悪魔の救い方
2019年 偽名の弁護士
【相談者の視点】
2019年9月。
「やあ、待たせたね」
どうしよう、もう帰ろうかな。
電車に乗って行った初めての町。待ち合わせ場所に指定されたおしゃれなカフェの中でいたたまれなくなってそう考えていた矢先に、その人は悪びれもせず──いや、言葉としては謝っているんだけど態度にはぜんぜんそんなことを見せずに、私の前の席に座った。
「あ、う」
「まあ楽にしなよ」
偉そうに、自信満々に言う。どこにでもいる平凡な顔の男性で、着ている服こそオシャレだけど『肩書き』にはふさわしくないように思える。前の人みたいに、もっとパリっとしたスーツを着ているべきじゃないんだろうか。
「君がタカミヤアマネさん、でいいんだろ?」
「……はい」
言い方も態度もなんだかキザッたるい。もっとイケメンなら似合ってると思うけど。でもどうしてだか逆らえないような雰囲気もあった。
私がそうしてチラチラと観察していると、男性はニヤリと笑って──
「いいや違う、偽名だね」
と言った。
「は? 急に何ですか?」
「これは僕の特技でね。高い宮殿と書いてタカミヤって苗字の人は日本に約1万人しかいない。単純計算で女性にして半分の5000人。年代別人口比率は君の年代だと約5%。つまり250人。この中に雨音と書くアマネは──ひとりもいないのさ」
? ? ?
何を言ってるんだ、この人は?
「……タカミヤ姓の、私ぐらいの年代の女性が250人しかいない、ということまではいいとしても……どうしてその250人にアマネがいないってわかるんですか?」
男性は目を丸くする。
「おっと、驚いたね。そういう理屈っぽい反応は久しぶりだ」
「答えになってないです」
「まあまあ。僕の特技ということにしておいてよ」
ムッとして言うと、男性は両手を上げて身を引いた。けれど楽しんでいるような表情は崩れない。
「実際、偽名だろう? 身分証だって出せないはずだ」
「………」
「困るんだよね。クライアントが偽名を使ってるんじゃ、信用も何もあったもんじゃないじゃないか」
「……あなたの名前だって偽名なんじゃないですか」
だって怪しすぎる。
「アサクマ、サトルなんて」
「人の名前を偽名呼ばわりとはひどいなあ」
「だって、サを取る、でアクマじゃないですか!」
男性は──目をぱちぱちしたあと、ふーっと長くため息を吐いて、おしゃれなカバンから名刺を出してきた。
弁護士
「その言葉遊びは子供の頃よく言われたんだよね。おかげでイジメられて大変でねえ」
「あっ……」
バカ。バカバカ。名前を聞いて言葉遊びを思いついて、それで気にしてはいたけど──こんな妄想、言うべきことじゃなかっ──
「っていうのは嘘なんだけどね」
「……は?」
「いやあ、そのネタバラシは早すぎるよ。僕が最後にやってバーンと決めるのがいつものパターンなのに、すっかり興ざめだ」
この人は、何を。
「でもまあ、反応が面白いから許そうかな」
「……本名じゃ、ないんですか?」
「ん?」
「だって、名刺」
「はっはっは。名刺ぐらいいくらでも偽造できるだろう? そこには頭が回らないんだね」
カッと頭に血が上った。バカにされてる。もう帰ろう、やっぱりやめておくんだった。
「まあまあ、偽名ってわけじゃない。実際この名前で弁護士会には登録しているよ」
「……本名、でもない?」
どういうことだろう? 上げかけた腰がつい、椅子に戻る。
「弁護士には職務上の名前、っていうのを名乗れる規定があってね。本名じゃないけど、この名前で問い合わせれば弁護士会に所属しているのは分かるし、経歴もわかるよ。仕事上は問題ないってわけだね」
「……なんで本名じゃないんですか?」
「いろいろ事情がある人が使う制度なんだけど、聞くかい?」
うさんくさい。……けれど本当に『事情』があるのなら踏み込めない。
「さて、僕の名前に問題がないことは分かったし、信用のためにも君の名前を聞かせてもらおうかな」
「……オグラマリコ。小さい倉に、真理の子で──」
「同年代だけど違うね。君の友達かな? いやあ、いい根性してるねえ君も」
なんで。
「じゃあこうしよう。どの年代の友達か教えてくれたら、オグラマリコの友達の名前から君の名前を当ててみせようじゃないか。小学校? 中学? 大学かな?」
「……
男性──弁護士のアサクマは「おや」と首をかしげる。
「急に素直に名前を教えてくれるなんて、どんな心境の変化だい?」
「その条件じゃ、絶対当たらないから」
オグラマリコは、友達じゃない。高校で同学年だっただけ、綺麗で明るい学年の人気者。向こうは私のことなんて気にもかけていない。私だけが、それをみて、しつこく名前を憶えていただけ。
「ふうん。偽名を使ったってことは何か後ろめたいことでもあるのかと思ったけど、そうでもないのかな? 僕を怪しんで警戒した……いや、前の依頼から偽名を名乗っているから……そうだね、依頼が何か恥ずかしい……いいや、秘密にかかわること」
ドキッとする。何もかも見透かすような目。
「ま、何でもいいや。それじゃとりあえず、お互いに信用を得たところで」
アサクマはニコリと笑う。
「仕事の話をしようか」
◇ ◇ ◇
「念のため聞いておきたいんだけどさ」
アサクマという職務上の名前の男は、少し天井を見てから言う。
「枕営業っていうのをやった相手にストーカーされている件の相談じゃないよね?」
「は、はあ!?」
枕ッ……!?
「ああ、枕営業というのは」
「知って、いや、違います!」
それしかないか、と考えたことは昔あるけれど、結局やってないし、する気もない。
「だよね。いやあ、たまに僕を騙して仕事を振ってくる悪い知り合いもいてねえ」
「……あの弁護士さんは、あなたより信用できそうでしたけど」
「仕事を丸投げする人間が信用できるのかい?」
「それは……あなたの方がこういう案件に、慣れているからって……」
「慣れているというか、やらされているというか」
アサクマは肩をすくめる。
「面倒だからそういう案件しかとらない、うん、これが正しいところかな」
「何のこと……」
「Vtuber絡みの話なんだろう? バーチャルYouTuber。僕はそれ専門の弁護士なんだ」
……そう。確かにそう聞いた。でも。
「……そんなに、バーチャルYouTuber絡みの、その、訴訟って多いんですか」
「人気商売だからねえ。ストーカーにネット上の誹謗中傷、トラブルは多いよ。そういうのを訴えてお金をもぎとるのが僕の得意とするところでね。君も儲けさせてあげよう、嫌なことを忘れられるぐらいね」
「そんなにお金になるんですか」
「君たちはね」
アサクマはため息を吐いて頬杖を突く。
「僕はもろもろの実費分ぐらいしかもらわない。それも案件が成功して、相手から金を巻き上げた後にだけだ。失敗したときは何も貰わないよ──失敗したことはないけどね。やれやれ、僕にもイメージってものがあるんだけどねえ」
「……あの、それでやっていけるんですか?」
「そうしろって言われていてね。ま、生活は別口で成り立ってるから気にしないでいいよ」
言われて、って、弁護士事務所の偉い人とか?
この人に対して謎は深まるばかりだけど、実際、この条件はすごく助かる。なんたって私は、貧乏なのだ。だから無料で法律相談できるというところに行って、そうしてこの不思議な男を紹介されている。
「最近はVtuber関連の法整備も進めろとか言われててねえ、僕が法律を整備するってそれでいいのかい? って感じなんだけど……ああ、ごめんごめん、今は関係なかったね。君の話をしよう」
アサクマは顎の下で手を組み、目をキラキラさせて言う。
「それじゃまず、どこから『ズレ』始めたのか聞こうか」
「ズレ……?」
「ああ、こっちの話さ。ま、Vtuberに関わることになったところから聞かせてもらおうかな。調査とかに必要なことだからね」
「……わかりました」
少しためらったけど、弁護士は確か守秘義務っていうのがあるはず。それに、話さなければ何を依頼したいのかも分かってもらえない。この人は怪しいけど、もうここしかない。
「……5年ぐらい前になるんですけど」
そうして、私は話し始めた。
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