2015年 なんでもない娘

【蔵野冬音の視点】


 私の名前は蔵野くらの冬音フユネ


 名前の通り根暗の寒い人間。何もできないし、何も成せない。

 私じゃない何かになりたくて、唯一、ほんの少しだけ、続けることができたアテレコの真似事や歌を活かそうとして、声優を目指した。


 かわいらしい、輝かしいキャラクターの一翼を担いたくて。それなのに。


「トーカさえ気づいていないようだが、オレはバーチャルアイドルが既存のキャラクターと最も異なる点は、『反応』があることだと考えている。アニメキャラクターは視聴者に呼びかけられても応えず、ゲームキャラクターは決まった反応を繰り返す。だが生放送でリアルタイムにキャラクターが動くバーチャルアイドルは、視聴者に生の反応をすることができるわけだ。仮想のキャラクターとの交流。これこそ今後バーチャルアイドルがエンターテイメントを席捲していく鍵だろう。そしてリアルタイムに生の反応を返すということは、アドリブが発生するということ。そして生放送でのアドリブは監督や演出の意図は入らない。そこには演者の意思しかない。つまり演者こそがキャラクターの核となるということで、キサマが神望リエルということに──」

「無理無理、無理ですよぉ!」


 私が神望リエル? この根暗の寒い人間が、こんなかわいくて元気そうな娘に? ありえない。


「台本! 台本と、キャラ設定をください! そうしたら、ちゃんと声をやりますから……」

「……何度か説明したが、まだ『シンデレラスペース』は未完成なのだ」


 早口でまくしたてていた社長さんは、少しペースを落として説得してくる。


「正式リリース後は一般ユーザーからの投稿も受け付けるが、今のところは配信サイトとしての機能しかできていない。生放送専用のプラットフォームなのだ。完成させた動画の投稿は、もうしばらく先になる。だから神望リエルの初お披露目は、生放送でなければならない」

「完成するまで待てばいいじゃないですかぁ……」

「これ以上はリリースを遅らせられない。いろいろ事情があるのだ。それに我が社と似たような動きが何社かあるのは確認している。仕掛けるなら先に行くしかない」

「でも、できませんよ……いったい何を話せって言うんですか……」


 ふわっとした神様に望まれた娘。神望リエル。それしか知らない。


「私なんて……何も面白いところのない、普通のオタクですし……」

「……キサマとの面接、どの候補者よりも充実した時間だとオレは感じた。それに自信を持て」

「持てませんよ……ただ趣味が合っただけじゃないですか」


 それにありふれたことしか喋ってない。


「無理ですよ……」


 私が、姿と名前を変えたところで、私は私なんだ。根暗のフユなんだ。


「……収録は来週だ」


 社長さんは冷たく宣告する。けれど。


「……オレは少しばかり放任主義的すぎたようだ。わかった。設定と、台本を用意しておこう」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」


 台本がある。それならなんとかなる。リエルを演じることができる。


「今日のところは、これぐらいだ。あとは人事から説明を受けてくれ。……来週はよろしく頼む」

「はい!」


 私は肩の荷が下りた気持ちで、社長さんの顔も見ずに頭を下げるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 2015年3月3日。


「シンデレラスペースのリリース記事が昨日発表された」

「はい。見ました」


 ガブガブイリアルがYouTubeやニコニコ動画のような、生放送、そしてバーチャルアイドル主体の配信サイトを開設すること。そのイメージキャラクターが神望リエルであること。そしてリエルの初生放送が今日にあること。そういった記事が、企業向け? のPR? のサイトに載せられていた。LINEでURLが送られてきたからチェックした。


「……けど、あまり話題になっていませんでしたね?」

「ウ……ム」


 社長さんは唸る。実際、その記事以外では普段見て回るようなオタク向けニュースサイトで見かけなかった。


「……まあ多少広報が疎かになっていたことは否めん。予算が……いや、それはキサマが心配することではない。案ずるな、生放送を待っている視聴者数が分かる機能を用意しているのだが、すでに待っている人間はいるぞ」

「えっ、一時間も前なのに」


 すごい。見る人は見ているんだ。

 あの子、彩羽根トーカはYouTubeで何万人とチャンネル登録者がいるらしいし、結構注目されているのかも? 緊張してきた。


「準備はできているか?」

「はい、設定も台本も読みました」


 生放送なので、台本は持ち込めない。台本も設定も、何回も読みなおして丸暗記してある。設定書通りのイメージの声を作り上げて、喉の状態も万全だ。

 元気で明るい、人間界に興味を持っている、天から遣わされた女の子。天使ということは秘密で、すこしおっちょこちょい。一人称はリエル……。


「……そうか。では、リハーサルを始めよう。その後は、本番だ」


 ◇ ◇ ◇


「──では本番5秒前。3、2、1」

「……人間のみんな、こんにちは!」


 頬にあるマイクが私の声を拾い、大きなディスプレイに映る天使な娘の口を動かす。


「天より遣わされしバーチャルアイドル、神望リエルだよ!」


 元気よく挨拶すると、ディスプレイの端に映っている視聴者からのコメントが投稿された。


コメント:こんにちは

コメント:こんにちは~


 見ている。見られている。神望リエルが。ドキドキする。あっと、台本を進めなきゃ。


「今日はみんな、シンデレラスペースにようこそー! ここはバーチャルアイドルたちが輝く場所! リエルはその最初の一人ってわけ!」


 元気な天使。それが神望リエル。そしてこの配信サイトのナビゲーターでもある。


「このシンデレラスペースに、これからもっともっとたくさんのバーチャルアイドルが来てくれるといいな! ここはとっても面白い場所なの。今、みんなはリエルを前から見ているのかな? それじゃあ右にあるボタンを押してみてね!」


 左のカメラを向いて、あっと、手を振らなきゃ。


「やっほー! 見えてる? そう、こうやって左右から見ることもできるんだよ! ほら、左のボタンを押したら反対側もね」


 右のカメラを向いて手を振るっと。


「ね、すごいでしょ! 好きな方からリエルを見てね!」


 売りの機能らしいのでしっかり宣伝。……私的にはよく分からないけど。


「あっ、この場所の説明より、リエルの自己紹介の方が先だったね! リエルはね~」


 設定されている趣味とか好きな食べ物とかを交えた自己紹介をする。……問題は次なんだよね。


「それじゃあ、そろそろコメントを読み上げるね」


 社長さんがどうしてもと譲らなかった部分。視聴者のコメントを読み上げて『反応』を返してほしい、という時間だ。そんなこと言われても、と思うんだけど……まあ、読み上げるだけでいいんだよね?


 と身構えながらコメント欄に顔を寄せると、あんまりコメントが書かれていなかった。こんなものなのかな?


「こんにちは」


 うーん、2個同じのが続いているのは1回でいいよね?


「かわいいね」「バーチャルアイドルって何?」「天使?」「かわいい」


 ……窓の外のミキサー室で社長さんが難しい顔をしているのが見える。きっと思ったのと違うんだろう。でも、私はリエルの声であってリエルじゃないし。何をどう反応したらいいのか。


「リエルちゃんはどんな動物が好き?」


 あっ、これは答えられる。設定に書いてあった。


「リエルは猫、あっ、犬派だよ!」


 こんな感じでいいのかな?


「はい、コメントの読み上げはここまで!」


 台本ではもっと時間を取るように書いてあったけど、コメントの数がそんなになかった。時間はだいぶ余ったみたいだけど……社長さんは頷いてるから、このまま終わっていいみたい。


「みんなありがとう! これからもリエルはシンデレラスペースを盛り上げるためにがんばるね! それじゃあそろそろ天界に帰る時間。次の放送はまた告知するから、見逃さないようにしてね! それじゃあね!」


 ◇ ◇ ◇


「あっ、社長さん。お疲れ様です」

「ウム。ご苦労だった」


 収録後、着替え終わって執務室に戻ると、社長さんが私の机の前で待っていた。


「どうでしたか?」


 台本をとちったところはないはずだ。コメント返しの時ちょっと間違えちゃったけど、あれは仕方ないよね?


「ああ、実際にやってみるといろいろ技術的な課題が出てくるな。とはいえ、初回としては成功の部類だろう」


 成功。ほっと息を吐く。よかった。ようやくやり遂げたという実感が湧いてきた。顔が熱くなってくる。


「どれぐらい見に来てくれたんでしょうか?」


 コメントは少なかったけど、ああいうのって書き込むの恥ずかしいし、実際は──


「……7人だ」

「えっ」


 なな……にん?


 彩羽根トーカは数万人も登録者がいて、リエルは7人……?


「そう悲観することはない。PR不足の感は否めんが、手ごたえはあった。続けていけば人が人を呼ぶようになるだろう。まずは定期的な供給が必要だ」


 そう、かな。初めてだから? ……確かに最後の方には、「また見ます」ってコメントもあったし……。


「システムのアップデートも必要だが、なんとか予定通り来週の放送に間に合わせよう」

「……はい」

「あとだな、キサマはもう少し3Dの利点を生かすように体を動かして……」


 社長さんが放送を振り返っての課題を指摘してくる。

 けれど私は、本当にこれでよかったのか、この先一体どうなるのかの不安で頭がいっぱいで、それを半分も聞いていられなかった。

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