2019年 悪魔との契約

【蔵野冬音の視点】


「うんうん。なるほどねえ。リエルの引退とリリアの交代劇の裏には、そんな過程があったわけだ」


 アサクマは納得したように頷く。……Vtuber専門弁護士というだけあって、Vtuberの出来事にも詳しいのかも。


「それじゃ、その後のことを話してもらおうかな。どうして僕に話を持ってくることになったのか」

「……ガブガブイリアルをやめてから、また声優事務所にお世話になることも考えたんです」


 でも、ダメだった。


 私には出戻れるほどの実力はなくて、事務所で抱えられる人数は限られている。もともとが私が勝手に飛び出したみたいなものだし……。


「だから……もう……何もかも全部諦めて。とりあえず、生きていくために、コンビニでバイトを再開して」

「君たちコンビニでバイトするの好きだね」

「は?」

「ああ、いや。こっちの話さ。それで?」


 アサクマは格好いいとでも思っているかのように、片手をこちらに向けて先を促してくる。……動作はサマになってるけど、顔が足りてないと思う。


「何の気力もなく……家とバイト先を行ったり来たり。適当にテレビをつけて深夜アニメを見るだけの生活をしてたんです。でも……2年前の春」


 ずっと避けてきたそれが、目に飛び込んできた。


「バイトしてるコンビニで、彩羽根トーカのコラボが始まったんです」


 次のキャンペーンだと言って送られてきたものを見て、驚いた。等身大パネルで、あの日動画で見た女の子が、自分と同じ制服を着ている。


「ああ、あったねえ。あれは色々大変だったよ」

「それで……トーカの動画を見てみたんです。今どうなっているんだろうって」


 恐る恐る、薄目で検索して。


「そうしたら」


 どうなってるんだどころじゃなかった。


 Vtuberは数千人も存在し、トーカのチャンネル登録者数はとっくに百万人を突破。リアルイベントにも進出し始めて、Vtuberという言葉が広く普及し始めていた。完全に干からびて化石と化したオタクの私には、まるで別世界のような賑わい。


「まあ2年離れていたらそうもなっただろうねえ。それで?」

「……まあ、その時はそれぐらいです。別にVtuberのファンになったとかはなくて、『ふ~ん』って感じでした。でも……」


 自分には関係ないと蓋をして、コラボ商品を求めるお客さんに事務的に対応して。

 でも──トーカの一番くじを引きに来た4人組のオタクが、トーカのパネルを見ながら「神望ちゃんが」と話しているのを聞いてしまった。


「気になって。神望リエルで検索してみようと思ったんです。結局どうなったんだろうって。そしたら──」


 検索窓に『神望』まで入力して、サジェスト表示された名前。


「……神望リエルなんていなくて、その代わりに神望リリア、って子がいるって知って」


 大きな三つ編みに露出の少ないワンピース。元気なリエルと違って、おとなしく優しそうなリリア。


「……モヤモヤしました」


 私がいなくてもプロジェクトが続いているという安堵と。

 私じゃなくても続いているという事実と。

 リエルとは正反対のようなリリアに。


「それでも、その時は仕方ないなと思ったんです。きっと社長さんが望むキャラクターが演じられなかったからなんだって……悪いのは私だからって。リリアのことだって、嫌いとかじゃないです。むしろ優しくて賢い感じで、私と違ってすごいな……って」


 動画を見てその話題の豊富さに、素直に感心した。すらすらと知識を披露し、コメントを拾っては話題を広げていく。ころころと笑い、時に視聴者の無茶なコメントに拗ねて怒ってみせる。そんな楽しいひと時。


 ──それは、台本じゃないということが理解できた。この喋っている内容は、リリアの中の人の言葉だと分かった。


 そうか、つまり社長さんはこうしたかったんだ。


 そう理解すると同時に、また、私には無理だったなと分かってしまう。


 だって、根暗のフユの言葉なんて、誰も待っていない。


「……それで、少し……少しだけ。リリアの動画は、たまに見ることにしたんです」


 胸の中のトゲを。傷跡をいたずらにほじくり返すように。


「でも、一年前」


 Vtuber界のトップ、彩羽根トーカと神望リリアのコラボがあった。

 内容は、新人バーチャルYouTuberを作るという内容。そこで提案された内容が──


『いっそわたくしの2Pキャラクターを勝手に自称しているというのはいかがでしょう?』


 リリアに似ているキャラクターを生み出そう、という。


『リエルという妹もいましたが、アレは天界に帰ってしまいましたからね』


 リエルはもういないから、という……。


『このVtuberの名前だが──辺獄りんぼシビアという』


 どう聞いても社長さんの声の犬。


『辺獄シビアわよ』


 オーディションに落ちたという男性の声。


「……なんだか、すごく……馬鹿にされたような気がして。シビアはあんなに、あんな感じでも、手厚く……祝福されるように役を与えられたのに。なのに、私は」


 社長さんはちゃんと説明してくれなかったし、長い間放っておかれるし。私だってああやって、ちゃんとしていれば……ちゃんと……。


「なるほどねえ」


 アサクマはニヤニヤと気味悪く笑う。


「その思いが募り募って、この依頼につながるわけだね。ガブガブイリアルに慰謝料を払ってもらいたい、と」

「えっ? ええと……」


 ……まあ、そう言った方がいいって言われたし。


「その、まあ……はい」

「君が会社からぞんざいな、望まない扱いを受けたから。不当解雇ではないか。うんうん、なるほどねえ」


 うんうん、とアサクマは唸り続ける。


「……あの、むっ、無理ですよね? やっぱり……」

「ん、ああ、いいや? 話を聞いた感じでは、行けると思うよ。うんうん、絶対いけるね。ただ」


 アサクマはぽつりとつぶやく。


「それじゃ面白くないな」


 ……は?


「というか……そうだね。君、本当は慰謝料が望みじゃないんじゃないかな?」

「ッ……」


 なんで。


「生活に困ってる感じはするけどね。だからって人から慰謝料をせしめよう、なんて考えに至る人間はもっと悪い顔をしているものさ。君はそんな感じじゃない。そうだね、当てて見せようか。君は──」


 アサクマは、キザッたらしくウインクする。


「神望リエルをもう一度やりたいんだろう?」




「……いえ、私は……」

「やりたいんだろう!?」

「……どうして?」

「その方が反応がおもしろ、あ、いや、その方がほら、見返してやれるんじゃないかな? あのエジプト男をさ」


 見返す……確かにそうできたら、きっとスカッとするかもしれない。神望リエルになって、人気者になって……頭を下げる社長さんに、私を引き留めなかったのが悪いんですよ、なんて言って。


「……あはっ……はは」

「おかしいかい?」

「おかしいですよ」


 なんて都合のいい妄想。


「そりゃ……私だって、なりたいですよ。明るくて元気な人気者に。なったら楽しいでしょうね。でも、私にはできない……根暗なのは治らないんです。私には何もない。変えられない。無理無理、無理ですよぉ」


 根暗だから、お金に困って、こんな、会社にたかるようなことしか考えられない。治りようのない性根。私は──


「問題ないさ。僕が手伝ってあげよう」

「は……何を?」

「これは関係者にしか教えてないんだけどね。実は僕は、彩羽根トーカのプロデューサーでもあるんだ」

「え」


 未だに誰も正体を知らない、Vtuberの頂点にして謎の存在。巨大企業が運用していると噂されている、彩羽根トーカの……プロデューサー? こんな人が?


「ほら名刺」


 彩羽根トーカ プロデューサー 朝隈あさくま さとる


「……名刺は」

「いくらでも偽造できる。いいね、じゃそのQRコードをスマホで読んでごらん」


 ニコニコとして言う。私は──疑いながらQRコードリーダーを起動した。名刺のQRコードからジャンプした先は……YouTube?


『こんにちは、人類。彩羽根トーカです』


 再生されたのは、彩羽根トーカの短い動画。トーカがアサクマの写真を持って喋っている。


『この限定公開の動画はですね、私の活動を支えてくれている、アサクマサトルさんが本物だぞって証明するための動画です。いやあ、これを見ているってことは人類、アサクマさんがうさんくさいなって思っているでしょう? 私もです! あっはっは。でもね、お仕事についてはきっちりやってくれるので! せいぜいこき使ってやってくださいね!』


「いやあ、この動画のおかげでスムーズに話が進むようになってね」

「うさんくさいって言われてますけど」


 アサクマは肩をすくめる。


「まあ、トーカの意向でなるべく正体を隠さないといけなくてね。君も噂は聞いてるんだろう?」

「……すごい大企業のプロジェクトだって」

「そうそう。いや、本当は個人Vtuberだと思ってくれた方が嬉しいんだけどねえ」


 そういう噂もあるけど、ガブガブイリアルで多少関わった身としては、企業に所属していないだなんてとても信じられない。


「話を戻そうか。君が神望リエルをやりたいなら、それを手伝ってあげよう。ガブガブイリアルに話を通すことなんて簡単さ。こっちにはトーカがついてるんだから、あっちは首を縦に振らざるを得ない」

「……でも……今更リエルをやるなんて、私なんかにはとても……」

「手伝う、って言ってるだろ? あのさ、トーカが本当に全部自分で考えて話していると思うかい?」

「え……」


 生放送を見たこともある。リリアと同じで、トーカも自然体で、コメントも読み上げて……。


「コメントなんてね、いくらでも予測できるものさ。あえてそういうコメントが来るように狙った行動をとればいい。そうすれば台本なんていくらでも書けると思わないかい?」

「あれが……だ、台本?」


 あんなに自然に、楽しそうに、笑っている彩羽根トーカが?


「台本があれば、神望リエルになれるだろう? 明るくて人気者の神望リエルに」


 あの彩羽根トーカみたいに。


 こんな根暗でつまらない人間じゃなく、誰からも愛される明るくてかわいい存在に。


 ……なれる? 私が?


「トーカを支えている僕が力になってあげよう」


 アサクマが微笑む。


 Vtuber界の頂点、彩羽根トーカを支える人物が力を貸してくれるなら……それなら……それなら、もしかして?


「ガブガブイリアルから慰謝料と神望リエルをもらって、人気者になる。どうかな?」

「……やり、ます」


 やりたい。今度こそ、私はなれるんだ。こんなつまらない私じゃなくて、明るくてかわいいキャラクターの一部に。


「うんうん、いいね。いい顔になってきた。けどもう一息だ」


 アサクマはニヤニヤと笑う。


「なんたって君には前科がある。役を放り出して逃げ出したっていう前科がね」

「う……」

「こういうことはお互いの信頼関係が大切だからね。だから少し覚悟を試させてもらおう。いくつか課題を出すから、それをクリアできたら、僕は君を神望リエルにしてあげる。どうだい?」

「……課題って、どんな」

「それは追々ね。今は君の意思が確認できればいい。ということで──」


 アサクマは手を差しだしてくる。


「契約成立だ。僕のことは悪魔と呼んでくれていいよ。アサクマからサをトルで、悪魔さ」


 ………。


「それ、私が言いましたよね?」


 ◇ ◇ ◇


 喫茶店の支払いは、アサクマ──悪魔さんがすべて持ってくれた。情けないけど、ありがたい。駅へと一緒に向かいながら、私は悪魔さんに頭を下げた。


「助かります。お金、本当に厳しくて」

「ああ、そういえばなんでお金が必要か聞いてなかったね」

「……お母さんが病気で、手術代が、その……」

「おやおや、詐欺みたいな話だ」

「ほ、本当なんですよ!」

「ふうん。……ああ、そうみたいだね。まあオモチャ代……えっと、すぐに必要なら立て替えてもいいけど?」

「? あ、いえ、実はもう人に借りてて……その人への借金を返すためにお金が必要で……」

「お前ッ!」


 背後から怒鳴り声がしたと思った瞬間、悪魔さんが私に手を伸ばしたと思ったら、いつの間にかその背に庇われていた。何事かと背中越しに覗くと──


「お、オクザワさん……?」

「知り合いかい?」

「えっと、その……同じバイト先の人です。手術のためのお金を貸してもらった……」


 オクザワさんはすごい顔でこちらをにらみつけていた。腕でバッグを抱えて、悪魔さんをにらみ上げるように。


「実は、会社で声優をしていて、解雇されて……ってことまではちょっと話していて……そしたら、その会社から慰謝料を取れないかってアイディアを出してくれたんです」

「ふうん。なるほどねえ」

「……そんな風に言うんだな」

「えっ?」

「彼氏だって言えばいいじゃないかッ」

「……は?」


 彼氏? 誰が? えぇ、オクザワさんが?


「へえ、彼氏なのかい?」

「違いますけど」


 相談に乗ってくれて、お金を貸してくれただけのバイト仲間だ。最初は優しい人だと思っていたけれど、それからだんだん、飲みに誘ったりしてくることが増えてきた。家に誘われたこともある……断ったけど。でも、最近だんだん、態度がトゲトゲしくなってきて。オクザワさんも裕福じゃないから、ぜんぜんお金を返せない私にさすがに愛想が尽きたんだと思って……それでお金をどうにか調達しようと思って、言われた通り弁護士さんに相談して……悪魔さんを紹介されることになったんだけど。


「──やっぱり、詐欺だったんだな」

「へっ?」

「病気の母親がいるなんて言って……俺が貸した金をそいつに貢いでるんだ」

「は?」


 なんでそうなるの?


「どうして……どうしてだよ。そんなヤツより、俺の方が顔もいいだろ!?」

「いやどっこいですよね」


 悪魔さんはキザっぽい動作が似合ってないだけで平凡な顔だし、オクザワさんも、あっ。


「こ、この……!」

「はっはっは。言われているねえ」

「う、うるさい! お前……そうかっ、お前がっ! お前がフユネを騙してるんだな!?」

「お、なるほどねえ。僕のせいにしたら君もフユちゃんも悪くなくなるね」


 フユネ? フユちゃん? 何これ馴れ馴れしくない? いやというかオクザワさんは何なの、いつもはクラノさんって呼ぶのに?


「それにしても、どうして君はこの世界線でも似たような男に引っかかるんだろうねえ」

「は? え、どういう……」

「ストーカーだろう? 彼。でなきゃどうしてここにいるんだい?」


 ストーカー。そうだ。悪魔さんに相談するために普段来ない町まで来たのに、ここにオクザワさんがいるのはおかしい……。


「うっ、うるさい! 俺はフユネを心配して!」

「余計なお世話だよねえ?」

「え、はい。……あ」


 思わずうなずいてしまった。オクザワさんの顔がゆがんで……目が血走り、ぶるぶると唇が震える。


「ふ、フユネから離れろ!」

「この状況でそれはできないなあ」

「離れろって言ってるんだよッ!」

「ヒッ」


 オクザワさんが腕に抱えていたバッグから取り出したのは──ナイフ。それを私たちに突き付けてきた。血の気が引く──


「はいこれ、落とさないでね」

「へっ?」


 悪魔さんから何か渡された。……スマホ? 録画?


「バッチリ頼むよ。さ、オクザワ君。それはしまおうか。暴力はよくない。僕は弁護士でね、今の状況を見ても──」


 悪魔さんは両手を挙げてゆっくりとオクザワさんに近づいていき──


「う──ああああッ!」

「ッ……!」


 オクザワさんが、ナイフを突き──


「へっ?」


 次の瞬間には、オクザワさんは地面に倒れていた。悪魔さんが腕を握っているだけで、身動きが取れないみたいで。


「なっ……なんっ、クソ、なんで」

「単に連れまわされただけじゃなくて、一緒に色々習っていたからねえ。双子ならできて当然だろう?」


 ? 何が?


「さてフユちゃん。スマホ返してくれるかな? 警察を呼ぶから」

「けッ──う、くそ、離せッ!」

「やれやれ、往生際が悪いねえ。フユちゃん、彼の下の名前は?」

「え。えっと、確か……ヒデモトです。漢字は──」

「ああ、いいよ。その条件でもう一人しかいないからね。やあ、オクザワヒデモトくん」


 悪魔さんはそっと上体を曲げてオクザワさんの耳元で言う。


「とりあえず、女の子にモテたいからって年齢を偽るのはどうかと思うな。君、41歳だろう?」

「えっ!?」


 29歳って聞いてたけど、えぇ?


「ち、違ッ──」

「11月1日生まれ、栃木出身。家族構成は……おや、君、既婚者じゃないか。子供もいるよね? いやあ、『前』といい、フユちゃんはよっぽど不倫相手として狙われやすいんだねえ」


 は? 独身って言ってた──じゃなくて、どういう話!?


「それにしても、三年間も会社をクビになったことを隠してバイトを続けるなんて、なかなか根気があるねえ。ぜひその地道な努力は続けてもらいたいね」

「な、なにを──」

「なぜって、これから君を訴えるからさ。脅迫に暴行未遂、いやあ証拠もあるし楽な仕事だね。安心しなよ、君がフユちゃんに貸していたお金はちゃんと返してあげる──君がフユちゃんに支払う慰謝料でね。あっはっは、まあ、相殺で済めばいいよね。その後が大変なんだから」


 悪魔さんは──ニヤリと笑う。


「こういう経緯で離婚ともなれば、奥さんに支払わないといけない慰謝料も、養育費も、なかなかの額になるだろうからねえ。しっかり地道に稼ぎなよ」

「なっ……な……」

「あ、そのことについては僕に言われても困るよ。これ以上は面倒くさいし、離婚調停に詳しい別の弁護士に回すからね。その人とやってくれ。なに、被害者を絶対に満足させてくれる凄腕さ。加害者を生かさず殺さず債権を回収する手腕は、僕も勉強になるものがあってねえ」

「こ……この……」


 オクザワ……は、声を絞り出す。


「……悪魔ッ……」

「僕もたまには心からそうやって呼んでもらわないと、張り合いがなくてね」


 パトカーのサイレンが近づく中、悪魔さんはにこりと笑って言うのだった。

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