親友の祝い方

2018年 特別に頑なな

【ヴァレリー・ローズ・ムグラリスの記録】


 2018年11月。


「うー、寒い~」


 パジャマのまま、長いブルネットの髪を背に降ろした女──ヴァレリーは階段を下りていく。この家に住んで、もうそろそろ2年。目をつぶったって階段を降りられる。


「おはようー」

「ああ、おはよう」


 一階のダイニングに到着して、目をこすりながら挨拶をしたヴァレリーは、返ってくる声の少なさに首を傾げる。


「……あれ? ナルトだけ?」

「ん?」


 ヴァレリーの幼馴染。蓮向はすむかいナルトという名の男は端末の画面から顔をあげた。自信家の目が、ダイニングを見渡す。


「ああ、テルネはまだだね。珍しい、寝坊かな?」


 キラリ、とヴァレリーの目が輝く。


「あたし起こしてくる!」


 くるりと踵を返してドドドドドと階段を駆け上がる。約束の時間に起きてこない時だけは、起こしに入ってもいいと言われている。テルネの部屋に突入する数少ないチャンスだった。


「んっふっふ……あれ?」


 階段を音を立てて上がった割には、廊下を忍び足で移動していたヴァレリーは、テルネの部屋の前まで来て気づく。中で話し声がしていた。


「起きてるのかな?」


 べたーっと扉に耳をくっつける。すると次の瞬間。


「エッ! どっ、どどどどうしてここに!?」


 大音量でテルネの声が聞こえた。


「エッ、アッ、ハイ! わ、私もおそれながらVtuberをやらせていただいておりまして! はい! エッ! 知ってる!? 嘘!? アアアァァアアアこっ、ココココ光栄でスゥ↑!」


 通話かな? それにしてもこんなに嬉しそうな声、こっちではめったに聞かない。ヴァレリーは好奇心に任せて耳を押し当て続けた。


「アッアッ、あのその! いや緊張もしますって! 皆さんが揃って……エッ!? いや誰推しとかそ、それは全員っていうかァ……アッアッ、近ッ! ガチ恋距離、ガチ恋距離! いけませんよ炎上しちゃう!? エェ!? いやそんな、恐れ多いっていうか! 親分のことを名前、それも呼び捨てになんてヘェ↑! アッウッ……エッ、ありがとうございます! は!? 私も同盟に!? いやでも私、裏設定では黒じゃなくて白っていうか薄ピンクっていうか、アッ、ハイ! 今日から黒を履きます! ハイ! いやもう、むしろちゃんと並ぶので殴ってください! ご褒美です! いや本当に! いやいやもうどんどん笑ってくださいやばい好きかわいい……エッ……エッ!? 今度のコラボに!? いやいやいやいやいやこの五人でやるのが一番いいんじゃないですかそんな私なんて異物を入れなくても!? 企画のいちコーナー? ウッ、アッ……そういうことなら……アッ、はい! できます! じゃ、じゃあまずお狐ちゃんのモノマネからやります! ちゃんと2本出せるように仕込んであるんで! それじゃ──」


 早口が止み、一瞬の静寂──


「スゥ ポッk!」


 ドタン! 大声と共に物音がし、ぴたりとテルネの声が止む。ヴァレリーがしばらく様子をうかがっていると、ギィ……とゆっくり扉が開いた。


「あっ。お、おはよう、テルネ!」

「……おはよう」


 短い黒髪の女──蓮向テルネは目つきも悪く低音で応えると、するりと隙間を抜けて先に立ち、階下に降りていった。ヴァレリーは慌ててそれを追う。テルネはダイニングのテーブルに向かうと、ドカッと自分の席に座った。先ほどまでの喜色満面、といった感じの声からは想像できないぐらい不機嫌そうだ。


「えっと、どうしたの?」

「最低な夢を見た」

「え。あれ寝言だったんだ。なんかすごくうれしそうだったけど?」

「嬉しいけど最悪だ」


 ジャージのファスナーをいじりながら、テルネは長くため息を吐く。ナルトはそれをチラリと横目で見て、端末での作業に戻っていった。しばらく沈黙が続いた後、テルネは口を開く。


「……推しの間に挟まるとか、冒涜が過ぎる。だいたいあの位置に私がいるわけがないんだ。それが声をかけてもらって、チヤホヤされるなんて……思い上がりも甚だしい」

「推し……ってことは、Vtuber?」


 としか思えなかった。テルネは二言目にはVtuberのどの動画が良かったとか、そういう話ばっかりする。


「トーカなら、誰に声をかけたって歓迎してもらえると思うけど。登録者数だってぶっちぎりだし、みんなトーカのことが大好きだよ?」

「トーカの話じゃないんだ。……もう心の整理をつけたはずなんだよ」


 ぽつりと言って、テルネは黙り込む。ヴァレリーには話がよく見えなかった。だが幼馴染が落ち込んでいるようなら、元気づけたい。


「……あっ、そうだ! アバタさんに確認しといて、ッて言われたやつ!」

「ん? なんだ?」

「誕生日のお祝いメッセージ動画の規定があれば聞いておいてって!」

「……誕生日?」


 テルネは首をひねる。


「なんで私に聞くんだ?」

「トーカの誕生日だからだよ! そろそろでしょ?」

「ん? ……ああ」


 テルネは頷くと、体から少し力を抜く。


「規定なんてないぞ。というか募集もしていない」

「え、そうなの?」

「別に、やらないしな。誕生日企画とか」

「えぇ!? なんでぇ!?」

「声がでかい」

「でもでも!」


 耳を抑える幼馴染にヴァレリーは詰め寄る。


「去年はやったじゃん!」

「あれは別だ。アニメの販促の意味合いが強い。そもそもだな、あれは20周年だからやったんだ。彩羽根トーカ20周年プロジェクトの締めくくりとしてな。で、今年もやるのか? 21周年記念で? いや、それは刻みすぎだし、寒いだろ」

「プロジェクトとかじゃなくて! だって、トーカが生まれた日なんでしょ?」


 2017年10月。Vtuber、彩羽根トーカが中心となって作られたオリジナルアニメ「バーチャルワールド」が開始した。そのクレジットで明かされた『彩羽根トーカ20周年プロジェクト』はオタクたちを騒がせ、トーカの原点を探る動きが起こった。そしてたどり着いたのが、Yahoo!ジオシティーズにひっそりと残っていた「彩羽根トーカの部屋」というサイト。そこに刻まれた12月の日付。


「お祝いしようよ!」

「数字にこだわると息苦しくなるぞ。誕生日とか記念日とか、何人登録だとか、いったいどこを区切りにするんだってのもあるし、私はやってないだろ?」

「トーカの日とか、活動記念日はやってるじゃん!」

「それはまあ、継続の確認みたいなところがあるからな……再生リストの区切りもつけないといけないし……トーカの日は毎月だから濃度が薄いっていうか……そもそもリスナー主導だったやつだし……。でも、それぐらいにしとくべきだって。だいたいお前、Vtuberが今何人いるか知ってるか?」

「知らないけど!」

「私も全部把握しているとは言えないが1万人は堅い」

「いやテルネ以上に詳しい人いないと思うよ?」

「オタクをなめるな。私なんかよりオタクな奴は世の中に絶対いる。……ともかくだ。1万人いるとだな? 1日に誕生日を迎えるVtuberは、約30人いるわけだ。それを全部祝っていくなんて、もはやそれ専門のVtuberとしてやっていける重労働だぞ。さすがに私だってやらん」

「……ん?」


 ヴァレリーは首をひねる。


「……でも、あたしとかモチちゃんとかリリアちゃんとかドラちゃんには、お誕生日おめでとうってメッセージ送ってくれるし、企画にも参加してくれるよね?」

「そ、それは」


 テルネは、つい、と目をそらす。


「……ほら、私だって鬼じゃないし、祝ってくれと依頼されればメッセージの一つや二つ」

「え、お願いなんてしてないよ?」

「ッ」

「ははぁん」


 ヴァレリーの頬が緩む。


「そっか、じゃあ、あたしたちは特別なんだ!」

「うッ。いや、ちが……だって、ファンだったら見たいだろうがそういう光景が! 私はそれを叶えているだけ、そう、オタクのためにやってやっているだけだ!」

「うんうん、そういうことにしといたげる!」


 ヴァレリーはテルネの頬に少し朱がさしたのを見逃さない。


「じゃあさ、トーカの誕生日だって、みんな祝いたいの分かるよね!」

「いやそれは……いいんだよ、私は。オタクにはいろんな推しがいるんだし、ただでさえトーカは毎日動画を出して、イベントにも顔を出してる。それに加えて誕生日なんて、いくらトーカを追ってるオタクでも疲れるだろ」

「トーカ! あたしはトーカの誕生日をお祝いしたいな!」


 ヴァレリーは端末にミチノサキの画像を表示させて、それを顔の前に構えて言う。テルネに動揺が見えた。


「ウッ──やめろやめろ! いいか! リアルと! バーチャルは別!」


 テルネは机を叩いて立ち上がる。


「ほら、くだらんこと言ってないで、さっさと腹に軽く物詰めて着替えて走るぞ! お前は私に協力するからここに住んでるんだからな。サボりは許さんぞ!」

「んん……はぁ~い……」


 テルネの考えは変わらないらしい。相変わらず頑固だ、と思いながらヴァレリーは動き始めた。


 そう、この幼馴染の親友は、2年前から言うことが全く変わっていない……──

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