2014年 新概念のオーディション

【蔵野冬音の視点】


 私、蔵野冬音は明るい子供じゃなかった。かといって、暗いことが好きなわけでもない。他の子が笑って友達と遊んでいるようなことをしたいけど、どうしてもできなかっただけで。


 そんな私のことをみんなは「根暗のフユ」と呼んでからかった。クラノフユネ、をネから頭に返って読めば、ネクラノフユ。小学校、中学、高校とその名前はついて回った。普通の友達なんていない。クラスの明るいところを見て、うらやましいと考えているだけの、部屋の隅に溜まったホコリのような存在だった。


 高校を卒業したら、バイトをしながら声優の道を目指すことにした。2011年。震災で就職が大変だったから……というのは言い訳で、それ以前からそうしようと決めていた。


 アニメ声優になりたかった。


 あの明るくてキラキラして誰からも愛されるキャラクターに、自分が声を吹き込みたいと、ずっと思っていた。


 何もできない私の代わりに、根暗のフユの代わりに、その一部になりたい。


 ところが声優の世界も結局は、『そういう人たち』の世界だった。明るくて要領のいい子が、仕事を取っていく。私は声優学校を卒業して事務所に置かせてもらっても、端役ぐらいしかもらえない。


 それでも続けていれば何かあると思って、細々とやっていた時のことだった。


 それは2014年の、夏──



 ◇ ◇ ◇



 2014年8月。


 私は石油王を前にしていた。


「オイ、キサマ、聞いているのか?」

「えっ、石油を私に?」

「……オレはエジプト出身だが、エジプトに石油はない」


 浅黒い肌に天然パーマのリーゼントの男は、ゆっくりと否定した。


 ええ、ウソだあ。絶対石油持ってる顔してるのに。


「ガブガブゲームスの社長の、カリーム・ジブリール・サイード・ジャウハリーだ。キサマも名を名乗れ」

「あ、はい。クラノフユネです。えっと……社長さんが、面接を?」

「人手不足、ということもあるが、この案件は他の人間には任せられん」


 社長さんは腕を組んで偉そうに言った。


「あの、私何も話を聞いていないんですけど……何のアニメのオーディションでしょうか?」

「……こういうことがあるから、オレが面接しないといかんのだ」

「なんか、その、すいません」

「構わん。キサマのせいではない。それに新しい概念だからな。担当の理解が追いつかなかったのかもしれん」

「新しい……概念?」

「そうだ」


 社長さんは嬉しそうに頷く。


「キサマはバーチャルYouTuberというものを知っているか?」

「ばあちゃる……? YouTuber……?」

「動画投稿サイトのYouTubeで、顔出しで動画を投稿する人間のことをYouTuberという。聞いたことないか、ヒカキンとか」

「なんとなく分かりますけど」


 顔出しで、ネットに動画を投稿? 正気とは思えない。私とは住む世界が違いすぎる。


「そしてバーチャルYouTuberとは、彩羽根さいばねトーカのことだ」

「さいばね……トーカ?」

「これを見るがいい!」


 社長さんはスマホで動画を再生して見せてくる。そこには白い空間に、大きな赤いリボンを頭の後ろに下げた3Dのアニメキャラがいた。


『こんにちは、人類。彩羽根トーカです!』


 トーカはそう挨拶すると、運動不足がどうこうと話し始め、簡単なフィットネスを紹介し始めた。すごい、3Dアニメってあまりみたことなかったけど、今はこんなに自然なクォリティなんだ。


「……かわいい」

「だろう! 特に声がいい!」

「えっと、このキャラの声のオーディション……?」

「そんなわけがあるか。トーカはすでにトーカだ」


 フンッ、と社長さんは不機嫌に鼻を鳴らす。


「トーカの提唱するバーチャルYouTuberなる存在。それは今後のエンターテイメントの主役になる。だからこそ、このオレも手を付けるのだ。オレの会社、ガブガブゲームスも、バーチャルYouTuberをデビューさせる。相手はおそらく巨大な企業のプロジェクトだろうがオレならばそれを上回る――」

「えっと、つまりこの子みたいなキャラを作るってことですか?」

「まあ……そうだ。トーカ以上の存在をな」


 私が、この子みたいなキャラの一部に。


 白い空間の中で、トーカは楽しそうに動いていた。それはとても眩しくて明るい。


「……やり、たいです」

「フッ、いいだろう。だがいろいろ条件がある」


 私は姿勢を正した。


「一応事務所には条件に合う声優を、と言ったが……確認しておくか。キサマはこれまで名前付きの役をやったことがあるか?」

「いいえ」


 ない。少女Cとか通行人とかだ。


「名前付きで写真が表に出たことは?」

「とんでもないです」

「よし、前提条件は満たしているな」

「……実績がないことが必要なんですか?」

「バーチャルYouTuberとは、バーチャルな存在だ」


 社長さんは熱を込めて語る。


「彩羽根トーカは彩羽根トーカでしかない。声優が誰、とかそういう話ではないのだ。彼女こそが彩羽根トーカそのものだ」

「はあ……」

「ガブガブゲームスの作る新しいバーチャルYouTuberも、そういう存在を目指す」


 話がよく分からない。けど、社長さんが次に言った言葉は衝撃だった。


「だからキサマがバーチャルYouTuberをやることになっても、それは秘密だ。声優としての……中身……いや……魂としてのキサマの名は、表に出ない。バーチャルYouTuberの存在だけが表に出るのだ」

「え……」


 私の名前は……クレジットされない。


「──……つまり、そうだな……キサマは、新しいキャラクターそのものに……──」


 社長さんが何か言っているけれど、私はそれどころじゃなかった。


 これはキャリアにはならない、と指摘する冷静な自分と。


 ──私なんてどうでもいい。むしろこの条件を受ける人は少ないだろうから、きっと倍率は低い、受かる可能性が高い、と囁く自分と。


 ──彩羽根トーカは白い空間で、今度はネコでお手玉を始めて、楽しそうに笑っていた。


「……わかりました」


 名前が出ない。それがなんだ。私の名前なんて誰も必要としていない。


「やります。やらせてください」

「──ん? ああ、心を決めたか。いいだろう。とはいえ、オーディションの結果次第だがな」

「はい」

「あとはもし、名前付きの役をやるなど、状況……や、気が変わったら連絡してくれ。その時はこちらが諦めよう」


 状況なんて変わるわけがない。きっとこれが最後のチャンスだ。


 その後は実際に働くことになったらどうなるか、ということの説明を受けた。ガブガブゲームスという会社の社員になって、会社のスタジオで収録するのだという。すごい。もうバイトなんてしなくていいんだ。だって社員だもん。


 乗り気で受け答えしていたら社長さんも気分が良くなったらしく、いつの間にかアニメとか漫画のオタク語りになった。さすが社長さんはセンスがいいオタクで、オタクとしての私は社長さんに信頼を置き始めていた。


「──……いや、あれのアニメ化はちょっとですね。改変に愛がないというか」

「ウム、そうだな。重要な部分が欠けていた。リスペクトが足りん」

「そうなんですよね。原作へのリスペクトがあればいいんですけど、あれはちょっと」

「フッ、なかなか話せるではないか」

「いえいえ、社長さんこそ」


 これはいけるぞと思った私は、いつも以上にテンションが上がっていた。


「では、面接は以上だ」

「ありがとうございました」


 盛り上がった会話のあと。内心の興奮を抑えつつ、石油──社長さんに頭を下げて退室する。


「……って、あれ?」


 最初の違和感に気づいたのは、建物を出た後のことだった。


「セリフ、一言も喋ってないけど……オーディション……?」


 デモテープで十分、ということだったのかな? とこの時の私はそう考えて、首をひねりながら帰ることになった。



 ◇ ◇ ◇



 2014年9月。


 オーディションの合否が出るまでは、いつもの生活と変わりない。バイトをし、事務所のレッスンに顔を出して、マネージャーさんからの連絡を待つ。


 いや、いつもの生活と変わったことはあった。いつもなら「仕事よ来い」「あのオーディション受かっていてくれ」と思いながら過ごしていたのに、あの日から私は「仕事来るな」「どうせ端役なんだしオーディション落ちていてくれ」と考えていた。


 もし、もしも名前付きの役が決まったら、あの社長さんの話は断らなきゃいけない。けれど断ってその先が自分にあるかというと、自信はなかった。それなら会社に所属したほうがいい。


 時間がジリジリと過ぎて1ヶ月。バイトが終わってスマホを見ると、マネージャーさんから連絡が入っていた。


「……やった!」


 そこには短く、ガブガブゲームスの新プロジェクトの声優として選ばれたこと、明日さっそく私の処遇について先方と三者で話し合うので来るようにとのことが書かれていた。


「あの、店長。明日休みます」

「はあ?」

「や、休みますので」

「チッ」


 予定を伝えると、バイト先の店長は舌打ちしてシフト表をいじる。……声優はこういうことがよくある、ということは伝えているのだけど、理解してもらうのは難しい。


 まあ、それもきっと今日までだ。


 もう私は明日から、声優事務所の仮預かりじゃなくて、一般企業で声優として働く社員になるのだから。



 ◇ ◇ ◇



 2014年12月。


「おい、根暗。明日シフト入れ」

「す、すいません。明日はその、打ち合わせが……」

「チッ」


 私はまだバイトをしていた。


 声優事務所を退所して、いつでもいけるように準備しているというのに──ガブガブゲームスに入社する、という話は進んでいない。


 社長さんとは月イチぐらいで打ち合わせしているけど、まだ準備が整っていないので入社は待ってほしい、ということで……。気が変わったらいつでも辞めていいと言われてはいるけれど、事務所も辞めてしまったし後には引けない。


 ……いや事務所を辞めたのは完全に私の勇み足なんだけど。そこまでしろ、とは言われていなかったし……でもレッスン代も馬鹿にならないから……。


 刺すような店長の視線から逃げるようにして家に帰り、布団に包まって無理矢理寝る。

 そして次の日。ガブガブゲームスの事務所に向かって、会議室に通してもらう。


「来たか。体調に変わりないか?」

「はい……」

「そんな顔をするな。計画は順調だ」


 社長さんは自信満々に言う。


「あの、なんか、事務所工事してましたけど」

「ああ、ちょうど隣が空いてな。結局ここにスタジオを作ることにした。最低限の広さはあるし、オレがどちらの会社も統括するから近い方が便利だろう」


 広いところを借りる、とか言っていた気がしたけど、計画を変えたらしい。


「あの、それで私は、いつごろ」

「そうだな、キサマがガブガブイリアルに所属するのは最終段階だから……もう少し先になる。待たせてしまっているが、今来られても仕事がないからな」

「そうですか……ん?」


 ガブガブ──イリアル?


「あの、会社の名前、変わったんですか?」

「ああ、伝えていなかったか? バーチャルYouTuberをやるための会社を新たに設立することにしたのだ。本業のゲーム会社の方でやってもよかったのだがな、銀行からリスク分散を考えろと言われて」

「リスク……」

「杞憂にすぎん。次のゲームも自信作だし、資金には余裕があるからな。しかし新しいチャレンジを金の力で成し遂げたと思われるのも癪だから、あえて新しい会社を建ててやってやろうと提案を受けて立ったのだ。なに、キサマは心配するな。どちらもオレが社長をやるし、名刺に載る会社名が変わる程度だ」


 ……まあトップが変わらないなら、問題ないのかな?


「さて最後にいつもの確認だが、降りる気はないということでいいな?」

「……はい」

「この案件のことを他に話したりもしていないな」

「もちろんです」


 話したら駄目って言われているし。


 何より声優業界では、少し前に大役をもらった新人が情報漏洩をして、役も新曲もプロモーションもすべておじゃんになったという話が、しつこいぐらいコンプライアンスの研修でされていた。そんなことでチャンスをふいにしたくない。


「わかった。では予定通りだな。何かあれば連絡をしてくれ」

「わかりました……」


 不安はいろいろあったけど……きっと大きなプロジェクトだからいろいろあるんだ。それに関われるんだから、文句を言える立場じゃない。


 私はそう自分に言い聞かせて、打ち合わせを終えるのだった。 

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