2016年 再会の日
【ヴァレリー・ローズ・ムグラリスの記録】
2016年11月。
「あっ、ラトナ!」
駅の改札を抜けて構内の待ち合わせ場所へ向かったヴァレリーは、人ごみの中からすぐに彼女の姿を見つけ出した。褐色の肌、スラリとしたボディラインに大きな胸。仕立ての良さそうな服。それはもう目立っている。
「久しぶり!」
「……5分遅刻ですよ?」
「ごめ~ん!」
ヴァレリーが両手を合わせて拝み倒すと、ラトナ・アンゴドは頬に手を当ててため息をついた。
「……そうでした。あなたはそういう人でしたね。お久しぶりです、ヴァレリーさん」
「本当だよ! 卒業してから全然会ってくれないし!」
「会おう、という感じでもなかったでしょう?」
ラトナは肩をすくめる。
「わたくしとカリームは別の大学へ進学。ルーニャさんは故郷へ帰り、あなたは声優の専門学校へ。日常的な接点はなくなりましたし、なにより……テルネさんが音信不通になりましたからね」
高校を卒業したらそれぞれ別の道だと言ったテルネは、徹底していた。ヴァレリーが何度手紙を出しても返事をくれなかったぐらいに。
「結局、あの頑固者がわたくしたちの中心だったわけです。それがいなくなれば、こうもなるでしょう」
「中心……うん、そうだね」
小学校から高校まで。個性も出身もバラバラな6人が集まっていたのは、中心にテルネがいたからこそ。つなぎとめるものがなければ、離れていくのは必然だったかもしれない。……しかし、であればこそ。
「でも、もっと大きな集まりの中心になっちゃったね!」
「……そうですね」
やっぱりあたしの幼馴染の親友はすごい。ヴァレリーはその認識を強くした。
「ところでルーニャはまだ? カリームは一緒じゃないの?」
「どうしてわたくしがあのエジプト男と一緒じゃないといけないのですか」
「えー、だってワンちゃんなんでしょ?」
カリーム。6人組のうちの一人、エジプト出身のリーゼント頭の彼は、今ラトナと一緒にVtuberをしている。神望リリアのアシスタント、イヌビス。包帯でぐるぐる巻きにされた宙に浮く手足のない犬。
「別にわたくしのイヌというわけではありませんが……アレは変な意地を張っていましてね。テルネさんより偉くなってから迎えに行くのだそうです」
「ええー、社長さんなんだから偉いのに?」
「それでは十分ではないそうです。さっぱりわかりませんわね」
「残念~」
カリームも頑固だな、と思う。しかしそれならそれでいいか、とヴァレリーは割り切った。ミチノサキを続けていればいずれ会うこともあるだろう。それこそ、バーチャルの中でだって。
「じゃあルーニャは? 遅刻?」
「先に来ていましたよ。あなたを探しに行ったのですが……ああ、ほら、あそこです」
「あ、いた!」
ラトナが顔を向けた先で、ルーニャはすぐに見つかった。日本人の人ごみの中で、頭一つ背が高く目立っている。薄い金髪を肩まで伸ばした、青い目の青年。ルーニャことルカ。
「ルーニャ、久しぶり!」
「久しぶり」
「わー、相変わらず細い~! 元気してた?」
「元気」
ぽつぽつと話すルカに、ヴァレリーは懐かしくなる。
「うん、それじゃあ、行こうよ!」
そして、止まっていられなくなる。もう一秒だって待ちたくない。
「テルネの家に!」
◇ ◇ ◇
電車に乗って東京から離れる。乗り換えはないとはいえ長旅だったが、三人で話していればあっという間だった。ヴァレリーは元気に、ラトナはやや疲れた様子で、ルカは表情を変えずに目的地で電車から降りる。
「ついたー! ……あっ!」
そして駅から出てすぐに見つける。駐車している自動車の横に立っている、幼馴染の姿を。
「テルネ!」
手を振る。ぶんぶんと振る。テルネは──泣くような困ったような呆けたような、奇妙な表情をしながら片手を上げて応じ──次の瞬間、スッと表情を引き締めた。
「話は後だ。さっさと全員後部座席に乗れ」
「え?」
「いいから、早くしろ。走るなよ、さりげなく急げ」
訳が分からない。しかしテルネの真剣な表情に、ヴァレリーは従った。
「やあ、久しぶり」
「あっ、ナルト!」
後部座席に少し窮屈な思いをしながら乗り込むと、助手席からテルネの双子の弟、ナルトが顔を見せた。
「わー、実際に顔を合わせると懐かしいね! あのさあのさ、さっき電車で話してたんだけど──」
「だからそういうのは後にしろって。出すぞ」
運転席に乗り込んだテルネがおしゃべりを中断させ、車を発進させる。
「もー、なんなのテルネ!?」
「絶対振り向くなよ。つけられてる」
「ツケ?」
「尾行だ。お前たちと同じ電車で来たやつと、駅で車を用意していたやつ。合流してこっちを追いかけてる」
尾行。ヴァレリーは目を丸くした。そんなアニメみたいなことが?
「クソ。何が目的だ? まさか身バレか? ふざけるなよ、ここまできて……」
「テルネ」
「峠まで行って撒くか? いやこっちはポンコツだしな……降りてなんとかする、のも、私一人ならともかく……」
「テルネ」
「なんだよルーニャ、今考え中!」
「テルネ、ごめん」
ルカは小さく手を上げて言う。
「それは、ぼくの関係者」
「……は?」
「車も、確認した。間違いない」
テルネの緊張がドッと抜けるのが、座席の隙間から見えた。
「……どういう関係者だよ?」
「事務所の」
「お前のところの事務所、めちゃくちゃ過保護だな? あれ、素人じゃないだろ?」
「……あとで、説明する。悪い話じゃ、ない」
「わかったよ……はぁ、焦って損した」
テルネは車の速度を下げ、道を曲がる。ヴァレリーはラトナを見た。ラトナは肩をすくめて窓の外に目をやる。それでなんとなく、ヴァレリーも疑問符を頭の中に浮かべたまま外を眺めた。
しばらく道を走り、家もまばらになって自然も増えてきたころ、テルネが車を止める。
「ついたぞ」
「わあ!」
車から降りたころには、ヴァレリーの頭からはすっぱり先ほどの出来事は消えていた。そんなことよりも大事なことがあったからだ。
「ここがテルネの家ね!」
他の家から離れて、ぽつんと立っている家。
「あれもテルネの家!?」
「ああ、まあな」
母屋から少し離れた場所に、新築された建物。
「離れの第二スタジオだ。この間完成した」
「すごいすごい! かっこいい! あれ、でもスタジオって家の中にあるんじゃなかったの?」
「そりゃあだってお前、収録する時間がかぶったら困るし……」
テルネは──そこまで言って、ハッと口元を抑える。ヴァレリーは、ピンときた。
「それって、あたしたちのためだよね!?」
「ウッ……いや、その……」
「あんなに渋ってたのに、やっぱりテルネも嬉しいんだ!」
「だっ、ちが、もともと建てる予定で基礎工事は済んでてッ」
「えへへ、やったー! テルネ大好き!」
ヴァレリーはテルネの腕を取り、ぎゅうと抱き着く。テルネが何か言葉にならない音を出しながら、ガチガチになった。
「んふふ~」
「……ヴァレリーさん。テルネさんにくっつきすぎでは?」
そこに、咳払いをしてラトナが割り込んだ。
「ええー、いいじゃん!」
ヴァレリーは唇を尖らせる。と、横槍が入って冷静さを取り戻したのか、テルネがしかめっ面をした。
「いや、よくないが? 離れろよ」
「だってねー、テルネは友達だもん!」
だからくっつくのだ。それに。
「トーカとも友達だし!」
トーカ。彩羽根トーカ。ミチノサキの友達。二倍仲良しなら当然のことだと、ラトナに笑顔で自慢して見せる。が。
「フッ。そんなことですか」
ラトナは鼻で笑う。
「それならわたくしなんて、公衆の面前で好きと言っていただきましたし、オリジナルソングもいただきましたが?」
「あたしはファンだって言われたもん!」
「トーカ、モチについて言及、たくさんしてる」
何だかよく分からない自慢に、ルカまで参戦を始めた。テルネを中心にして、ああだこうだと言い合い、腕や手を引っ張る。
「やめろやめろ引っ張るな! リアルと! バーチャルは別!」
テルネは叫ぶ。そして、何やら少し離れてこちらを観察しているナルトに助けを求める。
「おい悪魔、何唸ってるんだ、なんとかしろ!」
「いや、地の文って難しいなと思ってね」
ナルトは肩をすくめる。
「それはともかく、それぐらい別にいいじゃないか、10年ぶりだろう?」
「10年分のテルネ成分補給~!」
「いいですわね」
「搾り取る」
「こっ、おっ、お前ら……お前らな~!」
ぎゅうぎゅうと抱き着かれるどころか、誰かに髪の匂いまで嗅がれてテルネは悶絶し、三人を見回して問いかける。
「──本当に本気なのか!?」
その確認は、このメンバーでビデオチャットをしたときのやり取りのこと。
テルネと直接会う。その前段階で打ち合わせし近況を交換して、テルネの住環境に話が及んだ時。
『ずいぶん配信に適した環境に住んでいますね? むしろわたくしもそこに住みたいぐらいですわ。朝から事務所へ行くのは面倒で』
そうラトナが言ったのが発端だった。
『あ、それいい! あたしもテルネと一緒に住みたい! そしたらトーカとコラボも簡単にできちゃうよね!』
『ナイスアイディア』
話は盛り上がり、ナルトも大いに勧めてくれたため、三人でテルネの家に引っ越そう、ということになった。誰もが本気で、テルネだけが最後まで冗談だと思っていた……のだが、こうして第二スタジオを用意するあたり、受け入れてくれる気でいたらしい。
だからこそ、ヴァレリーはごまかさない。
「うん、準備出来てるよ!」
マネージャーのニシバタタスクにも相談済みだし、荷物はまとめてあった。あとは家の中を見て持っていくものを取捨選択し、引っ越し業者に依頼をするだけだ。
「ここにも立派な設備がありますし」
「問題ない」
ラトナとルカも頷く。二人とも本気だった。
「くっ……ああ、ああわかったよ! わかったから離せ!」
テルネはそう言ったわりに体をぐにゃぐにゃと動かすと、自力で脱出する。そして三人に指をつきつけ、息を荒げながら言った。
「いいか、こうなったらな、お前らも道連れだ! がっつり協力してもらうからな!」
「いいよ!」
一も二もなく、ヴァレリーは頷く。親友の頼みなら断らない。
「協力ですか? 何か企画が?」
「受けて立つ」
「企画じゃない、計画だ」
ラトナは首をひねり、ルカは静かに言う。テルネは、ドヤ顔をして言った。
「降りることは許さないぞ。――バーチャルYouTuberの物語を永遠にするためにな!」
「永遠……」
ズッ友ってことかな? とヴァレリーは首をひねる。
「永遠、ですか。もう少し具体的に言っていただいても?」
「私も、お前たちも、これから先ずっとVtuberをやってもらう。途中で辞めることは許さない。Vtuberという永遠の物語をオタクたちに提供していくんだ」
「はあ……なるほど?」
ラトナは頬に手を当てる。
「志は立派ですが、ずっと続くものでしょうか? 今でこそ盛り上がりを感じますが、ブームというものはいずれ去っていくもので──」
「Vtuberは、ブームじゃない。あたらしい文化だ」
テルネは一字一句に力を込めて言う。
「文化は続いていく。その間に流行り廃りの波もあるだろう。けれど消えることはない。それが好きだと、やりたいと想う人間がいる限り継承されていく。人が憧れるものがそこにある限り、追いかけるオタクは潰えることはない。だからこそ、私たちは輝き続けなければいけないんだ」
その熱と圧力に、ラトナは黙る。三人は顔を見合わせ──
「──それが」
最初に口を開いたのは、ヴァレリーだった。
「テルネのやりたいことなんだ?」
あの日、テルネが言ったこと。
「人生をかけた目標で、あたしたちより大切で、譲れない、諦められないもの」
「……そうだ」
テルネは頷く。ヴァレリーはそれを見て──ニカッと笑った。
「うん、なら、やるよ!」
「い、いいのか……?」
「もちろん! これがテルネのしたかったことだっていうなら……あたしにとっても大切なものだもん! だから、続ける。テルネと一緒に!」
ヴァレリーは隣の二人を振り返る。
「もう、あたしたちが必要ないなんて言わせないよ。ね、ルーニャ、ラトナ」
「うん」
「……そうですわね」
ルカとラトナは頷く。
「お手並み拝見といきましょう。大きなことを言うからには、もちろん継続の見込みが立っているのですよね?」
「お、おう。もちろん!」
テルネは胸を張る。
「色々考えてはいるが──さしあたっては、体力作りからやるぞ!」
「……は?」
「私らが健康じゃなきゃ長続きしないだろうが。バーチャルつってもそこまでバーチャルにはならん。そこは現実から目をそらしちゃダメだ。だいたいお前ら、体がたるんでるぞ」
「えッ、太った!?」
「わ、わたくしは別に……」
「いいや、一緒に住むからにはやってもらうぞ。体力をつけて、健康になって──」
テルネはニヤリと笑う。
「オタクたちを喜ばせてやろうじゃないか──永遠に!」
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