは解放されそう。よかった。


「珍しいうすももいろかみ! 美しい白いはだ、吸い込まれそうな大きなひとみ! その愛くるしい見た目でどれほどの殿方をろうらくしてきたことでしょうね! 全く……なげかわし……なげかわ……かわ……?」


 あっ、来た来た。来たぞ。

 リンドマリー様が私にきつけた人差し指がふるえ始める。お顔も赤くなってきた。


「……かわいい……っ!」


 かんきわまったかすれ声がしぼされる。

 はああ〜とリンドマリー様はりょうほおを押さえたんそくしきるとその場にしなしなとへたり込んでしまった。


「こ、こうして間近でお顔を拝見しますと……えっ、うそ……かわいい……えっ、どうしてこんなかわいらしい……信じられない……かわいい……ああっ……!?」

「そうだろう、リンドマリー。これはちょっとえられない愛らしさだろう!? 俺はもう彼女しか考えられないんだ!」

「クラウディア様がかわいらしいことには同意しかありませんが、それは承服いたしかねますわ!! 彼女と結ばれるのは……このわたくしです!」

「なっ、なんだと、リンドマリー! 許せん! 絶対に彼女はわたさない!」

「望むところですわっ、彼女はわたくしが守ります!」


 白熱するオルガ様、リンドマリー様。

 私はその間にコソッとこの場をけ出した。


 これは私のにちじょうはん。なんだかよくわからないけど、こう……私、クラウディア・フローレスはめちゃくちゃモテるのだった。



*****



「アイリス! 君との婚約を破棄する! そして……僕はこのだんしゃく令嬢クラウディアと新たに婚約を結ぶことをここに宣言する!」


 シン……と静まり返るホール。

 定例の学園集会、生徒会長でありこうしゃく家長男のゴードン様がマイクを片手に大見得を切った。このマイクは魔法の力によって、声を張らずとも広い広いホールのどこにいてもお声が響く便利なしろものだ。


(え……。なぜ、学園集会でこんな婚約破棄宣言を……!?)


 しかも私の名前をちゃっかり挙げていた。まどいと共にだんじょうの彼を見つめていると、バチッと目が合い、意味深にウインクされた。

 学年のちがうゴードン様と私に接点はない。しいて言えば、毎朝のあいさつ運動で校舎の正門に立たれているゴードン様と毎日「おはようございます」と挨拶をわしていたくらいだ。でもそんなことは全生徒みんなやっている。だって、挨拶運動だから。生徒会長のゴードン様はみんなに挨拶をしている。それなのに、なぜ。


「……一体、どういうおつもりですか! 学園の集会においてそのような私的な宣言をなされるなど、あなたに公私の区別はありませんの!?」


 さきほどゴードン様に婚約破棄を宣言されたアイリス様がガタッと勢いよく立ち上がり、彼に苦言をていする。令嬢としてははしたないふるまいだけど……こんな場所でこんな時にこんなことを言われたのならば、やむを得ないだろう。


「フフン、この学園中に知らしめるべきことだと思ってね。どうやら君はこの愛らしいクラウディアにいやがらせをしていたそうじゃないか!」

「そんなことはしておりません!」


 ……アイリス様とも接点……ないな。あ、でも、もしかしたら……。


(この間の合同調理実習で、タマネギを切るのをごいっしょさせていただいた時の……)


 その時、アイリス様はタマネギのみる液にやられてべそべそになってしまったのだ。それで、私が「代わりにやりましょうか?」と申し出た。私もそれなりにべそべそにはなるけれど、元平民成金むすめの私は他のご令嬢たちに比べたら自分で調理することには慣れていたし、がいはアイリス様ほどではなかった。

 ……かんちがいされそうな場面は……これくらい、かな……。


「あなた、なんてことをいうのですか……わたくしが、この、全世界で一番愛らしいクラウディアじょうに嫌がらせなど! するわけ、ないではないですか!!」


 マイクも使ってないのに、アイリス様のよく通る声がホールに響き渡る。声量がはんない。たしか、アイリス様は声楽クラブのエースだった。

 壇上のマイク、座席の肉声。ホール中を飛び交うお二人のお声! お二人のせいだいなるお言葉のやり取りのけんは止まらない。


「……クラウディアさん、ちょっと」


 盛り上がる二人に見つからぬよう、コソッと三角メガネの先生がちょいちょいと手招きして私をホールからだっしゅつさせてくれた。


 ホールを出て、教員たちがはらっている職員室に連れてきてもらった私。空いている席に座らせてもらい、れてもらった温かいお茶を飲む。ぬくい温度に気持ちが少し落ち着く。

 先生はやれやれとかぶりをった。


「ふう、困ったものですね。クラウディアさん、これで何度目?」

「すみません、先生……」

「ああ、いいのよ。クラウディアさんが悪いわけではないんですものね」


 薄ねず色の髪をキツく巻いた先生は少しあわてた様子で手を振った。


「あなたはとってもらしい生徒ですもの。がんり屋さんでいっしょうけんめいで真面目で。だからあなたがみなさんに愛されることは先生、よくわかります」

「あ、ありがとうございます」


 うーん、頑張り屋で一生懸命で真面目って、実際のところ『とにかく頑張ってる』ってことしかめられていないような気が?

 でも、私、成績は全部『優』だものね! うん、優等生!


「……ねえ、クラウディアさん。良かったら、これからはワタクシと二人きりで特別授業をしゅうすることにしない?」

「えっ!? そ、それは、ダメなのでは」

「特例でワタクシが担当している科目以外の単位も取れるようにするから! ねっ、クラウディアさん。こんな思春期の群れにまぎれて何かちがいがあったら……先生、心配でならないの……ッ。ねっ」


 はあはあとあらいきづかい。先生のとくちょう的な三角メガネが白くくもって……。


「ひ、ひいっ! し、失礼しまーす!」


 私はおおあわてで三角メガネの先生からげ出した。


 トボトボと学校の校舎からりょうへ帰る道を一人歩く。

 ──これはもはやモテるとかそんなはんちゅうの話ではないのでは?

 うすうす気がついていたけど、直視することを後回しにしていた現実に、私は頭をかかえた。

 どうしてこうなる。どうしていつもこんなふうになる? 私はもっと『つう』に生きていきたいのに。

 私……こんなめちゃくちゃな学園生活、無事卒業をむかえられるのかな?


(なんだか最近、前にもましておかしくなってきちゃったな……)


 学園に入学したてのころは、こんなふうではなかったと思う。今となっては、私とまともに話してくれる人はだれもいなくなってしまった。

 かつて同級生とのやりとりはがおで挨拶して他愛のない天気の話とかをしてそれでおしまい、くらいのアッサリしたものだったのに、今ではニコッと笑いでもしたらコッテコテのきょうかんを引き起こしてしまうので気楽にほほむことすらできなくなった。

 先生たちも、前はおかしなことになった人たちにせまられてたら普通に助けてくれてたのに、最近は……かなりあやしい感じになっている。

『気配消し』の魔法を使ってしげみにひそみながら、かつていっしゅんだけあったおだやかな学園生活をはかなんでため息をつく。


「……おかしいな、俺のがみは一体どこに……」


 さきほどあごクイしてきた男子生徒があきらめ悪く中庭を捜し回る。


(うう、見つけないで)


 家にいた頃はお父さんに『女神』と呼ばれたらとてもうれしかったのに。今は全然嬉しくない。

 この人がいなくなったらコソコソダッシュで薬学教室に移動しないと。「次の授業なんだっけ?」「魔法薬学だよ」とこんな会話の流れから一秒後に顎クイされると誰が思う。

 不思議そうに首をかしげる彼が去っていくのを見届けてようやくホッとする。とりあえず、授業が始まってくれればそうそうおかしい展開が起きることはない。……はずだ。

 よっとこしを上げたところで後ろからジャラ……と金属がこすれたような音が耳に響いた。誰かいるのかと思って振り向くけれど、誰もいない。


「いけない、もう時間無くなっちゃう!」


 気になったけれど、慌てて私は薬学教室にコソコソしながら小走りで向かった。


 また別の日。今日も渡りろうでたまたま目があっただけの人にうでつかまれた。それをきっかけにしてわらわらといろんな人が集まってきて、取り囲まれて、いっぱつのところに開け放たれた廊下の窓から運良く季節外れのとっぷうがふいてきて、みんながひるんでいるすきに近くの窓から飛び降りて事なきを得た。二階から飛び降りるのは最初はこわかったけど、何度かかえすうちに慣れた。身体強化の魔法をちゃんと使えばだいじょう

 はあとため息をつく。ホッと安心したのもつかで、すぐにまた名前の知らない人と目があって、私は中庭の茂みにばやく逃げ込んだ。

 茂みの中でひざを抱えていると、中庭に設けられたあずまから笑い声が聞こえてきて、そちらに目がいく。茂みの中から見上げれば、顔を突き合わせて、声をはずませてとりとめもない話をする女の子たち。


(……いいなあ)


 なんてことのない『普通』の風景だと思う。私にはない『普通』の日常。

 人目を避けて茂みで座り込んでいる私は『普通』ではないと思う。両親から甘やかされて育った世間知らずの私でも、それくらいのことはわかる。


(学園生活、楽しみにしてたんだけど)


 もう二週間も両親からの手紙の返事をしないでいる。手紙に書けるようなことが何もないから。父と母に伝えられるような楽しい出来事がない。

 毎日毎日、男の子にも女の子にも、果てには先生にまで追いかけられて変な感じで告白されているだなんて、そんなことを両親への手紙に書けるわけがない。

 私をできあいしている父は私が貴族だらけのこの学園でしゅくしすぎることのないようにと、そのためだけに男爵のしゃくを買い上げたくらいなのに。そんな父に心配をかけたくない。「学園生活、楽しくないよ」なんて言えない。

 東屋の女の子たちの会話に耳をかたむける。最近流行はやりの服のこと、よくわからなかった授業のこと、この先生がカッコいい、食堂で一番おいしいランチはなにか。


(……この子たちが話していること、このまま手紙に書こうかな)


 お友達とこんなことを話して過ごしているんだよ、って。


(さすがにそれは、ダメだよね)


 自分の考えに、首を振る。顔を上げて、周囲の様子をうかがう。迫ってきていた人がいなくなったことをかくにんして茂みからた。

 ひとのまばらな中庭、誰とも目を合わせないように下を向いて歩く。

 そんな私の目の前をサッと誰かが横切った。深紅色のマントがはためき、ジャラ、と重々しげに何かの音がした。

 ええと、あの人は……。この国の王子様だ。名前は……。


「──アルバート様! ちょうどいいところに」


 そうだ、アルバート王太子殿でんだ。何か用事でもあるのか小走りで彼にって名前を呼んでくれた上級生の男子生徒のおかげで思い出す。なにかと目立つ人だけど、とにかく派手で堂々としていて態度がデカくてえらそうで実際偉い人というイメージが強すぎてお名前のおくが薄れていた。


(うーん、でも、いつも周りに女の人がいる派手な人……って思ってたけど。最近はお一人でいることが増えたような……?)


 殿下は私よりひと学年上の二年生。学園に入学したばかりの頃、わあ学園に王子様がいるんだあ、すごいなー、王子様だし、カッコいいからモテるんだろうなー、背も高いしなー、すごいなーと思いながらおのぼりさん全開で彼を取り囲む女子生徒たちの壁ごしに遠巻きに見ていた記憶がある。女の子に囲まれても頭一個分くらい背が高いからわりとしっかりお顔は見られた。豊かな金色の髪に意志の強そうなつり眉、大きな青い瞳、不敵なみ。

 殿下ご自身の表情そのものはその時と変わらないし、目を引く人だというのも変わらないけれど……。なんでだろ。


「……あら、クラウディアさん。お一人? もうじきお昼休みも終わるでしょう、よかったら一緒に教室にもどりません?」


 同級生の女の子だ! しまった、殿下をながめてボーッと突っ立っていたからそくされてしまったみたい。


(まあでも女の子だからマシかな……)


 苦笑いで返しながら彼女と一緒に教室に向かう。……けど、きょが近いんだよなあ。


(これ、お友達の距離じゃないよね……)


 同級生女子はぺったりと私に身を寄せて、しなやかな指先を私の手にからめようといくとなくアタックをけてきていた。なんとか逃げようとしているけど、だいぶしつこい。


(……『普通』のお友達がしいなあ)


 なんて、私は廊下の窓の向こうの青い空に思いをせるのだった。

 今はまだ、二学期が始まってやっとひと月がったところ。一番寒い冬の時期に入学して、ようやく初夏を迎えようとしている。三年間の学園生活は残りあと二年半もある。……長いなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る