2019年 望みを叶える娘
【蔵野冬音の視点】
2019年11月。
「やあ、待たせたね。乗りなよ」
悪魔さんは軽自動車の助手席のドアを開けて言う。私は──後部座席に座った。座席越しに、悪魔さんが肩をすくめているのが見える。
「前回の配信はなかなか刺激的だったね」
車を発進させてしばらくして、悪魔さんが言う。私の体は、勝手にびくりと震えた。
「途中で席を外したんだけどね。Vtuberのキャラクターデザインを申し出てもらったんだって?」
アーカイブは非公開にしていた。悪魔さんとの約束では、すべて公開する予定だったけれど、相談することもなく、隠すように。
そのことを、悪魔さんは指摘しない。
「知名度も腕もある。検索してみたけど、後ろ暗いところは特になかったし、いい話じゃない?」
「それは……」
見捨てられて、いるのだろうか。
何かの手続きに同行するようにと、車に乗せられたけど……契約違反とかで訴えられるのだろうか。
「彼にアバターを作ってもらえば人気は出るだろうね。どうするんだい?」
「どうする……って」
「人気者になりたいんだろう? 別に君がそうしたいなら……新しいVtuberとして出発したいなら、それはそれで構わないよ」
悪魔さんは振り返りもせずに言う。
「神望リエルなんて4年前に消えた、限られた人しか知らないキャラクターだ。当時君を応援してくれた人なんて両手で数えられるほどだし、その人たちだってとっくに忘れているさ」
『ずっと探していたんです』
「もし覚えてる人がいたとしたって、そんなの切り捨てても問題ないでしょ。今の君の集客力を考えてごらんよ」
チャンネル登録者数はそろそろ500人になりそうで、生放送には40人ぐらい来てくれている。リエルの何倍かなんて、考えるまでもない。
「もし……私が……新しいVtuberになるとして……悪魔さんは?」
「好きにしていいよ。Vtuberを続けるんなら、裁判は引き続き担当する。Vtuber案件だからね」
「台本は……」
「必要かい?」
私の話が──根暗のフユの話を面白いと言ってくれるリスナーたち。彼らとの間に、台本は……──
「……必要、です」
「へえ、どうして?」
「私は」
私は……。
「──……神望リエルに、なりたいから」
「ふうん。それは、あれかな? 神望リリアの人気にあやかりたいってこと? いい手だよね、リリアの登録者から流れてくる人は多いだろうし」
「ちが、違います!」
そんなこと考えたこともない。幅広い話題でリスナーと巧みに交流しているリリアには尊敬しかない。彼女を利用するなんて考えたこともない。
「違う……違うんです。私、私は……」
やっと気づいたこと。
「人気者に……なりたいんじゃ、なかった」
明るく元気な人気者になりたいんじゃなくて。
根暗のフユを見てくれる人と触れ合いたかった。
今までは勇気がなくて踏み出せなくて……それどころか自分から拒絶して、その機会を、望みを叶えることはできなかった。でも、悪魔さんに言われるままに活動して、いつの間にか……。
……この望みは、このままでもきっと叶う。でも。
「待って……くれていたんです。ずっと、探していたって。神望リエルを、待っていた人が」
リエルを望んでいる人が。
あんな拙い放送に毎回来てくれた人が。
「4年も、忘れずに待ってくれていた。あの時も支えようとしてくれていた。そんな──そんな気持ちを、裏切ったら」
知らないふりして、切り捨てたりなんかしたら。
「──オタクじゃないじゃないですかぁ……」
原作を改悪するアニメ化。
前作をなかったことにする新作。
それと似たようなこと……オタクとしてできるわけがない。
「ッ、ぐ……だっ、だから、だから私は……神望リエルにならないといけないんです。でも、私はどうしたって根暗のフユで……あっ、明るくて、元気なッ……神望リエルをやるためには、台本が必要なんです!」
悪魔さんがいれば、それができる。
「その待ってたって人はさ」
私が鼻をかみ終わるのを待って、悪魔さんは言った。
「どうして君がリエルだって気づいたんだろうね?」
!?
「ッ……み、見て……いたんですか?」
「え? いや、君のチャンネルってブランドチャンネルって仕組みで作っただろう? 僕も管理者になってるんだから、アーカイブを非公開にしても見れるんだけど知らなかったの?」
そんな。
「そっ……それじゃ、私、もう……」
「ん? ああ、リエルの中の人だってバレたら終わりって話だったっけ。そうか……」
悪魔さんは黙って車を操作する。
「……うーん、収録中だったしアーカイブ非公開だからギリギリ見てはないんだけど……いや、この場合は『誰に』とも言ってなかったから……うん。そうだねえ、かろうじて致命傷は避けてるんだけど……ダメか。約束は守らないといけないな。契約を違えるとペナルティがキツくてねぇ……うん」
悪魔さんは告げる。
「台本はなしだ」
終わった。
「なんかこの世の終わりって顔してるけど、そんなにかい?」
「……だって、神望リエルは明るくて元気な女の子なんです。私とは正反対。私は……私は根暗だから、そうはなれない。せいぜいが好きなアニメをオタク仲間に話す程度の人間なんです。だから」
「じゃあどうして、その待ってたって人は、そんな正反対な君のことをリエルだって気づいたんだろうね?」
……どうして?
「それは……声、とか……」
「君って数年経っても忘れられないような声してるのかい?」
「……じゃあ、なんで」
「さあね。声、呼吸、間の取り方、立ち振る舞い、言動……いったい何から気づいたのか僕にはさっぱりだけど。でもきっと、それはいわゆる魂の輝きってやつさ。リエルでいた時ですら、君が隠すことができなかった君の個性の何かしらに気づいたんだろうね」
あの時の私は、リエルと似ても似つかなかった。
それでも、あの人は……私だと気づいた? 星の数ほどいるVtuberの中から……魂の輝きとやらで?
「……でもっ、リエルは、明るくて元気なキャラクター、そういう設定の子で……きっとそれを期待されて……」
「キャラ設定なんて気にしなくていいんじゃない? その人だってリエルじゃない君をリエルだと気づいたんだからさ。カリームも言ってたんじゃないかな、中の人の個性が溢れ出すところが面白いんだって。設定なんてそれを面白くするスパイスさ」
「キャラが設定崩壊するなんて……そんなのありえない……」
「君がなるのはキャラじゃない。Vtuberさ。生きた、台本なんかで予測しきれない無数の可能性のある仮想の存在」
車が止まる。どこかのビルの地下駐車場。
「さあ、それじゃ行こうか」
車から降りた悪魔さんは、ドアを開けて私に手を伸ばす。
「君の望みを叶えに」
◇ ◇ ◇
「待たせたな、少し打ち合わせが長引いて……ん……? ッ!?」
「おっ、なかなか面白い反応だね」
会議室に入ってきたリーゼント頭の石油王……社長さんは、私を見て目を見開き、どたどたと足を乱して後ろの壁に寄りかかった。
「な、き、キサマ……」
「彼女が誰かは分かるよね?」
「……クラノフユネ」
社長さんは絞り出すように言う。
「……神望リエルの3Dモデルを買いたい、というのはこのためか? てっきりトーカが何らかの企画に使うのだと思っていたが……」
「この話はトーカにも内緒だって言っただろ?」
悪魔さんはニコニコしながら言う。
「想像してごらんよ。こんなことが起きたら、トーカがどれだけ驚いて、泣いて喜ぶか?」
「……フム。なるほどな」
社長さんは少し考えて頷くと──私の方を向いた。私は急いで椅子から立ち上がる。
「ごめんなさいっ!」
「すまなかった」
え?
「……なぜ謝った?」
「え、えっと、だって、私、リエルを辞めて逃げて……」
「正式な退職の手続きをしたのだ。そこでキサマを悪いと思ったことなど……まぁ多少思いはしたが、今となってはオレが悪かったと考えている。キサマに対してのフォローが少なすぎた。あの当時最新鋭の概念を、デキるオタクだからと見込んで深く説明する必要がないと勝手に思い込み、結果ああして物別れになってしまった」
社長さんは再び頭を下げる。
「すまなかった」
「……本当ですよ。私、すごい……すごく、不安だったんですよ……」
視界がにじむ。
「でも、やっぱり、逃げた私が一番悪い……悪いなって……ずっと……」
「はいはい、湿っぽいのはそれぐらいにしてさ。話を進めようよ」
あっけらかんと悪魔さんが割り込んできて、ティッシュを押し付けてくる。
「ズビ」
「……いいだろう。神望リエルのモデルを買いたい、ということは、キサマは神望リエルとして再びVtuberをやる……ということでいいのだな?」
「はい……」
待ってる人がいる。それに、リエルを……リエルを投げ出すのも、リエルが報われない。
「つまり、もう一度ガブガブイリアルに所属したいのか?」
「そこは二人で決めなよ。僕はもう手伝えないからね。一応、個人Vtuberでもやっていけるように仕込んではあるよ」
「ほう」
社長さんがじろじろと見てくる。
「……ガブガブイリアルに戻ってくる気があるなら、歓迎しよう。社内で何か言ってくるような者はいないと思うが、もしいてもオレがきちんと説得する。しかし……」
「しかし、なんだい?」
「いや、長時間配信をするとか深夜配信をするとか、そういうことを考えているなら、事務所には所属しても、従業員という立場よりはフリーランスの方がいいぞ。細かい話になるが……」
そうして社長さんと悪魔さんは、それぞれの立場からいろいろな可能性のメリットとデメリットを示して説明してくれる。完全に独立する道、企業に所属する道、マネジメントだけ企業に任せる道……。
それはとても真摯で、心から私のことを考えてくれていて。
「……そういうことなら、私は事務所所属のフリーランスということでお願いできますか……?」
もう一度、社長さんを信じてみようと思えた。
「わかった、いいだろう。ガブガブイリアルとしてバックアップさせてもらう」
社長さんが手を差しだす。私はしっかりとそれを握った。
「いやあ、まとまってくれてよかったよ。これでようやく次の話ができるね」
「え? な、なんですか、次の話って」
「新生・神望リエルのお披露目のことさ。いやあ、きっと驚くと思うんだよね……彩羽根トーカがさ」
彩羽根トーカ。Vtuberのトップ。それが。
「……私、いえ、リエル……なんかのことで?」
「キサマのことで、だ。フン、確かに……フ、フ、フ……トーカが泣いて喜んでオレの腕の中に駆け込んでくるのが目に浮かぶな?」
「えぇ……どうしてそうなるんです?」
「なぜならそれが彩羽根トーカだからだ」
「さっぱりわかんないですけど」
しかし社長さんは自信ありげだった。根拠はあるんだろうか。
「なるほど、いいだろう。神望リエルの復活には相応の場所が必要だ。どういう企画にするか……」
「うんうん、それなんだけどさ。今進めてるイベントがあるじゃない。アレにねじ込めないかな?」
「……アレか。確かに運営委員に名を連ねているし、サプライズ枠は使っていいとも言われているな……しかし、あれはオリジナル曲じゃないと参加できないぞ?」
オリジナル曲……? 何の話だろう?
「そこはもう用意しているよ。ちょうど言うことを聞いてくれるクリエイターがいてねえ。作詞、作曲、編曲も終わってるから、あとは歌うだけさ。もちろん案件については口外しないように契約してるよ」
「……キサマ、本当に真っ当な弁護士業をしているんだろうな?」
「心外だなあ。お礼をしたいって言われたから頼んだだけさ」
「……まあ、いいだろう。少し見せてみろ」
「いいよ、ほら」
悪魔さんは社長さんにスマホを見せる。
「2曲あるから好きなのを選びなよ」
「フン。ソロとデュエットか……いや、そういうことなら両方だな。演出的にも」
「練習時間は足りるかな?」
「何、音痴音痴と言いながらもやることはやる女だ。一曲増えたところでこなすだろう。よし、決まりだな」
「えっと……」
「クラノフユネ。キサマの、神望リエルとしての再デビューの舞台が決まったぞ」
社長さんはドヤ顔で言う。
「はあ……どこでしょうか?」
「ドームだ」
「ドーム……ドーム……は? ドーム?」
「来年1月にやる、彩羽根トーカ主催のVtuber音楽イベント。満員のドームの中こそが、キサマが降り立つ場所だ」
Vtuber界トップが主催するイベント。
満員のドーム。……え? は?
「──無理無理無理ですよぉ!? いったい何考えてるんですかあなたたちはぁっ!?」
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