第39話 2016年 推しは健康にいい
2016年6月。
「ただいま」
「やあ」
「おかえりなさい、二人とも」
玄関まで出迎えにきた母さんは、そう言ってにこりと笑った。
「久しぶりに顔を見せてくれたわね……ナルトは何度か来てくれているけど、テルネったら高校卒業からずっと、連絡さえしてくれないんだから」
「あー……心配をかけて……」
「いいのよ。ナルトからおおよそのことは聞いてるし、子どもの頃から放っておいて平気な子だったから、大丈夫だって信じてたわ。うんうん、大きくなったわね」
「高校の時からそんなに背は――」
「人間的によ。そんな顔してる」
ウインクされる。……かなわないな。
「さ、上がって上がって」
「お邪魔します」
「他人行儀なこと言わないの」
とは言われても、初めて見る間取りだからなあ。
ずっと引っ越ししなかった前の世界と違って、両親は最近になって引っ越しをした。まだまだ若く働き盛りの二人は、都内にそこそこの広さの家を構えることにしたわけだ。こうなると実家、って気がしない。
「ああ、おかえりナルト。それから、テルネ……久しぶりだね」
リビングでソファに座ってタブレット端末をいじっていた父さんが顔を上げる。
「ナルトを通じて何度か帰ってこないか、って伝えていたのに、全然来なくって……それなのに急に来るっていうから驚いたよ。いったいどんな風の吹き回しかな?」
「Xbox 360を引き取りに来た。もう10年前の機体だし、こっちの倉庫で預かるよ」
「えっ!? 箱マルが10年前? お、おう……もうそんなに時間が……」
父さんが買ったゲームハードは、世代遅れになった時点で悪魔に引き取らせている。動画のネタに使うためだ。……初見プレイを装うより、思い出語りしながらプレイするほうが自然体で受けがいいことが分かったし。
「ま、まあ、それはいいとも。いつものように持っていってくれ。ずいぶん起動してないしね……って、そ、それだけ?」
「冗談だよ。今日は話があって来たんだ」
俺は向かいのソファに腰を下ろす。母さんも悪魔もやってきて、久しぶりに一家が揃ったな。……悪魔はいなくてもいいけど。
「……例の話をしにきた。父さんの未来について」
「!」
両親が息を呑む。
二人には今生で意識を取り戻し次第、未来から逆行してきたと明かしている。その証拠もこれまで山と積んできたので、二人はもうそのことを疑っていない。
「覚えてるか、父さん。私が初めて未来の話をしたときの事」
「あ、ああ……」
父さんはゴクリとツバを飲む。
「……僕を救うためにきた、と言っていた。も、もしかして、その時が来たのかい……?」
「すまないあれは半分ウソだ」
「は?」
「まあ半分は本当なんで聞いてほしい。実は前の世界での父さんは、これから半年後に受ける健康診断でガンが見つかるんだ」
「がっ、ガン!?」
「厄介なガンでな……見つかったときにはもう手遅れで……そのままさっさと逝ってしまった」
2017年の夏のことだ。葬儀は母さんと二人で済ませた。ものすごく力が抜けて……母さんも病気がちになって看護が必要になり、ブラックな職場でもいろいろあって、何もかもに意味を見いだせなくなって、感情を失ったまま仕事を続けていた。
そこから救い出してくれたのは、綺羅星のごとく現れたバーチャルYouTuberたち。仮想の体からにじみ出る魂の輝きに触れ、俺は再び笑えるようになった。
そう。バーチャルYouTuberは俺にとって希望だ。
「は、半年後……!? で、でもこの間受けた検診でも異常はないって」
「うむ。たぶん……大丈夫だと思う。この世界では、父さんにガンは発生してないんだろう」
複数の医療機関に勝手に申し込んで、俺の金で念入りに検診させてたからな。四ヶ月に一回ぐらいのペースで。
「ていうか、不自然に思わなかったのか? 検診多すぎだろって」
「45過ぎたらそんなもんなのかなって思って、そのまま受けてた……」
「そうよねえ」
そんなわけないだろ。……まあ呑気な夫婦で助かった。
「まあとにかく……前の世界での話では、今から一年前でも検診に引っかかっただろうって言われていたから、もう大丈夫だと思う」
前の世界で父さんが通っていた病院が、健康診断をおざなりにすますクソ病院だったんだよなあ……もちろん今生では行かせてない。
「そ、そうか。しかし、なんで僕はガンにならなかったんだろう?」
「前の世界の父さんは職場でも家庭でもうまくいってなかったからな……ストレスの影響じゃないか?」
「え、そうなの? ガンになるほど?」
「この時点でもお互いオタクを隠し合ってたからな、父さんと母さん。ライブとかイベントに出かけるの、お互い浮気じゃないかと疑ってたぞ」
「ええ……」
ガンが発覚して、余生は会社をやめて好きなことをしよう、という話になったときに両親はようやくお互いの趣味を明かした。あの時はめちゃくちゃ脱力したな……お見合いの時の見栄をどんだけ引きずっていたのかと……。
それからわずかな間ではあったが、オタク趣味で通じ合った二人は幸せそうだった。誰も言葉にはしなかったが、もっと早く話していればと思っていたはずだ。
だから今生ではさっさとバラしてやった。それが正解だったと思う。ストレスなく幸せに生きる二人は、そのおかげか仕事でもうまくいっている。やっぱり推しはガンに効く。オタクって最強なんやなって。
「まあ、もちろん予断は許さないから、継続して検診は受けてほしい」
「わ、わかったよ」
「テルネとナルトに救われたわね」
「僕は何も」
悪魔は肩をすくめる。
「それで……半分、だったかしら? もう半分の、未来から戻ってきた理由は教えてもらえるの?」
「あぁ……うん、それな」
「ドキドキするわね」
「そうだね」
二人はこれまで黙って協力してくれた。あきらかに不自然な活動に目をつぶって。そのおかげで今の俺がある……だからその事情は明かしておきたい。しかし、トーカは秘密のヴェールが売りなのだ。両親とはいえ、なるべく匂わせ程度で……。
「えぇとな……実は身分を隠して? アイドルというかタレント? 的な活動をするために戻ってきたんだ。私がそうすることで同じような人? が増えてな、結果的に救われるオタクが多くなるというか。そう私はオタクを救いたくてやり直しを……しにきたんだ」
「?」
「??」
両親がそろって首を傾げる。うん、自分で言っててもよくわからんと思ったよ。しかし、これぐらいが限界――
「それって、あなたが彩羽根トーカちゃんだってことかしら?」
「ファ!?」
え!? いや今なんて!?
「どっどどど、どぇ?」
「ああ、やっぱりそうなのね。だってねぇ、あなた」
「うん。タイミングよく僕から取り上げていったゲームの動画とか出てくるし……撮りためてたCMのビデオのネタとかも……」
「歌ってる曲もお父さんやお母さんの世代のオタクに響くものが多かったりするし……」
「だから口調とかは全然違うけど……彩羽根トーカちゃんってテルネじゃないかな? とは思ってたよ」
バレてた……だと。
「え、でも、いや本当に? 毎日動画見てるよ!」
「そうね、グッズもね、お父さんの部屋にいっぱいあるわよ」
オタク、家の中で経済を回していた。
「いやあ、こんな娘がいたらよかったなあなんて母さんと話したりしてたんだけど」
「そうねえ」
「まさか本当にそうとはなあ。ああ、そうだ! 挨拶、挨拶やってみてくれる?」
………。
「こんにちは、人類。彩羽根トーカです」
「うわああああ、本物だああああ!?」
……親のオタクムーブみるのって結構つらいな。
「トーカちゃんが僕の娘とか、ヤバいね母さん」
「そうね。みなぎってきたわ」
「……他の人には絶対内緒だぞ。父さんと母さんだから言うんだ」
「もちろん、もちろん!」
「そうね、そんな水差し野郎になる気はないわ。……それで、テルネがトーカで、それが未来から戻ってきた理由なのね?」
「ああ……実は、未来から戻ってきたのは彩羽根トーカをやるためなんだ」
こうなったら隠すことはない。未来に訪れるVtuberの破滅について、俺は概要を軽く話す。父さんも母さんも、オタクとして真剣に心を痛めた様子で聞き入った。
「……そんなことが、起きたのか……いや、これから起きるかもしれないのか?」
「ひどい、許せないわ。そんな未来、まったく推せない」
「だから、その未来を回避するために、完璧なバーチャルYouTuberの親分になろうと思ったんだ。いろいろ習い事をやったのも全部そのためだ」
小学校受験したり、音楽教室や語学教室や道場に通ったのも全部、バーチャルYouTuberの親分になるため。
「破滅を避けるためには……バーチャルYouTuberの理想を見せる必要がある。頂に消えない輝きがある必要がある。そう考えて、それでバーチャルYouTuberになるために戻ってきたんだ」
推しを守るために騒動に直接介入する? そういう手法もあるだろう。しかし力をもってそれを正しても、局所的にしか救えない。あの破滅を防ぐためには……垣根を払い、血を巡らせ続けるためには、Vtuber界隈全体の意識の改革と、失われない希望が必要なんだ。今すぐに人類に英知は授けられなくても、今から種をまいていけばきっと芽吹いていってくれる。
それでも、結局救えないオタクもいるかもしれない。けれど、トーカが輝きを示し続けるなら、きっと再び立ち上がってもらえる。
「……これまで黙っていてごめん。いろいろ協力してくれて、本当にありがとう」
俺が頭を下げると、二人は顔を見合わせた。
「いやぁ、まあ……それで迷惑だったこともないし」
「全然手間のかからない子供だったものね」
「うん。全然構わないというか」
父さんは――まっすぐに俺の目を見る。
「イベントのチケットとか売るときは家族枠で回してくれる?」
「そこは公平にいくからな、オタク」
◇ ◇ ◇
「いやー、しかしテルネがトーカとはなあ! そうかな? と思っていたけど、本当だと分かるとテンションあがるよ」
「本当ね!」
「すごいよなあ、あんなにたくさんいる中の一番なんだから」
「増えたわよねえ、バーチャルYouTuber」
この頃になるとバーチャルYouTuberのはじめ方も解説が豊富になり、より手軽に参加できるようになって、ツールを提供する芸能プロダクションのようなところも出始めていた。世はまさに大Vtuber時代!
「お母さんはニコニコ動画の切り抜きとか見るの好きよ。あとトーカちゃんのよくばりセットとか」
「僕はMMDが好きだな。トーカちゃんと四天王の揃ったやつとか。母さんはこれ見たかい?」
「マイリスに入れてるわね」
トーカがMMDモデルを出したのを皮切りに、ドラたまさん、モチちゃん、サキちゃん、リリアちゃんもMMDモデルを公開した。最近やっとリリアちゃんが出て『揃った』ので、五人の出る動画がたくさん投稿されている。
「四天王、か……」
「魔王と四天王、いいよね」
「いい」
オタク同士の通じ合いをするな。まあ、両親の仲がいいことはいいんだが。
「なんで私も四天王じゃないんだ……」
「え? だってトーカちゃんはもう5年目でしょ? サキちゃんですらやっと2年目なのに、それをひとまとめにはねえ?」
「そうよね。それに四天王が五人もいたらギャグだし」
ギャグでいいんだよ!
「せめて別枠でも親分がよかった」
「ええ……親分ってリアルYouTuberの方だろう? それとかぶるのはどうなんだい?」
「そうよね。それにぽちゃちゃんの王様なんだし、そしたら皇帝よね。Vのすべてを統べるオタク!」
ドラたまさんとのコラボで諸王の王とか言われた結果、トーカのポジションは魔王とか皇帝とかになっていた。始祖だから始皇帝だとかも。まあ放送ではノリノリで乗り切ったけどさあ! その理屈でいうとドラたまさんは俺の娘なわけで待てよなんだそれエモいな。
「そうだ! 四天王といえば、リリアちゃんに続いてサキちゃんもライブをやるんだってね」
「ああ、リアルの会場を抑えてな」
スクリーンにサキちゃんを映して行う方式になるだろう。そこそこの大きさの箱で開催されるそれは――収益面が心配だった。今生で裏側に携わることになった結果、かかる金額というものもリアルな情報が得られるようになるわけで……あれ、赤字近いよなあ。グッズが完売してトントンだろうなあ。
「テルネ、サキちゃんのライブ……トーカちゃんの力でチケットが手に入ったりは?」
「そういうコネはないぞオタク」
俺のライブならまだしも。
「ニコ生も有料放送やるからリアルで落選したらそっちのチケットを買うように」
「そっかぁ……まあ仕方ないか」
ちなみに俺はタダで見れるけどな。なんとサキちゃんのライブにシークレットゲストとして招待されているのだ!
聞いて驚け。バーチャルラウンジを使って乱入し、生でお祝いを述べる予定になっているのだ。サキちゃんには本当に秘密らしく、今から反応が楽しみだな!?
……俺が緊張でヤバいのだけが心配だな! だって推しとの初絡みだし……ゲーム大会には参加してくれたけど、やっぱりトーカへの言及ってないからさあ……。それが急にお祝いって……だ、大丈夫だよな……? うっ吐き気が。
「ところで、トーカもライブしないのかい?」
「生放送じゃなくて、会場でやるやつか?」
「そうそう」
「今のところ予定はないな」
小さい箱でならすぐやれるが、それでは不満も出るだろうし、バーチャルラウンジの方がみんな幸せになれると思う。ライブに気軽に行けない――遠方だったり、気力のないオタクは、年一でさえ辛いだろうし。
「どうせやるなら、記念に一発ドでかい箱でやるべきだ。私が石油王ならドームとか貸し切るんだが」
「おお、さすが皇帝」
現実にそんな金はない。スタッフもいない。
それよりは別の計画に時間と金を使いたいしな……いやでも貯蓄はしておくかな……。
「母さん楽しみだな~ライブ。サキちゃんのもだけど、他の子もやるでしょ」
「Vtuberもいろいろ増えてきたからなあ。オタクの最近の推しは何よ」
「父さんはノトちゃんかなあ。スミノト尊い」
「ああノトちゃんは私も注目しているな。技術勢として見てる。なかなか強い」
「母さんは大調和弊国に最近加わった、アサカラ兵士長かしら。ヨルニナルト陛下の才能には脱帽だわ」
「さすが母さん。わかってるじゃないか。ブーン国防長官とのコラボ放送はよかったな。個人Vtuberの一大勢力になったよなぁ」
「関係図とかすごい大きくなって見てて楽しいわ」
「3D化の動きもあるらしいし弊国民はしばらく目が離せないな」
「リリアちゃんの雑談生放送もいいよ。あの子意外と映画とかにも詳しいんだねえ。チョイスに偏執的なものを感じるけど」
「雑談で伸びたわよねえ。でも、生放送が増えてきて追いかけるの大変だわ」
「そうだよなあ。私も動画編集とか作業しながらだと5窓ぐらいが限界で、泣く泣く見逃すことになるのが……」
「え待って5窓もしてるの? しかも作業しながら? え? なにそれこわい……」
しばらくああだこうだと、推しのVtuberについて語り合う。楽しい……楽しいな。オタクと語らうのってこんなに楽しいのか。
「あ、そうそう」
その話の合間でふと、母さんが立ち上がって、どこからか封筒を一通持ってくる。
「思い出したわ。前の住所に届いていて、最近転送されてきたの。ヴァレリーちゃんからよ」
「ああ……」
俺は口ごもりながら受け取る。
「……ありがとう」
「これまでも何度かお手紙もらっているけど、ちゃんと返事書いてる?」
「……してない」
してないのに手紙を送ってくるヴァレリーはすごいと思う。いい加減こんな薄情な俺のことは忘れてしまってもいいのに。
「もう、駄目よ返事書かなきゃ。ほら、なんて書いてあるの?」
「ああ、えーと……」
また仕事が決まった話か。……自分自身として仕事をしている? なんだ? 少女Cとかじゃないのか? 役者にでもなったのかな……いや、そんな感じじゃないな。
よくわからんが、「楽しい、やりがいがある、幸せ」であることは確かのようだ。が――
『――でもね、プレッシャーもちょっとあるんだ。みんなのためにも、自分が成功させなきゃいけないっていうか……。そういう不安もあるんだ。詳しいことは言えないんだけど。言えないんだけど……そういうこと抜きで、やっぱり会いたいな。会いたいよ。きっとテルネはきっとすっごくなってるかもしれないけど、会ったら絶対分かると思うな! 親友だもん! だからね、急に遊びに来てくれてもいいからね! 寂しくなんてないけど会えたら嬉しいから!』
「……まあ、元気そうだ」
……会いたいと言われても、お互い違う道を進んでいるんだから……今更会っても邪魔になるだけだろう。
「お友達は大切にしないとダメよ。返事、ここで書いていく?」
友達……友達、か。ヴァレリーはそう思ってくれているらしい。すごいよな。俺がしたことを考えると、俺だったら友達だなんて思えないが。
「………」
返事、か。何を書くんだ? しれっと、友達面をして?
……できない。それができたらコミュ障のおじさんをやってない。
手紙からは不安も伝わってくる。それを解消してやりたい気持ちはある。一緒だったころは、近くにいたころは何も意識せずにできた。だが……今の俺にそんな資格があるとはとても思えなかった。
「いや。帰ってから考えるよ」
母さんにそう答えて、手紙をしまう。
――結局、何を書いていいか分からなかった俺は、手紙の返事を出すことはなかった。
そしてそのまま、ミチノサキライブの当日を迎える。
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