第3話

咲良さくら?」

「そう。ひとり?」

 うん、と返事をしながら、僕は初めて彼女の顔を視界の中心に捉えた。目の前の彼女は記憶の中の女子中学生ほど太ってはいなかったし、身長も高かった。化粧が施された目元と結ばれていない長い髪と黒色のワンピースのせいか、ずいぶん大人びて見えた。そして見た目の問題ではなくて、彼女は本当に大人になったのだと思い直した。僕はクレジットカードの暗証番号を入力している人の手元を見てしまったような後ろめたさに囚われて、付け加えるように言った。

「帰省してる。咲良は?」

「うちはちょうどバイト上がったところなんだけど、」そこで彼女は一瞬だけ僕の胸あたりに目をやってからまた笑顔を取り戻して言った。

「飲む?」

 それで僕たちはカウンターに並んで座った。店内はまだ客が少なく、四つあるテーブル席のうち一つが埋まっているだけだった。淡い黄色の木材と壁に等間隔で並ぶメニューの張り紙が清潔感を演出していた。冷房が効いていてむしろ寒さに身震いしそうだった。彼女の勧めで僕は生搾りレモンサワーを頼み、彼女は生ビールを飲んだ。刺身と大根の煮物と梅水晶を適当につまんだ。

「拓未はどんな仕事をしてるの?」と彼女が言った。

「いや、まだ大学院生で」

「へえ、すごいね。頭よかったもんね」

「咲良は?」

「うちは、今は休憩期間」

 僕がその意味をつかみかねて黙っていると、それを察したのか彼女は続けた。

「なんていうか、バイトしたり、遊んだり、いろいろ勉強したり、そんな感じ」

「そうなんだ、いいね」と僕は言ったが、正直なところそれがいいのかよくないのかはよくわからなかった。

 ありがとう、と言って彼女はビールをあおった。

 近況報告を終えると、自然な流れで思い出話が始まった。二人の過去の共通部分は川の飛び石のように散らばっていて、話題がその上を無邪気な子どものように次から次へと跳ねた。一ヶ月以内に四人と付き合うという記録を打ち立てた一葉ひとはが高校卒業と同時に結婚したこと、ことあるごとに名前をいじられていた大城のしょうと比嘉のしょうが一緒にビリヤードバーを経営していること、二階から飛び降りて両足のかかとを骨折した海人かいとが京都大学に行ったこと。中には卒業してから数年経過したことで時効になったからか、初めて耳にする刺激的な話も少なくなかった。いじめを自作自演していた明香はるかがアイドルになったものの二年で引退したこと、その明香の胸を揉んだ体育の儀保先生が石垣島の中学校の教頭先生になっていること。

 僕たちは陸上トラックを周回するように、一年生から三年生まで一通りたどり終えるとまた一年生からやり直し、同級生のことから先生のことまで話し終えるとまた同級生の話を始めた。しかしどちらも決してトラックの中心部には立ち入らなかった。ほかでもない僕たち、中学二年生の拓未と咲良のことを持ち出すのは、ルール違反というよりもスポーツマンシップに反するように思われた。

 話すべき事柄が尽きてしまうと、テレビを消すように沈黙があたりを満たした。彼女はシークワーサーサワーに続いて梅酒のソーダ割りを、僕は三杯目の生搾りレモンサワーを飲んでいた。料理はほとんど平らげてしまったので、僕は気まずさを紛らわすついでにメニューを眺めた。

「ゴーヤーチャンプルはどう?」と僕が言ったとき、彼女は返事をしなかった。メニューから目を離して彼女の方を見ると、彼女はやっとのことで照れくさそうに言った。

「うち、最近ヴィーガンなんだよね」

「ヴィーガン?」

「うん、だからポークとかあんまり食べなくて」

「そうなんだ」

 僕はメニューに夢中になっているふりをして、驚きを表情に出さないように努めた。

「最近始めてみたことだから、まだ全然よくわからないし、実はときどき肉も食べちゃうんだけど、農場とかで実際にされていることとか、SDGsのこととか、いろいろ調べてみて、ちょっと自分でもやってみようかなって感じ」

「じゃあさんまの塩焼きは?」

 僕はため息をつきたくなるのをぐっとこらえて言った。そのとき、ヴィーガンと僕たちの過去には一寸の関係性すら見出されないように思える。それでも彼女は僕の提案には取り合わなかった。

「拓未は、二年生のときのこと覚えてる?」

 そして僕はため息をついた。

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