2019年 仮初の練習
【蔵野冬音の視点】
「よし……」
悪魔さんと決めた時間に、YouTubeで配信を開始する。タイトルは……『生放送テスト』でいいよね。
「あ、あー……聞こえてます、ね?」
配信ソフトの音声ボリュームを確認する。バーが動いてるから問題ないはず。
スマホ側でYouTubeを起動して自分の配信を見ると、ちゃんとデッサン人形が映って動いていた。音声も問題なさそう。
「えーと……」
というか、悪魔さんはまだ来ないの?
上位チャット:やあ、待たせたね
3分ほど待ってようやく、コメントがついた。
「それ決まり文句なんですか?」
上位チャット:おや、そんなに言ってるかな?
「言ってます……」
というか悪魔さんが待ち合わせに先に現れたことがない。
「あの、それで、どうしたらいいんですか……これ」
上位チャット:まあ1時間ほどやってみなよ
「だから、何をやれば……」
上位チャット:それじゃあ1週間経ったわけだし、アニメの感想でも聞こうかな
「……2本目の動画は上げましたよ」
上位チャット:生の感想が聞きたいね。あの何とかの空ってやつはどうだったんだい?
上位チャット:あれが一番のオススメなんだろう?
「あれはその、好きですけど……」
上位チャット:それとも、他にオススメがあるのかな?
「……実は」
上位チャット:じゃあそれを教えてよ
……でも、絶対悪魔さん知らないだろうし……。
上位チャット:正直君の動画の説明じゃ見る気にならないんだよね
「ッ」
それは……つまり推しアニメの評判を落としているということ。いや、私みたいな話のつまらないオタクだから、しょうがない……でも……。
「……本当に今期オススメのアニメは」
オススメが相手の心に響かないのは、オタクとして辛い。まだ布教できるチャンスがあるなら。
「オレクロですね……えっと……『転生先が俺の黒歴史だった件』……知ってます?」
上位チャット:え、何それ? 存在するの?
「存在から否定を!?」
こ、この悪魔……!?
「オレクロ! 『転生先が俺の黒歴史だった件』! Web小説からアニメ化された傑作ですよ! 主人公が黒歴史ノートに書いていたファンタジー異世界に転生して、女神様に世界の続きを作れって強要されるっていう……!」
上位チャット:ああ、
「はずれ枠なんかじゃ……! いやその……ネット上の評判はそうですけど……!」
上位チャット:とりあえず公式サイトのトップを引用してよ
「あ、はい……」
えーと、画像化して、URLと著作権表示と、引用枠と……う、配信しながらだから操作を間違えられない……。
「やりました」
上位チャット:ふうん。よくある絵って感じだね
上位チャット:それでどこがオススメなんだい?
「えっと原作のこう、歯がゆいっていうかゾワゾワするというか悶えたくなる感じを、大真面目にやっているところが……あの、一話の……一話のエンディングとか絶対伝説だと思うんですよ。主人公がこの世界は自分の黒歴史なんだって気づいて、町の外に走り出して、『あばばばば』って叫ぶんですけど、この叫びだけでドラゴンクエストの『序曲』をやっちゃうっていう……ちゃんと許可とってやりきってるのが本当にすごいなって」
あーッ! あばばばばっばっばー! パン・パン・パン!(両手で力いっぱい耳を叩く音)
……という文章で書かれていた時でも脳内再生で笑ったのに、映像化されてめちゃくちゃ笑ってしまった。
上位チャット:へえ、ちょっと興味出てきたね
上位チャット:それやってみてよ。あばばばってやつ
「は!? 無理無理無理ですよぉ!? なんてこと言うんですか!?」
上位チャット:ほら、どうせ見ているのは僕だけだし
「いちおうアーカイブも残るし公開しないといけないんですよね!? 悪魔さんに人の心はないんですか!?」
上位チャット:ないねえ
上位チャット:ワロタ
「ワロタじゃあないんですよ何を言って──は!?」
あれ? ユーザー名が……違う……?
「え、誰」
上位チャット:初見です
上位チャット:適当なライブ探してたら、オレクロの画像が見えたのできました
えっ視聴者数3、3人も!? あ、いや、悪魔さんと私で2人だから……だから1人!?
「えっ、あ……あ……」
上位チャット:やあ、いらっしゃい
上位チャット:こんにちは
上位チャット:悪魔ってのがファンネームなんですか?
上位チャット:っていうかVtuber? なんです?
「う、う……」
早い。チャットが早い。どうした、どうしたらいいんですか?
上位チャット:さあ、僕も今日初めて生放送を見たからねえ。そこのところどうなんだい?
──わ、私に答えろということ?
上位チャット:テストなんだし、気楽に答えたら?
……そ、そうだ。これは……テストで、練習なんだ。リエルの放送じゃない。私がどんなにつまらないことを言っても……リエルのキャラクターは傷つかない。
「えっと……えっと、はい……Vtuber……になるための、練習、です……」
上位チャット:Vtuberならチャンネルの詳細にVtuberって書いた方がいいですよ
「あ、は、はい……わかりました」
詳細、詳細……ここか。
上位チャット:あ、それは……
上位チャット:まあいいか
上位チャット:名前は何て言うんですか?
「わ、私はく……」
あ、違う、違う。本名を言ってどうする。
「私の名前は、えっと……ないです……」
上位チャット:Vtuber準備中のチャンネルってことですね
上位チャット:増えましたね最近
そうなんだろうか。でもとにかく納得してくれたみたいでよかった。
上位チャット:オレクロの話したかったんですよ
上位チャット:でも周りに見てる人が誰もいなくて
「あ……そうなんですか」
上位チャット:そんなに不人気なアニメなのかい?
上位チャット:15分枠なのと絵柄が古いのと、やっぱあとは作画ですねー
上位チャット:一話のEDにすべての予算を使ったって感じで……
「そうなんですよね……パン様も顎がちょっと危うい感じで……」
上位チャット:パン様ってなんだい?
上位チャット:パン様好きです
「あ、その、『サー・ロードオブジガンナイト』っていう名前のガンブレード使いのキャラで……必殺技の名前が『ライトニング・
銃弾、Bulletを若き日の主人公が『ブレッド』と読み間違えた悲劇で生まれたキャラクターだ。雷速の弾丸を操るイケオジ……のはずなんだけど、アニメでは顎が鋭利に伸びてしまっていた。
上位チャット:へえ、なるほどねえ。そういう手口もあるのか。参考になるなあ
上位チャット:面白いんですよ。えーっと、原作って読んでます?
「あ、読んでます。ネタバレ、大丈夫です」
それからは──時間が過ぎるのも忘れて、悪魔さんにオレクロの布教を、突然やって来たリスナーさんとした。
上位チャット:そこまで言うなら見てみるよ
上位チャット:ところで、そろそろ時間じゃないかい?
「え、あっ」
そうだ、もう一時間だ。
上位チャット:あ、もう終わりって感じですか?
「は、はい……あの、ありがとうございました」
上位チャット:こちらこそオレクロの話ができて楽しかったです。誰とも話せなかったので
……私と似たようなオタクも、世の中にはいるんだろうな。
上位チャット:次回もありますか?
「えっ。えっと」
上位チャット:当然、来週も同じ時間にあるよ
あるらしい。まだ練習不足ってことなんだろう。
「……あります」
上位チャット:また来ます
上位チャット:あ、Twitterアカウントあります?
ある──けどそれはいわゆる本アカで、この練習用のYouTubeチャンネルと結びつくものではなかった。
「な、ないです……」
上位チャット:作ったほうがいいですよ。告知とかに便利だし
「あ、は、はい……」
って思わずハイって言っちゃったけど、本当に? だめだ、これ以上やると何か言いそう。
「あの、終わります! ……ありがとうございました!」
上位チャット:おつかれさまでした~
配信を切る。スマホ側でも確認。うん、切れてる……。
「はぁ……」
私は──私も糸が切れたように、椅子にぐったりと倒れ込んだ。
◇ ◇ ◇
「やあ、待たせた──」
「あの!」
喫茶店にやって来た悪魔さんに、私は言ってやる。
「生放送、やっぱり公開でやったのおかしいですよね!? おかげで人が来ちゃったじゃないですか!」
「君、なんのために練習してるかわかってるのかい?」
悪魔さんは呆れたように言う。
「君は神望リエルのアバターを得て、台本を使う。でもそれ以外は一人でやるんだ。視聴者は来るしトラブルだってある。そのための練習なんだから、むしろ経験になってよかったじゃないか」
「そ、それは……」
そう……なのかな?
「とにかく、君には経験が足りてないからね。場数を踏むためにも、練習の生放送は必ず週一回以上やること」
「週一回……以上?」
「最低でも週一回ね」
……これは、やる気を測られているのだろうか?
「あと週一回の動画の他に、生放送が終わったら3分ぐらいに見所をまとめた動画も作ってよ」
「え、は!? あの、へ、編集して……? む、無理無理無理ですよぉ!」
「トーカはやってるけど?」
「スタッフさんがでしょう!?」
「いや……ああ……そうだね」
悪魔さんはもごもご口の中で言って、肩をすくめる。
「どちらにしろ、君はやらないと。それ以外の選択肢はないんだからね」
「ウ……」
……やらないと、悪魔さんは協力してくれない。裁判も終わらなくて、お金も入らない。
「……分かりました。あと、あの、Twitterアカウントの件なんですけど」
「ああ。あれも神望リエルを引き取ったら君が一人で運営するんだから、練習のためにも作ったほうがいい。本当はしばらくはやめておいたほうがいいと思ってたんだけど……もう手遅れだからねえ」
「は? なんのことですか?」
「ああ、気づいてないのかい? 君のチャンネルを確認してごらんよ」
私のチャンネル? スマホを取り出して──
◇ ◇ ◇
(仮) チャンネル登録者数 182人
説明
Vtuberの練習です。
詳細
場所:日本
◇ ◇ ◇
「別に変わったところは──は!? 182人!?」
なんで!? 生放送に来た人が登録してくれたとしても2人で……それが182!?
「ああ、数字は気にしなくていいよ。最低値みたいなものだからね」
「最低値!?」
「Vtuber界のVtuberオタク、彩羽根トーカ。趣味はVtuberの動画鑑賞。東に新人あると聞けば行って登録し、西に新人あると聞けば行ってフォローする。そんな本人の行動を真似するファンってのは多くてね。トーカより先に登録してトーカを悔しがらせてやろう……なんて言って、Vtuberという単語が出た時点でこれぐらいの狂人は登録しに来るのさ」
「えぇ……」
どういう世界なの……。
「ま、本当に見に来る人はほとんどいないから気にしなくていいよ。そういう狂人のチャンネル登録欄はひどいことになっているからねえ」
「ファンを狂人呼ばわりはどうなんですか」
「ファンっていうのはFanatic、狂信者のことだろう?」
「語源はそうらしいですけど……」
「一時期は自動で巡回して登録するBotアカウントとかもあったけど、それがきっちりYouTube側に淘汰されてもこれだから、手動でやってる暇人がこれだけいるってことで、狂気だろ?」
そう……かもしれない。こんな名前もないデッサン人形を登録するなんて、頭がおかしい。
「じゃ、Twitterアカウントを作ること。Twitterの運用も練習だ。スケジュールの告知、他のVtuberとの付き合い、ファンアートにいいね&RTをいつするか……勉強することはいろいろあるからね」
「わかりました……」
やることが増えて忙しくて。
「しつこいようだけど、君が神望リエルだってバレるのだけはダメだからね。今のところはあの鈍さが全開で気づいてないようだけど、怪しいところがあればさすがに気づくだろうし……たぶん……」
「はぁ……は?」
「何でもないよ。とにかく、こんなところでバレても面白くない。そうなったら支援は全て打ち切るから、気を付けるようにね」
「はい」
私は悪魔さんの指示から受ける違和感を無視したまま『練習』を続けるのだった。
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