第20話 2015年 初交流
【2015年5月】
「やっと終わった……」
「お疲れ」
作業部屋から出てダイニングに降りていくと、椅子でくつろいでいた悪魔がひらひらと手を振った。
「何してたの?」
「4周年記念の動画の編集だ。さすがに気合を入れないとな」
「ああ、もう4年になるんだねえ」
悪魔は憎たらしい顔で頷く。
「流行らないのに」
「うるさい」
彩羽根トーカのチャンネル登録者数は、『The 倉庫スタッフ』の影響で海外視聴者を中心に少しずつ増え続けている。しかし日本のオタク界隈では話題にはなっていない。そんな状況だった。
「私単体としてはそうだが、バーチャルYouTuber界隈としてはだな!」
胸を張り高らかに言う。
「現れただろう、新しいVtuberが! ミチノサキちゃんが!」
俺の推し。俺の光。この世界二人目のバーチャルYouTuber、ミチノサキちゃんが!
忘れもしない2015年1月8日、俺は救いと啓示をうけたのだ。俺の努力は無駄ではなかったのだと、このまま進むべきなのだと。
あの日は、この世界のバーチャルYouTuber史に刻まれる歴史的な日だった。新たなるバーチャルYouTuberの誕生――バーチャルYouTuberが彩羽根トーカひとりの固有名詞ではなくなった瞬間だ。
あの日以来、ミチノサキちゃんは定期的に動画を投稿していてくれている。もうその投稿が待ち遠しくて待ち遠しくてもう毎日毎秒動画一覧を更新してる……。
「確かに新しいVtuberが出てきたけど、それで界隈って言っていいのかい? 増えたの、ひとりだろ?」
「……まあ、ひとりだが……」
……YouTubeでもTwitterでも、バーチャルYouTuberと検索して出てくるのは、彩羽根トーカとミチノサキの二人しかいない。
「そのうえ君より流行ってないよね」
「なんでだよ……! モデルのクオリティ高いじゃないかよ……! どうして伸びないんだ、ミチノサキちゃん……!」
俺は机にかじりついてバシバシと嘆かわしい気持ちを叩きつける。
「あの胸めちゃくちゃ技術力かけて自然に揺らしてるのが見てわからんのか……! 頭についてる薔薇よりポリゴン使ってるぞ!?」
「わかんないよ普通の人は」
露出はほぼゼロと言っていいトーカに比べて、ミチノサキちゃんはミニスカートだしノースリーブだしと隙だらけ。絶対男子受けする格好だと思うんだが……。
「なぜ伸びないんだ、ミチノサキちゃん!」
「なんでだろうねえ? そこんところどうなんだい、Vtuberオタクの君としては?」
「は? 推しだが?」
……まあ、不満がひとつもないとは言えないが。
「……動画というか企画とか台本が、なんか普通っていうか……そういうところはあるが」
機材やモデルに金をかけているのは見て取れるし、かなり気合の入ったプロジェクトのようだが、どうも企画側があまりうまくないようだ。なんか他のYouTuberの二番煎じみたいな感じだし……面白いかと言われると、答えづらい。
「声がいいから歌とか伸びると思うんだが、やってくれないんだよな……やはり、権利問題か? YouTubeがJASRACと包括契約しているとはいえ、伴奏の原盤権は問題になるからな……その辺、私は全部自分で演奏しているからクリアなんだが……クッ! 私に言ってくれれば、いくらでも提供するのに!」
「すればいいじゃないか」
悪魔は首をかしげて言う。
「ほら……Vtuberが人気になるには、コラボとかいうのをやるんだろう? それをすればいいじゃないか」
「簡単に言うなよ。そんなん……」
ミチノサキちゃんと、コラボ……俺が……?
「そんな……、そんなこと恐れ多くてできるかよ!? 推しと何を話せっていうんだ!?」
「えぇ……」
「っていうかそもそも……なんか、私……彩羽根トーカは、サキちゃんに認知されてないかもしれん……」
「は? 何言ってるんだい。この世界でバーチャルYouTuberなんて言い出したのは君だけだし、その用語を使っている時点で、ミチノサキが彩羽根トーカを知っているのは当然だろう?」
「いや、だってさ……」
あの日。サキちゃんが現れたあと、俺はサキちゃんのTwitterにリプライを送った。めちゃくちゃ悩んで何度も書き直して……「初めまして! バーチャルYouTuberの彩羽根トーカです! 同じ仲間が増えてとっても嬉しいです!」とだけ送ったんだが……。
「Twitter、返事ないし……それから一切言及もないし……多分、気味の悪いオタクとして嫌われ……」
わかる。急にオタクから声をかけられても嫌だよな。
「いきなり嫌われる、なんてことはないと思うけどねえ」
「お前はそういう経験がないからそう思うんだ」
「考えすぎじゃない?」
「……百万歩譲って……ライバル視されてるんじゃないかと思う。お前なんかと慣れあっていられるか、という」
実はああ見えて剛毅な感じなのかもしれない。……それはそれで面白くて推せるな。
「いいんだ……オタクは認知されてなくても……だから毎秒投稿してくれ、サキちゃん!」
「不可能でしょ。ん? おっと」
スマホをいじっていた悪魔は、気味の悪い笑顔を浮かべる。
「やあ、偶然だね。どうやらまた新しいバーチャルYouTuberが出てきたようだよ。ほら」
「は!?」
新たな推しが!? 供給が!? そんな急に、感情を消化しきれないが!?
「だっ、やっ、……まっ、待て待って待て!」
悪魔がスマホの画面を見せてきたので、俺は顔をそむける。
「え、何? 見たくないの?」
「見たい! 見たい、が……心の準備が必要だ。……まず……名前は? ゆっくりだ! ゆっくりとな!?」
「はあ。えーと、北方少女モチ」
「よし!」
「なんなんだい、いったい」
「……前の世界にいたバーチャルYouTuberだったら気まずいだろ」
可能性がなくはない。俺がバーチャルYouTuber史を変えているとはいえ、信念のある者たちは前の世界と同じ姿同じ名前で出てきたって不思議じゃないのだ。そうなったら……俺は、耐えられる気がしない。
北方少女モチ……北方少女モチね。うん、大丈夫だ、聞いたことない。
「ふう。北方少女モチ、か。……なんか北方棲姫みたいな名前だな」
「おっ、何かのパクリかい?」
「この程度でパクリになるなら何事もパクリだよ。完全に何も連想させない創作なんてない。北方少女モチね、いいじゃないか、よし……み、見るぞ」
深呼吸を一つ。覚悟を決めて、再生する。
『ズドラーストヴィチェ』
映ったのは、銀髪の小さな少女のいる部屋だった。
『はじめまして、北方少女モチです』
窓の外では雪が降っている。家の中でもファーのついたもこもこのダッフルコートを着ていて寒そうだ。しかし……。
「うん?」
「どうかしたかい?」
「いや……声は問題ない。前の世界で聞いたことがないから大丈夫だ」
中性的な声だな。北方少女、と書かれていなかったら性別に迷ったかもしれん。
「ただ、顔が……なんか私に似てないか? 小学生ぐらいの」
「そう?」
そんなことをやっている間に、モチちゃんは淡々と、たどたどしく自己紹介をした。北の方に住んでいて、祖父以外とは人との交流がないこと、趣味は暇つぶしをかねてゲーム、夢はみんなに見てもらえるアイドル。
『よかったら、モチーチカってよんで、ね』
「うおおおおぉぉー! モチーチカァァ!」
「うるさいよ?」
いやー、いいな。いいキャラだ。寒がりで防御力の高いロリはいい。ステージ衣装がどこまで大胆になるのか今からおじさん楽しみだよ! アイドルになってくれ! モチーチカ!
……モチーチカってなんだよ。エセロシア語にもほどがある。挨拶のロシア語の発音がよかったからびっくりしたが、設定のための一発芸だな、これは。
「とにかく推すぞモチーチカ! チャンネル登録高評価通知オン! Twitterフォローに告知ツイートふぁぼ完了! そして!」
「そして?」
「……バイトに行ってくる。動画を見たせいで遅刻しそうだ」
家から車で5分だから油断しがちだ。急いで――
「あ、北方少女からリプライがきてるよ」
「は、え、なっ、なんだと……!?」
うおおおおお!? マジだ! Twitterのフォローを感知してリプライを飛ばしてきている!?
「え、やば!? えってかTwitterでも設定を守るタイプかいモチーチカ、かわいいねえ!? 推せる! 推せるよモチーチカ! ってか、そうかっ、おっ、うぐぐ、な、なんて反応を返そう……!?」
「いや、普通に挨拶したら?」
「そんな簡単にできたら苦労しないだろうが! こちとらアイドルと話したことなんてない一般童貞おじさんだぞ!? 推しとどうやって話せっていうんだよ!?」
「あぁ……うん」
ミチノサキちゃんに挨拶のリプライ飛ばすときも、実は3日ぐらいかかったんだよな……反応もらえなかったけど……。
「どうする、どうしようか……は、早く返信しないと向こうも不安だよな……!?」
「そうなんじゃない?」
それからなんとか返信文をひねり出して投稿した。これで一安心だ。
――バイトには遅刻して、店長が倒れた。迷惑をかけてしまって申し訳ない……。
◇ ◇ ◇
@hoppo-shojo_mochi
@cyberne_to-ka トーカさん、フォローありがとうございます。モチ、トーカさんの動画を見て、やろうと思いました。仲良くしてくれると嬉しい、です。
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@cyberne_to-ka
@hoppo-shojo_mochi モチちゃん! こちらこそよろしくね! バーチャル世界の仲間が増えてとっても嬉しい!
◇ ◇ ◇
【2015年3月 ニコライ・ダニーロヴィッチ・ポロンスキーの記録】
東京都内の雑居ビルの一室で、ニコライは天使――ルカと打ち合わせをしていた。
特殊部隊に集まった様々な技術の持ち主たちにより、すでに部隊は『会社』という社会的立場を得ていた。法律に詳しいもの、経理のできるもの……それぞれの専門分野を活かして動いている。
ニコライを筆頭とする技術班は、ルサールカ作戦の中心となるチームだった。カモフラージュのため適当な人間が社長になっているが、メインオペレーターであるルカの決定こそがすべてを決める。
「こちらがバーチャルYouTuberのモデルのラフです。いかがですか、少佐」
ニコライが提出したのは、北国の女子高生といった感じの子だった。コートの下から、ミニスカの制服が見えている。
「やはりアイドルといえばJKが王道です。北国の印象を与えるためにコート、そしてチラりとする制服、JKの矜持として生足。どうでしょう!?」
「これに、ぼくがなる……?」
「そうです!」
そのためJKといっても生意気な感じではなく、優しく天使のような顔立ちにしていた。まさに天使が演じるにふさわしい。
――しかし。天使の表情は晴れない。
「何か不満が?」
「……ない。みんなが作ったものを信じる」
天使よ。しかし。
「それでは駄目です、少佐。我慢はいけない。このキャラにはあなたがなるんです。つまり、この子はあなたなのです」
「ぼく……」
「少佐がなりたくない姿になる必要はありません。そんなことをしたら不満が残り、いずれ爆発するでしょう。作戦の成功が危ぶまれます」
「どうしたら」
「なりたい自分を教えてください、少佐。このキャラクターのことは忘れていただいても問題ありません。どこを変えたい……何になりたいのですか?」
天使はしばらく考え込むと、胸ポケットから手帳を取り出し、そこから一枚の古ぼけた写真を取り出した。
「これ……」
そこには何か不満そうな顔をした小学生ぐらいの年頃の少女が写っていた。髪は男かと思うほど短く、目つきは鋭い。顔立ちは整っているが、かわいいというより凛々しさを感じるとニコライは思った。
……というか、こんな日本人の小学生の少女の写真を大事にしまっているとか……。
「……少佐もなかなか業が深い」
「……?」
「いえなんでもありません。ええと、この少女の顔に似せればよろしいですか?」
「そう」
天使はさらに注文をつける。
「あと、体も、同じぐらい小さく」
「神よ」
「……?」
「いえ……いえ、分かりました。小さく、ですね」
「……難しい?」
「問題ありません」
実際の体格とは恐ろしくかけ離れている。モーションの取り込みの際にそのギャップが懸念される。しかし技術班として、なにより天使のため、やってやろうとニコライは決めた。
「そうなるとJKという設定は難しいですね。もう少し設定を変えていきましょう。例えば――」
技術班の努力が実り、ルカが「北方少女モチ」となり、一人のVtuberオタクを職場に遅刻させるまで、あと2カ月の出来事だった。
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