2019年 悪魔基準

【蔵野冬音の視点】


 2019年10月。


「やあ、待たせたね」


 悪魔さんとの打ち合わせは、この間と同じ喫茶店で行われた。


「ま、裁判の件は報告だけでいいだろう? さっそく別件の打ち合わせといこうか」

「あの……LINEとかで打ち合わせでも……」

「ああ、ネットはちょっとね。どこから情報が漏れるか分からないから」


 悪魔さんは意外とITが嫌いなのかな?


「このプロジェクトは秘密裏に成功させないといけないからね」

「秘密……」

「神望リエルが復活するっていうなら、それは驚きを持って迎えられないとだろ?」


 悪魔さんはニコニコして言う。


「ああ、ガブガブイリアルには話を通してきたよ」

「えっ、もう」

「神望リエルの3Dモデルを買い取りたい、と伝えたら、準備をしてくれることになったよ」


 すごい。キャラクターものって権利が大変って聞いているのに。それがもう話がまとまってる? 悪魔さんがVtuber専門の弁護士で、腕がいいというのは本当なんだ。


「もちろん、リエルの3Dモデルを君が使うにはまだ早い」

「……課題、でしたよね。いったいどんな?」

「まずはYouTubeに一本動画を出してもらおうかな」


 は?


「……あの、顔出しはちょっと」

「君の顔を出せなんて言ってないよ。君がやるのはVtuberだろう? Vtuberとしての動画の作り方を勉強してくれ、って言ってるのさ。3Dアバターを動かし、動画を撮影する」

「えっと、なんで」

「そりゃ、今後の活動のためだろう?」


 悪魔さんは呆れたように言う。


「神望リエルは、今後個人Vtuberとしてやっていくんだ。動画ぐらい作れなきゃ」

「えっ……」

「なんだい。それとも君は、古巣で嫌な思いをしながら働きたいのかい?」


 古巣。ガブガブイリアル。勝手に出ていった私が、弁護士の力を使って戻ってくる……会社の人はよくない思いをするだろう。私だって居づらい。


「……彩羽根トーカと一緒に働くんじゃ?」

「ああ、なるほど。悪いけどね、彩羽根トーカは極秘のプロジェクトなんだ。そのスタッフとの接触も制限している。だから、一緒には働けない。君に正体を知られるわけにはいかないからね」


 徹底した秘密主義。誰にも正体をつかませない彩羽根トーカ。


「台本なんかの手配はしてあげよう。でも、それ以上の手伝いはできない」

「……そう、ですか」

「なに、動画の編集なんて簡単だよ。いつもパパッとやって終わる感じさ」

「……やってみます」

「いいね。トーカが公開している編集講座の動画があるから、それを見てやってごらん」


 動画のURLを教えてもらう。


「あの、それでどんな動画を撮ればいいんですか?」

「練習だからねえ、適当でいいんじゃない?」

「適当って言われても……」

「それじゃ、今見てるアニメをお勧めしてくれるかな。僕に布教するつもりでさ」

「それなら……まあ……」


 なんとかなる……かな?


「あとVtuberだからアバターは必要になるだろうけど、バーチャルラウンジの初期アバターを使ってくれる?」

「初期アバターって何ですか?」

「これこれ」


 悪魔さんがスマホを見せてくる。顔に白紙の張り付いたデッサン人形だ。


「あの、これってどんなキャラなんですか」

「これにキャラとかないでしょ。動画編集の練習なんだからさ、君が普通に話してくれていい」

「私が……話しても、面白くなんて」

「ないだろうね。もちろん」


 ………。


「僕が見るだけの動画だから、別にそれでよくない?」


 ……それもそうか。


「嫌なら、話はなかったことにするけど」

「あっ、ちが、や、やります」

「そう言ってくれると思ったよ」


 悪魔さんはにこりと笑う。


「そうそう。君が神望リエルの中の人だってこと、神望リエルが復活するってことは万が一にもバレちゃいけない。僕がいいというまで、神望リエルの復活は秘密だ。もしバレてしまうようなことがあったら、同じくこの話は終わりだから」

「……わかりました」


 バレるなんて、ありえないだろう。神望リエルは元気で明るい子。素の私とは似ても似つかない。


「あの、そうなると、チャンネル名とか、Vtuberとしての名前は……?」

「かっこ仮とか、そういうのでいいよ。名前は出さずに『私』とか言ってればいいんじゃない?」


 あ、本当にそんな適当なんだな。


「動画はいちおう一般公開しておいてよ。限定公開とか見るのがめんどくさいからさ」

「わかりました」


 まあ、誰も見ないだろうし……。


「じゃ、これは機材ね。PCのスペックは聞いたとおりなら大丈夫だから、カメラ、マイク、オーディオインターフェース、VRヘッドセット……」


 悪魔さんはトランクケースを渡してくる。……えっと。


「あの、これ高いんじゃ」

「それなりにいい物だから、君の稼ぎじゃ買えないだろうね」

「あの、いいんですか。そんな気安く私に貸して……それに、こ、壊したら弁償とか……?」

「……あー」


 悪魔は、ついっと視線を上にあげる。


「……いや、その辺に型落ち品とかゴロゴロ転がっていてね。邪魔なぐらいなんだ。だから気にしなくていいよ。なんならあげたっていいさ」

「そうなんですか」


 つまり彩羽根トーカが使い終わった中古品ってことかな? ……そういうことなら、遠慮なく使わせてもらおう。機材なんて買う余裕もないし……。


「それじゃあ期限は……来週もいちおう進捗報告するから、その時にしようか」

「来週……」

「ま、最初だから多めに見積もってね。サクサクできるだろうから、何本か上げちゃってもいいよ」

「わかりました」


 動画を見ればできるらしいし、なんとかなるよね。



 ◇ ◇ ◇


 (仮) チャンネル登録者数 1人


 説明


  練習です。


 詳細


  場所:日本


 ◇ ◇ ◇



「やあ、待たせたね。……寝不足かい?」

「……誰のせいだと思ってるんですか」


 机から顔を離して見上げると、悪魔さんは首をかしげる。


「悪魔さんのせいですよ! 悪魔さんの!」

「僕の?」

「なんですか、なんなんですか、動画編集すごく大変じゃないですか! 何がパッとサクサクできるですか!?」


 動画を撮影するところまではよかった。トーカの動画の通り機材とソフトを設定すればできた。


 問題はその後だ。


『動画はテンポと見やすさが重要です!』


 握りこぶしで熱弁するトーカ。


『無言になっているところはカットして時間の無駄をなくすのが基本ですが、かといって詰め詰めになっても情報過多でアワワになってしまいますからね! 大事なのはテンポ! それから字幕ですけど、喋っていることをそのまま全部字幕にするんじゃなくて……──』


 というようなアドバイスの通りやってみるも、全然うまくいかない。

 編集の操作やエンコード自体はできても、出来上がったものを見ると全然だめで。

 バイトの合間に編集を繰り返し、結局、動画を公開できたのは今朝のことだった。


「へえ、意外とこだわったんだね」

「それは……」


 あまりにも拙いものを見せたら、合格がもらえないかもしれなかったし……。


「ところでアップしたのが今朝だろ? ちょっと忙しくて見る時間がなくてさ。ここで見ていいよね」

「えっ」


 悪魔さんは止める暇もなく、スマホで再生し始める。しかもスピーカーで。


『こんばんはー……私です』


 編集で何度も聞いた声だから、それは恥ずかしくないんだけど、他のお客さんに聞こえていないか気になる……聞こえてないよね!?


『私の今期のアニメのおすすめはいくつかあるんですけど』

『アフリカのサラリーマン』

『慎重勇者』

『BEASTARS』

『本好きの下剋上』


 タイトルを言う時に、アニメ公式サイトを引用する。


『でも一番期待しているのは、星合の空、です。スポーツものなんですけど。キャラクターがよくて、今後の展開に目が離せないです。──以上です』


「おや、これだけかい? 最後のアニメは、ちょっと話題になっていたと思うんだけど?」

「……ネタバレになりそうなので……カットしました」


 収録時にはうっかり『でもああいう親っていますよね』とか喋っちゃったんだけど、よくないかと思って。


「ふうん」

「……あの、どうでしょうか?」

「全然見ようって気にならなかったね。布教は失敗だ」

「ウッ……」

「ま、動画をちゃんと作った努力は認めるよ。いろいろ参考になったろう?」

「……まあ、はい」


 めちゃくちゃ大変だということがよく分かった。


「じゃ、動画はとりあえず週一であげてね」

「えッ……しゅ、週一……?」

「トーカは毎日投稿してるし、一日に2本って日もある。それに比べたら簡単だろ?」


 基準がおかしい。私は自分でやってて、バイトだってあるのに。


「できないって言うなら、この話はなしだし──」


 悪魔さんは、ついでのように言う。


「オクザワくんの裁判も担当辞めようかな。Vtuber関連の仕事じゃなくなるし」

「ッ……!」


 それは、借金が消えなくなるわけで──ストーカーからも逃げられなくなる。


「……できます」


 だから私はNOと言えない。悪魔さんは、悪魔だ。


「うんうん、一度やったんだから次はもっと早くできるさ」

「はあ……まあ」


 設定とかに苦戦する時間がない分、余裕はできるだろうけど。


「あとサムネイルはちゃんと一枚絵作ろうか。アイキャッチも。下手でもいいから自分で描いてね」

「え、あ」

「あとは待機画面も作って、生放送もやってみようか」

「は!?」

「そうだなあ、一時間ぐらいでいいよ」

「な、なんで生放送!?」

「生放送にだって慣れておかないといけないだろ?」


 悪魔さんはオイオイ、と手を上にあげる。


「あのその、台本は」

「練習には必要ないだろ。そもそも何のキャラでもないし、台本ってたって何を書くのさ?」

「それは……そうですけど」

「僕がコメント欄に行ってこうやって話すだけさ。それなら簡単だろ?」

「……まあ、それなら」


 別に誰かに見せる作品でもないし……。


「実際に生放送の経験を積んでおかないと、台本があったってポカをやらかすからねえ。機材トラブルとか、回線トラブルとかあるものなんだよ」

「なるほど……」


 確かに……生放送で台本通りにやろうと思っても、セリフに詰まることがあった。あれは経験不足、だったのかもしれない。


「……わかりました。やります」

「じゃ、やり方はトーカの動画で予習してね。配信予定は……うーん、と、今決めちゃってくれる?」

「ええと、シフトの休みが……──」


 アナログに予定を決めて、解散になる。


 生放送については、特に気負っていなかった。だって、悪魔さんと話すだけなら、この打ち合わせと何も変わらないし……。

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