2015年 望まれて生まれた娘
【蔵野冬音の視点】
2015年1月。
年が明けて初めての打ち合わせとなったその日、社長さんは不機嫌だった。
「あの……何かあったんですか?」
「先を越された。見てみろ」
スマホで動画を見せてくる。トーカかな?
『こんにちは、バーチャルYouTuberのミチノサキですっ!』
違った。金髪ツインテールに青いシュシュ。パンク風のミニスカの女の子だ。胸が不自然に大きい。
『今日の企画はこちら! 検証! あながちマンションポエム間違ってないんじゃない説、です!』
ミチノサキはそう言ってGoogleマップを表示させる。マンションポエムをされているマンションをストリートビューで眺めては、ポエムを紹介して褒めていく。……正直あんまり面白くない。
「えっと、これは」
「新しいバーチャルYouTuberの、ミチノサキだ。2人目、ということになるか。フン、目の付け所はいい。3Dモデルの出来もまあまあだ。しかしトーカの二番煎じ臭さがすごいな? だいたいこの企画は何だ、YouTuberか? そもそも台本臭さがひどいな、まったく個性を感じないというか──」
「はあ……」
その後も社長さんはグチグチとケチをつけているけれど……でも。
「でも、いいですね。始まってて」
「う、ぐ」
「あっ、す、すいません」
思わず口に出てしまった。これだから私は。
「……いや……いや、しかし、フッ、今日はこれでは終わらんぞ」
私の失言にもめげず、社長さんはリーゼントをかきあげるとスマホを操作した。
「ついに完成したのだ。見せてやろう、これがキサマがなるバーチャルYouTuberだ」
表示されていたのは1体の3Dモデル。元気なショートカットの女の子。青い服でいろいろ露出が多い……全体的なモチーフは天使かな?
というか正直……これを用意するのに何か月もかかってたの? って感じなんだけど……こんなのプロは3日ぐらいでできるんじゃ……でもすごい得意げにしているし、ここは話を合わせなきゃ。
「へえ、いいですね。名前は?」
「神に望まれて生まれし娘、
「神ってなんの神様です?」
「神と言ったら神だろう」
「唯一神ってことですか? どこの宗教の?」
「そこはふわっとした感じでいいぞ」
ふわっと。
「……ファンタジー系のアニメに出てくる、神様?」
「そういうやつだな。ガチガチの宗教系など人気が出ないだろう」
そういうノリの世界の子なのか。
「ところでこの外見に何か注文はあるか?」
「へ?」
注文? キャラデザに? そんな恐れ多いこと。
「ぜんぜん、そんな、ないです!」
「そうか。気に入ったならいい」
そう言って社長さんはスマホを懐に戻す。……びっくりして何か聞かなきゃいけないことがあったのに忘れてしまった。ええと……。
「……あの、それで、私はいつ」
「まあそう焦るな。土台というものは大切だからな。少し、大きな仕掛けをしている」
「大きな……?」
「YouTubeではない動画プラットフォームを作る予定だ」
「はあ」
それは……すごい?
「YouTubeにはFan Fundingという投げ銭の仕組みがあるのだがな、これは手数料をYouTubeに取られるのだ。今は数%というところだが、将来的にはかなり上げてくるはずだ。であればYouTubeに頼るのは将来的によくない。そこでだ、我がガブガブイリアルはYouTubeに代わる、バーチャルYouTuber専用のプラットフォームを作るのだ」
社長さんは得意げに言う。
「その名も『シンデレラスペース』。誰もがここではシンデレラのように輝く存在になれるということだ。クリエイターファーストで、YouTube以上の利益還元を目指す。なに、バーチャルYouTuberという新しい存在であればシェアをひっくり返すことも可能だろう」
「……YouTubeじゃないのに、バーチャルYouTuberなんですか?」
「……!」
ぐらり、社長さんが揺れた。
「う……ム……まぁ、そうだな。何か別の名前が必要になるかもしれん。そこは、検討しておこう」
「はあ。……あの、それで、いつになるんですか?」
「今はシステムのデバッグ中だ。もう少しでリリースできる。3Dモデルを生かすために多方向からの動画を同時に生放送するというのはなかなか前例がなくてな……」
「えっと……」
「そう長くはかからん。もうしばらく待ってくれ」
「……はい」
少なくとも、話は進んでいる。私はそうやって自分を納得させて帰路についた。
「あ」
やっと質問すべきだった内容を思い出したのは、家に帰ってきてから。
「台本とかキャラ設定……もらってなかった」
いやでも、まだできてないのかもしれないし。キャラ作るのにあんなに時間かかってた社長さんのことだし。
そう考えて、私はまた待つことにした。もうずっと待っていたんだから、もう少しぐらい……。
◇ ◇ ◇
2015年2月。
「……書けました!」
「よし、いいだろう」
私の書いた書類を確認して、社長さんは頷く。
「これでキサマは我がガブガブイリアルの従業員だ」
「はい!」
ついに、ついに。
私は雇用契約書にサインし、ガブガブイリアルの社員となった。フリーターではなくなり、専属の声優として働くのだ。
「改めて言っておくが、神望リエルがキサマだということは口外してはいかんぞ」
「言いませんよ」
秘密を守るということ以上に。
私がこのかわいい神望リエルの声優だなんて見ている人が知ったら、幻滅しかないだろう。私は彼女の声になる。明るく輝く彼女の一部に。それでいい。
「それで、仕事は……収録はいつからですか? 台本は?」
「台本……ああ、まあ、流れは必要か」
社長さんは小さくつぶやく。
「今日のところは収録のやり方を説明する。ついてこい」
「あ、はい」
社長さんに連れられて、会議室から移動してスタジオへ。
「ここが収録スタジオだ」
「広い……」
何度かアニメの収録には、端役とはいえ参加している。それに比べても大きなスタジオだった。踊れそうなぐらい広い床、四隅にカメラがいくつもあり、正面には大きなモニター。
すごい。こんなにお金をかけるなんて、本気なんだ。ドキドキしてきた。
「……って、あれ、マイクは?」
「用意しているぞ」
まだ設置していないだけかな? 別の壁にある窓ガラスの向こう側で、スタッフさんたちが忙しそうに動いている。
「では準備をしてきてもらおうか」
「準備?」
発声練習かな? 私はわりと喉を暖めなくても行けるタイプだけど……。
「更衣室はあっちだ。女性スタッフが待っている」
「……更衣室? スタッフ? ……何を準備するんです?」
「決まっている」
社長さんは当然とばかりにうなずいた。
「着替えだ」
◇ ◇ ◇
「あのあのあのあのあの!?」
「なんだうるさいな」
「いや、恥ずかしいんですけど!?」
着替えさせられたのは黒いぴっちりした全身タイツみたいな服だった。体の線が出ているどころか、それを強調するような白い模様まである。
「なんですか、何なんですかこれ。これで収録しろとかどういうことですか、社長さんの趣味ですか変態ですか!?」
「ふざけるな、キサマの体になど一切興味はない」
「あっはい」
そこまで言い切らなくてもよくない?
「オレが2次元以外で興味を持つ女はテルネだけだ」
「……歌手の?」
「違う」
社長さんは懐から写真を取り出して見せてくる。そこに写っていたのは、何か不満そうな顔をした小学生ぐらいの女の子。髪は男の子みたいに短くて、ちょっと女子に人気ありそうなボーイッシュな顔。
「これは……」
「テルネ、奇跡の一枚だ」
そうか……ロリコンなんだな。なら私は大丈夫か。
「奇跡ですか」
「なかなか写真を撮らせてくれなくてな。仲間内で連携してなんとかトランプで負かして罰ゲームで撮影に応じさせた」
ロリコン仲間で結託して少女を撮影……。
「フッ、欲しいか。ネガはオレが保管しているから焼き増せるぞ」
「結構です」
社長さんが捕まるようなことがあったら証言しよう。
「……で、なんでこんな格好をさせたんですか」
「モーションキャプチャーのためだ。あそこにカメラがあるだろう」
社長さんは四隅のカメラを指す。
「アレでキサマの動きを取り込むわけだ」
「……なんのために?」
「何って、トーカもやっていただろう? キサマが神望リエルを動かすためにだ」
……え?
「……は? あの、キャラの動きって、あの、コンピューターで作ったり、専門のアクターさんがいたりするんじゃ?」
「フン。それでは意味がない。いいか、バーチャルYouTuber……バーチャルアイドルというのはだな」
「あ、バーチャルアイドルって呼ぶことにしたんですね」
「ウッ、厶……まあな。歴史ある名ではあるが、なに、これから新しく定義を上書きしていけばいいのだ」
とにかく、と社長さんは続ける。
「バーチャルアイドルというのは、バーチャルな存在だが、それはすべてがアバターに合わせたキャラクターというわけではない。彩羽根トーカはおそらく巨大な企業が裏についた一大事業だ。専門のアクターを雇ってモーションをとっているような回もある。しかしだ。バーチャルアイドルに最も魅力を感じるのは、魂の発露があった時なのだ」
「はぁ……」
「これはトーカが我が社のゲームの実況プレイをしている動画だが」
社長さんは動画を再生する。
『こんにちは、人類。彩羽根トーカです! 今日はね、とっても面白いゲームを発見したので実況プレイをしていきますよ! タイトルは、The 倉庫スタッフ。ガブガブゲームス、って会社の作ったゲームです!』
「ちなみにこれはスタッフに作らせたまとめ動画だ」
「はぁ」
『チュートリアルはやったんですけど、アマゾンとかのECサイトの倉庫で働くスタッフになって、注文の商品を揃えて出荷するゲームですね。じゃあ後は本編をやりながら!』
画面端のトーカがワクワクした様子でゲームを進める。
『はい、洗剤、書籍、チョコレートよし、出荷! はぁ!?』
ダンボール箱が閉じてトラックに積み込まれた瞬間、査定マイナスのアラートが上がり驚くトーカ。
『は? 洗剤が詰め替え用じゃない? ええ……どこが違うのこれ……蓋の形だけじゃん! パッケージデザインー……!』
かわいい声じゃなく、低く唸るように怒るトーカ。
『ちょっ、先輩、そこどいて。どいてって。カート通らないから! 時間制限あるんだけど!? いや「いてーなァ」じゃないんですよ、じごどざぜろ゛ぉ゛ぉ゛!』
先輩NPCに進路を邪魔され、思わずカートをぶつけて説教をくらい、さらなるタイムロスに潰れた声で叫ぶトーカ。
『お、先輩の独り言ですね。このゲーム、日本の開発会社さんなんだけど舞台がアメリカってことでボイスは英語なんですよね。主要な部分は字幕ついてるんですけど、こういう細かいのは表示されないんですよ。でもお任せあれ人類。私が翻訳してあげましょう。えー……ドラッグパーティーでヤッた女の具合が何言ってるんじゃお前お前! BANされるぞ!』
テロップに「私は言ってない」と言い訳するトーカ。
『さーそろそろ貯金も増えてきたし転職してゲームクリアですかね人類。えーと、冷凍の……ネズミ? はーネズミ肉なんて食べるんですねお客さん……あれ、この番地いつもの冷凍肉の場所じゃないな。初めて行くけど。……あっ、そっか、ペット用か、あっはっは。いやー倉庫だし雑に一緒くたにしてるかと思いましたが、意外と気を使ってるんですねえ。えーと……ここの5列目……ううーん、冷凍庫じゃなさそうだけど……常温に置いているの? ええ、ネズミ動いてたらやだな。あれ、こっち行き止まり? あっちから行くしかないのか……えーと、ここの角の先……えっ、なっ、わあああああ!?』
陳列棚の奥、どこからも死角の棚の中に「RAT」と血文字で腹に書かれた少女の死体。それを見つけて叫ぶトーカ。
『いやいやいや死体って! あっ、CEROのDってこのせいか騙された! エッチな商品のせいじゃないんだ……! えっ、てかこれ出荷するの? カートに積むの? 冷凍じゃなくてめっちゃ生だし新鮮で血がしたたってますけど!? てかなんで私の手にも血が!? は!? 先輩が来る!? どどどどうしよう、えっこれ見られたらヤバイやつ?』
突然の展開に焦ってカートに死体を四苦八苦しながら持ち上げるトーカ。
『よし入った!』
ガンッ、と死体を頭からカートに突っ込み――
ぬるん、と反対側から死体が飛び出る。
『ウナギか何かなのこの死体!?』
「フフッ」
「どうだ」
「あっ、はい、面白いですね」
思わず笑ってしまった。
「つまりこういうことだ」
「そこはさっぱりわからないんですけど……」
「ゲーム、アニメのキャラクターに恋をするオタクは多い。恋愛シミュレーションなんかが売れているのもその証拠だ。しかし、『キャラクター』は生きていない」
社長さんはウロウロと歩き回りながら熱弁する。
「もちろんオタクの心の中では生きている。しかし、公式からの供給はいずれ途絶える。ゲームを何周もすれば会話パターンも出尽くし、嫌でもゲームなのだと認識せざるを得ない。妄想で生きていくにも限界はあり、そしてオタクは次の嫁を探す。しかし、トーカは、バーチャルゆ……バーチャルアイドルは違う」
何が違う?
「トーカは活動し続ける限り、供給をし続ける。新しいシチュエーションを与えてくれる。こんなことがゲームやアニメのキャラクターにできたか? 否だ。そして最大の武器こそが魂の発露だ。台本や演出、複数の意思が関わって出来上がった作品ではない、トーカ自身としての反応。トーカという存在を本物たらしめるもの。オタクに実在を認めさせるもの。それが、バーチャルアイドルの強みなのだ!」
「えっと……つまり、アドリブがいいってこと……?」
「いいや、トーカがトーカであるということだ」
社長さんは――私の顔を指す。
「つまり、キサマが神望リエルであるということ。それが肝要なのだ。そのためのモーションキャプチャーだ」
「……ん? え?」
「キサマ自身が神望リエルとなることだ」
それは、つまり……私が名前と姿を変えるようなものってこと……?
「む」
そんなの。
「無理ですよぉ……」
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